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3.始まりの夜(3)

「エレン、こんなところで何をしているんだ。ここは軍関係者しか立ち入れないはずなんだが?」

「あ…あの、これは…」

声が震えて話せない。

一瞬で血の気が引くのを感じた。


これはエレンだけの問題ではない。勘のよいハミルトン副宰相だ。エレンとデイヴの関係もよく知っている。デイヴから弓術場のことを聞いたことはわかっているはずだ。もちろんエレンだけでこの場所に来れるはずもないので、過去にデイヴが連れてきたということも明白で、デイヴになんらかの処分が下るのは間違いない。

それにデイヴだけでなく、軍に所属する父、兄二人も処罰は避けられないだろう。


もはやエレンは立っているだけで精一杯である。

「困ったものだ…エレン、国王陛下がお呼びだ。私に着いてきなさい。」

「…こ、国王陛下が…?」

顔色は蒼白を通り越し、灰色である。

「…とりあえずそれはここに置いておきなさい。」

エレンの持つ麻袋を指差した。

返事も出来ず、ただこくりとうなずいてハミルトンの後に続く。

ハミルトンは何も話さない。


どうしよう、国王陛下まで話が伝わっているなんて…デイヴの将来を台無しにしてしまった。私がわがままを言って連れてきてもらったのに…お父様も長年の功績が認められ、軍務大臣に登り詰めたばかりなのに…自分のことしか考えてこなかったからこんなことになってしまった…なんてことをしてしまったんだろう…


しかしこんな時でも軍人の娘というプライドは忘れず、こぼれそうな涙をぐっと目に溜め堪えている。

ふらふらと足取りもおぼつかないエレンを見てハミルトンは足を止める。

「エレン、大丈夫かい?」

「…は、はい。大丈夫です。申し訳ござません…」

振り絞るように返事を返す。

ハミルトンは苦笑いしてエレンを見る。

「エレン、軍の施設に無断で立ち入ることは固く禁じられている。もちろん処罰は避けられない。でも、証拠がなければ罰することはできない。私とエレンは会場で出会った、弓術場には行っていない。それでよいかな?」

「…はい?」

エレンは目を白黒させてハミルトンを見る。

「…国王陛下がお呼びなのは、この件ではないのですか?」

「別件だよ。私もエレンを連れてくるように指示を受けただけで、詳細については知らないんだ。先程のことは他言しないから安心したまえ。では着いてきてくれるかな?」

「あ、ありがとうございます!」

霧が晴れるように絶望感が消えていく。


「本当はよい薬になるからもう少し黙っていようと思ったんだけど、エレンが陛下に会う前に倒れるんじゃないかと思ってね。」

ハミルトンは苦笑している。


「…まぁ、ロナルドおじさまったら。…以後気をつけます。」


しかし一体どういうことなのだろうか。国王陛下直々に呼び出しなんて…

あらゆる可能性を考えるが、まったく心当たりがない。しかもロナルドにも話していないなんて一体どんな話なのだろう。


「さぁ、この部屋で待っていてくれるかな。準備ができたら呼びに来るよ。」

「かしこまりました。」

もういつもの凛とした令嬢に戻っている。


兵士が扉を開けると部屋には先客がいた。


…白百合の君?


“白百合の君”の愛称で呼ばれるのはソフィア・リリー・ラッセル。宰相の父を持つ公爵令嬢だ。祖父は王族出身で、ソフィアは王子のはとこにあたる。その為、今年19歳になる第一王子のルーカス殿下のお后候補と有力視される一人だ。

エレンとソフィアはウォールデン・ローズ女学園の同級生である。

ウォールデン・ローズ女学園は上位貴族の令嬢しか入学を許可されない、花嫁教育専門の学園である。卒業生には国内外の王族や有力貴族の后が多数いる名門中の名門である。四年制の学園で皆13歳で入学し、エレンは最終学年の四年生である。


「ソフィア様…ごきげんよう。」

「…エレノア様、ごきげんよう。」


中庭でよく読書している姿を見るが、話したことは一度もない。


ソフィアはゆるくカールがかかったプラチナブロンドでエメラルド色の瞳を持つ、小柄で大人しく、誰もが守ってあげたいと思うような美少女である。一方軍人一家の令嬢エレンは、凛とした美しさを持ち、憧れるものは多いが、人を寄せ付けない雰囲気がある。

