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運命のドラフト 人生をかえたホワイトクリスマス

作者: ふっしー

 この物語はフィクションであり、実在の人物、団体、事件とは一切関係ありません。


 2万7千文字ほどです。昨年の暮れにアイデアを思いつき、練習がてらに正月からひと月ほどかけて書いたものです。

 暇つぶしにでもなれたら幸いです。


 クリスマス、外はどんよりと鉛のように重い。

 雪になり損ねたみぞれまじりの雨が、宵の口のガラスに映った僕の顔を叩いていく。


「夜には雪にかわるでしょう……か」


 真下に見おろす神田川には、黒い川面をキャンパスにして街の灯りが滲んでいる。昔に比べれば綺麗になったそうだ。それでも田舎育ちの僕からすれば、底の見えない川なんてドブとかわらない。


「んンンンンンンッ!」


 昼からずっと座りっぱなしの強張った身体をほぐしてやろうと、ちぎれるくらいに伸びをした。

 僕は壁の時計を見つめた。あと三〇分もすれば大イベントが開催される。

 今日は朝から気もそぞろ、なにをしていても落ち着かない。帰りの足取りが天国と地獄ほどにかわるだろう。


「さてと」


 先輩から回された仕事を片付けないといけない。休憩にもならない、あっという間の気分転換を切りあげて自分の机に戻る。

 さして活気があるとは言い難いオフィスでは、二〇名近くの男女が仕事に勤しんで……、いない者もいる。


「山本、そろそろドラフトの時間じゃないのか?」


 離れた席から声をかけてきた中年男性は三好さん。小柄で坊主頭、ラフな服装の多いなか、わりときちんとした格好をしていた。


「あっ、ホントっス! もうすぐ始まるっスよ」


 僕の隣の席で四年先輩の山本が答えた。「~っス」が敬語だと思っているような男だった。その口調がお似合いの見た目、その見た目通りのいい加減な性格だ。

 山本の手に握られたスマホのなかで、アニメ絵のかわいい女の子が少ない面積の衣装を纏って踊っている。彼こそは勤しんでいない者の代表格、僕に仕事を回してきた張本人だった。


「よし、そっちの部署は全員会議室だ。福山ちゃん、コーヒーおねがい!」

「あー夏美、ついでにオレのも」


 尻馬に乗った山本が正面に座る夏美先輩に気安く手を上げた。


「だから、下の名前では呼ばないでください!」

「うちは誰を獲るんスかね、いいのが当たるといいんスけど」


 山本は聞こえないふりをして三好さんの後ろについていく。いつのもやりとりだった。


「もーっ、いまどき女子だからってお茶汲みやらせる会社なんてありませんよ。セクハラの上にパワハラですから」


 いつものようにプリプリと文句を垂れながらも立ちあがり、コーヒーサーバーへとむかう。後ろでまとめた濃い茶髪が馬の尻尾のように揺れている。


「田中も飲むでしょ? 持ってってあげるから先行ってていいよ」


 机から離れようとした僕に、夏美先輩は紙コップへ流れ落ちるコーヒーから目を離さず聞いてきた。なんだかんだといいながらも世話好きな、いっこ上の先輩だ。

 彼女の背中へ笑顔を添えてお礼を言っておく。少しだけ、ほんの少しだけぽっちゃり系だが、十分美人の分類に入るとおもう。――なんてことを本人の前で不用意に口にした日には「田中のくせにどこから目線だよ」と脳天にげんこつは間違いないが。


「実、ドラフトの資料忘れるな」


 山本がオフィスの隅にある会議室の扉から、顔だけだして僕に言ってきた。

 僕は自分の机のファイルスタンドからドラフト関連のファイルを抜き取り、山本の机の上にあった同じものを手に取った。一度大きく息を吐いてから会議室へとのぞむ。

 会議室は休憩室も兼ねている。3人掛けの折りたたみテーブルとパイプ椅子が数セット、ここで弁当を食べる人も多いが洒落たものなどひとつもない。

 テレビは壁掛けですこし高い位置に据えつけてある。少し離れた一番見やすい席に三好さんが腰を掛けた。その横に席をひとつ空けて山本が座ったので、僕はその後ろの席でふたりの間に腰をおろした。


「実、リモコン」


 山本が座っているテーブルの端に置いてあった。


「横にありますよ」

「みのるぅぅぅ、オレ先輩だよねぇ。おまえって先輩を使うの? 三好さんにも同じこと言えるぅ?」


「三好さんはすぐそばにある物を取ってくれなんて言わねぇよ!」と心の中でツッコんでやる。聞こえないように舌打ちをして立ち上がり、リモコンを取って席に戻った。後ろから渾身のストレートを放つつもりで山本の横に突き出した。

 山本がギョッとした顔で振りむいた。


「な、なんだよ実。これが先輩の威厳だろ」


 おまえは一度辞書で【威厳】を引いてみろ。


「9チャンっスよね?」


 気を取りなおした山本がリモコンを受け取って、テレビにむけて赤いボタンを押した。

 プツンと音を立てて画面が黒い光を放つ。黒い光は一瞬で消えて、有名女優さんの爽やかな笑顔が現れた。よく見るお茶のコマーシャルだった。右上に緑色の9の数字が映っていたが、それでも山本はリモコンの9のボタンを押してからテーブルに置いた。

 遅れて入ってきた夏美先輩が三好さんたちの前にコーヒーを置いていく。僕の隣までまわってきて紙コップがふたつ乗った盆をテーブルに置くとそのまま座った。


「まだ熱いから気をつけて」


 短い言葉と淡い微笑みをセットにして、僕の前にコーヒーを置いてくれた。前列のふたりにはなかったサービスだ。

 僕も短いお礼と笑顔を返しておく。夏美先輩のそれが恋愛感情ではないことはわかっている。山本の尻拭いを分担できる後輩ができたことが死ぬほどうれしい、と飲みに行ったときに話してくれた。それに、誰かに確認を取ったわけではないが、僕は夏美先輩は百合じゃないかと密かに疑ってもいる。


 お茶のコマーシャルが終わった4時半の画面に、壮大な音楽とともに栄養ドリンクのロゴが映しだされた。しばらくするとそのロゴは消えてテレビスタジオの画像にかわる。やや斜め上からスタジオ全景を撮り下ろしている。

 どこの局でもやっている朝のワイドショーのように、司会者の男性とコメンテーターの3人が、ハの字にむき合う形で並んでいる。

画面の左側、花を飾った真っ白なスタンディングデスクの前にひとりで立っているのは、いくつもの冠番組を持つ人気タレントだった。普段見ることのない彼のスーツ姿が、今日が特別な日であることをものがたっている。

 対する右側の長テーブルには3人が座っている。

 音楽が鳴りやむと真正面からの画像に切りかわり、四人が揃って頭をさげた。


『皆さんこんにちは。今宵聖夜に流す涙はうれし涙になるでしょうか、それとも苦い涙となるのでしょうか。さぁ、間もなく始まります、記念すべき第一回ライトノベルドラフト会議。スタジオからはわたくし、ラノベ大好き有頼(ありより)と、ヲタク芸人でお馴染みの――』


 ゲストの紹介が始まった。名前を呼ばれるとアップに抜かれ、あらためて頭をさげる。

 長テーブルの一番左に座っているのは、バラエティーでよく見るひな壇芸人の土屋。特にアニメ、マンガ好きとして、そういう関連番組によく顔を出しては蘊蓄を語っている。

 その隣にただいま絶賛売り出し中の若手人気女優、仲条。一〇〇万ドルの微笑みを惜しげもなく振りまいていた。

 そして右端には、赤メガネと青ネクタイに黄色のジャケットが印象的な太った中年男性、文芸評論家の岡田。この男、一般的にはなじみが薄いが、この業界では知らない者はいない著名人である。


『会場には、トーキョーMAXテレビ、鈴木幸子アナウンサーがスタンバイしています。ちょっと呼んでみましょうか。――鈴木さん! 会場の様子はどうでしょう?』


 テレビ画面がきりかわる、ステージと巨大モニターを背にマイクを握る女性が現れた。巨大モニターにも奥へ奥へと同じ画像が縮小されながら無限に続いていた。


『はいこちら、グランドプリンセスホテル新高輪の鈴木です。会場となります鳳凰の間では、すでに各レーベルの方々が席に着かれ、開幕を前に最後の確認作業などが行われている模様です。――また、私の前では抽選で選ばれました三〇〇人を超える観覧者の皆様が、ドラフト会議の始まりを今か今かと心待ちにされていらっしゃいます』


