第一章10 『貴方に宣言』
結論から言えば同盟の締結はその内容から見直されることになり、大幅に延期されることとなった。
というわけなのだが、今回のセリーナとの会話で、アデリナは何となく彼女の考え方を掴んだ。
――歓迎していないどころか、はなから同盟を締結する気が薄いのだ。
「そうねぇ……何から話そうかしら?」
朝から集った二人だったが、セリーナは紙をいじったり雑談をしたりで、中々本題を切り出そうとしなかった。
やっと話し出すかと思えば、上述の質問。何も考えていなかったというわけだ。
「まず、同盟申請は受理していただけるということでよろしいですか?」
「ええ。私にとってもカレリナと強固な関係が築けるのは望ましい事だわ。でも、そうね。正式な同盟の締結については、もう少し考えたいわ。内容に、問題があると思うのよ。変えるべきと思う箇所がたくさんあるわ」
「内容、ですか」
軍事から経済にまでわたる強固さに加え、様々な歴史的問題も清算される予定というオールマイティな同盟条約にしたはずである。
この完成度はカレリナ当主イリヤのお墨付きももらっているから、そう簡単に全部拒否されることはないはずだ。
――難癖をつけられでもしなければ。
ばさ、とセリーナが条約文を書いた紙をアデリナの前に置く。
もともと黒文字で書かれたその紙は、今や赤のペンであちこち修正されていて半ば原形を失っていた。
少しだけなら問題はないが、これだとどれだけ時間がかかるか分からない。
「あぁ、でも無理強いをしているわけじゃないのよ? 慣れない場所に長時間居るのは大変でしょうし、毎度別邸から来ないといけないでしょう? それにあの子と一緒に過ごすだなんて、貴方も嫌よねえ?」
「――」
危ない、お茶をセリーナにぶっかけそうだった。
「も」ってなんだ、目が節穴人間コンテストの中に勝手に入れないで欲しい。一般論で決めつけるなこちとら昨日告白(失敗)したところだ。
ただセリーナのこの問いは、慮っているように見えて真逆である。
――帰れ、と、そう言っているのだ。
当主が出迎えず、本邸に住まわせないことでわざと歓迎されていないことを示し、社交界の嫌われ者と同じ屋根の下に滞在させることで嫌気がさすように仕向け、アデリナを帰らせようとしている。
(間違いない。やっぱりこの時期からあいつが背後にいる。さすがに同盟は結んでないけど)
ぎりぎり、と拳を握り締めるも、心は冷静だ。昨日のような失敗をしてはならない。今回は絶対に、同盟を持って帰らなくてはならないのだ。
「いいえ、わたしファンドーリンの風土はとても好きです。もっとこの地を見てみたい気持ちもありますし、同盟批准の件は延期にしましょう。皆さんとももっとお話しして仲良くなりたいですし、ゆっくり変更点について話し合いましょう?」
にっこり、と嫌味返し。
誰が帰るか、バーカ。そんな感情がにじみ出て――いたかどうかは分からないが、一応セリーナはその言葉に一瞬目を見張る。
恐らく彼女はアデリナも社交界の目節穴と同じように、ヴィクトル・ファンドーリンを忌み嫌っていると考えていたに違いない。
だが残念。実質初対面で第一声で告白をやらかすレベルで愛している。
「……分かったわ」
暖簾に腕押しなアデリナの態度に、セリーナはついに押し負けた。
表面上はにこやかだが、心中では中指を立て散らかしているに違いない。だとしたら爽快である。
だがそんな感情はおくびにも出さず、第一回目の会議は終了した。
〇
「――と、いうことなのです」
昼下がり、帰ってきたアデリナは今日の成果とも言えない成果をヴィクトルに披露した。
灯りの不十分な執務室で彼は机と向き合って座っており、その正面ではアデリナが書類を持って立っている。
何が何だか分からない、という困惑した顔で、彼はアデリナを見ていた。
「……何故、僕に報告を?」
「? それは、卿がファンドーリンの外務代表だからです。本日の書類も持ってきましたので、提出しますね」
確かにヴィクトルの机に山のように書類が積まれている通り、外務事務処理は全て彼が執り行っている。
だが、それは彼が外務代表としての能力を行使できることとイコールで結ばれない。そんなことは全社交界が知っているはずだ。
「だからこそ何故、と聞いている」
眉をひそめて、彼がもう一度尋ねる。
命令権も決定権もすべてセリーナに帰属している以上、彼はただセリーナの許可済みの仕事とその他雑務をすべてやらされているだけのお飾りの『外務代表』。それに書類を提出するなど、何の皮肉だ、とその鋭い目は訴えている。
明らかな敵意と警戒。だが、それでくじけるアデリナではないし、彼が社交界の張り付けたレッテルを黙って呑み込んでいるのも看過できなかった。
「それは、貴方がもともと持っている権利であるからです」
「――」
しばし、目線が互いの中で交わされる。
ヴィクトルのそれは間違いなく探りを入れている目だが、アデリナの方は心臓が破裂しかねない気持ちだ。彼の目が綺麗すぎて。というか見つめられているし。
どれだけの時間が経ったか、ヴィクトルの目線がアデリナの差し出した書類の方へ向かう。
黒い文字で満たされていたはずの紙は、今や真っ赤に染まっている。
同盟締結が難航していることは、誰が見ても予想がつく。
「どうする気だ?」
同盟について問われているのだろう。
その問いへの答えは、もう用意してあった。にっ、と好戦的に口角を上げたアデリナは、宣言する。
「――居座ります」
「な、」
自信満々にそう言い放ったアデリナ。その無鉄砲な計画に、ヴィクトルも驚きを隠せない。
だがアデリナは彼の心と記憶に焼き付けようとするかのように、力強い声でもう一度言った。その瞳にはただ彼の姿だけが映っている。
「同盟が締結できる日まで、ファンドーリンに居座り続けます」
 




