青空色の法則『フライト』
理はばけねこである。
水色の髪に目に浴衣と全身水色ずくめだ。頭には一対の猫耳がぴこぴこと動いている。一応中学生のような外見をしているが、実年齢はもっと上で、精神年齢はもっと下というちぐはぐな生き物だ。
「おきてー」
「あと十分」
布団の上から理をバシバシ叩くのはリラだ。
髪と目は綺麗な薄紫色。まだ小学生になるかならないかくらいの幼女だが、理と同じように魔法をじゃんじゃん使える異世界からの転生者だ。記憶はない。諸事情により理が知り合いから預かっている。
「おなかすいた」
「あとちょっとだけ寝かして、過労で死んじゃうから」
しかしリラに慈悲はない。無理矢理布団を奪い取ると、理を何度も殴って起こした。
「いてて……ご飯だね。えーっと……あれ?」
すぐそこにあった冷蔵庫を開ける。しかし冷蔵庫には、何も入っていない。
そういえば三日ぐらい前に全部食べたような気が……最近は友達の家にご飯をもらいに行っていたので気づかなかった。しかしこれはいけない、朝食がない。
「買いに行――」
理は崩れ落ち、リラが駆けよる。
「お腹がすいて、力が出ない……」
「おねーちゃん! しなないで!」
近くの机の上に手を伸ばし、財布をリラに渡す。
「おつかい、できるよね?」
「うん!」
「じゃあ、ごはん買ってきて……」
ついに理は力尽きた。泣きそうな顔のリラが家を飛び出す。
* * *
机に置いてあったスマートフォンが猫の声の着信音を発する。
科はスマホを手に取って画面を見る。ベストフレンドの理からだ。
「はいもしもしー?」
『おはよう……』やけにか弱い声が聞こえる。『リラちゃんをお使いに行かせたから、見守ってあげて……あそこのスーパーに行くはずだから……』
電話が切れた。なんとなく事情を察する科。
「まったく……休んでたのにー」
口ではぶつぶつ言いつつも、友人に頼られてうれしい科であった。
「いたいた」
マンションの自室を飛び出すと、すぐエコバッグと財布を持って歩くリラを見つけた。都会なのでとにかく広い道をとにかくたくさんの人が歩いているが、紫の髪と低い身長はよく目立つ。
この間なでようとして手を噛まれたので、うかつに近づいてはいけない。あれは痛かった。しかも魔法が使えるので相当うまく尾行しなければバレてしまうかもしれない。
人ごみに紛れ、堂々とした態度を取りながら同じ店へと近づいてゆく。
リラが店に入り、入り口に置いてあったかごを取る。
そしてまっさきにお酒売り場へ向かった。
(何やってるのあの子!?)
棚の陰に隠れ、そっと見る。リラはウィスキーやブランデーなどの蒸留酒の四角い瓶とにらめっこしていた。
(違う違う! それは朝食で飲まないよー! っていうかいっつも飲まない!)
しかしその念は届かず、結局ウィスキーの二リットル瓶をふたつかごの中に入れた。だいぶ重そうだが、リラは涼しい顔をしている。
そして次にお菓子売り場へ向かった。
(パンを買おう! パンを! チョコレートじゃない!)