 観覧席が映された。ラノベだけに若者が多い。彼、彼女が笑顔で手を振っている。その後ろで興奮を抑えきれない数人の男性がこぶしを突きあげて叫んでいた。


『盛りあがってますねぇぇぇ』


 有頼のうれしげな顔が隅にワイプで抜かれると、鳳凰の間がさらなる盛りあがりをみせた。


『ハイ、あちらの大きなモニターにもこの放送が流されていまして、番組が始まったときにも大歓声があがっていました』


 鈴木の言葉を証明するかのように、観覧席からの歓声が一段と大きくなった。

 ドラフトはまだ始まっていないというのに、画面から溢れる熱気が僕の鼓動をさらに速める。


「どっかに編集長たちもいるはずっスよねえ?」

「そりゃいるさ。でもまあ、うちみたいな弱小出版社は、隅のほうに追いやられてるだろうけどな」

「あっ、一番奥! 隅のテーブルにいるの香織さんじゃない⁉」


 目ざとい夏美先輩が憧れの川井さんを見つけた。その目の輝きは憧れを通り越しているようにおもえる。

 カメラもいい被写体を見つけたとばかりに寄っていく。

 テレビのなかの川井さんもスレンダーでメガネがよく似合う美人だった。滲み出る知性は扇情的ですらある。モデルや女優と言っても彼女を知らない人なら疑いもしないだろう。再来年は三十路というのに美しさは衰えていない。学生の頃の写真を見せてもらったが、むしろ磨きがかかっているのではないだろうか。


「おっ、主任に隠れてるの社長の頭っスよね?」


 川井さんのむこうにごま塩頭がわずかに見えている。


「……それにしても川井女史、テレビで見ると女優さんみたいだな。さっきの仲条にも負けてないんじゃないか?」

「ホント、こんな小さな出版社なんかにもったいないですよね」


 先輩のトロンと垂れた目が川井さんに釘づけだ。


「あれで可愛げがあったら、オレがほっとかないんスけどねぇ」

「はあ?」


 先輩の人相が一瞬にしてかわった、険しく歪んでいる。


「人を叱るにしても、もうちょっと言い方があるだろうってことさ。なぁ?」


 言葉とともに山本の首がわずかにまわった。僕に振ったみたいだ。


「山本さんが人並みに働いたら怒られなくなりますよっ!」


 かわって答えてくれた先輩の視線が殺人ビームと化し、脳みそが詰まっているのかあやしい山本の頭部に突き刺さる。

 しかし、その耳には先輩の真っ当な意見も届いていないかのように、腕を組んでテレビに見いっていた。首をひねって顔を突きだした。


「なにか、揉めてんスかね?」


 その言葉につられて僕の視線もテレビへ移る。

 社長が手にした資料を睨んで渋面を作っていた。普段から浮かんでいる額のしわも、今はいつにも増して深い。

 横から編集長も社長と同じ顔をして資料を覗きこんでいた。

 その反対側からは川井さんがテーブルに身を乗り出して資料のなかを指差している。なにやらふたりに説明しているようだ。こぼれた黒髪を耳の後ろにかけ直す横顔には、困惑の様子が見てとれた。

 うちでは編集長はマンガ部門とラノベ部門を兼任している。マンガのほうがまだ売り上げが大きいのでそっちにかかりきりになることが多い。なのでラノベ部門は実質、川井さんが取り仕切っている。ラノベ部門は彼女なくして立ちいかない。


「まさか……誰を指名するか決まってなかったんじゃないだろうな」

「それはないです。香織さん昨夜、やっと決まったって言ってましたもん。誰かは教えてもらえなかったけど」

「――て、決まったの昨夜かよ⁉」


 三好さんの紙コップが口元で止まっている。


「ドーンと一発、大物引き当ててくれないっスかねぇ。日比谷通りの目立つところにデッカい自社ビル建てたいっスよ」

「それは人気作家のひとりやふたりじゃどうにもならないぞ」

「だってっスよ、合コンでうちの社名出しても誰も知らないんスよぉ。このオレがひとりもお持ち帰りできないってあり得ないっス」


 山本がこちらに顔をむけると「なあ、実」と同意を求めてきた。

 面倒くさいが相槌だけはいれておき手元の資料に目をやった。だが実際、僕も就活するまでサンライズ出版なんて知らなかった。


「今の若い子はサンライズ出版なんて知らないか。バブルの頃は結構売れていた雑誌もあったんだけどなぁ。――まっ、俺が入社したときにはすでに斜陽だったけど」

「今じゃ業界自体が斜陽っスけどねぇ」


 山本が他人事のように笑う。危機感など一切感じさせない笑顔だった。


「でも、実もよくうちなんかに入る気になったな」


 あんたのおかげだよ。インターンシップで訪れたとき、山本の力みのない自由奔放な働きぶりをみて即決してしまった。やつは言った。フレックスタイム制で出社時間も退社時間自由。仕事の工程もある程度自分で組めるので、空いた時間は好きに使っていいと。

 すでに何十社とまわって、仕事、時間に追われる企業戦士を目の当たりにしていた僕には、ここが天国におもえた。ぎゅうぎゅうの満員電車になんかに乗りたくない、残業も避けたい、やりたいことがあった僕は時間も欲しかった。

 入社後、おのれの馬鹿さ加減を思い知る。世の中には、傍から見る分にはいいが、かかわるとろくなことにならない人間がいる。夏美先輩と僕の忙しくなる原因の大半はやつのせいだ。


「実、お前今日全然喋んねぇな。拾い食いでもしたのか?」


 当然、心配している様子はまったくない。オレの冗談おもしろいだろ、とでも言いたげにニヤついている。


「田中、緊張してるのか? まぁ社運がかかっているといってもいいくらいだからな」


 三好さんのとおり。まさに運命をかえる一日になりかねない。


「うんうん、わかる。あたしだってソワソワしてるもん。こっちがいくら緊張したってどうしようもないんだけどね」


 夏美先輩がこっちをむいて首を傾げた。

 僕も愛想笑いを浮かべて小さく頷いた。落ち着きのない手を紙コップに伸ばすがすでに空だった。それでも口まで持っていき呷るように持ちあげた。滴が一滴舌の上を走った。


 会場からの中継が終わりスタジオに切りかわる。有頼が飾られた花のむこうに隠してある台本をめくった。ちらっと目を落とす。


『まだドラフト会議までには時間があるようなので、ラノベドラフトについて岡田さんに解説してもらいましょう』

『初めてのドラフトなので詳しく知らない人も多いんじゃないですか?』


 有頼が文芸評論家の岡田に振ると、芸人の土屋も絡んでいく。


『まさに野球のドラフトと同じなんです。NLN、日本ライトノベル機構に加盟する各レーベルが欲しい作品、人材を指名します。指名が重複すればくじ引きになります。今回は応募総数三万点を超える中から、下読みさんたちが厳選した一五七作品がドラフト候補に挙がっています』


 岡田がこなれた調子で説明していく。有名な動画配信者でもあるので立て板に水だ。


『ドラフト一位には、なんと契約金一〇〇〇万円が払われます。二位には五〇〇万、三位にも二〇〇万が支払われるんですよ。その上応募作は書籍化まで確約されます。四位以下には契約金こそありませんが、育成作家として編集者がついて指導してくれます』


 山本が頭の後ろで手を組んで、しかめ面を三好さんにむける。


「かぁーっ、一〇〇〇万スよぉ、オレの年収より多いんスから。こいつのせいでオレの給料があがらなかったら、どうしてくれんだって話っスよ」


 こんなヤツの給料が夏美先輩や僕より多いなんて、正直納得がいかない。ヤツの給料の半分を先輩と僕で分け合ってもいいくらいだ。


『出版社は資金面の問題もありますので、一名のみの指名でもかまいません。ただその場合、その一名は必ず一位指名となります。育成のみを指名することもできません』

『指名された作家が契約を拒否した場合はどうなるんです?』


 有頼が岡田の話を掘り下げていく。


『その場合、作家は三年間ドラフトには参加できなくなります。今回応募した作品も使い回しはできません。これはレーベル側と作家との裏取引、不正を防止するためのものです』

『指名を蹴って他のレーベルと契約なんてされたら、ドラフトの存在意義がぶっ飛んでしまいますもんね』


 土屋の補足に岡田が満足げに首を折る。


『でも、行きたいところに行けないのも、作家さんが可哀そうじゃないですかぁ?』


 女優、仲条が憐れむような顔をつくって言った。声はやわらかく、それでいて聞き取りやすい。


『そこはちゃんと考えられていまして――。契約して三年経過するか、続巻でも新作でもかまわないので、三作以上出版すると他レーベルで執筆ことも可能になります』


 岡田の説明が終わると有頼の視線が手元の台本に落ちた。


『ところで岡田さん。そもそも、なんで出版社は機構まで作ってドラフト制度を取り入れたんですか?』

『ひと言でいってしまえば、ドデカい打ち上げ花火ですね。ネットによって文化や趣味の多様化、分散が進んでいますよね。特に今は手軽な動画サイトやソーシャルゲームなどが人気を博しています。昨今の活字離れが進むなか、危機感をいだいた出版各社が手を組んで一大イベントを開催した、ってところです』

