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それから、赤毛の逞しい体の女性が僕を育ててくれた。
女性は母乳が出ないのか近くの村の娘に乳母を頼んだ。言葉が分からないので何となくだが。
毎日のように来る女性の乳を吸う時、僕は何とも言えない気分になる。
「あぶ!」
罪悪感を拭うために僕は精一杯の笑顔でお礼をした。中身が小学生とは言え、僕にだってそう言ったことが悪いことだと理解しているつもりなのだ。
娘はそれを見ると笑顔になっていたので悪くは思っていないようで安心した。
衣食住の内の食はこんな感じ。
この世界の文化レベルはまだハッキリとしていないが、この辺りは結構昔の方だ。
一度、赤毛の女性に連れられ、村へ行き、指をしゃぶりながらこの目で見た。
家は全てが石造りで、巨大な建築物は風車以外ない。そして、村の主な特産品は小麦?と織物だと思う。
あと、機械的な物はあまり見当たらず、あるとしても時計くらいだった。
これ以上はまだ一人では何も出来ないので調べることは出来ない。
正直、僕は少し興奮している。
自分にとって未知の領域に足を踏み入れるのは怖いが、やはり好奇心が勝ってしまっているんだ。
「ハウトー」
赤毛の女性が肉屋の店主にそう言った。
何か物を買うたびに言うのでこの世界でいう『ありがとう』だと勝手に解釈した。
そういえば、簡単な単語なら分かってきた。
小麦はシャオズ、芋はグロッゾ、豚はブーロと言った感じ。
これでもかなり頑張ったほうだ。さっきの女性と店主の会話を分かるところだけを訳すと、
「ホロミルタ豚」
「30ギルカ」
「ゴロ二ありがとう」
「ミエグライスセンセイビロデール~」
「アハハッ!ありがとう」
これだ。なに言ってるのか分からない。
まあニュアンスは分かってきたからあとは成長してから勉強しよう。
衣食住の話に戻ろう。
衣はそれほど悪くはない。見た目は民族的な服で、ベージュの布地に青の糸で模様が描かれている。肌ざわりも多少はザラザラとしているが着心地が悪いわけではない。
住も良い。遺跡は巨大で見れていないところが半年経った今でもある。もう少しで歩けそうなので、歩き回れるようになったら全て見て回ろう。さらに、この遺跡は夏や冬でも適温になる設計になっているらしい。理屈は分からないが、どんな日でもそうだったからそう推測した。
ちなみに、あの遺跡は赤毛の女性の家として認知されているようだ。村の人間が、採れた農作物を女性へ渡しに遺跡を訪れてくる。
そして、その時に知ったのだが、女性は村の人間からセンセイと呼ばれていた。
──センセイ。それが女性の名前らしい。
憶測でしかないが、センセイはこの辺りの生まれではない。村の人間の髪は全てブロンドなのにも関わらずセンセイの髪は真っ赤だった。そのことから迫害を受けているかと聞かれれば、答えはノーだ。
皆、センセイに対して敬意を払っているように見受けられる。
意外にもセンセイの職は狩人ではなく、薬師だった。
森で採れた草を調合して、村人に売り、お代として生活の雑多なものをいただいている。薬の価値がどれくらいなのかは分からないが、村人が何度も申し訳なさそうに頭を下げているあたり、高価な物と見ていいだろう。
買い物を終え、遺跡に戻ると日が僕の頂点を通過しようとしていた。
さて、そろそろ昼だな。
気を引き締めないと……。
僕がなぜ深呼吸をしているのか。それは、部屋に入ってから時期に分かる。
「ウェル~~!!」
「ふぎゅっ!?」
昼になるとセンセイが僕をもみくちゃにしてくるからだ。ここで僕はウェルと呼ばれている。
本名はウェールスだ。名前の由来は知らない。
頬ずりまでは許せるが、僕的には筋肉質な腕に揉みくちゃにされるのが中々キツイ。ゴリゴリと僕の体に石を押し付けられているようでいい気分ではない。なので、これをされる前は心の準備をしなければならない。
「ミルカラノールウェル~!」
多分、可愛いね~的なやつだ。
「ああ……うるせー……マルネアジロンドマイ……」
いつぞやの飲んだくれがまた這って部屋に入ってきた。最初はこの男がセンセイの恋人かなんかだと思ったが、そうではないらしい。
