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再掲です
申し訳ありません
僕はあれから転生したらしい。
というのも、ミカが誰かに向かって大声を出した辺りから記憶がないのだ。
だが、転生したという事実はすぐに理解出来た。
天を仰ぐ自分の視界に映った小さい手がそれを雄弁に語るからだ。
今、僕は満月の光に当てられた薄暗い森林の中にいた。
背の高い雑草の感触が背中から感じる。
なぜ赤ん坊の僕がこんなところにいるのだろうか。
産んだ人間はどこにいるのだろう。
辺りを見渡しても人影はない。
服を着ていることからミカが服を着せてここに放置した可能性も考えられるが、捨てられた可能性も十分にある。
突然、強烈な恐怖感が迫ってきた。
一人ぼっちで知らない土地、いや知らない世界に取り残されたような体験を今までしてこなかった。
赤ちゃんの感情表現は泣く事と笑うこと以外に存在しない。
中身が小学生の僕であったとしても例外ではないようだ。
先に涙があふれ出ると、それに続くように喉から声が飛び出した。
少しすると、茂みからガサガサと音がなった。
もしかすれば、獣かもしれないが声が止まらない。
騙された……のか。
生まれた瞬間に殺されるなんて流石に酷い……いや、これくらいが僕の償いにぴったりなのだろうか。
茂みから出てきたのは恐ろしい獣ではなく、一人のたくましい体の女性だった。
女性は僕に向かって話しかけた。
「──?」
やばい。何言ってるか分かんない。
この世界の言葉か。
筋骨隆々の赤毛の女性が僕を見下ろす。
彼女は弓を背中に背負い、腰には短剣、そして彼女の手には大きな鹿が額から血を流し息絶えている。
見たところ彼女は狩人なのだろうか。
「──」
「おぎゃ……あぶ……うぶぅ」
女性は鹿を下ろし、両手で優しく僕を持ち上げた。
恐怖感が微かに薄れた気がした。
同じ人間に出会えたことがこんなにも嬉しいとは。
落ちそうになったので女性の大きな手をきゅっと握った。
「──。──!!」
女性がピーっと口笛を吹いた。
今気づいたのだが、この森には薄ーく霧がかかっている。
神秘的にも見えるが、どこか薄気味悪い雰囲気を伴っている。
「バウバウ!」
白い狼が二匹、ソリを引いてやってきた。
怖い怖い!
狼めっちゃこっち見てる!
「──」
「グルルル」
女性は僕をソリに乗せ、縄で固定すると、狼の頭をポンポンと叩いた。
狼はそれを合図にビュンと動き出した。
しかし、意外と体に負担がかからない。
なぜだろうと下を見ると、ソリが少し浮いていた。
道理で音がしないと思った。
って、そうじゃないだろ!?
浮いてる!?なんで!?
「きゃっきゃ!」
驚きを笑顔で表現する。
狼の片方がこちらをチラリと見ると少し微笑んでいるように見えた。
また、生き物も鹿と狼以外にたくさんいた。
猿や鳥、猪にウサギ。
異世界といえど生物はそう変わらないのかと思うと、僕のそんな考えは一瞬で消え去った。
虫がいた。
ただの虫ではない。
先ほどの女性よりも大きなトンボのような虫がいたのだ。
羽は全部でだいたい十。
声はもはや出なかった。
「バウ!!」
「ガルル!ギャウギャウ!」
狼がそれに威嚇をすると虫は遠くへと羽ばたいていった。
これが異世界……。
ここで僕は神さまのお願いとやらを聞くのか。
──ん?待て。肝心の神さまは何をしているんだ?
「ホロロロ!」
ソリの前で奇妙な生き物が吠えている。
見た目はムササビに似ているが、目が三つあり、腹にまで伸びた牙がこの生物が肉食であることを暗示している。
ムササビって肉食だったかな?
先ほど吠えたあれは仲間を呼んでいたらしく、すぐに大量の仲間が目の前に立ちはだかった。
おびただしい数のムササビに狼たちはたじろいだ。
これは……もしかして不味い状況なのでは?
「アォォォォン!!」
「オッオッオォォォォン!」
二人は遠吠えをした。
この状況でそれになんの意味があるのか。
狼について詳しくは無いのでよくわからなかった。
「ホロロ…」
「ホロロ!ロロ!」
ムササビたちが津波のようにこちらに襲い掛かってきた。
しかし、僕は気づいた。
いや、ここにいる全員が気づいた。
「あぷ……」
──来る。
「ボロッ!ロロロォ!」
それは疾風のようだった。
二匹の狼よりも体躯が数倍はある狼が、ムササビの群れへと突っ込んでいった。
ムササビは断末魔をあげながら、狼の牙に体をちぎられ、半身を大地へと還した。
横にいたムササビは逃げる猶予すら与えられず、すぐに同じ末路を辿る。
狼の長く細い毛がたおやかに揺れるのに対して、残酷なまでに繰り広げられる自然の厳しい食物連鎖。
それなのに目はそこに釘付けにされてしまう。
純白の体毛についた返り血はこの美しい白さを害すこともなく美しささえも感じさせる。
次の瞬間、肉の海から顔を出した狼の口から、炎が放たれた。
比喩でもなんでもなく本物の炎だ。
次々と焼け死んでいく仲間にムササビたちは僕たちを諦めることにしたのか深い霧の中へと姿を消した。
逃げ遅れたムササビたちを巨大な狼は一切の躊躇いもなく喰い殺した。
「……グル」
二匹の狼にそう一言告げ、巨大な狼はまたハヤテのごとく姿を消した。
すっげ……。
なんだあれ。狼が炎吐いた……。
「クゥゥン……」
今のは怒られたのかな?
