『悪役令嬢は婚約破棄されたら求婚してきた公爵の手を取らない』
「――アデリナ・カレリナ! 貴女は幾度に渡って私の友人であるリーリアに対し、非道な嫌がらせを行った! 果てには、命の危機にまで及ぶ行為をしでかした! 私の婚約者の蛮行をこれ以上見て見ぬふりをするわけにはいかない。よって本日、私は貴女との婚約を破棄する!」
絢爛豪華な宴会会場の中心で、青々とした若さを帯びた声が響き渡った。
音楽はいつのまにか途切れ、貴族達の駄弁る声や笑い声はしぃんと静まっていた。
青年は一人の少女の肩を抱いていて、人差し指をその先にいる女性に突きつけている。
高貴で、神秘的で、儚い雰囲気を身にまとう透き通るような黒の女性は、突如突きつけられた婚約破棄の宣告に戸惑うこともなく、凛とした姿勢で青年と向かい合っている。
そんな修羅場を目にして――、
「うわ、出たぁ……」
「改めて目にすると尚更滑稽。肩を抱いちゃってるくせに友人とか言うなよな」
「もう愛人って言っちゃったほうがマシかもね……」
会場の片隅でジュースのグラスを持った少女二人は、辟易した目でその光景を見ていた。
少しずつざわついてきた貴族たちに比べ、少女二人は冷静だ。むしろ時間が経過するごとに冷静になっていく。
――なぜなら、二人はとっくにこの未来を知っていたからである。
「ねえ、アデリナちゃんを助ける準備って出来てるんだよね?」
「あぁ。死刑になると思うから、監獄から助け出す手順はばっちりだ。これって間違いなくヒロインの逆ハールートだよな?」
「そうだと思うよ、ほら見て、あの後ろの取り巻き大衆と愛人の大名行列」
「アレでいいんだ、アルトゥール」
「さぁ……恋は盲目っていうし?」
ひそひそ、と二人はこっそり話し合う。未来を知る二人は、悪役令嬢のアデリナを助ける準備をひっそりと行っていた。
乙女ゲーム『聖女と七人の勇者』では、ヒロインが逆ハーレムルートを選んだ場合悪役令嬢は死刑になると決まっているのだ。
それは、ヒロインのリーリアの後ろにずらっと並んでいる『勇者たち』とその表情を見れば明白であった。
二人が話し合っている間にも、状況は進む。
「――仰っている意味が、わからないのだけれど」
「しらを切るつもりか?」
「貴方がそう仰るのなら、もはやわたしに言えることはないわ。ですが会場の皆さま良くお聞きください、わたしの身は内から外まで潔白――真っ白です。このすべては冤罪。ぜひご明察くださいな!」
「なんだと! 貴女のリーリアへの嫌がらせは、多くの人が目撃しているのだぞ!」
「それは、後ろの金魚のフンたちの事? それとも、そのフンたちの言葉を無条件で信じてしまった哀れな噂話大好き女子たちのこと?」
「「「なっ、なんだって!?」」」
(うわ、アデリナちゃん凄い心に来る台詞……)
(おおアデリナたん、私の推し……最高であせられる……!)