『そうだよねぇ。ボクらが若手のころは隙間時間に本を読んでる人もいましたけど、今はみんなスマホいじってるもん』

『そうそう、今どき紙の本なんか読んでんのジジイとババアだけだもの』


 土屋の話を受けた有頼の辛口ジョークに、仲条が口を押えて俯いた。華奢な肩が震えている。有頼がそんな仲条をひと通りいじりたおすと、思い出したように土屋を指差した。


『そういえば土屋さん、下読みに参加したんですって?』


 土屋が胸の前でパンッと手を打つと大きく頷いた。


『そうなんだよ。一次審査をやらせてもらったんだけど、これがもぉぉぉ大変で』


 有頼にむけて指を差しかえす。


『応募締め切りが4月10日だったんだけど、その5日後くらいにボクのとこへ10作品送られてきて、ひと月以内に全部読んで採点して返せっていうんだよ。なんとか全部採点して締め切り前に送り返したんだけど、そしたらまた翌日に新しいの送ってくるのよ。それから毎月だよ、毎月。信じられる? 最後の9月分なんて20作も送ってきやがって、9月の20日までに必ず返してくれっていうんだぜ』


 くちびるを尖らせて苦労話を語る土屋とは対照的に、有頼はうんうんと楽しそうに相槌を入れている。


『20作も送られてきたんだけど、なにかの間違いですよね、って連絡したら『もう慣れたでしょ。締め切りも延びていますし20でお願いします』だって。それ聞いた瞬間スマホ握り潰しちゃったよ。もうね、本当に壁に投げつけてやろうかと思ったね』


 有頼と仲条が他人の不幸は蜜の味、といわんばかりに手を叩いて笑っている。岡田も楽しげに微笑んでいた。


『そーなんです。これまでの各レーベルの一次審査というのは、ひとつの作品をひとりの下読みさんで審査していたのです。でもこのドラフトでは二次、三次審査がありませんので、一作品に3人が評価をつけています。そのなかから〇・五パーセントほどが、ドラフト候補に進めるという方式になっています。――それとホントの下読みさんの中には、同じ期間で土屋さんの数倍の数を審査する猛者もいますから』


 最後の言葉に仲条は目を丸くする。「ほんとうに?」と整った顔を岡田にむけた。


『それじゃあ一次選考を通過したら、いきなり最終選考になるんですね』

『そうですね、最終選考に残ったものが九月の末に各レーベルに渡されました。そこからドラフトまでの間、およそ三か月で社内選考、指名候補を決定する、というのが大まかな流れとなります。ちなみにわたしも残った一五七作品、全部読ませていただきました』


 仲条が「信じられない」と口元に両手をあて、土屋は目を眇め「ホントかよ」とこぼした。


「ホント、この三か月は死ぬかと思ったっスよ。もう勘弁してほしいっスね」


 山本がクシャクシャっと頭を掻く。

 僕はキッと視線を(きり)の様に尖らせてその頭を睨んだ。横からも隠しきれない殺意が漏れてくる。

 どの口が言うのか? その両頬を力いっぱい摘まんで、前後左右上下、三次元の許す限りにおもいっきり振り回してやりたい。なぜなら山本だけがノルマをこなしていないのだ。夏美先輩と僕がどれだけの迷惑を被ったか。


「それなら山本さん、マンガのほうに行けばいいじゃない。三好さん、そっちの梶さんとトレードしてくださいよ」


 夏美先輩の口から漏れた本音は、奥歯で噛みしめたように言葉がつぶれていた。


「夏美もわかってるじゃん。だよなぁ、オレが欲しかったら、むこうもエース出さなきゃな」

「だから名字で呼んでくださいっ!」


 夏美先輩の皮肉も山本に届くことはなかった。

 三好さんは山本のほうを見て苦笑を浮かべている。副編集長とはいってもマンガ部門を担っているで、その立場からすれば山本なんて冗談じゃないだろう。


「で、エースの山本はなん作品読んだんだ?」


 三好さんの言葉が偶然にも皮肉となった。


「そ、そースっね。編集長も加わってくれたんで、ひとり30――くらいだったっス……」


 山本の声音が変わった、画面を凝視したまま怯えたように震えている。隣では夏美先輩が歯噛みをしながら振り上げたげんこつを震わせていた。


 NLNからドラフト候補の作品群が送られてきた日、9月30日の夕刻。この会議室において月末編集会議が開かれていた。

 すべての議題が片付くと、川井さんからディスクが入った袋を渡された。これを11月末まで読破して、すべてに寸評を付けたうえ四作品を厳選するように、とのことだった。ノルマはひとり31枚、半端の2枚は編集長と川井さんが受け持った。

 

 その締め切りの20日前くらいになって、「奢るから」と珍しく山本が夏美先輩と僕を飲みに誘ってきた。その安さだけが売りの居酒屋チェーンのお座敷で、山本が額を畳にこすりつけて両手を擦り合わせた。その姿は一茶の一句「やれ打つな――」をおもいおこさせた。


「ママが入院したんだ。締め切りに間に合いそうにないから手伝ってくれ、頼む!」


 僕たちの前にディスクを10枚突きだした。

 やっぱり、と夏美先輩と僕はそろって大きなため息を吐く。一悶着はあったが、今回だけと最後は渋々受けたのだった。日に日に夏美先輩の目の下のクマが濃くなっていった。僕もカフェインの過剰摂取が続いた。

 そして締め切り5日前、先輩と僕はデジャヴを見た。同じ場所、同じ光景、同じ言い訳。枚数だけが6枚に減っていた。


「ママ、もう長くないかも……」


 涙ながらに言われてはさすがに断れない。夏美先輩も僕も寝ないでやり遂げた。ともに死地をくぐり抜けてきた戦友といっていい。

 すべてに寸評を添え、面白いと思った作品を2、3リストアップして山本に返した。このことを知っているのは本人を除けば夏美先輩と僕だけ、山本から堅く口止めされている。

 山本は31点のうち、16点を夏美先輩と僕に丸投げしていたのだ。

 のちに編集長が零したひと言から、山本の母の病名を知ることになる。それは、ただの盲腸。もちろん命に別状はなく、1週間程度で退院していた。彼は見舞いにさえ行っていない。家のほうが忙しいというわけでもなく、ただ単に遊び惚けていたのだった。

 僕が問い詰めると、ふたりきりの会議室で3度目の土下座を見せられた。

 このことを夏美先輩は知らない。先輩がこの真実に触れたとき、はたしてヤツは無事で済むのだろうか。先輩は空手の有段者。学生時代には全国大会にも毎年出場していたほどの猛者だ。

 これはいざという時の切り札になるかもしれない。このストーリーの全貌を裏の裏まで知っているのは僕だけなのだから。


 そういうわけで山本が審査したのは15点、それすらちゃんと最後まで読んだのか怪しいものだ。なぜなら山本の推しの作品は、どれも夏美先輩と僕がリストアップした作品だったのだから疑いたくもなる。


「社長も気になった作品には目を通していたらしいぞ」

「社長も本気っスねぇ。――ところで三好さん、うちが誰を指名するのか、ホントは知ってんじゃないんスか?」


 山本のネトリとした眼差しが三好さんにむけられた。

 僕たち3人がかかわったのは選んだ推し作品のプレゼンと、他の人の推し作品の評価まで。誰を指名するかの最終会議は、会場にいる3人だけで昨日行われた。ただ、資金的な事情でドライチしか取るつもりはない、とは聞かされている。


「そんなの俺が知るわけないだろ。編集長がそっちにかかりっきりで、どんだけこっちにしわ寄せがきてると思ってんだ。こっちだって目がまわるほど忙しかったんだぞ」

「まあまあ、いいじゃないスか。こっちで売れたら三好さんのほうでも、コミカライズでおいしい思いができるんスからぁ」

「……売れたらな」


 目をだらしなく細める山本に対して、三好さんの返しは素っ気ない。


「やっぱり丸川みたいな大手は王道かしら?」


 夏美先輩が顎に指先をあてて独り言のようにつぶやいた。


「そうだな、金銭的に余裕があるところは、一発屋よりも将来性を重視するんじゃないの」

「となると、うちは名前が売れてる一発屋になりますよね?」


 先輩が三好さんの背中に悲しい質問を投げかける。


「じゃないの、たぶん。で福山はどんなの選んだんだ?」

「あたしは王道ばかり選んじゃったけど。そういえば芸能人の作品は、全部川井さんと編集長で審査したみたい」

 僕のところにも芸能人の作品は一作もなかった。知っている名前がひとつあっただけだ。


 有頼がテーブルをバンバン叩いて大笑している。

『土屋さんの四か月の苦労も今ので報われたので、ここからは注目作品をみていきましょうか』


 いまや有頼のMCは、芸人のなかで三本の指に入るといわれている。


『では岡田さんには、上位指名が予測される注目作品をいくつか紹介してもらいましょう』


 岡田は太った身体を窮屈そうに捩じると、横からフリップを出してテーブルに伏せた。


『はい。それではまず紹介する作品は――こちらです』

 ジャジャンッ、とでも言いたげに満面の笑みでフリップを立てた。


『作者山森 五犯、【その悪魔の賛美歌は天使を虜にした】です。競合間違いなし、ずば抜けて完成度の高かった本格王道ファンタジーです』


「あっ! これオレが推したヤツ」


 腰を浮かして山本の体が前のめる。テレビにむけて伸ばした首の先には、どやっ、とばかりにニヤつく顔がついていた。……でもこれ、丸投げされたなかから、僕が「イチオシです」って渡したヤツじゃないか。


