第一章26 『緊急就任』
「あなたは、何を考えているのですか? この子はファンドーリンであんなにも長い間頑張ってきたばかりなのです、同盟締結の功績だけでもう充分素晴らしいではないですか。何故またそんな仕事を押し付けるのです?」
昼間でも明るい魔力電灯に照らされたイリヤの執務室。その机の向こうにいるイリヤに身を乗り出して、アナスタシアが不満をつらつらと述べた。
イリヤもやや眉尻を下げているが、言ったことを取り下げるつもりは全くないらしい。
そんな両親の喧嘩を、アデリナとユリアーナはひやひやしながら眺めていた。
「アデルではないと、手に負えないんだよ。頭の良さだけではなく、どうやら一定の武力も必要そうだからね」
「娘に、自分の家と遠く離れた場所でそんな危険と戦えというのですか? 何かあったらどうするというのです?」
「まぁ……アデルに何かあるくらいのことが発生したら、国家レベルのことだと思うが……」
「そんな話をしているのでは――、」
「母上!」
それぞれ引けない仁義なき戦いの中、アデリナの声が割って入った。両親の声がぴたりとやんだ。
ユリアーナが見守る中、アデリナは父に貰った書類を自分の前にかざす。
「――わたしは、任務を全うする覚悟はできています。まさかユリアを行かせるわけにはいきませんし、父上も母上も領地で重要な仕事があります。他の方は、何かあった時に応対する魔力がありません。わたしが行きます。行かせてください!」
「ほら、言っただろう。アデルは断らないよ……」
「アデル。答えてちょうだい、それはまさか恋愛感情から来る衝動ではありませんね?」
強くそう言い切ったアデリナ。イリヤもどうにか収めようとするが、アナスタシアの冷徹な言葉が室内に沈黙をもたらした。
――ファンドーリンに再度赴き、『駐ファンドーリン カレリナ事務館』に常駐するカレリナ代表、つまり『駐在人』として一時就任すること。
それが、イリヤに言い渡された次なる任務であった。
就任は次の宴会シーズン後だが、アデリナにとっては渡りに船だ。そもそも同盟を締結した後、セリーナがどう動くか現地でこの目で観察しておきたい。
もっと言えば、強大な力を持つ自分が少しでも抑止力になれば、という意味もある。
――ただ、母の言う意味が全くないかと言われれば、否定はできない。
でも。
「衝動だけでは、ありません。わたしにしか、できないことです」
「でもね、アデル。貴女は帰ってきたばかりです。そして数週間後には次の宴会シーズンが控えている。カレリナは同盟締結で動いたばかり。首都へ赴いて出席する必要があります。更にそこからファンドーリンへだなんて……公的な活動に転移魔術は使えないのですよ。体を壊したらどうするのです?」
ちなみに、母が外務代表だったころはむしろ意図的にファンドーリンから遠ざかっていた。そういう意味でも、彼女は全面的に反対に違いない。
それが、アデリナへの心配であることは分かっている。アデリナは前回の人生のこともあってヴィクトルのことを色々と知っていたりするが、アナスタシアの目から見れば娘が社交界で悪い噂しかない人間に騙されたように見えなくもないだろう。
いくらカレリナが比較的独立的で偏見が薄くても、彼への悪評は根深すぎるのだ。
――ただ、現実的な話、アデリナが行かずして誰に務まるのか。
前任の駐在人は、急に病に倒れてしまい帰省した。その人の魔力の強さはカレリナの人間の中でも上澄みだったが、急に同じレベルの代役を探すのは大層難しい。
大体みんな既に、外せない重要な任務に就いている。
レベルを下げるのは、無理だ。アデリナの報告に基づくファンドーリンの現状を分析した結果、相当の力量がある人間でないと危険であると判断されたのである。
だからと言って当主のイリヤは動けないし、母アナスタシアは領地事業やイリヤの補佐がある上同盟締結後の今こそ多忙で、職位的にも差がありすぎるし、まさかまだ幼い妹ユリアーナにやらせるわけにもいかない。
「わたしは、カレリナの次期当主です。カレリナのために、身を捧げると誓いました。大変だからと言って、必要なことから逃げることはできません!」
「お母様、お父様、カレリナでの外務代表としての一部事務は私、ユリアーナが引き継ぎます。どうかお姉様を行かせてあげてください……!」
必死に説得するアデリナの背後で、ユリアーナも加勢する。二人の娘の言葉で、ようやくアナスタシアも揺らいだ。
ただ、だからといってすぐに頷くには、まだまだ不安な様子だ。
彼女の不安も、アデリナにはよく分かる。何せ自分が外務代表として就任して、まだ一年も経っていないのだから。
「もう少し……考えさせてください。アデル、ひとまず、今年二度目の宴会の準備をしておいて。今回も忙しいですよ」
「はい。貴族たちが色々聞いてくると思うので、その準備もします。ユリアは……」
「私は今回、お留守番をします。前回はお母様が残りましたが、今回は私が。何かありましたら、すぐにお知らせしますので」
びしっと敬礼をして、ユリアーナが声高にそう宣言する。そもそも前回はアデリナの外務代表としてのお披露目だったから、前代表たるアナスタシアに任務がなかったのだ。
今回は、カレリナの迫力をしかと見せつけねばならない。とはいえ家を空けておくわけにはいかないので、ユリアーナが自ら留守番を名乗り出たのだ。
「……いいの? ユリア」
「それは、お姉様の恋愛模様を見れないのは残念ですが……必要な事です」
ふ、とアデリナは微笑む。彼女もまた、同じだ。カレリナの人間として果たすべき責務をきっちり理解している。
だから恐らく、強い信念を持つ二人の娘の意志を前に、アナスタシアは敗北することだろう。
今年二度目の宴会。必要なのはカレリナの気勢を見せつけること。
そしてファンドーリンへの駐在。必要なのはセリーナの動向を観察し、未来を変えるための次なる一手をさすこと。
またもや忙しくなりそうな予感を前に、アデリナは口角を吊り上げる。
――上等だ。
〇
「アデル、まだ真夏ではないから春の服も何着か持って行くのですよ。あっ、雨の時のために傘以外にも防水できる服を……これは魔力を注入するだけでいいので便利ですよ。それから自分の食器も持って行きましょう。アデル、その服は糸が少しほつれています、今私が直すから持ってきてちょうだい、それから――」
「あぁあぁぁぁぁ……」
愛だ。これは愛なのだ。分かっている。とんでもなく贅沢な事だ。
比較対象が生まれると、なおさら自分の環境が幸福で満たされているのだと理解できる。
だとしても、母の心配性には目を回してしまう。
――宴会もひと悶着ありそうだな。
そんな確信にも似た予感を覚えて、アデリナは大きなため息を吐いた。




