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第一章32 『お茶会はキケンな香り』

 グラナート共和国最高会議場は、白塗りの巨大な建物である。最高会議という名の通り、ここでは元老院の成員を決める貴族大会議が開かれたり、国の重大な決策がなされたりする。

 ただ、そうでない期間では、純粋に貴族が会議室として一室を使用したり、各機関の人間が事務仕事をしたり様々な使われ方をされる。


 ――宴会期三回目の当主会議もまた、本日ここの会議室の一室を借りて行われた。


「あぁ……もうたくさんだ……」


「――でもごめん、悪いけどわたしに協力して」


 天を仰いでため息を零すアレクセイの背後から、聞き慣れた、けれど久しぶりに聞く威厳ある声が響いた。

 ――アデリナ・カレリナ。

 外で待っていたアレクセイと違い、恐らく当主会議に参加していたであろう彼女が、真面目な顔をして有無を言わせぬ口調でそう言った。



「お言葉通り、兄上を呼んできました。どうしたんですか? 突然三人でお茶会を開きたいって」


 アデリナがひとり花園で茶をすすりながら待っていると、ヴィクトルを連れてきたアレクセイが息を切らせながら合流した。

 セリーナに気づかれないように二人で出てくるのは、さぞや難しかっただろう。

 だが、アデリナの方も切実なのだ。


「――あれから、何か変なことがなかったか聞きたかったの」


 セリーナは、ラヴィルとセリーナが当時の当主会議で華々しく好感度を上げる一方で、ヴィクトル()騒動を起こすことを狙っていた。もちろん騒動を起こしたのはサンドラだが、世論はそう評価しない。

 そのうえで被害者面をすることで、支持者を増やす腹積もりだったと思われる。


 ――だが、その思惑はアデリナによって打破された。

 あの後セリーナがおかしなことをしなかったか、心配でならなかったのだ。

 ただ当然、権謀術数渦巻く黒魔術の件を、軽々しく口にするわけにはいかない。


「あぁ、僕は一応あれから人払いを命じられたことはありません。珍しくセリーナが息子自慢に忙しかったので、そんな場合ではなかったのでしょう」


「そう。だから抜け出せたってわけね」


「いやそれが、ちゃんと許可を取ってきたんですよ。下手に騙すのは逆効果だと思って。カレリナ令嬢がサンドラ嬢との確執のことで怒っていると言ったら謝りに行けって言われましたね」


