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第一章23 『最後の日』

 ゆっくり、ゆっくり、一秒をも惜しむかのように、アデリナは荷物の確認をしていた。

 すぐに帰って業績を両親などに報告し、領民たちとお話がしたい気持ちと、ヴィクトルとの時間がもっと欲しいという気持ちが葛藤していた。

 だがずっと一貫している通り、カレリナか愛か天秤にかけるとしたら、アデリナにはカレリナを選ぶ義務がある。

 そうでなければ、数多の人々を導く資格がない。


「うん。宴会もあるし。会場に出て来なくても、わたしから突入すればいいもんね。そう。これでお別れじゃないもの」


 というより、お別れは無理だ。

 付きまとう気満々だし、それを除いてもセリーナを倒すためにいずれ彼やアレクセイと合作することになるだろう。

 すべてが終わったら、いくらでも時間はあるのだ。


 荷物の確認を終えたアデリナは、すくっと立ち机の上にあった批准書の写しを手に取る。

 ――これが、今回最後の定例報告になる。

 明日には、アデリナは自身の領地に帰宅する予定なのだから。



 アレクセイでさえ必要なノックは免除されていて、いつも通りアデリナはぶしつけにヴィクトルの執務室に突入する。

 彼曰くいつも自分が何時に来るかは決まっているらしい。あまり気にしたことはないが、そう言われるとより『習性』みたいだ。ちょっと恥ずかしい。


「先生! 批准書の写しです。控えておいてくださると嬉しいです。これは我々の同盟が締結された証であり……言うなれば婚姻届です!」


「……何を言っているんだ??」


「愛を言っています! しばらくお会いできませんが、わたしのことをどうか忘れないでくださいね」


「いや、無理だろう」


「えっほんと? 嬉しいです!」


 ファンドーリンに強烈な印象を残したアデリナを忘れるなんて、無理な話だ。あれから数度しか会っていない領民にすら、彼女の太陽のような輝きが刻まれているらしい。

 そしてアレクセイも既に彼女に感服しているようで、尊敬の念さえ抱いているそうだ。だから彼らよりずっと長く接して、愛の告白を毎日受けているヴィクトルがアデリナを忘れるなど、そうしようとしても無理である。


 ふと、アデリナが珍しく沈黙しているのに気が付いた。


「……公爵令嬢?」


「アデリナ」


 ぽつり、と彼女が自分の名前を口にする。

 訝し気に首を傾げたヴィクトルを、毅然とした目で見て彼女は言葉を繋いだ。


「アデリナって呼んでくれませんか? 前は呼んでもらえませんでしたけど……わたし、諦めてませんよ。欲張りなので。もうすぐ帰るということにかこつけて、同情心を煽って目的を達成するつもりです」


「それは全部言ってもいいことなのか? ……アデリナ公爵令嬢」


 計略を隠す気もないアデリナに呆れた顔を向けながらも、落ち着いた声でヴィクトルはその名を呼んだ。

 じわっ、と胸中で何かが暖かく広がる感じがする。


 ――アデリナ公爵令嬢、僕に付いて来るんだ。


 ふと、前回の人生の彼を思い出した。当時熱烈に目標を追う彼は、勢いだったのか分からないが、最初に出会った時に自分をそう呼んだ。

 月明かりに照らされて手を差し出す彼を、北極星と見紛った。

 泣き出しそうになりながらも、欲張りなアデリナはにっと笑って一歩前に出る。


「アデリナ! 二人きりなんですから、呼び捨てでもいいんです。社交界なんてゴミ箱みたいなものです。二人きりの時まで、そんなことを気にしなくてもいいのです。それとも、嫌ですか?」


「…………アデリナ」


「――! はい先生! ちなみにもっと欲を言えば『アデル』と呼んじゃってもいいんですけど……」


「……それは勘弁してくれ……」


 ええ、と不満げにするアデリナだが、ヴィクトルの反応の方が一般的だ。

 愛称は家族か婚約者、夫婦の間でしか普通は許さないものだ。

 まあ彼女が恋愛アプローチをかけているのでその距離の感覚は理解できるが、そこまでの接近は未だヴィクトルの心底にある恐怖を呼び起こす。


 ただ、アデリナの方も彼に断られることは考慮済みだった。

 策略である。これは伏線なのだ。


「好きな人に愛称で呼んでもらいたいって、そんなに変な事ですか? 貴族の儀礼とか、そもそも向こうが尊重してくれないんだから、守ってる必要ないと思いますけどね」


「……また、いつか」


 言ってから、ヴィクトル自身も驚いた。アデリナも目を見張っている。

 貴族の儀礼的に言えば、半分告白を受け入れたかのような言動だ。アデリナ的にはどうかわからないが。

 ――だがいつかきっと呼ばされるのだろうな、という確信に似た予感があったのだ。


「えっ、いつかは呼んでもらえるんですか!? やったあ、約束ですよ!」


 はしゃぐアデリナを見ていると、まあいいか、と思えてくる。

 『いつか』。

 もっとも役に立たない、最も信用性のない、その場をやり過ごすための言葉として最も有名な約束を、嬉しそうに抱えてはしゃぐ彼女を横目で見る。

 知らずのうちに笑みが漏れていたことに、自分も気が付かなかった。


「アデリナ」


「はい」


「――感謝する」


 言葉頭が少し震えてしまったが、思ったよりもすんなりと、その言葉は口をついて出てきた。

 アデリナは、ここであまりにも多くのことをしてくれた。彼女の義務でも何でもないのに。ずっと、感謝を伝えたいと思っていたのだ。

 それでも過去の壁に阻まれて言い出せなかったそれを、今、言えた。

 良かった。


 少しだけきょとんとした後に、アデリナはぱっ、と花のような笑みを咲かせた。

 何故あの時ひまわりと口にしたのか、なんだか分かった気がした。


「わたしのほうこそ、ありがとうございました!」


 ――それが、アデリナのファンドーリンでの最後の日の出来事だった。

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