手に持っていた扇子を口に当てて、鼻で笑いつつ哀れなものを見る目で取り巻き達を流し見するアデリナ。
当然、流れ弾を食らった金魚のフンや哀れな噂話女子たちは黙っていられず、揃ってアルトゥールにアデリナの処罰を懇願し始める。
そうこう話しているうちにアデリナの処遇はどんどん重くなっていき、大体ゲームの通りになっていく。
自身の命が他者の話し合いの中で天秤にはかられている状況の中、アデリナは動じることもせずただ毅然と彼らを見つめていた。
――いや、もしくは汚らわしい彼らなど視界には入っていないのかもしれない。
「――アデリナ・カレリナ。貴様には多くの余罪さえもあったようだ。私の第二元老の権限を行使し、貴様を死刑とする。貴様は自身の身が潔白だと言ったな。私の騎士に全てを調査させ、その資料を全貴族に見せてやるとしよう! 私が貴様の全てを白日に晒す!」
「あら、取り巻き騎士のひとりでも動員するのかしら? かわいそうに、リーリアさんと結婚できるわけでもないのに」
「それ以上の狼藉は許さないぞ! おい! 彼女を連れて行け!」
「……自分で歩けるんだけど」
いつのまにかアデリナの死刑が決まって、それでも彼女は妖艶に笑った。
そんな彼女を、取り巻き『勇者』の一人である騎士がとらえるために部下に号令をかける。
騎士たちの手を振り払って、アデリナは彼らを睨みつける。
悔しさと怒りにハンカチを噛みしめる壁の花少女の二人であったが――、
「――そこまでにしてもらおうか、アルトゥール・グラナート。いくら第二元老であろうとも、オレたちが王政ではないことは忘れないでもらいたいね。裁判もやってないのに、死刑宣告が下せるわけないだろ?」
貴族の群れの中から身を挺して出てきた一人のイケメン。その突如の襲来に、アルトゥールたちが凍り付いた。
少女二人も、きょとんとしてしまう。
このイケメンは、話に出てくるが間違っても攻略対象キャラではない。そのうえで、かなりの人気を誇る人物でグッズも出ている。
つまり――、
「はっ……! これは! 婚約破棄したら別のイケメンが求婚してくれるなろう展開だ! うぇー! 私たちのほかにも転生者がいるってことなのかな?」
「それともゲームの強制力がなくなったってことだろうか? ま、強制力さえなければアデリナたんはこんな目に遭うお方ではないからな!」
用意したアデリナ救済策は全く役に立たなくなったが、彼女がこれで幸せになれるのならば二人としては全く構わない。
「ごめんね、もっと早く出てこればよかった。アデリナ・カレリナ公爵令嬢。君を必ず幸せにする。オレと……リチャード・ホーネットと結婚してくれませんか?」
「――お断りするわ、ホーネット公爵」
「「えぇぇぇえ――! なろう展開でもない!!」」
「ねぇあんたたちうるさいんだけど……さっきから何?」
「あっ、ごめんねなんでもない!」
片膝をついて、手を差し出す金髪碧眼のイケメン――リチャード・ホーネット。
そんな彼ににこりと笑いかけて、アデリナはその求婚を断った。
シナリオにない求婚。シナリオにないその却下。
手に持ったジュースが傾いてだばーっとこぼれてしまう。そんな二人を、一応友人である少女が胡乱な目で見てくる。慌てて誤魔化した二人だが、急上昇する心拍数だけは抑えられない。
「わたしの方こそ早く言い出すべきだったと思うけれど……本日の事は、わたしも第一元老閣下もあらかじめ知っています」
「な、なにっ!?」
「ロスティスラーフ・グラナート第一元老閣下の命により、わたしの死刑は取り消されるでしょう。そしてわたしの潔白も、追って証明される。しかし今日の宴会は、貴方の愚かしさを全貴族に知らしめるためにも重要だった。この先全ての過程は当然全貴族に限らず、全国民にオープンされる……精々、自分の潔白でも証明してみせなさい。あ、もちろん婚約は破棄です。死刑にならないことを祈っているわ」
がたがたと震えるアルトゥール。顔面蒼白になった愛するはずの人を、リーリアは不安げに見つめている。これで全て安心だ、これで大丈夫だとずっと言われてきたが、本当にそうだったのだろうか?
アデリナの言葉が終わると、宴会場の扉が開かれて、白い騎士の制服を纏った騎士団が突入してきてアルトゥールと金魚のフン、そしてリーリアを拘束して去っていく。
白い騎士団――《天王星》は、ロスティスラーフ・グラナート第一元老の直属の騎士団だ。
それは、この国の実質上のトップがアルトゥールを弾劾していることの何よりの証明になる。
アルトゥール一行が引きずられていき、ドアがぱたんと閉まる。騒がしさが、一気におさまった。
「――それでは皆様、宴会を続行してくださいな」
そう言って艶やかに笑うと、アデリナはすっと貴族の群れの中に消えていく。そういうのが、上手な少女でもある。
一方手を伸ばしたまま半分無視を食らったリチャードの方も、変に執着せず「やれやれ」と言いながら立ち上がり、どこかへと消えていった。
二人の少女は、ふるふると全身を震わせて――、
「「え―――!!」」
「うるさい!!」
いや、こんなボリューム溢れる数十分を見せられては叫ばずにはいられない。
目まぐるしく変わる状況。もはや乙女ゲームのシナリオは二重にガン無視され、転生者たる少女二人の全く知らない流れへと突入してしまった。
目を回す彼女たちだが、ただ一つ確かなことがある。
――悪役令嬢は、婚約破棄されたら求婚してきた男の手を、取らなかった。