8.新しい朝
目を覚ますと辺りはすっかり明るくなっている。時計を確認すると、10時を少し過ぎたところだ。思ったより早く目覚めてしまったようだ。
「なんだか色んな夢を見たわ…昨日のことも夢だったのかしら?」
そう呟いてみたものの、感じる魔力は昨日までとは違う。やはり夢ではないようだ。
両腕を見ると昨夜の模様は消えているように見えたが、左手の手首を一周、ブレスレットのように蔦模様が残っている。
「全部は消えなかったのね。でもこの位だったらアクセサリーで隠せそうだわ。それにしても体が軽い。これも魔力のお陰かしら?…そういえばお腹が空いたわね。」
昨夜は出掛ける前に食べたフルーツ以外口にしていないのだ。
簡単に仕度を済ませ食堂に向かうと既にクレアの姿がある。
「お嬢様おはようございます。お疲れではありませんか?」
「ありがとうクレア。大丈夫よ。それよりもう少しゆっくり寝たらよかったのに。」
「ありがとうございます。それではお食事の仕度をして参りますね。…おめでとうございます。」
クレアはにっこり笑って仕度を始める。
「もう知ってるのね…」
運ばれてきた食事を完食し、パンまでおかわりしてしまった。普段は体型を気にして食べ過ぎないように心掛けているのだが、何しろ腹ぺこでついつい食べてしまった。
「苦しいわ…さすがに食べ過ぎね。」
「お嬢様がこんなに召し上がるなんて珍しいですね。」
「そうね。…クレア、この後部屋に来てくれるかしら?」
「かしこまりまし…」
「エレン!こんなところにいたの。探したわ!お父様から聞いたわ。婚約おめでとう!」
オリヴィアは捲し立てるように言い、エレンをぎゅっと抱き締めた。
「お、お母様、ありがとうございます。で、でも、く苦しい…」
「ごめんなさい、エレン。うれしくって、つい。」
そう言って慌ててエレンを離す。
「エレン、おめでとう。ルーカス殿下の婚約者だなんて幸せね。」
長男ウィリアムの妻のクリスティアナは、三ヶ月前に産まれたアイザックを抱きながら、エレンを祝福する。
「クリスお義姉様、ありがとう。でも、まだ正式に決まった訳じゃないわ。」
「エレン、おめでとう。可愛い妹が嫁ぐとなると少し寂しいけれど、ルーカス殿下は素晴らしい方だから安心だよ。」
「ウィルお兄様、ありがとう。でもまだ内定しただけだから…」
「でも、国王陛下がエレンのお返事を待っていてくださっているのでしょ?急な話でエレンも混乱しているからってご配慮で。陛下はこの国の王なのにとっても謙虚でお優しい方よね。エレンがこのお話をお受けすれば正式な婚約者だもの。決まったも同然よ。ルーカス殿下に嫁げるなんて、この国で一番幸せよ。でも、お父様は浮かない顔して…やっぱり末娘が嫁ぐのは寂しいのね。」
オリヴィアは瞳をキラキラさせて息継ぎもせず一気に言う。
「そ、そうかしら…お母様、昨日は遅かったから部屋で休ませてもらってもよろしいでしょうか?」
「まぁ、そうよね!疲れてるわよね、ごめんなさいね。ゆっくり休んでね。」
苦笑いで自室へ向かうエレンに向かって天真爛漫で天然な母オリヴィアは満面の笑みでヒラヒラ手を振っている。
「ふぅ・・・」
南向きにあるエレンの部屋は明るい陽射しが差し込む。テラスで外を眺めながらお茶を飲んだり読書をするのがお気に入りだ。
「お茶をテラスにお持ちいたしましょうか?」
「今日は部屋でいいわ。クレアの分も用意してね。」
「かしこまりました。ありがとうございます。」
さてどうやって説明しようか。何しろ聖杯の誓いを交わしているのだ。誓いの性質上、機密事項は何があっても口外することは不可能であるから、どう話をしようか悩む。
クレアがテーブルに紅茶をセットする。
「クレア、ここに座って。せっかくお茶を入れてもらったから温かいうちに頂くわ。」