センセイが酔いつぶれたこの男に桶一杯の水をぶっかけているのを見たが、男のあの態度は恋人に向けていいものではない。少なくとも、父は母に対して、あんなにキレたりはしなかった。
彼は恐らく二日酔いでこうなっている。まあ最も二日酔いをしているところ以外を見たことがないのでこれが彼の素なのかもしれないが。
「メルトローニェミレダロ」
多分うるさい的な意味だ。そうそう、この男の名前はダロだ。時々、ヒンバスと呼ばれているので、もしかするとダロ・ヒンバスか、ヒンバス・ダロっていう名前なんじゃないかな。
「マルネアジロンドコリブダン!?」
どういう関係なのかは正直、どうでもいいかな。ダロは世に言うヒモとかいう人種だ。僕はあいつらが心底嫌いだから、必然的にダロも嫌いなのだ。
彼が誰のどんな存在だろうと、僕からしたらどうでもいい。
しばらくセンセイとダロは口論をしていたが、ダロが完全敗北する結果となった。
決め手はやはりダロの『サイクロプス』という発言だったな。
ダロが面白がってサイクロプスの絵を見せてきたのだが、サイクロプスというのは一つ目の鬼のような角を生やした、とても大きな怪物の名だった。
それを女性に言ったとなれば、結果は分かりきったこと。
センセイは平然とした面持ちで、ダロのこめかみに鋭い右フックを決めた。
ダロは壁に叩きつけられ、ダウン。
普通なら死ぬが、この世界は皆頑丈なのか意外と次の日にはケロッとしているので安心だ。……安心か?
センセイに対して酷いことを言ったとはいえ、流石に可哀そうだと思い、彼に近づき、肩を二回叩いてあげた。
次からは気を付けてね……。死んじゃうよ。
「サイクロ」
まだ言うかこの!?
いひぃ!センセイめっちゃ睨んでる!?
「あぶっ!」
僕はダロの口を手で思いきり叩き、塞いだ。
「……」
僕はにへっと笑い、なんとかやり過ごした。ダロめ~!赤ちゃんにこんなことさせないでよ!
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センセイが狩りの準備をしている間、僕はセンセイの手鏡で遊んでいる。
自分の顔をまじまじと見るのは、久しぶりだ。やはり、生前と違うな。
金髪だし、目が緑色だ。
あっ、髪……だいぶ伸びてきたな。
ダロのサイクロプス事件からこれといった変化もなく、穏やかに1年が過ぎて、僕は、まだおぼつかないが歩き回れるくらいには成長した。
それに、周りの人間が話している内容も理解出来るようになってきたな。
前世では英語を覚えるのも一苦労だったのに、ここまで早く覚えるとは……。赤ん坊特有の飲み込みの速さが理由なのかな。
センセイが狩りの準備を支度を終え、僕の頭をポンポンと叩いた。
「ウェル、今日はお留守番ね。ダロがいるから寂しくなったらダロを呼びなさい。遊ぶなら、カニスとルプスはご飯食べてるから食べ終わったら遊んでもらうのよ」
「うん!」
カニスとルプスというのはあの二匹の狼の名だ。僕の顔をベロベロ舐めていたのがルプス。
二匹はセンセイが村へと出かける度に、僕と遊んでくれる。
遊びと言っても、ただ僕がカニスの背に乗り、村の方に広がる草むらを駆け回るだけ。
しかし、これが中々面白い。
体勢を整えるのが難しく、失敗すれば大怪我間違いなし。それが良い感じにスリルになっていい。
まあ、僕が怪我をする前にルプスが魔法で助けてくれるので、怪我なんて万一にもあり得ないのだが。
そういえば、二匹の間に子供が生まれた。本来、何匹も生まれるはずなのだが、なぜか一匹しか生まれない、とセンセイが心配そうにしてたのを覚えている。
子供はなんの障害も持っていないようなので一安心、といったところだ。
センセイが家から出ていくと、不愉快な声が僕を呼んだ。
「おーい!ウェル!──よっと!」
この声は……ダロか。ダロが僕の脇に手を通し、持ち上げる。
「おいおい。お前、俺のこと嫌いなのか?すっげー嫌そうな顔してるぞ」
嫌いだ。
「まあいいや。今日は俺と村に行くぞ!」
「えええ……」
「うはは!そうかそうか!うれしいか!んじゃ、準備してくっからここいろよ?」
嫌なものは嫌なのでさっさとここから離れよう。
……最初はウキウキでこいつと村へ行ったが、ろくに村を見て回れなかった。
理由はこの男……ダロが僕を、女を釣るための餌にしたからだ!
