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第一章2 『悪役令嬢のセカンドライフ』

 ――目が覚めたら、数年前に戻っていた。


 そんな荒唐無稽な話をしたところで、一体誰が信じるというのだろうか。何せ、自分自身さえこの状況を理解するのに時間がかかったのだから。

 だがそれは実際自分の身に起きて、そしてそれは同時に至上の幸運であったとも言えた。


「……これは、婚約破棄される前、か。危ない、その後だったら詰みだった……」


 艶やかでストレートな黒髪。眠たげで、しかし鋭い黒の瞳。神秘的な美しさと、近寄りがたい冷たい雰囲気を纏う鏡の前のその少女。

 それは、紛れもなく少しだけ若いころの自分に間違いないのだ。


 ――アデリナ・カレリナ。

 悪役令嬢に仕立て上げられ、アルトゥールに婚約破棄をされ、リチャードの手を取る以前の、自分に回帰したというわけなのだ。


 自分の髪をひとつまみ、それを見つめつつ、回帰前に起こった全ての事を思い出す。

 やるせなさと怒りが、ふつふつと湧き上がる。


「はぁ……」


 鏡に手をついて、深く息を吐く。前回の人生で味わった絶望と後悔の余韻を、すべて吐き出すように。

 黒髪の下で、鋭い眼光が鏡を通してこの世界にはない遠い昔を睨みつけていた。


 ――次は、間違えない。

 そう誓ったのだから、するべきことはもうとっくに決まり切っていた。



 そもそも、アルトゥール・グラナートと婚約をしたことは半ば永世中立のカレリナ公爵家としてはありえないといっていい事案であった。

 だが、貴族同士の対立の解消とグラナート共和国の安定のために、カレリナが珍しく前面に出ることがどうしても必要だった。


 アデリナ・カレリナはカレリナに絶対の忠誠を誓っているし、カレリナを愛している。

 だがグラナートの不穏は自身の安定さえも脅かすだろう。

 すべてはカレリナのため。そう考えて、アデリナは婚約することを選んだ。


 ――そのことしか、考えていなかった。


 だからアルトゥールとリーリアと金魚のフン集団なんてどうでもよかったし、あの宴会で何が起こるかも事前に知ることができなかったし、何より少し前会場で起こったことを扉の外で聞いていながら無視をしてしまった。


 カレリナの目と耳は、特殊だ。アデリナはあの時彼の身に起きた全てを知っていた。その上で、無視を決め込んだ。


 そのことを、今でもずっと後悔している。

 たとえもうアデリナの頭の中にしかない世界線でも。あの時手を差し出せなかったことに。

 どうだってできたはずなのに。



 基本的に、貴族達というのは派閥を作ってそれぞれ群れているものだ。

 だがその中でもしひとり孤立している存在があるなら――それは雲の上の存在過ぎて近寄れないか、もしくは全貴族界に忌み嫌われているかのどちらかであった。


 ――残念なことに、ヴィクトル・ファンドーリンはその後者である。


『あら、ファンドーリンの外務代表、参加してらっしゃる……』

『あの服の気合の入れようは何? 戦時中じゃないんだから』

『くす、どう頑張ったって当主にはなれないのに』

『堕ちたなあ、数年前まで威張っていたくせに』

『負け犬なんだから、しゃしゃり出て来なきゃいいのに』

『ねえあんなの無視しようよ、それよりこの前凄いイケメンを見つけて――』

『ははっ、確かに。そうだ、グラナートの経済は――』

『いや、まずは農業が――』


 社交界において、まるで「死んだ」かのような存在。かのファンドーリン公爵家の外務代表でありながら、嘲笑と罵詈雑言の的となっているその青年は、ただひとり会場の隅で微動だにせず立っていた。

 

 透き通るような、雪のごとき白の髪。前髪は少しだけ目にかかる長さで、細めで厳しそうだが柔らかな金の光を湛える瞳が美しく輝いている。

 だが、グラナート共和国の正式な緑色の軍服を身にまとっていることで、全身から威圧感を醸し出していた。

 その割にはこの会場で巨大な存在感を示してはいない。


 なぜなら、ヴィクトル・ファンドーリンは「死んだ」のだ。

 ただ人々の悪口の海に溺れている時以外は。


「!」


 唐突に、どん、と彼の身体に何かの衝撃が走った。

 少し振り返ってみれば、長い茶髪を何本かの縦ロールに結んだ少女が、ワイングラスを手にしてこちらを見ている。その目は反応を楽しんでいるかのような、おもちゃで遊んでいるかのような。


 ぽた、と服から一滴、液体が零れた。

 ぶつかってワインをかけられたのだな、と今更ながらに気づいた。反応が半歩遅れるほどに、状況に慣れてしまったようだった。


「あら……ごめんなさい、手が滑ってしまいましたわ。まさかお怒りになりませんわよね?」


「……いや……」


 含みのある目で、つり上がった口で、悪意ある口調で、少女が尋ねるけれど。

 こちらを初めから陥れるつもりの人間に、何を言ったらいいというのか。

 ひとりも味方のいない会場で、なにをどう足掻けるというのか。


 どうしたら、いいというのか。


 ふと、良く響く、そして軽い声が宴会会場に響いた。


「おいおいキャロル、その辺にするんだ。外務代表が困ってるじゃないか」


「あらリチャード公爵、失礼しましたわ。あははっ!」


 どっ、と会場内に笑いが起こる。

 何を笑っているのか心底分からない。別に彼は全く何もしていないが、初めからヴィクトル・ファンドーリンの存在など置き去りにしていることが前提の喜劇であるに違いないのだ。


 リチャード・ホーネットは彼の名前を口にしなかったし、キャロル・テイラーは彼の方を一度も見ることなく、謝罪さえ口にしないまま、空のワイングラスを持って自分の友人のもとへ去っていった。


 何か悪口を言われたわけではないし、殴られたというわけでもない。

 だがその雰囲気が、その目が、その口調が、この会場全てが、彼を嘲笑していることを雄弁に伝えてくる。

 悪口や暴力よりも、一層、強い侮蔑が伝わるのだ。


 喜劇は終わった。

 リチャード・ホーネットはまた群衆に囲まれて中心的人物として談笑を続けているし、キャロル・テイラーは新しいワインを貰って美味しそうに飲みながら、友人に話しかけている。

 面白い喜劇を見た『観客』たちは、より楽しそうに宴を続ける。


 ――でも、彼は喜劇の材料にされながらもずっと、置き去りにされたまま顧みられることはない。

 それはそうだろう。

 だって彼は、死んだような、――。


 ――――。


 なぜ?

 なぜ、そんなことに甘んじなければいけない。


 あなたはこんな腐り切った泥水に溺れる程度の存在ではないのに。

 天高く輝く北極星なのに。

 わたしは知っているのだから。わたしの目を奪う輝きを、わたしの世界を開いたその心を。


 ――次は、間違えない。


 あなたも、わたしも。


 悪役令嬢ではないアデリナ・カレリナと、社交界の忌み者として終わらないヴィクトル・ファンドーリンを造り上げるために。


 ねえ、今回はあなたがわたしの手を取ってくれますか?



「――カレリナ公爵家当主イリヤ・カレリナ公爵、カレリナ公爵家外務代表アデリナ・カレリナ公爵令嬢、入場!!」


 父のエスコートを受けて、背筋を伸ばして開かれた扉の向こうを見つめる。少しだけシャンデリアが眩しくて、目を細めた。

 二度目の景色、二度目の人々、二度目のあなたに会いに来た。


 ――次は、間違えない。

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