74.変身後≒変身前
茶屋で大分長い時間寛いだ。
その間、離れた所にポイした男達が起きてくるか見てたけど、全然その気配が無かった。
俺はジャンヌをちらっと見た。
擬態で姿を変えてても、上品に茶を啜っているジャンヌ。
前にその気品でバレるみたいな話があったけど、結局そこは変わらない――たぶん変えられないようだ。
隠しきれない気品を漂わせながら、俺と視線が合って、ちょこんと小首を傾げてきた。
「どうかなさいましたか?シリル様」
「いや、なんでもない」
「そうですか……? ――はっ、も、もしかして!」
ジャンヌはいきなり慌てだした。
「か、顔に食べかけの何かがついてますか!? やだ、私ったらシリル様の前でそんなありきたりな失敗を」
ジャンヌは慌てて、ハンカチを取り出して顔を拭こうとした。
「ああ、それは全然大丈夫だ。顔は綺麗なまんまだ」
「――え?」
「え?」
驚き、固まって、こっちを見る。
「い、今なんと……?」
「え? 顔が綺麗?」
「――ッッッ!!」
ジャンヌの顔が一瞬で真っ赤になった。
嬉しさと恥ずかしさが半分ずつ入り交じったような顔であわあわしだした。
「……あ」
遅れて、俺は自分のミスに気づいた。
言葉を間違えた――ってほどじゃないが、勘違いさせてしまった。
「綺麗って、私の事をシリル様が綺麗って……」
誤解を解こうとも思ったが、ぶつぶつ呟くジャンヌが嬉しそうだったから――まあいいやと思った。
綺麗なのは別に間違ってないし、実際にそう思ってるし。
何よりジャンヌの表情からは嬉しさの割合が徐々に増えてきたし。
だったら……まあいいやって思った。
『くははははは、女たらしだな心友は』
「いやいや……」
クリスのからかいに返す言葉がなく、苦笑いするしかなかった。
さて、と。
もう一度連中を見た。
やっぱり起きる気配は無い。
ジャンヌがよっぽど痛撃を加えたんだなあ、と改めて思った。
起きるのを待ってヘイトをちゃんと集めて、店に迷惑かけないようにって思ったが、さすがにこれ以上は待てなかった。
俺は立ち上がり、店をやってる老人と看板娘の所に向かった。
「ごちそうさま、おあいそを」
「はい。三十リールです」
「じゃあこれで」
小銭を出して、代金を支払った後。
「あいつらは――」
「あっ、大丈夫ですよ」
察していたのか、看板娘が半分遮る位の勢いで言ってきた。
「ああいう連中のあしらい方は心得てますから」
「そうなのか?」
「はい。それにおじいちゃん強いんですよ」
そうなのか? って感じの顔で老人を見た。
老人は平然と、軽く微笑んだ。
なるほどって思った。
これ位まったく動じてない――怖気づいてもなければ興奮もしてない。
まったくの平常心ならばさもありなん、って思った。
「そうか、分かった。一応これを渡しとく」
俺は懐から一枚のカードを取り出した。
トランプくらいのサイズで、鉄を薄く延ばした物。
その上にマークが描かれている。
ギルドカードを参考にして、自前で作らせた物だ。
ギルドカードと違って、実用性はまったく無いが――。
「これは……ドラゴン・ファースト、って、あの!?」
看板娘は俺が渡したカードを見て、驚いた。
「ああ、ぐだぐだ言うようならうちにこいって言ってやれ」
「分かりました」
看板娘にニコリと微笑んで、身を翻す。
とりあえずは……大丈夫かな。
☆
茶屋を出発して、更に半日くらいの道程を経て。
俺達は、とある湖の前に来ていた。
夕焼けを反射した湖面は幻想的に美しく、ただの旅行でもここまでくる価値があると思うほどのものだった。
「綺麗……」
それはジャンヌも同じことを思ったらしく、湖を見て感動していた。
一方、俺はクリスの方を向いて、訊いた。
「ここが目的地なのか?」
『うむ、ここがインデュラインだ』
「インデュライン――たしかもう一つの地名もあったよな」
『サンダーマウンテンだ』
「それはどこだ?」
『うむ』
クリスは頷いたが、答えなかった。
その代わり数歩前に進み出て、湖面とまっすぐ向き合った。
何をするんだ――と思ったそのときだった。
「ーーっ!」
クリスは一度天を仰いで、口を大きく開け放った。
そして湖面に向かって、炎を吐いた。
それは今までにない、灼熱の炎だった。
クリスが天を仰いだ瞬間に「まずい」が頭のなかによぎって、咄嗟にジャンヌの前に出て彼女を庇った。