リラは朝ごはんというものを理解していないのだろうか。いや科が作ってあげていたし、わざとだろうか。リラはそんなに悪い子だっただろうか? わからない。
「んー」
チョコから離れた。と思ったら、ポテトチップスの袋を次から次へとかごに入れていく。
頭を抱える科。
リラは次にデザート売り場へ向かう。
「おいしそう」
ケーキをいくつか見ている。どれを買おうか迷っているらしい。そして右からいちごショートケーキ、チョコレートケーキ、フルーツケーキで、全部ホールケーキである。
(だめだよー! 朝ごはんってパンとかご飯でしょ……)
最終的にいちごショートケーキをかごに入れると、レジへ向かった。
おつかい、失敗である。
* * *
扉の開く音がして、理は目が覚めた。
極度の空腹で意識を失っていたのだ。なんとか起き上がり、部屋の真ん中にある椅子に座る。そしてまだ空腹なのでテーブルに突っ伏した。
「ただいまー、おねーちゃん」
「やっほー……」
元気なリラと疲れた顔の科だ。
「この子さー、まずウィスキー買ってポテチ買って、それでホールケーキ買ったんだよ……一応菓子パンいくつか持ってきたけどー」
ため息をつく科に、リラがうがーっと威嚇する。
「おさけはりょうりにつかう! ポテチとケーキはおねーちゃんいっつもたべてる! なにかわるい?」
「あ、そうなんだ……」
二人が持ってきたものをテーブルの上に並べた。
理はポテチの袋を乱雑に開けると、ひっくり返して口の中に入れる。
「食べ方が豪快だあー」
「もぐもぐ……」全部飲み込み終えると、理の目が生気を取り戻した。「元気いっぱい! いぇあ!」
その勢いのままホールケーキの箱を開け、魔法をフル活用して六等分し、ばくばくと食べる。すぐになくなってしまった。
「大食い選手権に出たら賞金とれるよー、間違いなく……」
「おねーちゃんすごい」
科は呆れているようだが、リラは手を叩いて純粋に褒めているようだ。
と、ここで科が思い出したように話し出した。
「そういえばさー、知り合いの自称陰陽師が妖怪を捕まえられないとか何とか相談に来て――」
明らかに面倒ごとを押し付けようとしている顔だ。
「よーし、おやすみ!」
「まあ待ってー。話聞いてくれたらまたたびのグミあげるよ?」
懐からおいしそうな組の袋を取り出し、ゆらゆらとする。理は椅子に座って姿勢を正した。
「その陰陽師が相談してきたんだよね。で、妖怪に言うこと聞いてもらえるようにするにはどうしたらいいか教えてあげてよ」
「くれたら考えてみる」
「はい」科が組を手渡す。「これでいい?」
「うむ、くるしゅうない。その陰陽師とやらをここへ連れてくるがよい、もぐもぐ」
「失礼する!」
「ちょっ! ドア乱暴に開け過ぎだってー!」
何か爆発したのかと思うような音と共に、理の家に筋骨隆々の大男が入ってきた。
茶色く、左耳にかかる一筋だけ赤いメッシュの髪に黒い目。左目は閉じていて、縦に斬り裂かれたような傷跡がある。服装は紺色の袴だ。なるほど陰陽師である。手には小さな白いポリ袋があり、その中から手土産のつもりだろうかメロンパンの袋を取り出した。
「おはよう! 自分はことわ――」
「俺は持株清二郎だ! 陰陽師だ! よろしく頼む!」
自己紹介を大きな声で遮られてあっけにとられる理に、大きな右手を差し出す清二郎。とりあえず握手すると、清二郎はぐるりと部屋を見回して言った。
「狭い家だな!」
「……」
なんなんだこいつというような目で睨めつけるが、まったく気にした様子もなく椅子に座った。椅子が少ないので科とリラの分をかばんから取り出して設置する。明らかにサイズがおかしいが、きっとばけねこパワーでどうにかしているのだろう。
「で……えーと、妖怪に言うこと聞いてもらえないと」
「そうだ! 幽霊の科殿はよく分からんと言う!」
そういえば科くんって妖怪だったなあと心の中で独り言ちる。
