71.幼い声
「シリル様!」
声に振り向く。
パーソロンの入口で、姫様が馬車から降りて、こっちに向かってきた。
「よう」
俺はにこりと、笑顔で彼女を出迎えた。
姫様が来ると、自然と嬉しくなる。
彼女はいつもニコニコして、飾り気のないピュアな好意を向けてくるから、向き合っているだけで自然と気分が晴れやかになる。
そんな姫様が俺の前に立って、まっすぐ見つめてきながら。
「お願いします」
「ああ」
俺は頷き、彼女に手をかざした。
手の平から放たれた光が姫様を包み込む。
光はまるで彼女の体に薄い膜を張るかのようにして、見た目の姿を変えていく。
数秒と待たずして、見た目が完全に変わった。
それまでの正統な王女の姿ではなく、誰が見ても同一人物だとは連想できない、別人の姿に変わった。
ジャンヌ。
ユーイと契約した擬態のスキルで変えた彼女の世を忍ぶ仮の姿である。
自分の姿がジャンヌになったのを確認して、彼女は再びニコニコと俺の顔をまっすぐ見上げて。
「ありがとうございます、シリル様」
と言ってきた。
「クリス様も、おはようございます」
『うむ、くるしゅうない』
直接言葉は通じないが、二人は俺の耳には通じ合っているやり取りを交わした。
クリスは元々、ジャンヌが「紹介」してくれたものだ。
ジャンヌはもともと「神の子」であるクリスに敬意を払っているし、クリスはクリスで「心友を紹介してくれた」ジャンヌに対して、他のドラゴン相手よりも友好的な態度を見せている。
そんな二人の関係性を微笑ましく思いながら、ジャンヌに話しかけた。
「今回は何日いられるんだ?」
「はい! しばらく大きな催しは無いですし、五日ほどはいられるかと思います」
「そんなにか」
「スケジュールは前から分かっていましたので、今日が来るのを楽しみにしてました」
「そうか」
俺は頷き、微笑んだ。
ジャンヌ――姫様は正体を隠して、ここに来ている。
そして正体を隠したまま、俺のギルド「ドラゴン・ファースト」に入っている。
つまり、彼女は「姫様」と「ジャンヌ」の二重生活をしている。
本人はこっちの方が大事だと言うが、「姫様」としてのしがらみが多く、実際はそっちの方を優先している。
だから普段は、姫様としてやるべき事をやって、空いた時間に来ている、って感じだ。
それが、五日連続いられる、と。
ジャンヌは見るからに、テンション高く満面の笑顔だった。
「そうだ。今日はシリル様に見て欲しい物があったのです」
「俺に見て欲しいもの? なんだそれは」
首をかしげる俺の前にジャンヌは懐から丁寧な手つきで何かを取り出した。
布に包まれているそれを、丁寧に布をほどいていく。
そこから現われたのは――たまごだった。
「たまご? ドラゴンのか?」
「はい! スメイ種のたまごです」
「エマと同じか」
「その通りです。シリル様の温情でギルドに入れていただいたのですから、私も竜騎士として、自分のドラゴンを持った方が良いと思いました」
「なるほど」
「それで、たまごから育ててみようと思って。……あの、いいですか?」
「うん?」
「シリル様のギルドに、新しいドラゴンを加えてもらう形になっちゃいますけど……あっ、もちろんダメでしたらここに来るときの護衛になってもらいます!」
スメイ種だからな、戦闘力は申し分ないだろう。
「もちろん大丈夫だ。ドラゴンなら大歓迎だ」
「ほっ……」
ジャンヌは見るからに安堵した。
前に、新しいメンツのスカウトは慎重にすると言ってたから、ジャンヌはそれを覚えてて不安がってたんだろう。
言葉は足りなかったが、あれはあくまで「人間」の話だ。
うちは「ドラゴン・ファースト」、ドラゴンなら何も問題は無い。
しかもたまご=赤ん坊状態から育てるのならなおさらだ。
「ありがとうございます!」
「お礼を言われるほどの事じゃない。それにしてもたまごか」
「? たまごがどうかしたのですか?」
ジャンヌはちょこん、と小首を傾げた。
「ああ、実はたまごの声が聞こえるのが分かってな」
「たまごの声……ですか?」
ジャンヌは不思議がって、更に首をかしげた。
俺は彼女に、マスタードラゴンの一件を話した。
「それで、ドラゴンは殻を割って出てくる前にはもう耳が聞こえてて、話もできるって事がわかったんだ」
「そうだったんですね!」
ジャンヌは大きく頷いた。
「私、聞いたことがあります。人間も実は胎児がお腹の中にいるときから耳が聞こえてて、だから音楽を聴かせたりなど胎教が大事なんだって」
「それは聞いたことがないな」
今度は俺が首をかしげることになった。
「え? ……あっ、すみません!」
ジャンヌは何かに気づき、パッと頭を下げた。
「え?」
「そ、それはたぶん……王族や貴族の間の話です。前に聞いたことがあります。農民などは妊娠中も労働力なんだって……」
「ああ」
しゅんと消え入りそうな声で話すジャンヌ、逆に大きく頷く俺。
そりゃそうだ、と思った。
胎児に音楽を聴かせた方がいいなんて、いかにも王族とか貴族とかの発想だ。
そりゃ……俺がまるっきり初耳なのもしょうがない。
「すみません……」
「何を謝ることがある? むしろありがとう」
「え?」
「また一つ知識が増えた。ありがとうな」
「ど、どういたしまして……」
俺にそう言われて、ジャンヌは気落ちするのから抜けて、安堵半分嬉しさ半分の、赤面した顔で微笑んだ。
「それはいいけど……この子はもう話せるのかな」
俺はそう言い、話をジャンヌが持っているたまごに戻した。
二人でたまごを同時にみつめる。
「どうなんでしょう」
「話しかけてみるか。おーい、聞こえるか」
……。
「聞こえるんなら返事をしてくれ」
……。
「ダメですか?」
「ああ、返事がない。まだ孵るまで日があるからかな」
俺はそう言いながら、トントン、と指で軽くたまごをつっついた。
『いたっ、やめ』
「むっ?」
「どうしたんですか?」
「いま聞こえた気が――今の声はお前か?」
改めて聞きながらたまごに触れる。
すると。
『こえ、だれ?』
「お、本当にこの子の声かもしれないな」
「本当ですか? なんて言ってるんですか?」
「こっちの声が誰なのか不思議がっているみたいだ」
「なるほど……」
俺は更にたまごに触れて、聞く。
「まだまだたまごの中にいるのか?」
『たぶん』
「そうか」
『おねがい、ある』
「ん? なんだ」
『あつい、いつも』
「暑い?」
『あつい、きらい』
「……あついのが嫌いだって」
俺はたまごから顔を上げて、ジャンヌに言った。
「暑いの……」
『いま、いい』
「今のがいいって」
「……も、もしかして、ずっと肌身離さず持ってるのが良くないのでしょうか?」
「そうなるのかな――また懐に戻す、暑くするのはイヤ?」
『あつい、きらい』
その返事とほぼ同時に、たまごがブルッと震えた。
「ひゃっ」
「嫌いらしい」
「は、はい。わかります……」
たまごの動きがボディランゲージになって、ジャンヌにも伝わった。
「で、では……このまま持っていることにします」
「そうだな、そのほうがいいかもしれない」
頷く俺達。
そして、ジャンヌは俺をじっと見つめてきた。
「どうした」
「ありがとうございますシリル様。やっぱりシリル様はすごいです!」
「そうか」
ジャンヌの褒め言葉に、俺は素直に嬉しくなった。