『詳しくは話せませんが、平凡な冒険者だった主人公が、ある事件に巻き込まれた弟と妹を助けに行く、というお話です。これはストーリー、キャラ、世界観、そして最後のオチ……というかどんでん返し、どれも九〇点以上です。すぐにでも出版できるレベルですね』


 その後もイチオシだ、と太鼓判を押して褒めちぎった。


「そうそう、その通り。さすがにわかってるねぇ岡田ちゃん」


 山本の鼻頭が上をむいているのがムカつく。


「三好さん、やっぱドライチの担当ってオレになるんスかねぇ?」


 いかにも「めんどくせー」と言いたげな口調だったが、隠しきれないうれしさが顔に滲んでいる。


「……さあなぁ」


 その顔を見て答える三好さんのほうが遥かに面倒くさそうだ。


「だってスよ、川井さんは今の担当と実のサポートだけで手いっぱいスよ。夏美だってやっと一人前になってきたかなって感じだし。消去法でオレしかいないんスよねぇ」


 自分が夏美先輩や僕にサポートされていることを理解していないようだ。そもそも川井さんの担当を振りかえればいいだけだ。

 山本の仕事ぶりや人柄は全社員に周知されている。一千万円もかける大事な金の卵を彼に預けるとは思えない。社内や作家からのクレームも始末書の数も断トツだ、彼を知る作家は担当を拒むかもしれないが。


 岡田はそのあと【お兄ちゃんの味方】【きみの胸から音符があふれてる】【アイドル転生】と紹介していった。


『さて、今までご紹介したのが王道とするならば、これから紹介する作品は色物。ただしコメディーやギャグといった意味ではございません。今回多かったのが芸能人からの応募です』

『あぁ、テレビやSNSで話題になりましたね。ちょっと落ちぶれた方々からの』

『ちょっと落ちぶれたはやめなさい!』

『じゃあ、だいぶ落ちぶれた? かなり落ちぶれた? 底辺まで落ちた? それはちょっとひどいんじゃないですか、土屋さん?』

『なにボクが悪いみたいに言ってんだ! ちょっとのほうじゃなくて、落ちぶれたほうを変えろよ!』

『じゃぁ、ちょっとやらかしちゃって落ち目の方々?』

『全然マイルドになってない!』

『そんな時間を持て余した落ち目の方々が、小銭を稼ごうと応募してくださったんですね』

『小銭ゆーな、主催者に失礼だろ』


 有頼と土屋のやり取りに、仲条はカメラに抜かれないよう顔を伏せた。握った人差し指の背で涙を拭っていう。


『やっぱ、あやのちゃんもそう思うよねぇ』


 不意にかけられた有頼の言葉に、仲条が素早く手と首を一緒に振る。もう一方の手で口元を隠しているが、あきらかに目が笑っている。


『あのー、そろそろ紹介に入ってもよろしいですか?』

『あ、どうぞどうぞ。でも岡田さんも腹のなかじゃそう思ってますよね?』


 ほくそ笑む有頼に対して岡田は顔を傾けて意味ありげな微笑みをかえした。


『それではあらためまして、芸能人がお書きになった作品を3点ばかり紹介させていただきます。――まずはアンジャッジの渡出 健による【多目的トイレで出会いを求めるのは間違っているのだろうか】です』

『うん、渡出はトイレの使い方を間違えてる。しかもたったの1万円って、格安風俗店かよ。僕ならあと2千円は払うけど』

『1万2千円かよ、大して変わらねぇ―な』

 題名を聞いた途端に有頼がツッコミ、ボケまで乗せた。そこへ間髪入れずに土屋がツッコミを被せた。


 プロの仕事に山本が床を踏み鳴らし、三好さんが手を叩く。

「大1枚ならオレもそのトイレ行ってみたいっス」

「よしっ、今日はいつもの店に行くか。田中もたまには付き合えよ」

「ゴホン!」


 夏美先輩の棘のある咳払いが前のふたりを硬直させた。


『この作品を芸能人から送られてきた中ではイチオシにします。ストーリーとしては天界まで続くという巨大な塔を攻略していくというお話です。この作品の売りはなんといっても主人公の純粋無垢な少年が、塔に設置されたトイレでの女性との出会いをへて、共に試練を乗り越え成長していく、というところです』

『そのトイレで出会う女性がヒロインなんですか?』


 有頼と土屋がバラエティーの色を濃くするなか、仲条も立派に仕事をこなしていた。


『実は、そっちの女性はサブヒロインなんですよ。ノゾミンというメインヒロインがいるのですが、主人公の破廉恥なおこないが世間にバレて笑いものになっても、最後まで甲斐甲斐しく支えてくれるいい子なんですよ』

『それって男からしたら理想のヒロインじゃないですか』


 有頼が目を大きく開いて「うらやましい」と続けた。


『ただ減点要素として、この主人公かなり儲けているはすなのにケチ臭い。サブヒロインへの少額の報酬だとか、出費を抑えるためにホテル代わりに公共のトイレを利用するとか、反感を持たれる方も多いかもしれません』

『かわいいメインヒロインがいるのに、バカですねぇ』


 愛妻家で有名な土屋が厳しい表情で話をしめた。


『さあ、続いての作品も芸人さんから。雨あがりに復帰し隊の宮蛸 博行作で【やはり俺の闇営業はまちがっていた】です。主人公の高校生が学校に黙ってアルバイトをしていたところ、雇い主はオレオレ詐欺にも手を染めている反社の方だった。バレるはずがないと思って続けていた闇バイトが学校側にバレて、高額の報酬に浮かれていた主人公だったが一転して地獄に。無期限の停学をくらった主人公は、果たして学校に復帰できるのだろうか、といったのが大まかなストーリーです』

『無理じゃないですか、反社ですもん。オレオレ詐欺だもん。間接的とはいえ、詐欺の金でいいモノ食べて、いいもの買って、いい思いしてたんでしょ? 詐欺に遭われた方々の気持ちをおもうと復帰なんておこがましいよ、退学でいいんじゃないの』

『私も最初は同じ思いでした。でもね、こんなクズ主人公を助けようと、同じ部活仲間だったダブルヒロインが出てくるんですよ。彼女たちは正反対の性格をしていながら、協力し合って健気に頑張るんです。真の主役は彼女たちといっても過言ではありません』

『マイナスポイントはあげるとしたら?』

『これはラノベとしてはマイナスポイント、文学としてはプラスポイントになるとおもうのですが、見事に人間の薄汚い内面を切りとっています。とにかく主人公がゲスい。闇バイト発覚直後、校長や担任と話し合うですが、最初にひと言謝罪したあとは、ひたすら言い訳、弁明を述べるのみ。そのあともあの手この手を使って復学を企てる様子には反吐が出ます』

『ダーク系ラブコメ?』

『そうですね、分類としてはラブコメになるでしょうか。ただ、主人公がこちらでもゲスい。浮気の証拠を出されても、グレーゾーンだと言い張って笑いで誤魔化そうとします。でもしっかりとコメディーしています。元々他人をコケにして笑いを取るのが上手な方でしたし、この作品でも武器のひとつになっています』


 岡田は次のパネルと取りかえた。


『最後にご紹介するのはこちら』

『出ました! 僕が一番注目していた作品』


 パネルに書かれた文字が目に入った有頼の顔に、なにかを含んだ笑みが浮かぶ。


『木戸下 優樹葉作【この素晴らしいタピオカ店に祝福を!】です。副題として【アタシキレたので、ギルド総出でいかせてもらいます】が付いています。トラクターに轢かれたと勘違いした主人公がショック死してしまい、異世界転生した先でバイトとして雇ってもらったタピオカ店を乗っ取ろうと奮闘するお話です』

『お姉さんがじゃなくて?』

『やめなさい。――で、その主人公はサッカー選手と不倫するんですか?』

『え⁉ 異世界にサッカー選手がいるんですか⁉』


 土屋と有頼に振られた岡田は困った様子で額の汗をぬぐう。


『サッカー選手はいません……。えー、この作品の面白いところはですねぇ、とにかく主人公が馬鹿なんです。馬鹿なのに上から目線。それでも序盤はない知恵を振り絞って乗っ取りを画策するんですが、その作戦が杜撰で全然うまくいかない。そこで所属ギルドのメンバー全員でタピオカ店に押しかけ、一悶着起こす、といったドタバタコメディーなんです』

