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「あなた、晩ごはんの用意できたけど」
背後に妻の声がしたので、
「わかった、ありがとう」
と、私は開いていたパソコンをそのままに部屋を出た。
息子と娘はもう席に着いていて、テレビを観ている。私が椅子を引いて座ると、妻が焼き魚を載せた皿を私の前に置いた。
「お父さん、ここ長野だって」
中学生の息子が箸を持ったままの右手でテレビ画面を指差した。
毎週日曜日の夜の番組で、周囲に誰も住んでいない山奥にポツンと存在している家を、衛星写真や航空写真で探して家主を訪ねていくという人気番組である。
「へえ、今日は長野なのか」
私はしばらく画面の様子を眺めながら味噌汁をすすった。
長野県出身だが、すっかり東京の生活に慣れている私には、現代に山奥の一軒家に住むことなど考えられない。
「あなた、たまには長野に帰って、じいちゃんばあちゃんに顔見せて来たら?」
妻が焼き魚の身をほぐしながら言った。
私は少し夢中で観ていた画面から目を離すと、
「うん、ここ何年も長野には帰ってないからな」
と、言いながら、焼き魚に手をつける。
頭の中で、前回行ったのはいつだったか思い出そうとしてやめた。
私と家族は東京に住んでいる。私は小さな商社で働き、係長という肩書きがついていた。
「じいちゃん、たしか今年で70だったわよね」
妻のひと言であらためて父親の年齢を考えた。
私は今年40歳になっていた。
「立花係長」
呼ばれて私はパソコンから顔を上げると、事務員がデスクの前に立っていた。
「計画有休消化してないの、係長だけなんですよね」
事務員は少し不服そうな顔で私を見下ろしている。
「ああ、そうか。すまない。近いうちに取るようにするよ。何日ぐらい消化したらいいのかな?」
私の答えに半ば呆れた顔をしている事務員は、
「この際まとめて5日間取っちゃいましょう」
と、デスクに有休取得申請書の用紙を置くと、自分の席へと戻っていった。
会社での私の印象は、口数が少なく、誰にでも腰が低く、物静かな人といったところだろう。
私はその後ろ姿と申請書を交互に眺めながら少し逡巡し、長野へ帰省することに決めた。
近くの席の主任を呼び、明日から有休を取ることを伝え、私の不在時の対応や決済などの業務事項を説明すると、主任はハツラツとした笑顔を見せた。
係長代理を任されたことが嬉しかったのだろうが、正直に言うと私の職務など大したことはないのだ。
ある程度の経験年数とある程度の知識があれば、誰でもこなせるような内容だ。