「はー。やるわね、意外と」


「意外と!?」


 要は、アデリナがプライドを傷つけられたと感じて怒っている、という報告をしたのだろう。

 恐らく相変わらずセリーナの中では、アデリナはヴィクトルを嫌いであるという認識のままだ。苛つく認識ではあるが、必要な事だ。


 わあわあと話を弾ませるアレクセイとアデリナの背後で、ヴィクトルがぐっと眉をひそめた。

 心臓が枯れ葉に摩擦されるような、ざらついた感情が湧き上がる。

 そのまま歩を進めて、ヴィクトルはアレクセイの肩に手を置いた。


「……僕を呼んでおいて、ふたりで何をしてるんだ?」


 気に入らない。そんな苛立ちを隠しもせずに睨みつけられたアレクセイの方は、さああっと血の気が引いた。

 アデリナの方からは恐らく見えにくいので分からないと思うが、眼光がいつに増して鋭く恐ろしい。目で人を殺せる。


「も、申し訳ございませんっ、どうぞどうぞ、座りましょう、お茶でも飲みましょうよ、あ、あはは、ははははっ!」


「? 急にどうしたのよ……」


 ぎこちない動きで兄を席に座らせ、自分も座り、引きつった笑い方をするアレクセイに、アデリナは首をかしげる。

 三人とも着席すると、どこからともなくメイドが現れて三人にお茶を注いだ。


「あら、どうも」


「あれ? この庭園ってメイドが常駐しているんですか?」


「あんまり気にしたことなかったなぁ……最高会議場だし、テラスが設置されている以上はそういうこともあるんじゃない?」


「さすがは首都……でも今の人、見覚えがあったような気も?」


「貴族の誰かなんじゃない? それならおかしくもな――」


「――アデリナ公爵令嬢」


 活発なアデリナとアレクセイの議論の中に、ヴィクトルの掠れた低い声が割って入った。

 しまった、と緊張するアレクセイだったが、彼の予想に反してヴィクトルは茶のコップを手に持ったまま無表情だ。


「そのお茶、もう飲むな」


「はっ?」


「え!?」


 そんな短い言葉の終わりと共に――、どろりと、赤い血がヴィクトルの口の端から垂れた。

 想定外の状況に、アレクセイは慌てて立ち上がりコップの中身を調べた。

 アデリナは突然のことに頭を回せていないが、本能的にヴィクトルの安全を確認しようとする。この場で唯一、ひとりだけ。


「なっ、え、まさか、毒……、あ、はやく治癒魔術を……!」


「アレクセイ。犯人を捕まえろ。公爵令嬢を害そうとは、看過できない」


「はい、わかりました」


「茶は一部保存しておく。証拠になる」


「僕がやっておきます!」


「え、ちょ、待っ……は?」


 恐らくはサンドラの作戦に失敗して、セリーナは苦肉の策でアデリナを利用してヴィクトルの不祥事をでっちあげるつもりだったのだろう。

 社交界には、ヴィクトル自身が毒にやられたかは重要ではない。カレリナ公爵家の令嬢が被害に遭って、その犯人がいつも評判の悪い人物であるという刺激ある内容が重要なのだ。ゴシップに、論理性も真実性も求められない。

 でも、驚くほどに社会全体に大きな影響を与える。

 同盟に関しては、謝罪するなり賠償するなり、いくらでも方法はある――、と考えたのだろう。


「――いや。いやっ、そんな場合じゃないでしょう!!!」


 アレクセイが兄に指示された通り作業をしている横で、深い思索に沈んでいたヴィクトルだったが、その一喝で二人とも固まった。

 二人が見れば、瞳いっぱいに涙をためて拳を強く握って立つアデリナの姿が。


「なんで、誰も!! 治癒魔術を使わないの!! 犯人なんか後からどうだってできるのに! 毒を飲んで、血まで吐いてるのに、どうして!?」


 だん、と机に掌を叩きつけて、アデリナは叫ぶ。

 もちろん彼女は理性的な人間だ。同時にヴィクトルへ治癒魔術を行使し、花園に防音魔術と遮断魔術をかけた。


 自分が、毒を盛られて、血まで吐いているというのに。

 動じず、怒らず、疑問にも思わず、治そうとすらせず。アレクセイだって、まるでいつものことであるかのように。

 二人とも、その焦燥感はアデリナへ被害が出かけたことによるものだ。

 ――誰も、自分自身ですら、ヴィクトル・ファンドーリンという人間を大事にしていない。


 それを、忘れたというのなら。

 黒魔術のせいで。あの地獄の三年のせいで。全て麻痺してしまったというのなら。

 ――アデリナ・カレリナは、決してそれを見過ごせない。


「……耐性が、あるんだ」


「そんなの、関係ありません!! 痛いときは痛いって、辛い時は辛いって、嫌な時は嫌だって、素直に言ってもいいんです!! 耐性があるからって、耐えなきゃいけないわけじゃないんです! 自分を追い込む必要なんてないんです、プライドもたまには捨てていいんです!」


 涙を流してまくしたてるアデリナの勢いの強さに、ヴィクトルはそれ以上言葉が出なかった。

 アデリナの方も、自分が衝動的な感情を垂れ流していることを自覚していた。

 自分が何もかも気が付けなかっただけのくせに、人に八つ当たりしているみたいで自分が酷い人間のように感じられる。

 ヴィクトルも、アレクセイも、困惑しているだろうに。ただ、自分の考え方を人に叩きつけているだけみたいで。


 だけれど、どうしても悲しくなって、どうしても言いたくなったのだ。

 小さな子供でさえ言える言葉を、ずっとずっと封じられるだなんておかしいって。そんなの当たり前じゃないって。素直な考え方を口にしても、受け止めてくれる人が居るんだって。

