1.八神泉樹(男性/享年80歳)
「泉樹くん、大丈夫かい」
「……本当に、見なければなりませんか。お義父さん」
「見ておいてもらわないと困るよ。私だってもう歳だ。いつこの世とオサラバしてもおかしくないんだからね」
「縁起でもない。まだまだ人生、先は長いですよ」
「そうだといいがねえ、はっははは!」
上機嫌の義父とはうって変わって、俺の気分は最低最悪だった。
蔵に入ったときから寒気が止まらないのだ。
背中に冷たい汗をかいている。
……これは間違いなくヤバいのが出てくる。
旧家である八神家に婿入りしたのを、これほど後悔するときが来ようとは。
ジンジンと痛みだした側頭部に手を当てながら、薄暗い蔵の奥に一歩、足を踏み出す。
途端、首筋に氷を押し当てられたかのような痛みが走る。
冷気は霊気だ。
生まれてから今まで、散々と苦しめられてきた霊感の強さには自信がある。
……間違いない、本物がある。
義父が「これだ、これこれ」と言って取り出した桐でできた長い箱を持ち上げる。
ベタベタとこれ見よがしに朱色のお札が貼られているのを見て、頭痛が酷くなった気がした。
何かヤバいものを封印しているかのような有様だ。
……まあ封印、全然できてないけどな。
ダダ漏れだった。
箱は陽炎にでも包まれているかのようにユラユラと歪んで視える。
間違いなく、中身から何か邪悪なものが漏れ出ているとしか思えない。
「あの……お義父さん、ほんと限界なんです。それ絶対、ヤバい奴です」
「泉樹くんは霊感が強いって話だったね。でもこれ、私が死んだら君が相続するわけだから。中身、ちゃんと知っとかないと困るでしょ?」
「…………」
言葉に詰まる。
別に義父の言葉が正しいから反論が出てこないわけではない。
単に金縛りにあっていただけだ。
俺からの反論が途絶えたことで、覚悟が決まったと思われたらしい。
義父は桐の箱に巻きつけられていた紫色の紐を解いていく。
……マズいですよ、お義父さん!
指先ひとつ動かせない。
俺は視線を逸らすことすらできずに、箱が開けられるのを見守るしかなかった。
「……よっと。これでいいかな」
義父が完全に解けた紐を脇に置き、おもむろに箱を開けた。
気分は世界の終焉を迎えたかのような絶望。
箱の中身は、青白い輝きを放つ刀身だった。
柄は剥き出しで、しかし銘は刻まれていない。
「名前はないんだけどね。日本刀としての出来は国宝にも勝るとも劣らないって話。まあ私は日本刀に詳しいわけじゃないから、父や祖父からの受け売りだけど」
気がつけば頭痛は消えていた。
冷え冷えとした悪寒も。
金縛りも解けている。
「……その、青白い光は」
「うん? 光って?」
義父が不思議そうに周囲を見渡す。
俺は日本刀を指差そうとして、
「あれ?」
刀身が鋼の色をしているのに気づいた。
……目の錯覚だったのか?
蔵の窓は高い位置にあり、しかも閉まっている。
入り口からの陽光が反射したとも思えない。
「……いえ、気の所為でした」
「そう? まあともかくこれ家宝だから。間違っても手放しちゃ駄目だからね?」
「はい。八神家の子々孫々に残していきます」
俺の返事に、義父は満足そうな笑みを浮かべた。
ふと、刀身からまったく霊気を感じないことに気づく。
蔵に入ってからあれほどまでに俺を苦しめた、強烈な霊気が忽然と消え去っていた。
箱の封印が解けて霧散したのだろうか。
そういうモノだとは思えないのだが……。
この小さな疑問は、俺の生涯の間に解消されることはなかった。
義父は10年後に癌で亡くなった。
俺はその更に30年後に、天寿を全うした。
強すぎる霊感に苦しめられた以外は、人並みの幸せを得られた人生だったと思う。