アールグレイとクルミ入りのクッキー、どちらもエレンの好きなものである。クレアはエレンの好みを熟知していて、体調や気分などに合わせてお茶や菓子を用意してくれる。
「まずは報告ね。もう知っていると思うけど、ルーカス殿下の婚約者として内定したの。」
「おめでとうございます。奥様も大変お喜びのようですね。朝から屋敷中を走り回って会う人会う人にご報告されておりました。」
ふふふとクレアが笑う。
「お母様らしいわ…」
オリヴィアは娘時代、国内外の王族・貴族からの求婚が後を絶たなかったという伝説を持つが、最終的にレオナルドを選んだのだ。他国の王族からの申し出を断るなど外交問題にも発展しそうだが、求婚していた者達はオリヴィアが幸せになれるのならと涙を飲んであきらめたらしい。それはオリヴィアの天真爛漫で純粋無垢な性格ゆえ、許されたのだろう。
その性格は今も変わらずで、皆に愛されている。
「そして…これが気になってるわよね?」
そう言って左手をヒラヒラさせ例の模様をみせる。
「説明したいのだけど、話せないことも多くて…早い話がこれが婚約者の印みたいな?これがあったから私が婚約者に選ばれたみたい。昨日よりは小さくなったけど、完全には消えなかったわ。これはもう消えないのかしら。」
クレアは目を大きく見開いている。
「…そんなことがあるのですね。それはどのような…いえ、大丈夫です。」
クレアは色々聞きたいことがありそうだが、話せる内容に制約があるため、質問したらエレンを困らせてしまうと思い口をつぐんだ。
「それでは、昨晩はいろんなことがあったのでは、お疲れではございませんか?」
「それがそんなに疲れていないのよね。でも、突然の出来事だったから、頭がついていかなくて。今日はゆっくりしようと思うわ。」
そう言うと、突然エレンの目の前にシャボン玉が現れた。
ため息をつきながらシャボン玉を指でつつくと中から手紙が出てきた。ピンク色のかわいらしい封筒だ。
これは近頃令嬢たちの間で流行っているシャボンレターと呼ばれるものだ。早速手紙を開けてみる。
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エレンへ
今日13時にうちに来てね。
お茶しましょう。ヴィオラも来るわ。
リーナより
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今日はゆっくりは出来なさそうだ。
まったく情報が早い。おそらくハミルトンから婚約の件を聞いたヴィオラがリーナに連絡したのだろう。
エレンは白いシンプルな便箋に「了解」とだけ書いて封をし、シャボンで包む。
「リーナへ」とつぶやくとぽんっと音を立てて消えた。
時計に目をやるともう12時だ。
「クレア、今日の予定は変更よ・・・仕度を手伝ってくれる?」
「お忙しいですね。ドレスはどれになさいますか?」
「任せるわ、なるべく動きやすいものがいいわ。あと、これを隠せるアクセサリーもお願い。」
左手を見せてそう言った。
「かしこまりました。」
今日は気心の知れた友人とのお茶会なので、そこまで飾り立てる必要もなく、堅苦しさもないのでその点は楽だ。しかし、質問責めにあうのは目に見えている。
あれこれ考えていたらいつの間にか仕度が終わっていた。くすんだブルーのエンパイアドレス、髪は軽く巻いて下ろしてある。
「ブレスレットですが、こちらはいかがでしょうか?」
シルバーのワイヤーとクリスタルビーズで作られたバングルを差し出す。
「うわぁ、ステキね!これクレアの新作?これにするわ!」
「気に入って頂けたようでよかったです。」
クレアは非常に手先が器用で、アクセサリーや複雑でなければ服も作れるのだ。