狼たちは顔を見合わせ、悲しげに俯いた。
よく見ると可愛い……。
気を取り直した狼たちがまた走りだした。
その後といえば退屈なほどに平和なものだった。
穏やかな風を感じながら僕はこれからのことを考えていた。
この世界の生き物はみんなあんな感じなのだろうか。
あの女性はなぜ狼と意思疎通できるのだろう。
あの巨大な狼は何者なんだろう。
神さまは今どこで何をしているのだろうか。
僕はこれからどうすればいいのだろう。
ミカの言っていた忘れ去った過去とは一体なんのことなんだろう。
答えのない問いを繰り返すうち、目的地に着いたようだ。
目的地は遺跡だった。
様々なレリーフの刻まれた壁、それにギリシャの神殿にあるような美しい柱たち。
朽ちてはいるが古臭さはない。
伸びた蔦は一種の装飾のようにも見える。
「ワン」
狼たちはソリを遺跡の入り口に止め、器用に縄を食いちぎった。
一匹が僕の襟を甘噛みして持ち上げ、トコトコと遺跡の中へと入っていく。
もう一匹はソリをどこかへ引っ張っていった。
「あうう……」
遺跡だというのに中は存外に綺麗だった。
時折聞こえてくる呻き声を除けば、これといって変なところはない。
「バウ!」
「ぎゃう!?」
僕を咥えてるにも関わらず、狼が吠えたものだから僕はお尻を床に強打した。
痛烈な出来事に目元がヒクヒクした。
──やばい。泣く。
「んぎゃぁぁ!あう。あぶぁぁ!」
「クン……クゥン」
悪いと思ったのか、狼は僕の頬をぺろぺろと舐めてくれた。
ザラザラとした感触がなんともくすぐったい。
狼の毛が手に触れた瞬間、僕は仰天した。
ふわっふわ!なんだこれ!?
羽毛なんて比にならない柔らかさ。毛が一本一本しっかりとしているのにも関わらず、手を入れるとそれに沿うように指の表面をなぞる。
こんなの前世にはなかったぞ。
狼はくすぐったそうにして、僕の頬を持ち上げるように舐め上げた。
よほど気にいったのか、グリグリ僕に頭を押し付けてくる。
「──」
低い声だった。相変わらず何を言っているかは分からない。
更に言うと、どこを見ても声の主が見当たらない。
「──」
視界がぼんやりとしてきたので目を擦るが、なぜか靄が晴れない。
そして、これがただの靄でないことを悟る。
これは……さっきの巨大な白狼だった。
この世界の狼は透明にもなれるのか!?
いや……というか言葉、喋ってるよねこれ。
何もかもがまるで魔法みたいだ。
「──」
白狼が顎で狼に指示すると、狼は僕の襟を食み、また歩きだした。
これからどこへ行くんだろう。
食人は……しないと思っているけど、実際のところは不明なので安心は出来ない。
いや、例えそんなことが起きても抵抗は出来ないわけだが。
「あぶ、あうああ!」
唸り声の正体が分かり、思わず声が上げた。
「──……──……──」
ベロンベロンに酔っぱらった飲んだくれの男がゾンビのように這いずっていたのだ。
男の短い金髪に少しついた嘔吐物を見た瞬間、もらいゲロをかました。
「──……──……」
狼はそんなことを意に介さないようにトコトコ遺跡の更に奥へ向かう。
そして、ある程度歩くと木造の扉の前に着き、狼は右往左往した。
入れないのかな?
今度はゆっくりと僕を下ろして、また僕をベロベロと舐め始めた。
ハッハッと鼻息を荒くしながら顔を舐める狼を見て、自分の顔はもしかしたら甘いのかもしれないと思ってしまった。
割と本当に食われるんじゃなかろうか。
「んぶっ……あぶぅ」
「ハッハッ」
「──」
背後から女性の声がした。
「──クゥゥン」
興奮する狼の額に、女性がデコピンをして制す。
今までの行動からして女性が狼たちの主人なのだろうな。
よく躾けられている。
あの大きな狼もそうなのだろうか。だとしたら滅茶苦茶凄い人なんじゃないか?