『あの方、ちゃんとした文章書けるの?』

『ちょっと――というか、かなり文章は稚拙ですね。誤字脱字が多いですし、主語もほとんどありません。そのせいで誰が喋っているのか、誰と誰が戦っているのかわかりにくい。小学生の夏休みの日記でも読まされている感じでしょうか』

『クイズ番組でのボケじゃなかったんだ。あれガチだったのね』


 有頼が鼻で笑った。


『校正には苦労しそうですがお話自体は面白いので、どこかに上位指名される可能性は十分あると思います』


 画面に映らないところからの合図を受けて、有頼の目がわずかに見開いた。


『おっと、ついにお時間ですか? それでは会場にカメラを移しましょう』


 画像が有頼から会場に切り替わる。ライティングされていないステージは深夜の路地裏のように薄暗い。一番奥に設置されている大きなモニターに映った栄養ドリンクのロゴが、その前に座る各レーベルの方々をほのかな青い光で照らしていた。

 クラシック調の荘厳な音楽が流れ始めると、カメラが巨大モニターに寄っていく。ロゴの上に【第一回ライトノベルドラフト会議】の白文字が回転しながら流れてくると、画面の中央で止まった。


『ただいまより、第一回ライトノベルドラフト会議を開催いたします』


 会場の司会を務める男性がゆったりとした口調で宣言した。鳳凰の間が拍手で埋まる。


『各レーベルのご紹介をさせていただきます』


巨大モニターから栄養ドリンクのロゴが消え、画面が六列の三段に一八分割された。


『アズキメディアワークス、雷電文庫』


 渦巻く拍手の大きさがレーベルへの期待を顕示している。モニター上段、左端の枠に【雷電文庫】の文字が浮かんだ。中央のテーブルにスポットライトが当てられると、スーツ姿の五名の男女が一斉に立ちあがり深々とお辞儀をした。


『丸川書店、丸川スピーカー文庫』


 隣のテーブルの一団が立ち上がり揃って一礼する、拍手の雨のなか着席した。モニターの中でもその名が雷電の隣に並ぶ。それは国見ファンタスティック文庫、MF文庫J、ハミツ―文庫と続いていった。


「丸川グループは五つスか。ズルいっスよねぇ」

「レーベルごとに協賛金払ってるんだから文句も言えないさ」

「協賛金に契約金が払えるなんて、うちもなんだかんだいってまだ余裕あるんですね」


 夏美先輩が言い終わるとコーヒーを口に運んだ。


「社長が先祖伝来の資産を処分したらしいぞ」

「お! それじゃあ社長の資産がある限りうちは安泰っスね」


 脛をかじる気満々らしい。


 このあとZA文庫、ゲゲゲ文庫、鉱山社や秀明社などが紹介されていった。モニターに残る空欄も下段の右端だけになっている。


『サンライズ出版、B&Y文庫』


 円い光の中に社長を真ん中に3人の姿が浮かんだ。


「うちだけ3人って、なんか貧相スね。他はどこも5、6人いるっスよ」


 トリといえば聞こえはいいが、大手から紹介されたようなので名誉なことではなさそうだ。それに拍手も小さくなったような気がする。


「きたきた、さすが香織さん! 優美で凛としてる」


 夏美先輩憧れの川井さんがマナー講習でもお手本になるようなお辞儀をした。


「ハハハ、編集長緊張してないっスか?」


 確かにあの表情の硬さはいつもの編集長じゃない。


「そりゃ緊張もするさ。社長なんて額から汗噴き出してるぞ」


 三好さんの言うとおり、引きつった笑顔の社長がハンカチで額の汗を拭っていた。


『それではお手元のパソコンより、第一位指名を希望する作品名の入力をお願いいたします』


 NLNのステッカーが貼られたPCが各テーブルに一台ずつ用意されていた。各テーブルの面々が一斉にそのキーボードを叩き始めた。


「実、資料!」


 山本のファイルを渡す。礼も言わずに受け取ってファイルを開けると、横から三好さんも首をのばして覗きこんだ。

 僕も自分のファイルに目を落とす。開かれたページにはリストアップから弾かれた作品群が並んでいる。吸いこまれるように僕の視線がある一点を凝視する。

 時間が止まったファイルの上にスッと黒い影が入ってきた。反射的に動いた僕の視界に夏美先輩の横顔が飛びこんだ。


「ねえ、田中はうちが誰を指名すると思う?」


 ファイルに目を這わせたまま聞いてきた。

 僕は慌てて下をむく、目だけは夏美先輩の横顔に残して。


「やっぱ、渡出か宮蛸だろ。オレ的には【パシれメロス】がいいんだけどな」


 僕に代わって山本が答えた。その発言に三好さんが首を振る。


「お前もまだまだ社長と編集長をわかってないなぁ。あの肝っ玉の小さいふたりが、競合しそうなのをわざわざ狙いにいくと思うか?」

「でも、渡出と宮蛸なら単独指名の可能性もあるんじゃないスか?」

「いやいや、次はわからんが、今作は売り上げが見込めるからな。狙ってるとこはあるぞ」

「まぁ、これだけはやってみないとわかんないですよね」


 夏美先輩がファイルから顔をあげてもっともな結論で話をしめた。

 緊張した僕の手が勝手にコーヒーを探す。しかし、掴んだ紙コップは空だった。


「もう飲んじゃったの? じゃあ、半分あげるから貸して」


 僕の手から紙コップを取ると縁に口紅がついた紙コップから、こぼさないようゆっくりと注いでくれた。三分の一ほど入ったコーヒーを一気に呷る僕を見て、先輩は「フフフ」とおかしそうに笑った。

 暴れる思考が僕の脳から飛び出そうとする。それに抗うように息をとめて、両手をギュッと握りこんだ。


『これより第一巡選択希望作品の発表を行います』

 激流となった観覧席からの歓声が鳳凰の間に降りそそぐ。だが、それも束の間。会場いっぱいに膨れあがった期待感が、歓声を静寂にかえて緊張を生んだ。

 会場が固唾を飲んで司会者の言葉を待つ。


『第一巡選択希望作品。アズキメディアワークス、雷電文庫。【明日のむこうで君が泣いている】作者、七海 七生』


 同時に巨大モニターの雷電文庫の枠に、作品名と作者名が記された。

 溜めこまれていた歓声が一気に爆ぜた。あふれだす高揚に会場が興奮のるつぼと化す。


 画面に映る作品名を見て、僕はゆっくりと息を吐いた。少しは脱力できたが、鼓動はまだ早鐘を打っている。


「これ見てるとラノベの未来も明るいんじゃないかって錯覚してしまうな」

「三好さん。そこは錯覚じゃなくて、期待って言ってください」


 夏美先輩がジト目でツッコミを入れた。口調をやわらげてさらに続ける。


「でも、いかにも雷電が好きそうなのできましたね」

「なんだ、福山の推しか?」

「あたし、選考忘れて泣いちゃいました」


 先輩がリストアップした作品だった。当然僕も目を通している。今回のドラフト候補のなかで三強に推せる作品だと思う。


『第一巡選択希望作品。丸川書店、丸川スピーカー文庫。【その悪魔の賛美歌は天使を虜にした】作者、山森 五犯』


 続いて発表された大手レーベルの指名が鳳凰の間を震わせた。岡田が一番の推しにあげていた作品でもある。観覧者たちは当然競合を期待しているだろう。

 競合必至を指名したスピーカー文庫の面々に笑みを浮かべる余裕はない。同じように渋い顔をつくっているテーブルもいくつかあった。


「やっぱ、スピーカーはファンタジーの大本命できたっスね」

「じゃあ、ファンタスティックはどうすんだ?」

「次ですよ、そのファンタスティック」


 僕を除く3人も盛り上がっている。ファイルを見つめて首をひねり、あれだこれだと予想を立てている。


『第一巡選択希望作品。国見書房、国見ファンタスティック文庫。【コンチクショー、あたしの前にひれ伏しやがれ】作者、ポンコツ軍曹』


 ファンタスティック文庫の人気に比例する大歓声だった。ただ、丸川対決を期待していた層からは落胆の声も漏れている。


「割ってきたっスね」

「丸川グループで話ができてるな。ま、当然の戦略だ」


 三好さんの言うとおり、このあともMARUKAWAグループの5レーベルに指名重複はなかった。


『第一巡選択希望作品。ハードパンククリエイティブ、ZA文庫。【その悪魔の賛美歌は天使を虜にした】作者、山森 五犯』


 初の重複、そして大手対決に今日最高の盛り上がりを見せた。歓声と声援と喝采の拍手が絨毯爆撃のごとく響いていた。

 ざわつきの余韻が続く。丸川対決がなくなった今、この対決への期待の高さがうかがえる。


「やったぁ! スピーカー、ZA対決だ」

「ZAも順当なとこできたっスね」

「もっと指名が集中してくれると、うちの一本釣りの可能性もあがるんだがな」


 興奮気味の夏美先輩。それに比べてふたりの声は冷静だった。

 結局、うちの指名発表を前にして、山森の作品が最多の4レーベルでの競合となっている。他にもポンコツ軍曹の【コンチクショーあたしの前にひれ伏しやがれ】や王道ラブコメの【お兄ちゃんの味方】が抽選に。ネームバリューのある渡出も弱小出版社で競合になっていた。宮蛸も木戸下も一レーベルから指名を受けている。