「きゃあああ!」
「……おいおい」
俺は驚き半分、呆れ半分で言った。
クリスが吐いた炎は、瞬く間に湖の水を完全に蒸発させてしまった。
水が消えた後、そこに残るのは巨大な穴だった。
『これでよし』
「そういうことをする時は先に言え。危ないだろ」
『くははははは、心友は我との契約で炎は効かぬであろ?』
「ジャンヌもいるじゃないか」
『それこそ心配しておらん。心友がかるーく守ってやれると踏んだのよ』
「まったく……」
俺はますます呆れてしまった。
信頼されてるのは悪い気はしないけど、このやり方はどうなんだと思った。
「あ、あの……」
「ん?」
「ありがとうございます……シリル様……」
ジャンヌは頬を赤らめて、嬉しそうに俺にお礼を言ってきた。
『くははははは、どうだ、我の目論見通りであろう? 我を恋のキューピットと呼んでもよいのだぞ』
「おいおい」
『どうせならもっと好かれておけ。その辺の男に心奪われるよりも、心友ほどの男に心酔していた方がその娘にとっても幸せだ』
俺はちょっと呆れた。
クリスの口調から、本気でそう思っていて、それが彼女なりの優しさであるというのは何となく分かるのだが、だからといってやっぱりこのやり方はどうかと思う。
が、言ってもしょうがないから、スルーする事にした。
「で、降りればいいのか?」
『うむ、あそこに洞窟が見えるだろう?』
クリスが顎をしゃくった。
俺は穴の縁――本来は畔だったところに近づいて、穴のそこをみた。
「洞窟?」
「あれじゃないですか?シリル様」
一緒についてきたジャンヌが指を差した。
ジャンヌの指差す先を見た。
そこに、彼女が言うとおり、洞窟らしき穴があった。
穴から水がちょろちょろと出てきている。
「そうなのか?」
とクリスに聞いた。
『うむ、あれがサンダーマウンテンだ』
「そうか。よし、行こうか」
「はい!」
頷くジャンヌを連れて、穴を降りた。
元々が湖だったから、断崖絶壁ではなく、緩やかな坂になっていた。
クリスが一瞬で水を蒸発させたから、坂もぬかるんではおらず完全に乾いてて、そこそこ降りやすかった。
底に着いて、洞窟に向かう――が。
「何かが出てきます!」
ジャンヌが叫んだ。
洞窟――サンダーマウンテンから何かがウヨウヨ出てきた。
「なんだあれは?」
俺はそう言い、目を凝らす。
「ドラゴン……の、紙細工?」
ジャンヌが見た物の印象をそのまま口にした。
俺もそんな感想を持った。
厚紙を切ったり折ったりして、立体的に造形する工芸品がある。
ペーパークラフトともいうそれで、ドラゴンを作ったかのような見た目だった。
その紙のドラゴンは、一体一体が人間と同じサイズをしている。
「なんだあれは?」
『門番だ、人間の基準で言えば竜具の一種よ』
「竜具の一種?」
「モンスターじゃないんですか?」
ジャンヌが聞いてきた。
クリスの言葉は分からないが、俺の応答から連想して会話に参加している。
最近、ジャンヌはこういうのに慣れてきたみたいだ。
『うむ、モンスターではない。ドラゴンでもないな』
「ドラゴンでもないのか」
「だったら倒します!」
ジャンヌはそう言って、勇んで飛び出した。
途中で「変身」と叫んで、戦女神の姿になった。
彼女が変身した戦女神の姿は、夕焼けを浴びて黄金色に輝き、まるで後光を放っているかのような神々しさをもった。
ジャンヌは善戦した。
一対一であれば間違いなく優位に立っていたが、紙のドラゴンの数は生憎と多かった。
一人で真っ先に飛び出してしまったのも良くなかった、それで彼女はあっという間に包囲されて、劣勢に陥った。
「……ふむ」
俺は頷き、数歩進んだ。
進みながら、両手を突き出す。
そして――炎弾を放つ。
九指炎弾。
九本の指から放った炎の弾は、紙のドラゴンに次々と当って炎上させる。
出てきた紙のドラゴンを一掃して、ジャンヌを助けた。
「大丈夫か?」
「はい!」
ジャンヌは頷き、夕焼けのせいか、いつもより更にきらきらした瞳で俺を見つめた。
「さすがシリル様です、変身しなくても私より全然強かったです」
「ジャンヌも強いさ。ただ、あまり一人で突っ込まないように」
「は、はい!」
聞き分けが良いジャンヌにニコリと微笑みかけて、改めて、洞窟の入り口を向いた。
障害が……これだけの訳ないよなあ、と俺はおもったのだった。