「そこでばけねこの理殿! なにかアドバイスはあるか!」
「うーん」ちょっと考える。「まず、何をしてほしいの?」
「親父が陰陽師としてやっていくなら相方となる妖怪を捕まえろと言う!」
「人権……」
妖怪は人ではなかったのだ。理や科は人として戸籍を持っているが、そうじゃない妖怪の方が多い。
「誰にパートナーになってもらうかは知らないけど、相手にとってメリットがないなら……うーん、そっちがよっぽど魅力的か強いかじゃないとついて来てくれないよ。給料を払うようにしようちゃんと」
「なるほど」
メモ帳に書き込みをしていた。リラがのぞき込むと、理の言葉を一言一句間違えず記している。そして非常に字が小さい。筋肉で何でも解決しそうな見た目だが、それにそぐわず手先が器用なのかもしれない。
「例えば頼みを聞いてくれるならおいしい食事や快適な住まいを提供しますとか……要するにビジネス関係の方がいいと思う、このご時世力でもって人権侵害はよくないよ」
「ふむそうか! 感謝する、では早速実践しようと思う!」
清二郎はさっと立ち上がるとバーンとドアを開けバタンとドアを閉めて出て行った。
「……なんかよく分からない人だ」
「ああいう自由気ままな人だからねー。扱いにくいからちょっとぼくは苦手なタイプ」
「一応見に行こうかな。アドバイスをしたのは自分だし、どこに他の妖怪がいるのか気になるし」
「おねーちゃん! いっしょいく! もぐもぐ」
小さな咀嚼音が聞こえたのでリラの方を向くと、おいしそうにメロンパンを食べていた。
清二郎は魔法か何かを使って遠くの山までテレポートした。人間の割にはだいぶ丁寧に術を使ったようで、理が割り込んで同じ地点に移動するのにちょっとてこずった。
とにかく木と雑草が生えている。高い木の枝と葉で光が遮られているので、懐中電灯がないと木にぶつかりそうである。
道と呼べるものが全くない、草ぼうぼうの山の中を清二郎はずかずかと入っていく。怪我しないのだろうか。
理たちは魔法で浮かび、そして音を立てないよう防音結界も張りながらついていく。
二十分ほど代わり映えのしない山の中を歩いていくと、やけに新しいぴかぴかの祠があった。画像編集ではっつけたのではないかと思うぐらい、草ぼうぼうの大地となじまない。清二郎がポリ袋からりんごとスイカを取り出し、地面に置く。そして大きな声で言った。
「神殿! 出てきてくれ交渉をしよう!」
「バカじゃないのあいつ!?」理が絶叫する。「なんでいきなり神を……! しかも神って妖怪じゃないし……」
科も頭を押さえている。リラは事情が分かっているのかいないのか、両手で草相撲をしていた。
しかし、誰かが森の奥からやってくる。
「おはよー。交渉ってなに?」
出てきたのは青緑の髪の少女だ。服と肌は雪のように白く、目は右が青、左が緑のオッドアイだ。そして頭には、猫のような耳があった。にこにこしていて、ちょっと理に似ている気もする。あんまり神っぽくはない。
清二郎は変わらない調子で自己紹介を始めた。
「初めまして神殿! 俺は陰陽師の持株清二郎だ! 親父が妖怪を捕まえろと言うから交渉しに来た! 俺の相方になる気はないか!」
ぽかんとする神。
「無論給料は払う! 俺は料理も得意だからうまい食事も約束する! どうだ!」
神は二度まばたきをすると、腹を抱えて大笑いを始めた。
「あっはっは! 面白いねきみ、こんなこと言われたの初めてだよ……うん、いいよ。うちは瑞。神とはいえ最近なったばっかりだから、気楽に接してくれていいからね」
「感謝するぞ瑞殿!」
こんどは理と科がぽかんとした顔をする。こんなに簡単に神が陰陽師のパートナーになっていいものなのだろうか。そして清二郎と瑞が全く似合いそうにない。
そして瑞は理たちの方を向いた。
「やっほーそこのきみ。うちは神様だから魔法で隠れてても見つけられるわけ」
「げっ」