 耐えられるからといって、我慢しないといけないわけでは、ないのだ。

 それを教えてあげられるのが、愛だとアデリナは知っている。


「……分かってます、難しいことだって。お二人にも色々あるんだって。でも、わたしにはとは言いません。少なくとも、弟のアレクセイ公子には、そうであってくれませんか?」


 ふと、力が抜けて、アデリナは震える声でそう訴えた。

 やるせなかった。何もかもおかしいと分かっているのに、それを今すぐ正すことはできない。正したところで、彼らの環境はそれを許さない。

 変に彼らを『正常』に戻せば、もっと大きな反動が彼らを苦しめるだろう。


 正解が分かっているのに、答えを出せない。それが、やるせなかった。


「……すみませんでした。公爵令嬢」


「え?」


 意外にも、口を開いたのはアレクセイの方だった。

 奥歯を噛みしめて顔を歪めた彼が、深々とアデリナに頭を下げた。彼女も、ヴィクトルも、目を見張ってしまう。


「忸怩たる思いです。僕も、何かネジが外れてしまっていたのかもしれません。気付かせてくれて、ありがとうございます、公爵令嬢」


「その環境だもの、ネジの一本か二本、外れてもおかしくはない。でも……わたしも謝るわ。わたしは自分勝手なの。環境が許さないと分かっていながら、貴方達に自分を大切にして欲しいと願う」


「前から思っていたのですが、公爵令嬢は策略を口に出す癖でもあるんでしょうか?」


「素直だって言ってよね。策略を立ててるって思われたくないから全部言っているの!」


 しんみりしたかと思いきや、すぐにわあわあと騒ぎ出すアレクセイとアデリナ。その喧噪を背景音に、ヴィクトルは自分の心臓の位置に手を当てた。

 アデリナに施された治癒魔術の暖かみが、未だその身に残っている。


 誰かに治癒魔術を施されたのは、もう何年ぶりになるか。何にせよ、治療されるというのは、心配されている象徴だ。

 平たく言えば「治ってほしい!」と願われているということだ。

 ――アデリナにとっては、あまりに簡単なことかもしれない。当たり前だと思っているのかもしれない。でも、ヴィクトル・ファンドーリンにとっては。


「……アデリナ公爵令嬢」


「あっ、どうされましたか? まだどこか苦しいですか? 他に変だっていうところはありませんか?」


「いや。……感謝する、と。それだけだ」


「そ、そうでしたか。何かあったら言ってくださいね、本当に! 犯人は後でどうにかしますから! どうせセリーナは巧妙に言い逃れるんでしょうけど」


「ああ、そうだ。後でどうにかする」


「! あら?」


「――僕を、呼んだんだろう。アレクセイではなく」


 ふ、とヴィクトルは口角を吊り上げる。やや好戦的な笑みは、例えるならあの時工場で見せたものに少し似ていた。

 アデリナはしばしきょとんとした後、ぱあっと表情を輝かせた。その言葉に滲む苛立ちには気付かなかったようだが、それが彼女とお喋りをする意志であることは分かったからだ。

 

 久々の談笑を楽しむ二人の間から、アレクセイがそっと抜け出す。

 楽しむ二人をちらりと見て微笑んでから、彼は辺りを注意深く見渡した。


(公爵令嬢は、カレリナの力で犯人を探し出すつもりだ。でも……今回は、僕の過失と無自覚な無関心もあった。この罪は、必ず僕が償う……全部公爵令嬢に任せてはいられない……!)


 アデリナという輝かしい太陽の光で、アレクセイもまたその心が変わりつつあった。

 ――理解者気取りの傍観者でいるのは、もう、終わりにしよう。

 人生、まだ長い。戦う機会は、まだまだ残されているはずなのだ。


 こうして、ひと騒動のあった茶会は、それぞれの心象の交差と変化の中で終わりを告げたのだった。

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