22.お前なに勝手なことしてくれてんの
ヒュドラが集落に向けて進み出す。
湿地から出てきた胴体は、四足の爬虫類。
殻のない亀のような足で、のたのたと歩いている。
しかしいくら動きがノロマに見えても、その巨体の歩む距離は長い。
じわりじわりと、集落にヒュドラが這い寄る。
俺は完全に戦意喪失し、呆然とヒュドラを見上げていた。
あまりにも強く。
あまりにも理不尽で。
あまりにも呆気なく、父さんたちを殺した化物。
……どうしようもなかったな。
夜の散歩を許されるだけの強さに浮かれていた。
だが井の中の蛙もいいところだ。
こんな化物の存在は完全に想定外だった。
ヒュドラが集落に向けて毒霧を吐き出す。
また視界が真っ黒になって、何も見えなくなった。
視界が閉ざされた中、俺の【聴覚】が何かを捉えた。
……何か聞こえる?
それは剣が蛇体に叩き込まれた音。
続いて槍が蛇体に突き込まれた音。
そして、狩人たちの雄叫びが聞こえた。
「……まさか」
毒霧の暗闇が薄まる。
だが俺の希望は虚しく、あっけなく砕け散った。
そこには想像したような光景はなく、ただの地獄絵図が広がっているだけだった。
アンデッドと化した父たちが、ヒュドラの足元で戦っている。
なぜ即座にアンデッドと化したのか、それはまったく分からないが。
戦っているのだ、父たちが。
……まだ諦めていない。
集落の狩人たちは、あの化物と戦い続けることを選んだ。
不死者の身体をもって、ヒュドラを殺すことを選んだのだ。
絶望の淵から見えるかすかな光に導かれるように、俺は立ち上がり、駆け出した。
風を纏いながら剣を抜く。
否、抜こうとして拒まれた。
――その『歪み』、斬るべし。
手に現れたのは無銘の霊刀。
青白く無慈悲な刃。
……待て。
駆ける。
踏み込み一閃、幾体かのゾンビが消滅した。
……違う、その人たちは。
飛び上がり、宙空から地上を薙ぎ払う。
……止めてくれ。
身体は自動的に殺す。
アンデッドと成り果てた集落の仲間たちを。
……やめろって言ってるだろう!?
父ジャンがヒュドラ以外の脅威に気づく。
ジャンの鉄剣が俺に届く前に、青白い軌跡がその身体を塵に変えた。
ヒュドラは足元で起こった一連の戦いに無関係だった。
ただ群がってきたゾンビが己に刃を突き立て、失敗し続けただけ。
そして何者かがそのゾンビを駆逐しただけ。
「ああああああぁうァァァァっっっ!!!」
青白い刀はヒュドラに傷ひとつ与えることなく、すり抜け続ける。
ヒュドラにとっては、叫びながら刀を振るう俺は羽虫の如く無害で、しかし不快な存在だったらしい。
巨大な足で無造作に薙ぎ払われ、吹き飛ばされた。
「――ッ」
俺が霊刀との対話を後回しにして、何年経っただろう。
そのツケがこれか。
ゾンビになった父は、ただの動く死体でしかない。
だが戦い続ける狩人としての矜持がゾンビとなることを選んだならば、その選択を汚した霊刀の虐殺は許されることではない。
……魂にアクセスするには。
【魂触】スキルに魂を注ぎ込む。
スキルレベルの上限5で止まった。
望む効果ではない。
【魂喰い】スキルに魂を注ぎ込む。
スキルレベルの上限5で止まった。
望む効果ではない。
前提を満たしたのか、【魂喰い】から〈魂砕き〉が生えてきた。
魂を消費して取得。
……これも違う、が。
ヒュドラに蹴られた身体が軋むが、立ち上がる。
手にある無銘の霊刀を握り直し、再度ヒュドラに向けて駆け出した。
追い風を纏い、見上げるほどに巨大な蛇体に迫る。
「――〈魂砕き〉ッ」
無銘の霊刀を一閃する。
アンデッド以外は斬ることのできない刀身は、やはりヒュドラの身体をすり抜ける。
だが〈魂砕き〉は発動した。
武器術というものがある。
俺が習得しているのは〈疾風刃〉という、剣に風を纏わせて拳ひとつ分くらい先を切り裂く剣術だ。
10歳の体格に合わせた剣のリーチを伸ばすのに有用で重宝している。
〈魂砕き〉も武器術の一種で、これは武器を選ばず使うことのできる特殊な武器術だ。
効果は魂への直接攻撃。
武器が接触すれば命中したことになり、相手の魂を損壊させる。
「〈魂砕き〉!」
例えアンデッドしか斬ることのできない無銘の霊刀でも発動する。
一撃でどのくらいの量の魂を破壊できるのかは分からないが、着実に死へと誘う武器術だ。
砕かれた魂の破片は、【魂喰い】により俺の生命力と魔力とを回復させる。
回復しきった後は、レベルアップやスキル取得に消費できる魂として保有されるようになった。
毒霧のブレスも、再生も、火に弱いのも関係ない。
魂を直接、破壊して殺す。
俺を脅威とみたヒュドラが、首をもたげるが、もう遅い。
無銘の霊刀を振るう俺の【刀】スキルのレベルは達人である5を誇り、人狼族の敏捷力は【走力】スキルと〈テイルウィンド〉により異常なほどに高められている。
とてもじゃないが、巨大なヒュドラが俺を捉えることは不可能だ。
生命力も魔力も尽きず、ただひたすら〈魂砕き〉を打ち込み続けるだけで、ヒュドラの死は確実にやってくる。
そして俺はレベル80の化物に勝利した。