「そして久しぶりだねー理!」
「えっ」
「うちだようち。覚えてない? まー最後に会ったの何十年も前の話だからねえ」
「……もしや、お姉ちゃんか!」
「そうそうそう! 久しぶりー!」
科が目をぱちくりさせる。
「……まじで?」
最初から無関心なリラとすべきことを終えたので無関心な清二郎が二人で草相撲をする音だけが聞こえる。
狭い狭い理の家に五人も入れると、さすがに窮屈すぎる。
「きみのお父さんびっくりするだろうなあ」
瑞がりんご――科がうさぎ状に皮むきしたもの――をしゃくしゃく食べる。
「そうか! 親父が驚いた顔をまだ一回も見たことがないから楽しみだな!」
清二郎は祠に捧げたはずのスイカを自分で食べている。あまりにおいしそうだったので理はひとつとって食べた。リラも真似して小さいものを食べる。
おそらく唯一の常識人である科は驚きを通り越して呆れ、さらに通り越して何も感情がなくなったような顔をしている。この状態ならいくら馬鹿にしても怒らなそうだ。
理が知っている瑞は本当に何十年も前である。物心ついた時からいろいろ世話をしてくれていた。ただ突然いなくなって驚いた。よく分からないままいろいろ頑張ってお金を稼ぎ、このマンションを購入したのである。そして今に至る。
「驚いたでしょ! ふっふっふ、今日は久しぶりにお姉ちゃんの手料理を――」
「それだけはやめて、人殺しにならないで」
瑞の料理は壊滅的に下手なのである。手順や具材の切り方などはきちっと守るが、入れるものの量が雑どころの話ではない。味噌汁を食べて塩分過剰で即気絶したのを覚えている。
残念そうな表情を浮かべる瑞。
「ん?」
科が何かを察知した。すぐに外から大きな爆発音が聞こえる。カーテンを開けて外を見ると、大通りのど真ん中で何台もの車が衝突していた。
そして、
「あっ!」科が車のあたりを指さす。「あの金髪、魔法を使って逃げたよー!」
瑞と理が目を合わせる。
「どっちが先に解決できるか勝負だ!」
「自分だって強くなったんだからお姉ちゃんにも負けないよっ!」
ふたりそろって、七階の窓から飛び降りた。
リラと清二郎も飛び降りようとするのを止めさせ、科は事件解決ではなく安全確保に動き始めた。
理は魔法で上昇気流を起こしながら、ゆっくり滑空する。風が気持ちいい。
片道だけで三車線ある通りのど真ん中に、一台の黒い車が横向きになっている。そしてそれらに追突してぐしゃっとなったり、ぶつからなくても爆発に巻き込まれて焦げたりガラスが割れたりしている車がたくさん。ビルや事務所なども多いこの通りでこういう事故があると、怪我しただけではなく様々な方面で影響が出てしまう。
理が地面に降りると、科もぴょんと降りてきた。ゆっくり着地したのにすっころんだ理とは違い、体操選手のような綺麗な着地を決めている。
「急所とか治療はぼくがしておくからご心配なくー」
「ありがと!」
魔法の痕跡を探す。発動されたばかりなのですぐに見つけた。それから行き先を割り出し、自分もテレポートする。
「――っわ!?」
ばしゃん。
理はどこかの水の中に落ちた。目を開けても痛くないので淡水か、となるとプールか川だ。水に浸かっているのはあまり好きでないので、とりあえずじたばたして上がる。どうやら二階建てか三階建てくらいのビルの屋上にあるプールらしい。
「なに!?」
怒声が聞こえた。金髪の女がプールのそばに立っている。
「あ、どうも理だよ」ドライヤーを使うと時間がかかるので、魔法で乾燥させる。「そっちは――ちょ、逃げるな!」
背に蹴りを入れる。触れられたら発動するような魔法式のトラップがあったようだが、理なら解除ぐらい容易い。首へ足を引っかけて後ろに倒し、その上に乗る。
「っ!」
「事故を起こした犯人だね?」
「……」
睨んでくるだけで何も言わない。
「別にいいよ、心を読めば――」
銃声が響いた。