イクメン風の面をしながら、女を口説き回るダロの顔を見て、この世界に生まれて初めてイライラした。
結局、僕はとびきり嫌そうな顔をして、こいつの顔に平手打ちをしっかりと決めて、泣き喚いてやった。
赤ちゃんの特権とはこうやって使うのだ。
しかしながら、こいつに対する村の人間の評価は意外にも変わらなかった。
後に知ったのだが、ダロはこの村一番の色男らしい。
僕が恥ずかしさのあまりにああいう態度をとったと、ダロが村の人間に説明すると、すんなりと皆はそれを受け入れた。
『イケメンにだって苦労することはある』と言っている知り合いがいたが、これほどデメリットが霞んでしまうほど良い立場にいるのに、良くそんなことが言えたなと僕は今、思った。
それからというもの、僕のあいつへの評価は下がる一方だ。出来ることなら一緒に行動したくない。
僕は狼の住む小屋へと足を運ぶことにした。
小屋は遺跡の外にあるため、行くのは疲れるし転ぶ危険性があり、かなり骨が折れる行為だ。
だが、そんなことは些細な問題だ。
今はダロから逃げることを優先しよう。
センセイの言っていた通り、二匹は小屋の前で肉をムシャムシャ食べていた。子供はというと、巨大な白狼の中で可愛く縮こまっていた。
白狼は僕が来たことに気づき、藍色の瞳でこちらを見つめる。
「起きましたか小さき者よ」
「おはよう」とたどたどしく挨拶した。
この白狼はフェンという名前で、センセイの愛馬ならぬ、愛狼だった。センセイとの関係は猟犬というよりかはパートナーと言った方がいいかもしれない。
更に言うと、フェンはルプスとカニスの母親で、つがいの片方は遠い昔に死んだらしい。
「今日もやるのですか?」
「うん」
ここ最近、センセイに内緒で僕はフェンに魔法を教えてもらっている。狼に教えを乞うのは変に思われるかもしれないが、そんな事はどうだっていい。
魔法を覚えること自体が僕にとって重要な事なのだ。
「分かりました。では、少しお待ちなさい。あの子たちにこの子を預けてから始めます」
食べ終えた二匹はフェンのフカフカな体で寝息をたてる我が子を咥え、小屋の中へ入っていった。
「小さき者よ。魔法を使う上で大切な事、3箇条を唱えなさい」
フェンが僕に対し、ここまで難しい言葉を使うのには理由がある。
それは元来、魔法というものは、子供が使っていい代物ではないからだという。
ソリを浮かせたり、歩くのを補助したりと、応用をすれば生活が楽になる魔法という技は、下手をすれば人間が殺すことなど造作もない危険な技にもなりえるのだから。
ならばこそ、魔法を行使する時だけは僕を子供として扱わず、1人の魔法を使う大人として接するというのが彼女の言い分だ。
それでも、一歳半の人間に3箇条を言えというのはいかがなものかと思うが。
「てきとうに、使わない。使い、すぎない。きんきに、ふれない」
「よし。良く覚えていましたね」
フェンは尻尾をブンブンと振り、僕を褒めた。
3箇条……ようは、みだりに使うな。使いすぎるな。禁忌を犯すなという3つを守ろうねって話だ。
魔法には禁忌とやらがあるらしく、それも後々、教えてくれるとのこと。
「それでは……始めましょうか」
──魔法の訓練がまた始まる。
言語
ホロ*この ミルタ*3つ ゴロ二*いつも
ミエ*凄い グレイス*美人、綺麗な ビロ*いつでも
デール*来て ミル*とても カラノール*可愛い
マルネアジロンド*二日酔い マイ*私
メルトローニェ*だらしない ミレ*めっちゃ
コリ*だろうが的な ブダン*辛い
フェン
種族 ???
等級 ???
性別 メス
魔法 ???
全てが謎の狼。
唯一分かっているのはセンセイのパートナーであることだけ。
彼女の全てを知っているのはセンセイのみ。