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長野道に入ると緩やかな下り勾配になる。みどり湖PAを過ぎると、塩尻ICまで直線の下り坂だ。
…不意に18歳の頃の記憶が蘇った。
スピードメーターがデジタルパネルの中古の黒いスカイライン、その頃は若気の至りで飛ばしまくっていた。
ちょうどこの場所だった。追い越し車線をフルアクセルで踏みつけ、慌てて左に避ける前方車を嘲笑いながら、次々と追い抜いていった。
デジタルが180キロを示したメーターを、後部座席の友人がポラロイドカメラで撮っていた。その写真はしばらくの間、部屋の壁にピンで留めていた。
「…無謀なことをしたものだ」
私は呟きながら、そのストレートを今は80キロで通過する。
松本まで来ると空はどんよりと曇り、左手に見えるはずの北アルプスは麓まで低い雲に覆われていた。
しばらく走り、次の安曇野ICで高速を降りた。数年前までは豊科ICという名前だったはずだ。安曇野という名称の方が全国的にネームバリューがあるから、という理由だろう。
一般道に入り、川に沿って曲がりくねる国道を北上する。ずっと片側一車線なので、前車が遅いと延々引きずられる道だが、今日はスムーズに流れていた。
2時間ばかり走ると、幼い頃から見慣れた山々が現れる。季節は10月も中旬を過ぎているので、方々が色づきはじめていた。
だが、この地方は紅い葉の樹々が少ないせいか、鮮やかさに欠ける。常緑樹の割合も高いのだ。曇り空に鈍い色の紅葉はとても綺麗とは思えなかった。
町境の標識が現れ、久しぶりの地元に帰ってきた。町並みはあまり変わっていないようだ。
国道から右に外れて山道を進むと、集落は途切れ途切れになってくる。だいたい50戸ほどがひと塊りになっていることが多いのだ。
不意に雲間から陽が差し、稲刈りが済んだあとの水田を明るく照らした。残骸となった稲株から青い芽が出ていた。
茅葺き屋根にトタンを貼り付けた、築100年以上の旧家にたどり着く。
陽は西の山へ隠れはじめ、緋色の稜線となり山脈を縁取っていた。
私はレンタカーを庭に停め蛍光灯が点いた居間を眺めると、ガラス越しに人影が見えた。作業着姿の父親が不審げにこちらを見ている。
ドアを開けて車から降りると、私の姿を認めてようやく安堵の表情に変わり、ガラス戸を開けた。
「急にどうしただ、義彦」
しわがれ声は前のままだが、父親は以前より白髪と皺が増え、体格も小さくなったように見えた。
「父さん、ただいま。連絡もせずに帰ってきてごめん」
私は言いながら腰に手を当て身体を伸ばした。
父親の声を聞いて、母親が奥から出てきた。
「まあまあ義彦、連絡ぐらいするもんだよー。わかってたらお前の好きなもん作っておいたに。…さあ入んな」
母親は皺が増えた手を前掛けで拭いながら玄関に回った。