 最後の発表を待つうちのテーブルが映された。


「なんか……社長落ち込んでる?」


 夏美先輩の眉間に皺が浮かぶ。


『第一巡選択希望作品。サンライズ出版、B&Y文庫。【この素晴らしいタピオカ店に祝福を!】作者、木戸下 優樹葉』


 無名出版社の指名発表ではあったが、芸能人の作品による競合とあり、会場は想像以上の盛りあがりを見せている。


「なーっ、そっちかぁぁぁ! 中途半端に単独狙うから抽選になるんスよぉぉぉ」


 山本が頭を抱えて仰け反った。

 テレビのなかでは社長と編集長が天を仰いでいた。川井さんはPCを見つめたまま微動だにしない。


「まだ五割の確率ですよ、落ち込むには早すぎません?」

「福山はあの3人の運のなさを知らないのか? 社長は三日に一回はうんこ踏む人だし、編集長が車の運転をすると必ず違反切符をきられるんだ。そして川井女史はよくブラのホックが外れる。あの3人でとある大先生の出版記念パーティーに呼ばれたときなんて、その三つがいっぺんに起こったんだぞ」


 三好さんは熱弁を終えると、苦笑を浮かべてがっくりと肩を落とした。

 僕は画面に出揃った一位指名をもう一度見まわした。……深いため息がでた。


『交渉権確得は、アズキメディアワークス、雷電文庫、【明日のむこうで君が泣いている】作者、七生 七海。センターブレイク、ハミツ―文庫、【アイドル転生】作者、山田ラヂオ商会。みやこアニメ、MAエクス文庫、【テキ屋 トム=ライアンがいく】作者、ビショップ。奥様の友人インフォス、エイユウ文庫、【やはり俺の闇営業は間違っていた】作者、宮蛸 博行。お宝社、うちのライトノベルが一番文庫、【ダークスノウ】作者、カズヤ。以上です』


 交渉権を獲得したレーベルのテーブルでは、花見席のように浮かれていた。それに比べて競合となったテーブルは空気が重い。とくにうちの席は通夜かと見紛うほどだった。


「があああ! 宮蛸まさかの一本釣りっスか⁉」

「まあ、どっち選んでてもくじ引きだったんだけどな。でもさっきの岡田の解説聞くと、同じ五割の確率なら宮蛸のほうがマシだったのにな」

「うーん、雷電の【明日のむこうで――】とハミツ―の【アイドル転生】が競合にならなかったのにびっくりだよね」


 夏美先輩がペラペラとファイルをめくる。


「一本釣りは五つか」


 三好さんが神妙な面持ちで顎を撫でた。


『これより抽選に移らせていただきます。【その悪魔の賛美歌は天使を虜にした】作者、山森 五犯を指名されました、丸川書店、丸川スピーカー文庫。ハードパンククリエイティブ、ZA文庫。秀明社、ダッシュヘッグス文庫。オーバーホール、オーバーホール文庫。以上の代表者はステージにお進みください』


 名を呼ばれた四つのテーブルから、代表者が1名ずつステージに上がっていく。

 紹介された順番で一列に並んだ。真剣な面持ちの男性、天井を見あげるガタイのいい中年、微笑みを浮かべた細身の女性、気合い溢れる初老の方、表情こそ違うが誰もが緊張を隠せていない。

 暗いステージの左袖からスーツ姿の女性がふたり現れた。後ろの女性は白い封筒と金色のハサミが乗った、黒くて四角い盆を持っている。

 ふたりは代表者の傍までくると列に加わるように左端で立ちどまった。前の女性が盆から封筒を手に取ってステージの中央へ進む。

 中央には腰の高さほどの台があり、その台の上にはNLNのロゴが貼りつけられた大きな箱が置かれている。箱の上部には簡単に手が入るほどの丸い穴が開いていた。その箱のなかに四通の封筒を入れてかき混ぜると、女性は相方のもとへ戻っていった。


『丸川スピーカー文庫様より順に、中央の箱のなかから封筒を一通お取りください』


 左端の男性が箱の前まで進みでた。気合いをこめるように息を吐きだすと右手を差しこんで一通の封筒を取りだした。それを持ってふたりの女性のもとへ行き、お辞儀をして差しだした。

 お辞儀を返して受け取った女性が封筒にハサミを入れる。盆の上で封筒の上部を切り落として男性に返した。


『なかは改めずにそのままお待ちください』


 他の3人も同じ段取りで進行していった。


『それでは皆様、封筒の中をご確認ください』


 会場中の視線が集まるなか、封筒から4人が一斉に二つ折りの白い紙を取り出した。銘々が真剣な面持ちで紙を開ける。


『――ぅおっしっ!』


 こぶしを突き上げたのは左端から二番目、ガタイのいい中年男性。それを見て後ろのZA文庫の席でも、全員がこぶしを突き上げながら立ちあがる。

 大歓声を受けてステージ上の代表者が、はちきれんばかりの笑顔で振り返る。仲間にむけてもう一度ガッツポーズを作った。

 交渉権をはずした隣の男性は恨めしそうに横目をむけている。苦笑いを浮かべる女性、浮かない顔でハズレ券に目を落とす初老の男性、ステージの上では悲喜こもごもの寸劇が演じられていた。


『ステージ上の皆様はお席にお戻りください』


「これだけ競合がかさなるとハズレ1位も注目っスね」

「野球でもハズレ1位のほうが活躍することも多いもんね」


 夏美先輩の言葉を拱いて頷いていた三好さんが不意に振りむいた。


「うちがリストアップしたの15だったよな。ちょっと少なくないか?」

「15もあれば十分スよ」


 山本がいつものようにいい加減に答えた。


「リストアップしたうち、まだ半分くらいは残って、ます……ね」


 夏美先輩がファイルを捲って三好さんに答えた。どこからか取り出したペンで、交渉権が確定された作品に線を引いていく。


『続きまして【コンチクショー、あたしの前にひれ伏しやがれ】作者、ポンコツ軍曹の抽選を行います。国見書房、国見ファンタスティック文庫。鉱山社、鉱山社ラノベ文庫。以上の代表者はステージにお進みください』


 先ほどと同じ手順を経て、【コンチクショー、あたしの前にひれ伏しやがれ】は国見ファンタスティック文庫が交渉権を引き当てた。

 抽選はとどこおりなく進み、残すはひとつとなった。


『それでは【この素晴らしいタピオカ店に祝福を!】作者、木戸下 優樹葉の抽選を始めさせていただきます。星空社、星空社文庫。サンライズ出版、B&Y文庫。代表者はステージにお上がりください』