女の頭部から血が流れ、一瞬で力を失う。
音のした方向を向くと、隣の建物の上に紺色のシルクハットと紺色のスーツ、紺色のネクタイを着けた紺色ずくめの人が立っていた。シルクハットの影になっていて性別は分からない。というより、シルクハットに認識を阻害する魔法が編み込まれているようだ。その人が銃を構えていて、銃口からは白い煙が立ち上っている。
「驚いた。人外が解決に出張って来るとは」
「誰?」
「失礼」
シルクハットを外す。黒く長い髪を束ねずに背の真ん中ほどまで伸ばし、海のような美しい青い目をした少女の顔が現れる。前髪は黄色い星型の装飾がついたピンでとめている。大学生くらいだろうか。
百人が百人思わず振り向くような、絶世の美少女がそこにいた。
「私の名は夢。君の言う事故を起こした犯人を操った。簡単に言えば黒幕さ」
理が殴りかかる。しかし、粘土に腕を突っ込んだような感触がして、夢の目の前で拳が止まった。
「すまない」夢が手を伸ばし、理の手を包む。「私はこれから用事がある。君はとても興味深いが、これ以降はまたの機会にさせてもらおう」
パチンと指を鳴らせば、一瞬で夢の姿が黒い霧となって掻き消える。そして瑞が突っ込んできた。
「うわわっ!?」
とっさにしゃがまなければ今頃、理の頭は思いっきりぶん殴られて針を刺された風船のように破裂していただろう。死ぬかと思った。
「あー……せっかく妨害されなくなったと思ったら、逃げられてたわけかあ」
「え、神様の魔法を妨害するってあの人何者だろ?」
疑問に思いつつも、倒れている金髪の女に近寄る。夢の言葉通りだとすれば、この人はただ操られていただけの一般人である。死なせるわけにはいかない。
理はとりあえず無理矢理魔法を使いまくった。
「駄目だ。あいつ、回復も封じてる……なんと悪質な」
遺体にふたりで手を合わせた後、瑞が首をかしげる。
「うち、状況がよく分かんないから、説明してくれない?」
「かくかくしかじかだよ」
「それじゃ分からない」
* * *
どんよりと黒い雲が空を覆っている。
夢は人気が全くない中にぽつんとある自分の小さなログハウスに戻ってきた。
「お帰り、夢」
青い髪の少女が暖炉の前の椅子に座り、本を読みながら言う。サングラスとヘッドホンを着けており、白いシャツの上に裾が広く長いコートを羽織っている。黒字に水色のラインで装飾されたそのコートは、立っている襟に猫の刺繍がされていた。
「ただいま」
手を洗い、シルクハットを机において絨毯の上に寝転ぶ。
「今日は面白い事が有った」
「へー、聞かせて聞かせて!」青髪の少女がうれしそうな目を向ける。「どんなこと?」
そこまで期待されるとやりづらいな、と思いつつも夢は口を開く。
「今日は計画に妨害が入った、ああ問題は無い。妨害して来た人が瓜二つだったんだよ」
一拍置いた後、体を起こす。
「君にね。面白いだろう? 断」
断と呼ばれたその少女は、サングラスをくいっと指で上げた。そのにっこりした顔は、理にそっくりだった。
* * *
「うー! 逃げられた……」
「そんなに気を落とさないで。お姉ちゃんがケーキを――」
「自分は姉に犯罪者になってほしくないから、お願いだからやめて」
ふたりは理の家に戻ってきた。
家の中では科がぼーっとし、リラと清二郎はボードゲームで遊んでいる。リラは人見知りが激しかったはずだが、清二郎は子供を引き付ける何かがあるのだろうか。
「お帰りー……」
科はもう今日一日疲れ切ったようで、ちょっと虚ろな目をしている。これはしっかり休ませないと倒れてしまう。
「敵に逃げられたよ! 人殺しに!」
「というだろうと思ってー」理が分厚い紙の束を取り出す。「カメラをくっつけておいたんだー。あらかた調べたから見ておいてー……」
「あっ」
科が倒れた。ほっぺをつねってみるが全く反応がない。理が科をベッドに運ぶ。
「ほー、なんか理にそっくりさんがいる」
