1.始まりの夜(1)
「少し肌寒くなってきたわね。」
ぽつりとつぶやく。
もう空の端は赤く色づき始め、ひんやりとした風が夕暮れを告げる。
手入れの行き届いた庭園にたたずむのはこの屋敷の令嬢エレノア・グレース・アストレイだ。
美しい濃紺の髪と深いブルーの瞳を持つ美少女。
瞳はブルーガーネットのように光の加減でマゼンダのようにも見える。
彼女が昼下がりから見ているのは二番目の兄エドワードの剣の稽古だ。
アストレイ侯爵家は代々王家に仕える武術に長けた一族である。
エドワードは天才的な剣術と強力な炎系魔法を操り、19歳の若さでは異例の大尉を務める。
そんな兄の稽古は何時間見ていて飽きない
「隙あり!」
突然剣から放たれた炎の塊がエレンに向かって一直線に向かってきたが、間一髪弾き飛ばした。
…あぁ、やってしまった…
芝生にくっきり丸い焦げあとがついている。
この美しい庭園を管理しているのは庭師のマットだ。普段は気さくで穏やかなのだが、庭園に対していささか熱すぎるのが玉に傷である。
以前父レオナルドが見頃のバラを根こそぎ摘んでしまった時の怒りは烈火のごとく。翌日父は一日中庭掃除をさせられていた。敵国に“業火の雄獅子”と恐れられた父でもこの有り様だ。
「エド兄様!突然何するのよ!」
「エレン、油断は禁物だぜ。アストレイ家の娘が情けないな。こういう場合は消失させるか、相手に打ち返すんだよ。」
エドがニヤリと笑う。
「私の魔力じゃ大尉様に敵うわけないじゃない。」
「本当になぁ。精霊の加護を受けてるのに何でそんなに貧弱な魔力なんだよ?」
この世界では精霊の加護を受け生まれた“フェアル”と呼ばれる者が存在する。
魔力の基本四原則は火、水、大地、風の力から成り立ち、またそれらの力を持つ四人の精霊がいる。フェアルは常人より力が強く、加護を受けた精霊によってその能力の特性が顕著に出ると言われる。例えば、水の精霊に加護を受けたものは水の力が強いのだ。また加護と共にシルバーのチャームを与えられ、チャームの形状はその精霊のモチーフのデザインであることが多い。
エレンは16年前の今日、精霊の加護を受け生まれたのだが、力の量は一般的で秀でる特性もない。またチャームはリング形状で特徴がない為、どの精霊に加護を受けたのか不明というレアケースだ。本当にフェアルなのか疑わしいところだが、チャームを身につけて生まれた以上、フェアルと認めざるを得ないのだ。
因みにアストレイ家は代々火の精霊に気に入られているらしく、父レオナルド、長男のウィリアム、次男のエドワードは火の精霊の加護を受けている。そもそもフェアル自体が珍しいのだが、代々精霊の加護を受けるのも非常に希少である。それもあってアストレイ家は一目置かれる存在なのだ。
「魔力を除けば、剣術はなかなかのものよ?弓術はお兄様より上手いし。」
「まぁ、いい線いってるよ。侯爵令嬢には宝の持ち腐れだけどな。」
全くその通りだ。基本的に女性で武術を嗜む者はなく、ましてや貴族の令嬢が武術など卒倒ものである。エレンが武術を身に付けていることはごく親しい一部の者しか知らない、アストレイ家のトップシークレットなのだ。
しかし、そもそもの始まりは父がエレンを溺愛しており、もしもの為にと護身術を教えたのが始まりだ。エレンの筋がよかったため、指導に熱が入ってしまったのだ。
そもそも侯爵令嬢であれば護衛もつくのでそんな心配など無用なのだが。
「宝の持ち腐れだろうと、趣味みたいなものなんだからいいのよ。…ってルーナ?」
エレンの肩にちょこんとリスが飛び乗った。
「ルーナ?このリスのことか?」
「そうよ、どうしたのルーナ?」
なんだかルーナがソワソワしている。言葉はわからないが、屋敷に戻れと伝えている気がする。
「じゃあ、私は輝星祭の仕度があるから失礼するわ。」
「なんだよ、まだ輝星祭には時間あるだろ。」
「レディはいろいろ大変なのよ。じゃあね。」
そう言って足早に立ち去る。
「おい、芝どうするんだよ!エレン!おーい…」
どうしたものかと芝を見つめるエドの背後に怒りで震えるマットの姿が…
エレンがそそくさと屋敷に戻ると同時に怒鳴り声が響く。
「エドぼっちゃま!一体これはどういうことですか!?」
