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対称花  作者: {出見塩}
プロローグ
1/19

『発端』

 ――即今、世界は燃焼による終焉を迎えようとしている。


 「はぁ……はぁ……はぁ……」


 走る、走る、走る。

 太陽の沈んだ夜空の下、炎の海と化した森の中を、何かから逃げるように駆け走っている。


 熱い。

 肌が、眼が、心臓が、熱い。

 意識までもが途方もない灼熱に侵されている。


 それでも、走る。

 走れと言われたから、走る。

 倒れ落ちる樹木を飛び越えて、蠢く炎に身を投じて、無性に走り続ける。


 走っている理由は、もはや覚えていない。

 何故世界が燃えているのかすら思い出す暇もない。

 意識は、後ろを振り向くなとの命令に従うことに全霊を注いでいる。


 速く、速く、速く。


 思い出したくない。

 走っている理由なんて、きっと惨酷なものに他ならない。

 ただ、速く。

 速く走らなければならない。


 「――くはっ!?」


 ――一定のリズムを保っていた逃走が途切れた。


 足を踏み外し、顔から地面へ転び落ちる。

 頭蓋骨を勢いよく地面に強打したものの、痛みは、ない。

 既に体中が痛覚に支配されていたのもあるが、痛みに気が付いていないのだ。

 体の痛覚より、遥かに『痛い』ものが心を掴んで離してくれない。


 本能では、分かっている。

 思い出せない記憶は、実は鮮明に惨酷な記憶として残されており、想起されることを本能的に拒絶しているだけに過ぎない。


 ――突如現れた黒竜の脅威。

 ――燃え上る建物の数々。

 ――死に物狂いで逃げ惑う人々。


 それら全てが、精神への痛みを伴う惨酷な記憶として、心を掴んで離してくれない。


 ――走らなければ、ならない。

 溢れ出そうになる涙を我慢し、起き上がろうと地面に手を付き、視線を正面へ向ける。


 「――――」


 正面。

 ――そこに、一つの影があった。


 影とは何か、分からない。

 赤き炎に埋め尽くされた視界の中心に、明らかに周囲の物と異なる威容を放つ何かが存在する。


 地面から立ち上がれないまま唖然とすること数秒間。

 意を決し、未知の影に近寄ろうと試みる。

 緩慢とした動きで、再び地に足を付けた。


 近付く影。

 刻一刻と、その姿を判然としたものへ変化してゆく。


 「――花?」


 眼前まで歩み寄ると、それは美しい花だった。

 遠くから花であると気付けなかったのは、その美しい花も周りと同様に燃焼されているからだ。

 だた、周りの世界から隔絶した確たる威容を放っている。


 空間を自由に泳ぐように錯綜した無数の茎。

 それらから生えた安らぎの葉々。

 炎に侵されながらも毅然と開かれた花弁は、見る者を放心させる美容を孕んでいた。


 「――えっ!?」


 そんな花に見惚れていると、――背筋に何かが触れる感覚を味わった。

 慌てて後ろを振り向くも、遅い。

 背後へ巡らせられたのは首だけ。

 体は、もう動かせられない。


 接触の正体を視認できないまま、――前方、花の方へ体がゆっくりと押され始める。

 優しく、決して『強制的』とは言えない謎の力に、抗おうとはしなかった。

 ――美しき花を、再び見てしまったからだ。


 「――――」


 いる。

 花は、そこにいる。

 感情を持っている。


 そんな花に、希望が宿るのが見えた。

 徐々に接近する自分を、燃える花弁が歓迎しているように見えた。


 そして、――胴体に無数の茎が括られてあることに気が付く。

 背中を押す謎の力は、眼前にある花のものだった。

 茎と言う名の腕に抱かれ、引き寄せられていたのだ。


 徐々に減少する花との間隔。

 本来ならば、容易に解けられる束縛に抗った方が良かったであろう。

 しかし、そんな行為は取れなかった。

 何も考えることができない。


 優しくて、暖かい。

 引き寄せる無数の茎は、自分を捕らえているのではなく、進むべき道を教えてくれているように思えた。

 これでいいと、何故かそう思えてしまった。


 「――――」


 ――手の届く位置に、花はいる。


 お互いを見据えているような錯覚を味わう。

 灼熱に燃え上る地獄の中、心は落ち着いてしまっていた。

 苦悶に縛られながら疾走してきた自分に、安寧を与えてくれた気がした。


 この花が、自分を助けてくれる。

 この花が、地獄と化した世界から自分を解放してくれる。


 この花に縋りたいと、何故そう思えてしまうのだろうか。

 無意識の内に、右手が花弁に触れようとしていた。


 「……………………」


 ――指先が花弁に触れた瞬間、意識が、ブレた。


 歪む視界。

 遠くなる森の轟音。

 薄くなる感情。


 意識が途絶える感覚は、不快ではなかった。

 もう、死んでもいいのかもしれない。

 生き延びたところで、全てが終わってしまう世界に残されたものはもうない。

 安寧に包んでくれる花の中に溶け込んで、それで終わってしまえばいい。


 「――――――――――――――――あぁ……」


 ――仰向けの視界に、三つの光が見えた。


 三つの光は世界を支配するかの如く、夜空の果てに威容の輝きを放っている。

 ここからでは眩い白光にしか見えないそれらは――、


 ――『勇』を司る輝き。

 ――『忍』を司る輝き。

 ――『愛』を司る輝き。


 威容を放つそれらは、神と呼ばれる。


 そして、三つの光はやがて、その輝きを夜空一杯に拡張させていた。

 意識の灯が捉えたのはそれが最後。


 燃え焦げる世界から逃れたことに幸福を抱いたまま。


 ――『魂』の最後の一滴が、花に吸い取られた。

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