「えーほんと? ほんとだ!」
本当にそっくりである。違いはと言えば髪の色が理の方がちょっと薄い点と、そっくりさんの方が少し背が高い点だけ。それ以外は本当にそっくりである。ドッペルゲンガーだろうか。ばけねこや幽霊がいるのでありえないこともないだろう。
「ほうほう」
そっくりさんの名前は断。理と読みも同じだ。
世界各地のデータを覗いたり、魔法で少し前のことを見てみた結果、断は二か月前からいきなり様々な場所に現れるようになったと書いてある。
いっぽうの夢はだいぶ前からいろんなことをしでかしているようだ。主に歴史的美術品を多数持つ美術館に予告状を送り付け、多数の警備を掻い潜って自分のサイン色紙とすり替え……漫画に出てくるような怪盗っぷりである。ちなみに夢が美少女なのもあってか、盗まれた美術品と同じ額とまではいかなくともサイン色紙が高値でオークションに出され、落札されるらしい。
「やっつけたら一枚描いてもらおうかなあ」
「おっ、じゃあうちも!」
捕らぬ狸の皮算用である。
しかしながら科が過労で倒れるほど頑張ってくれたおかげでデータは集まったのだ。今日はぐっすり休んで、明日を決戦の日としよう。
翌日。
理は起きた。気を使ってリラは理を起こさず、ぐっすり休み過ぎてもう昼だ。科はまだ寝ている。
「準備はいいかー!」
「うちもおっけー!」
「よし、じゃあ行こう!」
理が魔法を発動させ、書かれていた住所へテレポートする。
ついた先は、山のようだった。下を見れば森、上を見ても森だが、ここだけ切り拓かれたのか木が全くなく、ログハウスが突っ立っていた。魔法がなければここに来るのも大変であろう。
そして、いきなり周囲が黒く染まった。地面も空も何もかも黒く、何もない。
二人がよく聞きなれた声が響く。
「ほんとだあ! ほんとにボクにそっくり!」
「うわ、自分とおんなじ声だ! どこにいる!」
声は同じだが、一人称で二人を区別できた。断はボクっ子のようだ。見えない敵を警戒し、理は銃を、瑞は傘を構える。傘でもすべて鋼鉄製で先端が針のように鋭いので、武器として十分だ。しかも開けば盾になる。
ふわっと降りてくる青髪の少女。断だ。その横には夢もいた。
「よーし、やっつけて――」
「はい分断!」
どんと音がし、瑞と夢が消え去る。どうやら一対一で戦えるように、空間を分断したらしい。
「むっ、ぱちもんのくせに面倒な小細工を……」
「ぱちもん、かあ」断は意味ありげな笑みを浮かべる。「そうかもね」
言葉の区切りが戦いの始まりとなった。断も左手に銃を構え、右手にはロケットランチャーを出現させて括り付ける。
理が両手の銃を乱射する。ついでに魔法で爆発を起こし、危険と判断したロケットランチャーを潰そうと試みる。当然そうやすやすとやらせてくれる訳もない。
断が話しかけてくる。
「そっちは並行世界の存在を信じる?」
「え? いやまあ」攻撃の手は緩めない。「一般人たちがいるわけないって思ってるばけねこがいるんだから、あるんじゃない?」
断がにっこりする。
「正解だよ。並行世界は、実在する」
* * *
「はい分断!」
断がそう叫ぶと、無理矢理二つの空間が斬り裂かれた。瑞と夢だけが残る。
「一対一でって?」瑞が傘を開いたり閉じたり、点検する。「うちとしても不意打ちに気を配らなくていいからいいわけだけど」
「私にそういうつもりは無い。断の行動は此方としても未だ良く分からないが、やりたい様にやるだけなんだろう。実に猫らしい」
夢がシルクハットを外し、宙に投げる。手品のようにポンと煙と紙吹雪を出してシルクハットは消え、かわりに一振りの日本刀がその手に収まる。
「それにしても傘とは面白い武器を使う」
「おっ、お目が高いね! うちががんばって作った傘で、百年ぐらい使ってるんだよね。すごかろー、えへへ」
ずるがしこい瑞が急に飛びかかる。
「せやっ!」
