にじゅうさん、
天守閣にただ1人、私は佇む。夜闇に赤々と燃えゆく町を見下ろして、穏やかに最期の時を待っていた。
この城を見送るのは病持ちの私だけでいいのだと、共に逃げようと差し出された手を断ったのは夕刻も迫る頃のこと。ならば共に、と口々に言う人々に私の分まで生きろと送り出したあの時の彼らの表情が忘れられない。これで良かったのだ。ここで死ぬには惜しい、優しい人ばかりだったから。数十日前に逝ってしまったこの城の主も、きっと皆が生きていくことを望んでいるはずだ。
ごうごうと火が燃え盛る音が聞こえる。外から内から、確実に近付いてくる死。不思議と怖くはなかった。ただ、寂しいだけ。いずれ燃え落ちる城で私はただ一人を待っている。
「……会いたいよ」
叶わない願いを口にすれば、涙が頬をつたった。
「俺だって、会いたかった」
確かに聞こえたその声に、はっと目を見開く。おそるおそる振り返れば、夢にまで見た彼がそこにいた。
「あれ、おかえりって言ってくれないの?」
言葉も出ない私に向かって、彼は血と泥にまみれた顔で笑う。そうしてゆっくりとその両腕を広げた。
「おっと!」
勢い良くその腕の中へと飛び込めば、待っていたといわんばかりに抱き締められる。
「おかえり……なさい」
「うん」
「会いたかった……!」
何度も何度もお互いの名を呼ぶ。ごおごおと城や町が燃えてゆく音が響くなか、私達は確かにお互いの心臓の音を聞いた。
ああ、生きている。
「ごめんな」
守れなかった、と彼の声が涙で揺れる。主も、国も守りきれなかったと彼は泣いた。最後の戦闘で重傷を負った主を縁のある寺へと運び込んだ後に、彼はここまで駆けてきたのだという。鬼と呼ばれたあの青年は『行け』と微笑んで彼を私のもとへと送り出してくれたのだ。
「なぁ、一緒に行こう。俺と共に生きよう」
力強く私の手を握ってそう言う彼に、涙が溢れる。その言葉をどれほど聞きたかったことか。でも、そんな事は許さないとでもいうように、ぐぅと喉が締まった。
げほげほげほ。
とっさに口を覆った手の指の間からしたたり落ちる鮮血。目線をあげれば呆然と言葉を無くしている彼と目が合った。
「まさか……肺病、を」
「ごめんね」
彼の目に映る絶望。私の命がもう長くないと悟ったのだろう。
「二人で生きていけたら……それだけで幸せだったのにね」
涙が溢れた。
痛いくらいに抱き締められて、泣きじゃくる。
「ちくしょう」
震える肩。彼もまた泣いていた。
がらがらと、何かが崩れるような音がする。はっと我にかえった彼は私を抱き上げると猛然と走り出した。揺れる視界の中、目を閉じた私が次に目を開けるとそこは小高い丘の上。ぼんやりと霞がかる意識の中、眼下で城が町が燃えていた。たくさんの思い出がある大切な国が、燃えていく。頬につたった涙を無骨な指が拭った。
「……ここな、この国一番の桜が咲く山なんだ」
抱きすくめる形で私を支える彼は耳元でそう囁く。
「桜が好きなんだろ?」
ずいぶんと前に言った私の言葉を覚えていてくれたのか。
「今はまだ咲いてないけど、もうすぐ春だ。きっと今年も咲く……だから」
一緒に見ようと告げた彼に私はうなずく事ができなかった。今までの沢山の出来事が頭の中を次々とよぎる。まるで走馬灯のようだ。突然時代を超えてから一年にも満たない短い時間だったけれど、私の人生で一番重要な時間だった。幸せだった。苦しい事も悲しい事もあったけど、二人でいられたらそれで幸せだった。ぱたぱたと水滴が頬を叩いて、そしていつの間にか閉じてしまっていた目を開ける。
彼が泣いていた。
ますますもって霞ゆく視界に、いよいよ時間切れなのだと悟る。ああ、せっかく生きて再び会えたのに。神様とやらは酷く残酷だ。
ごめんね、とささやけば彼は顔を歪めて首を横に振った。
「生きて」
あなたまで死ぬなんて、耐えられない。私の分まで生きて、そして。
「いつか……もっと優しい運命の中で、出逢えたらいいね」
それは彼に限らず、この時代に来て出逢った沢山の人達にもいえることだ。みんな必死に限りある命を生きていた。そんな彼らに、別の運命の中でまた出逢えたならどんなに素敵だろう?
「あなたに、出逢えて良かった」
「----死ぬなっ!」
頼むから、とそう叫んだ彼の声すらもはや遠いのが悲しい。これが最期だ。
「ありがとう……私、幸せだったよ」
今、心の底からそう思う。彼に出逢うために、私はきっとここへ来たのだ。全てはきっと必然。ぎゅっと手を握って、彼は涙を拭った。
「輪廻転生って知ってるか?魂は廻り廻って再びこの世に生まれ落ちるんだ。……なあ、生まれ変わったその時には、今度こそ共にいきよう。必ず、必ず見つけ出すから」
だから待ってろ、約束だと笑う彼。嬉しくて、切なくて私も笑った。この出逢いが必然なのだとしたら次もきっと逢える。それならば私にできる事はただ一つだ。
「未来で待ってる」
そして私の世界は閉じた。
さよならは、いらない。
(輪廻の向こうでまた逢えると、信じてるから)