11.インキュバスにも司祭って務まるんですね
集落の中で知識人といえば、神殿の司祭だ。
集落の長も知識人なのだろうけど、長は何かと忙しい。
会うならば司祭の方が楽なのだ。
神殿といえば、俺が邪神の加護をもって生まれたときに、引き取りたいというような話があったのを覚えているだろうか。
俺はてっきり神殿の中で手厚く育てられる不自由な籠の鳥のような生活を想像していたが、どうもそうでもなかったらしい。
というのも、神殿が祀っているのはあの邪神だ。
教義は要約すれば「精一杯、戦って死ね」というものだから、もしかしたら魂収集の効率は神殿で生活した方が良かったのかもしれない。
もちろん、両親の愛情に勝るものではないが。
さて神殿の司祭には実はコネがある。
司祭は、母ニノンの兄、つまり叔父にあたるのだ。
……まあそんなに親しいわけじゃないけど、門前払いはされないだろう。
実際には邪神の加護をもつ俺のことを邪険にする大人は集落にいないので、集落の長のところでも神殿の司祭のところでも門前払いはされることはないのだが、そんな事情は7歳時点の俺には知るよしもないことだった。
さて神殿だ。
神殿は邪神を祀る場所であり、日々人類の凋落と魔族の繁栄とを神官たちが祈っている。
冠婚葬祭も神殿の役割だ。
特に葬儀は重要で、死体をテキトーな方法で埋葬するとアンデッドになってしまうから、神殿は各集落に必ずひとつは設置されている。
「こんにちは、今いいですか?」
「おや、イズキ……。何か神殿に用ですか?」
目当ての人物はいた。
叔父ヤニックは、母と同じ夜魔族である。
つややかな黒の長髪に切れ長の瞳、日焼けしていない白い顔はどんなに控えめでも美形としか言いようがない。
「スキルについて聞きたいことがあるんです」
「ふむ。どのようなスキルかな? 邪神の加護にまつわるものかね?」
「いえ。そういうわけじゃないんですけど。ふたつあって、まず【獣化】について知りたいんです」
「【獣化】? それならジャンに聞いても良かったな。人狼族の中でも稀に習得者の現れるスキルだ」
「そうでしたか。具体的に【獣化】というのは、どういう風に変化するものなんですか?」
「……人狼族の場合は、顔が狼になり、手足も毛皮に包まれるはずだ。効果は筋力、敏捷の大幅な上昇。ただし理性を失い暴走する危険性があるから、ひとりのときに使ってはならないよ」
「暴走か……」
筋力と敏捷の上昇ならば有用だが、暴走しては意味がない。
何か制御するために別のスキルが必要になるかもしれないな。
習得はひとまず後回しにしても良さそうだ。
「もうひとつは【人化】について知りたいです」
「【人化】だって? イズキ、君は【人化】できるのか?」
「できるというか……スキルを習得できそうなだけです」
「それは……どういう意味だ?」
まっとうな疑問だな。
邪神の加護について詳細に説明するのは難しいが、大雑把な部分は説明してしまおうか。
別に知られて困るようなことでもない。
「邪神の加護の力です。レベルアップと引き換えにして、スキルが習得できるんです。ただなんでも習得できるわけじゃなくて、今の俺に習得可能な候補のようなものの中から、習得するような形なんですが」
「なるほど……邪神の加護とはそういうスキルだったのか」
大筋で間違った説明ではないだろう。
邪神の加護は俺にしか恩恵を与えないものだから、そうと知られていた方がむしろ面倒ごとが少なくなるかもしれない。
「しかし【人化】できる人狼族について聞いたことはないな」
「そうなんですか?」
「【人化】できる種族はいくつかあるが……例えば夜魔族などもそうだ」
「じゃあ母さんの血筋ですかね」
「いや。あくまでイズキは人狼族だ。夜魔族の血による影響は、魔力の増大化と、……大人になってからのささいな変化くらいしかないはず」
迂遠な言い回しをした後者はエロ系スキルだろうか。
「じゃあ人狼族が【人化】するのはおかしい、と?」
「そうだ。……ただイズキには邪神の加護がある。特例だと考えるしかないだろうね」
本来ならばできない【人化】ができるというのは新しい情報だ。
もしかしたら他にも夜魔族のスキルを無条件に習得できるかもしれない。
「【人化】以外に、夜魔族にはどんなスキルがあるんですか? 邪神の加護があれば習得できるかもしれません。教えてください」
ヤニック司祭は眉を寄せて、露骨に嫌そうな顔をした。
「夜魔族のスキルについてはニノンから聞きなさい」
「母さんからですか?」
まあ甥に性教育めいたスキルの説明はしづらいか。
というかエロ系スキルしかないのか、夜魔族。
「分かりました。それで疑問なんですが、【人化】できたら人類の街に行けますか?」
「やめておけ」
すげなく止められてしまった。
「なぜです? 人類の物産が手に入るなら魅力的だと思うのですが」
「……確かに。人類はその脆弱さを優れた道具を作り出すことによって補い、魔物や魔族と渡り合ってきた。だがそもそも、【人化】だけでは人類の街に潜入することは困難なのだ」
無銘の霊刀でアンデッド以外を斬るためには、優れた日本刀が必要だ。
そのために、できれば山人族に日本刀を打ってもらいたい。
人類の文明圏に行くことは目標のひとつなのだが。
「言葉は通じますか?」
「通じる。不思議なことに、文字も我々と同じものを使っている」
これはなんとなく想像がつく。
邪神が定めた原初の法だ。
恐らく戦いにしか興味のなかった邪神が、コミュニケーションの簡便化を図るために言語をひとつだけ、と定めたのだろう。
「では何が困難なのでしょう?」
「ステータスを見られれば、一発で種族がバレるぞ」
「それは確か、〈マスキング〉という魔術でなんとかなりますよね」
ヤニック司祭は「そのくらいは知っていたか」と頷くと、続けて言った。
「文化、風習などを知らなければ不審がられるだろうな」
「それは事前に勉強できれば問題なさそうですね」
「魔族と違って、人類は物々交換はしない。貨幣というものを使っている」
「あー……お金ですか。魔石じゃ駄目ですか?」
「少額なら魔石との交換もできるだろう。しかしすべてを魔石でまかなうことは不可能だ。貨幣以外を受け付けない店舗などが確実に存在する」
そこは街に入り込んでからお金を稼ぐ手段を模索すればクリアできそうだ。
「それから最大の問題が、神殿だ」
「神殿?」
「そうだ。イズキ、神殿の地下に何があるか知っているか?」
「いえ。何かあるんですか?」
「……よろしい。実際に見てみるのが早かろう」
ヤニック司祭は俺を神殿の地下に誘った。