「──」
「あぶ」
女性が僕をひょいと持ち上げ、戸の先へと進むとそこは遺跡の雰囲気に似合わない、生活感の溢れる居間だった。
獣の皮がカーペットがわりに床に敷かれ、食器棚に飾られた写真立てから察するにこの世界には写真を撮れるくらいの技術はあるようだ。
女性が狩りに使っているのが弓だからてっきりそういったものは無いと思っていた。
そうなるといよいよ何故あのソリが浮いていたのかが気になってきた。
本当に魔法の可能性あるぞ。
「──……」
「んにゅ?」
女性が悲しい物を見るような目をしながら僕の頭を撫でた。
彼女がその憐みを僕に向ける理由は分かる。そりゃ赤ちゃんが森に一人で置き去りされている現場を見れば、誰だってそう思うだろう。
女性は僕が吐いた跡を見つけると、僕の口を手ぬぐいで拭いてくれた。
なんか……苦しくなってきた。多分、嘔吐物が食道に残っているんだ。
何度も身をよじり、苦しさを紛らわせようとしたが効果は無し。
様子がおかしいと思った女性は僕をソファに横にしてくれた。
すると余ったゲロがようやく解放され、呼吸もしやすくなった。
「──」
女性は僕の腹をポンポンと優しく叩き、歌を歌った。まあ歌の意味は分からないが、寝かしつけようとしてくれているのは分かる。
お腹が減っているので寝ないだろうと最初は思っていたのだが、僕が単純なのか、それとも赤ちゃんは皆そうなのか、眠くなってきた。
不意に僕は思い出した。
前世でもよくこうして母にお腹をポンポンと叩いてもらっていた。力は……まあ今よりも強かったがそこは大して問題ではない。
傍らで父は本を読んでいた。寝かしつけてもらったことはないが、あの不器用な父だ。自分でやるよりも母の方が良いと思っていたのだろう。
そうか……川の字で眠ることはもう出来ないんだな。
あの頃に戻りたいな……。また三人で一緒に眠りたい。けど、もう無理だ……。
一粒の涙を流しながら僕は眠りについた。
『ああ!見つけた見つけた!
ちょっとちょっと~一体どこにいたってのさ!探したんだよ?』
夢の中は見たことのある景色だった。ここは、ミカと出会った何もない空間だ。
ミカが僕の元へ駆け寄ってくる。
どこに行ってた?あそこに僕を送ったのはミカじゃないの?
『んん?私が?そんなことするわけないだろ。
君は普通の街で生まれたの!それなのに……様子を見てみようと思ったらどこにもいないし。
ああもう……またアルに怒られる……』
うずくまり頭を抱えるミカ。そんなこと言われたって赤ちゃんの僕に何が出来るって言うんだ。
『ま、いいか。とりあえず!
君にさっそくお願いごとだ!いいかい?一度しか言わないからね?』
ミカは懐から──といっても服なんて着ていないが──木の枝を取り出し、僕の前に差し出した。
『君はここで魔法を学んでくれ。ここに魔導書があるのか分からないから、簡単なものでも構わない。けど、なるべく多めに頼むよ』
そう言うと、木の枝が発火した。
──魔法。やっぱりこの世界にはあるんだ。
でなければ、あのソリが浮いていた現象を説明出来ない。
『ええと、あとは……。うん、無いかな。
よし、それじゃ頑張って!皆応援してるから!』
ミカが何やらとても焦っている。
ミカ?どうしたの?
『ね~ミカぁ?今日こそはいいでしょ~?』
ミカの後ろからビックリするくらい綺麗な女性が現れ、ミカに抱き着いた。
女性は長い髪に花のブローチをつけていて、赤いドレスを着ていた。
『今日こそ逃がさないわよ?熱い夜を過ごしましょ?』
『いいい!?嫌っ!私は誰とも所帯をもつ気はない!』
『どうして~?あの時、言ってくれたじゃないの。「君と共にいたい」って。
あの時のあなたすっっっごくカッコよかったわ~』
『あ、あれは……そういうんじゃないだぁ!』
ミカは素っ頓狂な声を上げ、アルの時のように僕を盾にした。
なんか……うん。だんだんこの神を理解してきたように思う。
『なんだよ君ぃ!?なんでそんな目で僕を見るんだあ!?』
いや、別に……。
綺麗なお姉さんは後ろにいるミカの腕を掴み、どこかへ引きづって行ってしまった。
ミカが何度も僕に助けてと言っていたけど、お姉さんに笑顔でウィンクをされて、体が硬直してしまったので見ているしかなかった。
そんなことより……魔法か。
僕に出来るだろうか……。
ムーラット
ムササビのような見た目の肉食生物。
基本狩りをする時は集団で行う。
広い範囲で活動をするため、目撃されやすい。
大きな生き物には挑まないのだが、あらゆる生物の赤ちゃんを見ると、たとえ相手の親がドラゴンであろうと襲い掛かると言われている。
攻撃 牙 魔法 無し 等級 Eランク