35.情報おっくれってるーぅ
塀を飛び越えて入った人類の街の酒場で、魔族と出会うことになろうとは予想だにしていなかった。
店に入ったときに客にも注意を払うべきだったらしい。
……失態だな。
人類の街にいる以上、敵か味方が判別し辛い。
人類に首輪をつけられた魔族という線があるので、迂闊に信用できないのだ。
「僕はクーラ。傭兵稼業であちこち行くんだ。迷宮都市の話だってできる」
「俺はイズキだよ。へえ、お兄さんは傭兵かぁ。魔物を相手にするの?」
「魔物も相手にするよ」
魔物以外に相手にするのは、人類か魔族か。
それにしても一瞬、何かに反応したようだが、何に引っかかった?
【魂視】でステータスは丸裸だが、手練という以外では至って普通の狐人族だ。
こちらとしてはどうにかやり過ごして、さっさと別れたいところだ。
「ところでイズキくん、ちょっと向こうで話を聞いていかないかい。君のような少年が死に急ぐのは、戦いを生業にしている僕からすると見過ごせないんだ」
「余計なお世話だよ」
「君は気づいてないようだけどね。……匂いで分かるんだよ」
「――ッ!?」
迂闊だった。
自分の匂いにまでは気を配っていなかった。
狐人族の嗅覚なら、俺が魔族であることはもうバレている。
香水なんて使ってスカした野郎だ、とか思った自分を殴りたい。
「ね? 話を聞く気になってくれたかな」
「……ああ、興味が湧いたよ。傭兵の仕事にもね」
マスターは意味が分からないといった顔で俺たちを見ていたが、俺のことはクーラに任せる気になったらしい。
クーラに連れられて奥まった席に移動する。
「で、こっからはお互いにある程度の事情をオープンにして話をしたいんだけどいいかい、イズキくん?」
「ああ。バレちまったらしょうがない」
互いにかなり声を落としての会話だ。
耳の良い種族同士だからできる密談。
周囲の酔っぱらいには聞こえないだろう。
「まずは僕の方から話そうか。僕は魔族の領域にある本神殿から、人類圏に派遣されている密偵のひとり。クーラという名前は本名そのままだ」
「……魔族の領域から、来ているのか」
「ああ。本神殿からは何人か派遣されている。ただ僕も他の面々も、誰がどこに派遣されているかは知らない。捕まったときに仲間を危険に晒さないようにね」
それについては理解できる。
正体がバレて捕まったら拷問されるだろうから、その対策だ。
知らないことは話せない。
「僕はひとりで傭兵をやりながら人類の街を見て回っている。困っている同胞を助けたりすることも、稀にあるかな」
「……俺のように?」
「君の場合はまだ分からない。そもそも困っているのかい?」
「そうだな、迷宮都市に行こうとしていて、どこをどう行けばいいのか知らないのは本当だ」
「本当なんだ」
「意外か?」
「どうだろう。……正直なところ、僕は君を疑っている」
疑っているだと?
「何について、疑っているんだ?」
「イズキと名乗ったことについてさ」
「ああ……」
そうか、そりゃ知っているに決まっている。
魔族の領域にある本神殿、つまり各地の神殿を束ねる総本山から派遣されているのだ。
邪神の御子の名がイズキだと、知っているに決まっているじゃないか。
「迂闊にも程がある。二重に迂闊だった。今日は勉強になったよほんと」
「君の事情を聞かせてもらえるかな?」
「いいぜクーラ。教えてやる。俺がイズキ、邪神の御子だ」
「…………信じられないね」
「なぜだ?」
俺が姿を消して1年。
人類の街にいたっておかしくはないだろうに。
何が俺の言葉をクーラに疑わせている?
「君は邪神の御子の名を騙る偽物だ」
「いや、クーラ。俺は本物だ。何がそんなに気に食わない」
「知らないなら教えてあげよう。邪神の御子様は、人狼族だ。【人化】はできない」
…………はあ?
「え、それマジで言ってる?」
「本当のことだよ。神殿の者なら誰でも知っている。邪神の御子イズキ様は人狼族だ」
「あ、分かった。クーラ、お前さ、魔族の領域に何年戻ってない?」
「僕が? それは……もうかれこれ6年ほどか」
「てことは俺は5歳のときからか」
ヤニック司祭に【人化】できそうだと伝えたのは、確か7歳くらいだったと思う。
クーラは知らないのだ。
俺が人狼族でありながら、【人化】できることを。
「クーラ、俺は邪神の加護でスキルを取得できる。その中に【人化】もあるんだよ。人狼族は確かに【人化】できないが、邪神の御子はできるんだ。7歳のときにヤニック司祭に話したから、お前が知らないだけだ」
「…………確かに邪神の御子のおられる集落の神殿の司祭はヤニックだが、まさか」
クーラは口を手で覆い、まじまじと俺を見やる。
「そんなに見つめても真実は見えてこないぞ。なんなら絶対に人目のないところでなら、【人化】を解いてもいいぞ」
「……僕の宿の部屋でいいかな。ひとり部屋だ」
「まあいいぜ、そこで」
俺はクーラを信用してみることにした。