その攻撃は夢に突き刺さった。あっけにとられる瑞。血しぶきが飛び散るが、まったく表情を変えない夢。
「油断大敵」
瑞の後ろから声が響く。とっさに傘を手放して後ろに回ると、放たれた空気の刃が夢を切り裂き、シルクハットと同じような爆発を起こし、瑞の猫耳に糸がぷつりと切れる音が聞こえた。最初から人形だったのだ。夢の作戦大成功である。
瑞は宙に浮かんでいる傘を取ろうとした。しかし、それはふわりと空中を泳ぎ本物の夢の手に収まる。
「あっ! 泥棒!」
「失礼」いつの間にかシルクハットをかぶりなおしている。「御存知の通り私の本業は怪盗でね。狙った獲物は必ず手に入れる」
「ぐぬぬ……」
別の空間から予備の傘を取り出そうとする。しかし先ほど空間が分断された影響か、アクセスできない。
「神様が武器無しで何処までやれるのか見せて頂こう」
「ちょ! 不平等だよ! 不平等だってば! 不平等だからねそれっ!」
* * *
「どゆこと? 証拠は?」
理の銃は長押しでも連射できるようになっているが、それでも指が疲れた。なので銃身で断に殴りかかる。
「証拠?」また断がにっこりする。理はちょっと不気味に思えてきた。「ボクの存在。それが証拠だよ」
わけがわからないよ、と表情で訴える。断もこれだけで理解してもらえるとは思っていないようで、続けて口を開く。
「ボクはこの世界の出身じゃない。ボクは、『アイデンティティ・クライシス』と名付けられたプロジェクトで生み出された並行世界のひとつ『ディフィート』で生まれた『理』なんだよ」
とにかく爆発音が響く。理は必死に相手の言葉を聞き取ろうとする。
「ボクは何も知らずに暮らしてた、そっちと同じようにね。でもある日世界が壊れた」にっこりした顔は、少しずつ悲しげな微笑に変わる。「ボクはなんとかそこを脱出できた。いや、してしまった。だけど自分だけ生き延びて何になる? 科くんやリラちゃんは消え去ってしまった」
「だから……!」
「そう。だからボクは、この世界も壊すことに決めた。この苦しみを味わうのが自分だけじゃ、辛いからね」
「そんな……そんな理由で関係のない他人を巻き込むんじゃないっ!」
理が一歩引き、足元に五メートルはある巨大でそして美しい純白の魔法陣を創り出す。
「それがどれほど苦しいのかは自分は分からないよ。けど、ぜーったい味わいたくないね。赤の他人がいきなりそんなこと言ってきたって、認められるわけないじゃん! 小学校行って、道徳の授業一から受けなおしてこいっ!」
魔法を少しずつ構築しながら、かばんから道徳の教科書を取り出して投げつける。断は教科書ごと理を銃で打ち抜こうとしたが、途轍もなく強化された教科書は逆に弾丸を潰してしまった。あっけにとられる断。
「ふっ、自分のやることなんざ目に見えてるからね! 教科書はいい時間稼ぎになった!」
「あっ!」
「スーパーウルトラ強い魔法をくらえっ! 『ドリーミング・イリュージョン』!」
あたり一面が柔らかな白い光に覆われる。
断の体からゆっくりと力が抜ける。そして使い慣れていない魔法だったため威力調節を誤った理も、自爆して意識を失った。
* * *
「うりゃーっ!」
がーんと鈍い音が響く。瑞の拳は、傘によって阻まれてしまった。さっき盗んだばかりだというのに、さっそく使い方をマスターしている。
「うー、手がじんじんする……」
赤くなっている左手をさすってみるが、一向に痛みは引かない。
「その程度か」
「ち、違うよ! 神様に本気を出させたこと、後悔うっひゃあ!」
傘の刺突を躱す。隙ありとみて夢を殴りつけるが、魔法による障壁で阻まれてしまった。ぐにゃりと空間が曲がり、硬質化するような感じがする。しかし、
「えい! 魔法を消す魔法! おりゃあ!」
「なっ!?」
初めて驚いた表情になる夢。障壁を霧散させた瑞の拳は、まっすぐ夢のみぞおちにあたる。
「がっ……!」