「……なんか、また揉めてます?」


 夏美先輩が目を細めてつぶやいた。

 局側も今では面白がっているのか、うちのテーブルをよく映してくれる。


「揉めてるというか……、3人で譲り合ってるんじゃないの?」


 三好さんが呆れているのは口ぶりからあきらかだ。


「なんか恥ずかしいっスね」

「山本さんを連れて行けばよかったのに」

「だよな。オレ、もってるもんな。ズバッと交渉権引き当ててやるのに」

「はずしたら責任取らせてクビにしても、大して影響ないし」


 夏美先輩、また本音が零れていますよ。僕も同じ意見ですけど

「ウエェェェイ、夏美ちゃんも言うねぇ」


 夏美先輩にむけて左右の人差し指を二丁拳銃のように突き出した。


『B&Y文庫様、お早めにお願いいたします』


 3人がじゃんけんを始めた。真剣な表情が全国に中継されている。結果、拍手の雨の中、敗残兵のような重い足取りでステージに上がったのは社長だった。

 箱に恐る恐る手を入れ、福が残っているかもしれない封筒を取り出した。大事そうに両手に持って顔の前に持ちあげると、念をこめるように頭をさげた。

眉尻のさがった不安そうな顔で女性のもとに行き開封してもらう。


『それでは封筒の中をお改めください』


 ワナワナと震える手で中から紙を取り出した。

 社長が折られた紙を開けるより先に、隣の男性の両手が天を突く。

 横からの雄叫びもよそに、社長の首がしおれていく。それでも念のためか、抽選券を開けて中を覗きこむ。浅いため息をもらした。

 帰路はさらに足取りが重かった。悲哀を背負って席へと戻っていく。

各レーベルの明暗がくっきりとわかれている。交渉権を獲得したテーブルには花が咲き、落選したテーブルは即席の会議場と化している。


『これより、交渉権未獲得のレーベルによる、二回目の入札を行います。指名がお決まり次第お手元のパソコンより入力をお願いたします』


 当然はずれた時のことは各レーベル考えているはずだ。すでにキーボードを打ちこんでいる。

 そんななか、サンライズ出版の3人がまた揉めていた。編集長と川井でぐずる社長を説得してる。ふたりの間で社長が腕を組んで渋い顔を作った。


『B&Y文庫様、お早めに入力をお願いいたします』


 観覧席や他のテーブルから失笑が漏れる。川井が社長にひと言かけてから、タイピングを始めた。編集長はコクリコクリと高速で首を振るが、社長は納得した様子ではなかった。


「なんか、いい宣伝に、――なってる?」

「いいかわるいかは別にして、3人の顔は覚えてもらえたな」


 夏美先輩と三好さんの口調は棒読みだった。


「あーあ、あんなに目立つならオレも行けばよかったっス。これ見たモデル事務所にスカウトされるかもしれないのに」


 山本はさらに空気を重くした。誰からもなんのツッコミもない。


『ただいまより、二回目の第一巡選択希望作品の発表を行います。――第一巡選択希望作品。丸川書店、丸川スピーカー文庫。【ボクの背後霊は迷探偵】作者、ハバナのバナナ』


 ハズレ1位の指名発表が始まった。観覧席と指名が確定しているテーブルは競合を期待する気配であふれていた。2回目の入札に参加したレーベルの人たちは険しい表情でモニターを見つめている。


「夏美、これもうちのリストにあったよな」

「ありますよ。あたしが推したヤツだもん。もうちょっとミステリーに厚みが欲しいけど、主人公と背後霊の掛け合いがプロレベルだったんです。それに作者は十代だったはず。――将来有望だし狙い目だったんだけどなぁ」

「もう可能性がないみたいに言ってるけど、その背後霊ってのも、まだわからないぞ。芸能人のは全部決まったんだろ?」


 まだ他にもいた覚えがある。夏美先輩も記憶にあるのか、全ドラフト候補が記載されたページに目を這わせている。


「芸能人は全部決まっちゃいましたけど、元政治家ならまだ残ってるはずですよ。他と比べたら知名度は低いでしょうけど」


『第一巡選択希望作品。四五六書房、ブレイク文庫。【Re;育休から始める不倫生活】作者、宮垣 蓮介』


 そう、それだ! その知名度に見合った小さなどよめきがおこる。どよめきの多くははレーベルのテーブルから。若者が多い観覧席の反応はいまひとつだった。


 「あっ、これですよ、これ! 言ってるそばから出ましたね」

「……福山、宮垣って確かに元議員さんだけど、今はタレントだぞ」

「えっ、そうなんですか?」

「まあ、タレントといっても出てるのは討論番組が多いから、お前の言うとおり他の3人と比べれば知名度で負けているだろうけど」


『B&Y文庫、【Re;育休から始める不倫生活】宮垣 蓮介』


 社長と編集長が魂を抜かれたようにテーブルに突っ伏している。川井だけは早くも外した場合を考えてか、ファイルとにらめっこをしていた。それを見た周りのテーブルや観覧者が手を叩いてよろこんでいた。