「おぉ…マット。なぁ、俺もう19だぜ?ぼっちゃまは止めてくれよ」
「えぇ!?紳士がこんな悪さをするわけないでしょう!?ぼっちゃまで充分です!!」
「これには理由があって…エレンが…」
「言い訳は結構!明日は覚悟していてくださいね!」
「ギリギリセーフね。ルーナありがとう。」
優しくルーナを撫でる。
ルーナはうなずいてまた茂みに戻っていった。
「あ、エレンお嬢様。今ちょうどお呼びしようと思っていたところです。お仕度の前に軽食でも召し上がられますか?」
侍女のクレアが尋ねる。
「そうねぇ…うーん、結構よ、ありがとう。仕度が済んで食べられるようなら食べるわ。」
これからコルセットでぎゅうぎゅうに締め上げられるのだ。できるだけ胃をからっぽにしておきたい。
「かしこまりました。ではお風呂の準備ができておりますのでこちらへどうぞ。」
「ありがとう、クレア。」
侍女のクレア・ブラックはカールのかかったオレンジ色の髪、大きな栗色の目がかわいい14歳少女だ。幼少の頃からエレンと共に過ごしてきた。
父のダニエルは執事、母のシンシアはエレンの幼い頃には乳母、今はハウスキーパーとしてアストレイ家に仕えている。敷地内には三人が暮らす別邸があるが、ほぼ本邸にいることが多い。
暖められた浴室にはバラの香りが広がる
「バラのお風呂なんて素敵ね。」
「ふふ、今日は輝星祭ですもの。気合いを入れさせていただいました。」
フェアルではない一般人も魔力系統によって得手不得手はあるが、クレアは水系魔法を得意とする。クレアの入れてくれるお湯はまろやかで肌の調子がよくなるのだ。
「親しくもない人と踊ったり話したり疲れてしまうのよねぇ。」
「お嬢様はお美しいですからね。婚約者もいないとあれば、殿方は必死ですよ。」
クレアはクスッと笑う。
上位貴族の娘は16歳にもなれば婚約者がいるものだが、エレンにはまだ婚約者はおらず、父も婚約者探しをしている素振りもない。娘可愛さに嫁に出したくないのだろうが、そこはしっかり仕事をしてほしいものだ。
風呂ではずいぶんリラックスできたが、いよいよドレスに着替え始める。
武術で鍛えた身体は充分に引き締まってるが、更にこれでもかと締め上げられた。
ドレスを着たあとは、クレアによって念入りに化粧とヘアセットをほどこされる。
最後に髪飾りをつけて完成というところで、母のオリヴィアが部屋に入ってきた。
「まぁ!エレン素敵よ!やっぱりこのドレスにしてよかったわ。」
「奥様はお嬢様にお似合いのものを本当によくわかっていらっしゃいますね。今夜も注目の的ですわ!」
「ありがとう、お母様、クレア。でもちょっと派手すぎない?」
「そんなことございません!お嬢様の美貌を更に引き立てておりますわ!」
ふんだんにレースをあしらい繊細な刺繍を施した淡いグレーのドレスはエレンの濃紺の髪とブルーの瞳を際立たせる。
オリヴィアとクレアは満足そうにエランを見つめる。
「さぁ、仕上げの髪飾りをつけさせていただきますね。」
ハーフアップにまとめた髪にパールの髪飾りをつけ、エレンを鏡の前に促す。
鏡で全身を見ると確かにエレンにぴったりのドレスだ。この美しい娘は誰かしら?と自分でも惚れ惚れしてしまう。
母オリヴィアは下位貴族の娘ながらも、他国の王族や貴族から多くの縁談の申し込みを受けたという伝説を持つ圧倒的な美貌の持ち主だ。
エレンは髪の色こそ父譲りだが、それ以外はオリヴィアの少女時代にうりふたつなのだ。
それで婚約者がいないというのだから、男達が放っておくはずもない。
「輝星祭にはまだ少し時間があるわ。ゆっくりお過ごしなさいね。」
そう言ってオリヴィアは部屋をあとにした。
この国には毎年この日に大流星群が訪れ、それを祝うために城で宴が開かれるのだ。
特に今年は16年に一度の新月の大流星群の為、国中お祭り騒ぎで浮き足立っている。
そういえば締め上げられているとは言えなんだか小腹がすいた。
「お嬢様、フルーツかなにかお持ちいたしましょうか?」
「ありがとう。お願いするわ。」
クレアは幼い頃から一緒にいるのもあり、エレンが考えることは何でもわかるようだ。
大好物の苺を口に運びながらすっかり暗くなった空をぼうっと眺める。




