第一章24 『おうちに帰ろう!』
ファンドーリン公爵家本邸の正門前には、ずらりと大量に人が並んでいた。屋敷の使用人や公爵家の人間もほぼ勢ぞろいしているし、新聞社も来る時より倍くらいに増えている。
たくさんの領民たちも街路で様子を見守っている。
それが、アデリナのこの一ヶ月の成果を何より示していた。
晴れやかな天気の中、数台の馬車と太陽を背景にアデリナは立つ。セリーナは関係者たちと公爵邸を背景に、アデリナと向かい合う。
「――同盟の締結、大変嬉しく思いますわ、カレリナ外務代表。これからの両公爵家の友好的交流を願っていますわ」
「ええ、わたしも、ファンドーリンと末永く関係を維持していきたく思います」
同盟を結び、『友好関係』を結んだ両家代表という対等な関係になったので、セリーナも言葉遣いと呼び方が改まっている、が、アデリナには気持ち悪いという感情しかわかない。
がっしりと握手を交わした二人を、新聞社がバシャバシャと撮っている。
これも来るときにはなかった。撮影機は段々と敷居が低くなっており、今ぐらいになってようやく小さな新聞社も撮影機を配備できるようになったのだ。
相変わらず魔力が動力で、別にグラナートの科学が進歩したわけではない。
(科学はカレリナも負けてないけど、やはりファンドーリンとホーネット。でも今はここがちょっと、いやだいぶ終わってるから、ホーネット公爵家が優位かな)
ちょっと雑念が沸いている間に、セリーナの背後から身長が低めの少年が現れる。
「外務代表、こちらは私の息子のラヴィル・ファンドーリンですわ。一ヶ月の間勉学に励んでおり、挨拶ができておりませんでしたの。ぜひこの機会にご挨拶させてくださいな」
「――」
「初めまして、アデリナ・カレリナ外務代表。俺はラヴィル・ファンドーリンと申します。次期当主として、カレリナとの永く友好的な関係が築かれることを期待しています。どうぞお見知りおきを」
あー。とカレリナは内心で心底辟易した表情を浮かべた。白目をむいていないか心配なくらい。
――ラヴィル・ファンドーリン。
『当主』セリーナの紹介で、数多の新聞社の前で、『息子』がほかの領地の『外務代表』に挨拶してきた。
つまるところ、彼が次期当主であると全国に主張したいのだ。
というか、ラヴィル本人もそうだと宣言しているし。新聞社も興奮気味にメモしているし。
もともと社交界の論調では既に、ラヴィルが次期当主だと決まっているようなものだ。恨めしくもアデリナの注目度を借りて、その立場を盤石なものにするつもりか。今すぐ殴り飛ばしたい。
(こちとら先生の姿が見えないことで落ち込んでるのに、問題児と喋らされるなんて何の苦行??)
ちらつくもっさりした薄紫の髪。自信げな薄紫の瞳。ムカつくが、無視するのはさすがにまずい。
「ええ。ラヴィル公子。ご活躍を、お祈りしております」
活躍なんてできるのかしら。できても蹴落とすけど?
という言外の意を込めたアデリナだが、誰もそれには気付かない。気を良くしてぺらぺらと彼が喋っている間に、アデリナは辺りをこっそり横目で見まわす。
魔力を活性化すると執事長はともかくセリーナには露見するので、カレリナの能力は使えない。
肉眼で見る限り、ヴィクトルの姿はない。
まあ、本人も危険になるし、恐らく同盟の事も慮ってくれたのだろう。仕方ないが、ちょこっとだけ残念だ。それもこれも全部この腹黒女と腹立つ息子のせいである。殴り飛ばしたい。
「まあラヴィル。外務代表はそろそろお帰りの時間よ。下がりなさい」
「なので俺は――、え? あ、分かりました」
ラヴィルが下がっていく。
ちらりと見ると、後ろで背景になっているアレクセイは今にも倒れそうな蒼白な顔でアデリナを見ていた。
すみません……とその顔に書いてあるかのようだ。少し怒りが落ち着いた。
ラヴィルのことは、とんでもない勘違い問題児だとは思うけど、正直たまにむかつく以外何の感情もわかない。
前回もたぶん逃げて野垂れ死んだか逃げられなくて野垂れ死んだかのどちらかだと思うし、強く生きろ(笑)としか思えない。
「――それでは皆様、お先に失礼いたします」
「ええ、お気をつけて」
セリーナたちと新聞社、そして領民たちに見送られて、アデリナは馬車に乗り帰宅への長旅が始まった。
過ごしてきたファンドーリンの街が、話してきた領民たちが、一ヶ月の時間が、少しずつ、少しずつ、遠ざかっていって――、
(……先生)
ほんの少しの未練の足跡を残して、馬車は進んでいった。
〇
本邸の裏の柱の奥。ここならば決して見つからないと思い、この輝かしい日の影を盗むかのように、ヴィクトルはそこで静かに息をひそめていた。
誰もがアデリナの陽の光を見つめる中で、自分だけがこの湿った空気を吸っている。
それはおかしなことだと。そう、彼女が教えてくれた。
(彼女は、落ち込むだろうか)
アデリナ・カレリナは聡明な少女だ。
ヴィクトルが見送りに行けないということはもともと分かっているだろう。だから、一度も聞いてこなかった。
「見送りに来て!」と願ってきてもおかしくないのに、そういうところは上手く距離を取れる少女で。
少女はいま、何をしているだろうか。
そろそろ、馬車に乗っただろうか。
声も聞こえないし姿も見えない、こんな柱の陰からでは、何も分からない。
セリーナとどんな話をしただろう。自分が居ないことを、本心では、論理性を除いてはどう考えているだろう。
彼女が、ファンドーリンから離れることを寂しがっていたことは知っている。
だがそれも、家に帰り家族と再会して、人々と触れ合えば、すぐに忘れ――、
「……っ」
ふと理由の解らぬ感情が押し寄せて、ヴィクトルは眉をひそめた。
心の臓が疼く感覚。無視できぬ巨大な喪失感。制御のできないそれを抑えようと、心臓に手を当てて奥歯を噛みしめる。
彼女は、すぐそこにいるのに。
セリーナに露見すると彼女も大変になり、せっかく努力して結んだ同盟がどうなるかわからないから。
だから、お互い彼女が立ち去る日に一目見ることさえできない。
ヴィクトルはアデリナの姿を見ることが出来ないし、彼女もまた自分がここにいると知らない。
それが虚しいのか、悲しいのか、どこか傷ついたのか。ヴィクトル本人にも、分からない。
今はただ――、アデリナの声を聞きたかった。