お互いに目立つ二人ではあるがまったく共通点はない。


しばらく続いた沈黙を破り、エレンが話しかける。


「…陛下からお呼びされるなんてなんでしょうね。」

「えぇ、とても落ち着かなくて…」


不安そうにエレンを見つめるその姿は小動物のようにかわいらしい。


「今までお話ししたこともなかったけれど、エレノア様が一緒にいてくださって少し安心しました。」


潤んだ瞳で儚げな微笑みを向けられると、同性であってもなんだかドキドキしてしまう。

この可憐な姫君はもちろん男性からも絶大な人気があるが、王子のお后候補と噂されているのもあり迂闊に近付けない高嶺の花なのである。


「四年間同じクラスになることもなかったですものね。でも自由科目ではよくご一緒でしたね。」


必修科目は基本的にクラスごとに行い、希望者はそれ以外にも授業を選択して受講することができる。

必修科目は礼儀作法やダンス、裁縫など令嬢の教養や花嫁教育であるが、希望者は政治学、歴史学、魔法学などをはじめ幅広い分野を学ぶ機会もある。

エレンは必修科目より自由科目の方に興味があり積極的に受講していたのだ。自由科目は、国政において重要な役割を担う家や他国に嫁ぐことが決まっていたり、父親が高官を務めている令嬢が受講していたりするが、受講しているのはかなり少数である。令嬢にとっては退屈な授業なのであるが、エレン・ヴィオラ・ソフィアは自由科目の常連であった。それにもかかわらず言葉を交わしたことがなかったのは、苦手なわけではないが、お互いにとって異質で遠いところにいるような存在であると感じていたのであろう。


「確かにそうですね。わたしが出席する授業には決まってエレノア様がいらっしゃっていましたものね。私は父の立場上、学んでおかなければならないと義務的に出席していたのですが、エレノア様は生き生きとされていていろんなことにご興味があって素敵だなといつも思っていたのです。」


そんな風に思われていたなんて嬉しくも恥ずかしくもあり、顔に火照りを感じる。

「そんな…お恥ずかしいです。もっと必修科目に力を入れなくてはなりませんのに。」


「恥ずかしがる必要などないと思いますわ。いつも凛々しくて多才なエレノア様は素敵です!これからは貴族の令嬢にだって広い知識が必要とされると思いますもの。それに私もせっかく学ぶのなら楽しみながら勉強しようと思ったのです。そしたら最初は退屈だった歴史に興味が湧き、よく中庭で歴史書を読んでいるんですよ。」

捲し立てるように話し、いたずらっ子のような表情で笑う。いつもと違うソフィアに戸惑いつつも好感を抱く。


「…ありがとうございます。ソフィア様が歴史にご興味をお持ちだなんて思いませんでした。もっと前に知っていたら歴史談義に花を咲かせていたかもしれませんね。」

エレンは微笑む。


「えぇ、本当に。…実は何回かエレノア様に話しかけようとしたことがあったんです。でも、なかなか話しかけられなくて。今日お話しできたこと嬉しく思います。」

「私もです。ソフィア様の意外な一面を拝見して親近感が湧きました。」

「もっと早く話しかければよかったです。でも親しくなるのは今からでも遅くないですよね。エレノア様、私のことソフィーと呼んでくださらない?」

そう言ってはにかんだように笑う。


「よろしいのですか?うれしいです。私のことはエレンとお呼びください。」

思わぬ申し出に驚きながらもエレンもつられて笑顔になる。


「エレン、これからも仲良くしてくださいね。」

「ソフィー、こちらこそよろしくお願いします。」


学園のこと、家族のこと、町で流行っているお店のことなど他愛もないことを夢中で話した。二人とも大人びて見えるがまだ16歳の少女である。話に花を咲かせていたが、コツコツとノックの音が響いた。

ドアに目をやるとハミルトン副宰相の姿が見えた。

「失礼。国王陛下のもとにご案内するよ。」


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