29.深呼吸
王城に着くと以前ルーカスと会った部屋に通された。
あの時と同じく大きなガラス戸は開け放たれ、甘い薔薇の香りが部屋を包む。
つい先ほどまでは穏やかな気持ちでいたが、これからルーカスに会うと思うとやはり落ち着かない。
ソファーから立ち上がり庭園に近づく。
「こんなに広い庭園だったのね。」
先日ここを訪れた際は回りを見る余裕などなかった。手入れの行き届きた庭園には色とりどりの薔薇がこれでもかと咲き誇る。
「マットを連れてきてあげたいわ。きっとすごく興奮するわ。」
マットが王城専属の庭師を質問責めにする様子が目に浮かび、思わず笑みがこぼれる。
エレンは庭園に降りると噴水向かってへ足を進める。水晶で作られた噴水は日の光を反射しキラキラと輝く。
「なんて美しいのかしら…水晶で作られた噴水なんて初めて見るわ。」
目映く光る水面を見ているとなんだか落ち着く。
「エレノア嬢?」
エレンは突然名前を呼ばれ驚いて振り向く。
「ルーカス殿下!失礼しました。庭園があまりに美しかったもので…」
「いいんですよ。城自慢の庭園ですから。この噴水も見事でしょう?」
「えぇ、あまりにも美しいので見とれてしまいました。」
「ここは先日訪れた泉の真上にあるんです。だから噴水の水は聖水なんですよ。水晶の美しさをより一層引き立てていますよね。」
「そうだったのですか。だからこんなにも心が落ち着くのですね。」
「えぇ。ところで体調はもう大丈夫ですか?」
「ご心配をおかけして申し訳ございません。ここ数日ですっかりよくなりました。」
「それはよかった。でも病み上がりですから気を付けてくださいね。さて、少し歩いた所に温室があるのですが、体に障りがなければそこにお茶を持ってこさせましょうか?珍しい薔薇があるのです。」
「えぇ、ありがとうございます。」
ルーカスはエレンに歩調を合わせゆっくりと進む。
少し前を歩くルーカスを自然と観察してしまう。
日頃稽古で鍛錬しているだけはあり、無駄なものが一切なく洗練された体型だ。歩く姿も隙がなく美しい。
「どうかされましたか?」
ルーカスが振り向き微笑む。
やば!じっくり観察し過ぎたみたい。
「いえ…殿下の歩く姿が美しいと思いまして…」
ルーカスははにかんだような顔を見せ再び前を向く。
「ありがとうございます。…日頃の動作一つ一つに気をつけているのです。無駄のない動きを定着させていれば、いざというとき咄嗟に最善の動きが出来るかと思いまして…やっぱりアストレイ家のご令嬢ですね。さぁ、ここでお茶にしましょう。」
「素敵…」
ルーカスに連れられて来た温室はガラスで作られた大きなドームだ。骨組みがなくガラスだけで作られており、シャボン玉を半分にしたような形状だ。
ルーカスはエレンに微笑む。
「美しいでしょう?魔力を練り込んだガラスとは言え、この大きさのドームを作るのは何年もかかったようです。さぁ、こちらに。」
ルーカスに促され付いていった先には、無数のガラス球がプカプカと浮かんでいる。その中には様々な薔薇が入っており、その幻想的な光景にエレンは思わず息を飲む。
ルーカスはそのうちの一つのガラス球を手に取る。
「これは歴代のシンボルローズなんです。」
リュミエラクォーツでは、王が即位するとシンボルローズと呼ばれる王妃をイメージした薔薇が作られるのだ。
「本当に綺麗…歴代のシンボルローズを拝見できるなんて…でも私のような一般人に見せても大丈夫なのでしょうか?」
「もちろんここの温室に招かれる人間は限られていますが、シンボルローズ自体は誰でも見れるものですよ。例えばこの薔薇、見たことありませんか?」
ルーカスは薄ピンクの大輪の薔薇を指差す。
「え?これ…我が家の庭にも咲いていますわ。」
父レオナルドが見頃の花を根こそぎ切り取り、マットの怒りを買った曰くの薔薇だ。
「シンボルローズは我が国に溶け込んで、長年に渡り愛されているですよ。おや、お茶の仕度が出来たようです。こちらへどうぞ。」
侍女はお茶を入れるとすぐにドームの外へ出ていき二人きりになる。
何から話したらよいのかしら…
「最近公務が立て込んでいてなかなか会う機会を作れず申し訳ありません。エドからエレノア嬢の様子を聞いていたのですが、なかなか体調がよくならないと言っていたので心配していました。でも今日お会いして顔色もよさそうで安心しましたよ。」
「その節は本当にご心配お掛けして申し訳ありません。病気と言うよりは心因性のものだったのかと思います。」
そうエレンが言うと、とたんにルーカスの表情が曇る。
「やはり…あんなに怖い思いをしたからですね。もう少し私が早く着いていれば…」
「い、いえ!その事は関係ありませんわ!お気になさらないでください。」
「そうですか?それでは何で……もしかして婚約のことで思い悩んでいるのですか?」
「…えぇ。」
「そうでしたか。それでしたら手紙にも書いたように、エレノア嬢の気持ちを大切にしてもらえればよいのです。でも、言いづらいですよね?やはり私から国王に話をしましょうか?」
「いえ…その…」
「?」
「あの…殿下にお聞きしたいことがあるのです。」
「どんなことですか?」
「えっと…あの…で、殿下はソフィア嬢のことをどう思ってらっしゃるのですか!?」
恐る恐るルーカスの顔を見ると、豆鉄砲を喰らったような顔をしている。
「ソフィーですか?」
「えぇ…ラッセル家のソフィア様です。」
ルーカスは宙を見つめ少し考えているようだ。
「そうですね…うーん。ソフィーは私のことを誰よりも理解していてくれる存在ですね。だから、ソフィーといると落ち着きますし…そうだな、一言で言うと大切な存在でしょうね。」
「そう…ですか…」
お腹に鉛が詰め込まれたようにずんっと重たい。息が苦しい…
「エレノア嬢?大丈夫ですか?」
「えぇ…大丈夫です。そうですよね…私も先日初めてソフィア様とお話ししたのですが、とても素敵な女性だと思いました。殿下にとって大切な方というのも頷けますわ。ですから、私は…この婚約を…」
『私は婚約を辞退させて頂きたい。』
そう言いかけたところで、ヴィオラ、リーナ、クレアの姿が目に浮かんだ。
ダメだ。逃げてはダメ。皆が応援してくれている。背中を押してくれたのに…
エレンは目蓋を閉じ、大きく息を吐く。
今度はしっかりとルーカスを真っ直ぐに見つめる。