「だあああああっ! だから名前に頼りすぎっス。ホントにもう、誰が決めたんスかぁ?」


 山本が額を鷲掴むと天井へむけて嘆き節をぶちまけた。


「……協賛金の他にも賞金一〇〇〇万だからな。元は取ってもらわないとうちみたいな弱小出版社じゃ来年は参加できないかもしれんしな」

「えぇー、うちってそんなに危ないんですか?」

「福山、じゃあ逆に聞くが、今うちで売れてる本てなんだ?」

「……」

「な。――まあ、急に倒産ってことはないだろうが、余裕があるわけでもないからな」

「あーあ、うちもMARUKAWAが吸収合併してくれないっスかねぇ」


 山本が背もたれにおもいっきり背中を預けた。


「MARUKAWAグループ、リストラ第一巡選択希望社員、山本 直人、B&Y文庫」


 夏美先輩がテレビ中継を口真似した。


「ブハハハハハハハハハハハ」


 腹を抱えて大笑したのは皮肉られた本人だった。それを僕たちは冷めた瞳で見つめる。


 抽選は順調に進み、サンライズ出版の番が回ってきた。今回は編集長がステージに上がっている。

 箱から封筒を取り出して、大きな息を吐く。女性からハサミが入れられた封筒を受け取ると、ゴクリと喉が動いた。


『それでは中をご確認ください』


 編集長が震えた指で封筒から紙を引き抜く。ワナワナと紙を開けた。「はっ!」と口が開かれたかとおもうとすぐさま横を見た。

 隣の男性は臍の前で渾身のガッツポーズを取っていた。


「あぁ……」


 テレビの中の編集長と、テレビの前の4人で落胆が共鳴する。


「どーすんだ次。決まってないのはあと何社だ?」


 夏美先輩が資料を見ながら指を折る。


「うち入れて……、あと4社です」


『大学館、ゲゲゲ文庫。オーバーホール、オーバーホール文庫。ボビージパング、BZ文庫。サンライズ出版、B&Y文庫はもう一度入札をお願いします』


 笑いが混じった拍手が起きている。


 残った4社の面々にまわりを気にする余裕はない。各々表情や態度こそ違うが、次こそは、という顔で司会者の言葉を待っている。


「ゲゲゲも残っているのか。――あれ⁉ 川井女史」

「もう打ちこんでるっスね」


 川井さんは飛び切りの美人なだけに、なにかあるたびにカメラに抜かれている。


「みんなうちが揉めてないからってがっかりしてない? ほんと失礼ねぇ」


『第一巡選択希望作品。大学館、ゲゲゲ文庫。【絶体絶命少女】作者、鴉羽 黒郎』


 ゲゲゲ文庫のテーブルで、発表を聞いたロマンスグレーの男性が目を閉じて深く頷いた。他の三つのテーブルで安堵の息が漏れる。


『第一巡選択希望作品、ボビージパング、BZ文庫。【偏差値三〇からのハーバードお受験】杉丸』


 さすがにここまでくると、競合にでもならないと歓声が小さい。


「杉丸? なんか聞いたことがある気がするな」

「去年、山本さんが小説投稿サイトからスカウトしようとした人でしょ」

「そんなことあったっけ?」


 山本が顎をつまんで首を傾げた。


「ほら、無名出版社って鼻で笑われて追いかえされたって言ってたじゃないですか」

「……あっ、アイツか! あのヤロー」


 山本が紙コップを握り潰した。飲み干していたのかコーヒーは零れない。


『第一巡選択希望作品、オーバーホール、オーバーホール文庫。【青春クライシス】作者、ゴケゴロシ』


 残念そうにまばらな拍手が鳴る。だが次はうちの番、司会者の発表を待ちわびる人々の頭の中では、ドラムロールが響いていることだろう。


『第一巡選択希望作品。サンライズ出版、B&Y文庫。【偏差値三〇からのハーバードお受験】作者、杉丸』


 期待を裏切らないサンライズ出版に、大きな歓声が飛んだ。


「あっ?」

「あっ⁉」

「あっ!」


 三好さんと山本と夏美先輩の三重奏。そして画面には頭を抱えてテーブルにうずくまる3人が映しだされた。


「山本。当然そのことは編集長と川井女史は知ってるよな?」

「え⁉ い、いやー、どうだったっスかねぇ……」

「報告なんてしてないでしょ! あたしがちゃんと報告するよう言ったのに、個人的にコンタクト取ったんだから必要ないって突っぱねたじゃない」

「あー、えー、……そうだっけ?」

「いまさら契約拒否なんかされたら、ただじゃすまないぞ」

「夏美、電話! 編集長に電話だ」

「もう遅いよ、川井さんステージに上がってるし」

「山本……、祈れ。川井女史がはずしてくれることを神に祈れ。そのクビがつながるように、神に仏に祈っておけ」


 山本が頭を垂れ、目を閉じて手をすり合わせ始めた。


「ば、ばあちゃん助けて」


 山本のばあちゃんはピンピンしているはずだ。一昨日もクリスマスプレゼントにゲーム機買ってもらうって言っていたし、お年玉ももらえるってよろこんでいた。


「ばあちゃぁぁん、お願いだよぉぉぉ」


 べそをかき、上目遣いで画面を見上げる山本。頬を伝い顎先から落ちた水滴は汗か涙か。

 そんな山本の丸くなった背中にむけて夏美先輩はほくそ笑む。今までの罰が当たったようで僕もなんだかいい気分。


『それでは、中を確認してください』


 司会者の言葉で川井が俯くと、白く細い人差し指と中指を封筒の中に差しこんだ。引き抜かれた指の間には、長方形の紙が挟まっていた。

 そっと折られた紙を開く。一瞬、会場が水を打ったように静まりかえった。音が聞こえそうなほど川井の肩ががっくりと落ちた。


 生き仏である山本のばあちゃんは、孫の願いを叶えてしまった。なんと霊験あらたかなばあちゃんだろう。それなら僕もと、山本のばあちゃんに心の中で手を合わせておく。


「ふうぅーーーーー」


 山本の口から長い息が漏れる、だらしなく緩みきった顔を手で拭った。意気消沈の様子でテーブルに帰る川井さんの背に破顔一笑、会社の利益より己の保身だ。


「あぁ、首の皮つながっちゃったかぁ」

「ああ、助かった……って夏美、それじゃあなんだか残念そうに聞こえるぞ、ハハハハハ」

「……」

「沈黙で返すなよぉ。ホント、夏美ちゃん冗談が好きだよなぁ」

「だからなれなれしく下の名前で呼ばないで!ちゃんづけもしないでください!」

「なんだぁ、夏美ちゃんて呼んでいいのはベッドの上だけか?」

「なっ⁉ そ、それ完全にセクハラ! 訴えますよ、次言ったらホントに訴えますから!」

「お前らそーゆー関係だったの?」


 振り返った三好さんの瞳がふたりの間を往復する。


「……み、よ、し、さん! 冗談にも言っていい冗談と、言ったら地獄への直行便があるのをご存知でしょうか?」


 般若へと変貌した夏美先輩が、拳をポキポキト鳴らして三好さんを威圧する。

 錆びついた首を軋ませながら、三好さんの顔がテレビへと帰っていく。


「田中もまさかそんなことおもってないよねぇ?」


 夏海先輩が鋭い眼差しを向けてきた。とんだとばっちりだ、僕は先輩から目を逸らさずに素早く首を振る。先輩は納得したようなので、まだ震えている三好さんの背中を恨みがましく睨んでやった。


「ま、まぁでも、これでクジなしで好きなの選べるし――っておいっ、またあっちも揉めてるぞ⁉」

「ホントだ。今回は一段と派手っスね」


 さっきまで落ち着いていた会場の盛りあがりが半端ではない。

 編集長と川井がお互いに腰を浮かしている。編集長の人差し指が川井の鼻先を捉えて、なにやらまくし立てている。それに負けじと川井も目を吊り上げ、テーブルをバンバン叩きながら応戦していた。

 そのふたりの間で社長は椅子に腰かけたまま、眉をハの字にして首を右往左往させていた。中途半端に胸の前まで両手を上げて、手のひらをヒラヒラさせている姿が笑いを誘う。


「なにやってんスか、あのふたり」

「あっ⁉ リ、リストに上げた作品が、……ひとつも残ってない」

「はあ? もうない⁉ なんでお前らもっとアップしなかったんだ」

「スよねぇ、オレもあれだけじゃ少ないと思ってたんス」


 さすが山本、さっきと言ってることが違う。


「馬鹿! 思うだけじゃダメだろっ!」

「そんなこと言われても三好さん。編集長が――って、あれ? 社長がパソコンに手を伸ばしてるっスよ?」


 社長は言い争うふたりを上目遣いで気にしながらも、川井の前にあったPCを自分のもとへと引き寄せた。

 目をPCとふたりの間を往復させながら、ひと文字ひと文字探すように人差し指一本でキーを叩き始めた。


「だ、大丈夫なのか?」


 三好さんの口だけがわずかに動いた。体は彫像のように固まっている。


「社長……あたしたちがリストアップした以外にも、気になる作品があるって言ってたんじゃない?」


 そうだ、作品名は聞いていないが確かに言ってた。


『大変ながらくお待たせいたしました。――第一巡選択希望作品。サンライズ出版、B&Y文庫』


 編集長と川井が、目が飛び出さんばかりの驚いた顔を司会者にむけた。


『【運命のドラフト 人生をかえたホワイトクリスマス】神田川 ネオン。――以上で全レーベルの第一巡選択希望作品が決定いたしました』


 咄嗟にふたりが社長のほうに振り返り、三角になった眼で睨みつけた。社長は逃れるように斜め下に目を逸らすが、沈黙もつかの間、両サイドから雷が落ちた。

 それは会場をこの日一番の爆笑に包んだ。


 僕は戸惑いながらも大きな長い息を吐く。それでも胸奥に溜まっていた不安と息苦しさから一挙に解放された。膝の上の握りこぶしが緩み、強張っていた背筋からどっと力が抜けた。


「お、おい! 運命のドラフトなんちゃらって、なんなんだ?」

「ちょ、ちょっと待ってください。そんなの覚えがないんスけど」


 山本が慌ててファイルを捲り始めた。隣で夏美先輩も同じようにファイルに神経を集中させている。


「すいません、ちょっと失礼します」


 僕はひと声かけて席を離れた。だがトイレにでも行くと思われたのか、誰も気にかけていない。

 会議室を出た僕は自分の机まで戻る。引き出しから取りだした白い封筒を持って、再び会議室へと帰ってきた。


「あった! 実、おまえの受け持ちだったやつじゃねーか。」


 会議室に入るなり山本から声が飛んできた。――そうだ、その通り。あれは僕が受け持ちだった。だが、リストからは外している。


「えー、【運命のドラフト 人生をかえたホワイトクリスマス】か、なんだぁ、野球小説か? 神田川 ネオン。――本名は、っと」


 山本はファイルに這わせていた指を横にずらしていく。


「たなか みのるぅ? プハハハハハハ、実、お前と同姓同名だってよ。まぁ、どこにでもいる名前だからな。日本で一番多い名前だっけ? ククククク!」

「ホントか? 同じ名前がふたりいるとややこしくなりそうだな。ハハハハ」


 大きく口を開けて笑う三好さんの顔の前に、持ってきた封筒を突き出した。


「なんだ、実。辞表でも持ってきたのか?」


 山本の誰でも思いつくような冗談に、弧を描く三好さんの目が封筒に落ちる。しかし、封筒に書かれた文字が副編集長の表情を一変させた。


「なっ⁉ ど、どうした、急に? なにがあったんだ? ――山本か、山本だな?」


 三好さんの伸ばした手が、封筒まで届かずに空を泳いでいる。


「なんスか? オレがどうかしたっ――」


 山本が固まる。封筒に書かれた【退職願】の三文字に釘づけだ。


「本来なら編集長か川井さんに渡すべきですが、あちらに行かれていますので」

「ちょ、ちょっと田中! と、とにかく落ち着いて! コイツだったらあたしがあとでちゃんとシメとくから」


 慌てているのは夏美先輩のほうだ。立ちあがるなり、手にしていたファイルで山本の頭をおもいっきり引っ叩いた。

 山本が悲鳴をあげてそのまま頭を抱えテーブルに突っ伏した。だが誰も彼のことなど気にしていない。

 三好さんの手が伸びてくる様子がないので、退職願をテーブルに置いた。


「短い間でしたが、三好さんと夏美先輩にはお世話になりました」


 山本が頭を抱えたまま起きあがると、目の端に涙を浮かべて振りむいた。


「ちょ、待てよ、実!」


 僕は右手で山本を制する。


「あっ、そうそう。僕の担当は川井さんか夏美先輩でお願いします。山本さんだけは遠慮させてもらいますから」

「え?」


 3人の目が点になる。「え?」のまま開いた口が塞がらない。

 僕が【運命のドラフト 人生をかえたホワイトクリスマス】の作者だと、まだ理解できないのだろうか。


「僕が担当していた作家さんは山本さんにお願いします」


 呆けていた山本の顔に正気が戻る。


「な、なんでオレが――って、実がたなかみのる⁉」


 間抜けな台詞に軽く失笑を漏らしてしまう。


「仕事中のソシャゲや動画の閲覧止めて真面目に働けば、普通にこなせるはずですから」

「だ、だからって、オレが実の分まで――」

「……お母さん、元気になってよかったですね」


 山本の眉がピクリと跳ねた。一瞬の早業で夏美先輩の様子を探ると、瞬息で瞳を戻す。そして僕を見つめたまま凍りついた。


「あっ、それと山本さん。今度から僕を呼ぶときは『先生』を付けてください。編集者として常識ですよ」

 常識というわけではないが、最後に今までの恨みを晴らすべく、皮肉を利かせた冗談を言ってやる。


「それでは、僕はこのあと忙しくなりそうなので」


 踵を返した僕の背中にかかる言葉はない。窓から漏れた灯りのなかに、白いものがチラついていた。


「夜には雪にかわるでしょう」か……。冷えそうだ、クリスマスだけれど今夜の祝い酒は日本酒にしておこう。


 お読みになってくださり、ありがとうございました。

 推敲も1度しか行っていないので、粗も多かったことでしょう。本当にありがとうございました。

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