「油断大敵だあ! とどめを刺してやるっ! おらおらおらおら!」
どこぞの悪霊かというぐらいに高速で殴りつける。夢が吹き飛ぶのと同時に、黒い空間がぐにゃりと歪むような感じがした。すぐにこの空間が消え、元の山に戻る。
「あ! 理!」
反応なし、意識を失っているようだ。
「……よ、よくやってくれたよ」
「あ!」
ただ、断はまだ意識がある。そして瑞が止める間もなく、『世界を終わらせる魔法』を放った。
「! そんな……!」
空が、大地が、歪み始める。それらはコンピュータのグリッチのように色が反転したり、黒くなったりする。
そして空が真っ黒に染まった。
「ボクの作戦、大成功……」
今度こそついに意識を手放す断。
「っ、神様を見くびるんじゃないよ!」
新しい世界を創り出す。
この宇宙を全て、新しい空っぽの世界に移し替える。
明らかに瑞の魔法の範疇を越えていた。しかしやらなければならない。
「邪魔を……するな!」
夢が飛びかかる。瑞は魔法に集中して動けない。
二人の間に、大きな影が飛び込んできた。
「とんでもないことになっているな! だが瑞殿が何とかしてくれるなら問題ない!」
清二郎だ。瑞の持ち物だとは知らない清二郎は、その筋肉をフルに発揮して鋼鉄の傘を無理やり捻じ曲げた。
「な!?」
「ふっふっふ、人間だと侮るなかれー。人間じゃないぼくがサポートしているんだ!」
「がんばれ! がんばれっ!」
科とリラもいる。どうやら三人は科の転移魔法でここまで来たようだ。リラはこんな時でも科と距離を取っていた。
空が崩れ落ちる。
「……!」
魔法の構築が完了した。
瑞はその魔法を実行し、その場に崩れ落ちる。
「瑞殿!」
「……目を、閉じて……」
世界が、消え去った。
* * *
「……あ……え……?」
断が目を覚ました。白い天井を、暖色系の電球が温かく照らしている。部屋の温度も適度に暖かくて心地よい。
ひょこっと視界に入ってくるのは、リラだ。
「リラ……ちゃん?」
「このひとおきたよ! おーい!」
首を曲げる。瑞と科が椅子に座り、全く同じ膝に肘をついて俯くポーズで寝ていた。
「おはようぱちもん!」
「え?」
自分よりわずかに髪色が薄いそっくりさんが反対方向から顔を出す。
「そんな……計画は……?」
「ふふふ、残念! 悪は正義に負けるのだよ!」
「おねーちゃん、ねてたくぜに」
「うっ……」
これまで何十年もこの計画を準備していた。魔力の温存も、すべて使い切った。それなのに、失敗? そんなことがあるはずがない。
「嘘だ……うそ、けほっけほっ……」
「あ、ほら倒れたばっかなんだから、無理しちゃだめだよ」
これはただの悪い夢だ。そうに決まっている。そうでないはずがないのだ。
「こっちには科くんもリラちゃんもいるし、仲良く暮らせばいいじゃん。うぃーあーふれんず!」
「……っ!」
いつの間にか、涙がこぼれていた。
そうだ、自分が求めていたのはこれだ。なんで今まで気が付かなかったんだろう。
自分を受け入れてくれる、優しい友達。科とリラ、そしてみんなが消えてから、それがずっと欲しかった。
「うっ……ううっ……うあああ……」
涙が止まらない。
理は困ったような笑っているような顔で、子供をあやすようにゆっくりと断の頭をなでる。
いつまでも、断が泣き止むまで。
こんばんは、館翔輝です。
お疲れさまでした。長いのをここまで読んでくれて本当にありがとう。一二二一五文字です。あれ、あんまり長くない。
本作はこれまでの中で一番の出来だと思います。しばらくは僕の内なるランキングを更新できそうにないです。え、ぜんぜん面白くない。そうですか、精進します。
よろしければ、コメントやいいね、評価をお願いします。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。これからもぜひ、よろしくお願いします。