幻想と冒険と青春 ~泥為合編~
とある世界。大陸の一角を有するとある国の、田舎というには人が多く主要都市になるには人が少ない残念な街、それよりずぅっと東の、とある森。
~2~
転がると濡れた地面のせいで服ごしでも肌が濡れたのがわかった。
素早く近くの障害物を捜して身を隠す。近くにあった巨木の陰に隠れる、口の中が泥の味がした。息を整えながら、内心で舌打ちをする。
(しもたな…やっぱりアカンかもしれんな)
小さく頭振る。
(あかん、弱気になっとる。生き残るんや、生き残るイキノコル)
コ術【自己暗示】をかける。
しぶとくしたたかに生き残ることが信条の彼は、友人仲間内から“鼠”とあだ名されていた。
(アレは走るというコトに制約をうけとる、まぁ仮定やけど)
そう呼ばれる彼は今、死地にいる。
あだ名は決して伊達ではないのだと、自分を鼓舞する。
巨木の陰から、自分の逃げてきた方向を覗く。黒い甲冑がゆっくりと近づいてきていた。手にする得物は大きな大剣。頭を覆う兜から漏れる赤色の眼が揺れている。
切り札の魔術【箭】は既に三回使用している。自らの魔力を打ち出すその力は、使えてあと一度だろう。打ち止めだろうことは、身体の内の怠さからわかる。魔術【腕】もあと一、二度というところだが、近くのものを投げたり、引き寄せるだけの力が、役立つかどうか解らない。【腕】が持ち上げたり投げれたりするのは、自分の体重と同じぐらいの物だけなのだ。
手元に目を落とすと使い慣れた短剣は、刃のほとんど残さず折れていた。
相手の斬撃を反らそうと、人が使うには大きすぎる大剣の犠牲になったのだ。そんな衝撃で自分も吹き飛んだのだが。
折れたそれがまるで今の状況のような、自身の心のうちのような気がしてくる。
「弱気になるな、ヨワキニナルナ。考えろ、考えろ」
コ術【自己暗示】を呟き、周りを見渡して次の身を隠すところを探す。
(逃げ切る体力は残ってないのは判った。走ろうにも立ち上がるのも必死やからな。どこぞに隠れてやり過ごすしか道はない。…欲いえば、あの騎士からもう少し離れたいってとこやけど…)
いい具合の巨木を見つけて、そこまでの筋道を決める。
もう一度のぞき込むとあの黒い騎士は、こちらを見失っている。今が隠れる機会、と判断した。
手にした短剣を【腕】で持つと音を立てぬように進む方向とは逆に放り投げる。
振り返ると黒騎士は音がした方に気をとられ、こちらを意識していない。
(よっしゃ、これで逃げきれるで)
目的の巨木の陰に隠れようとして、片足が空を踏む。身体の平衡が乱れて、宙に投げ出された。そこでようやく地面がない事を認識した。
(崖やったか?コレは、終わったな…)
走馬燈のように、今までの人生が思い出された。
孤児院から魔術士の育成機関『導き塔』に拾われ、四年と半年たったある日に師事していた恩人が亡くなり塔から出て、何でも屋の真似事をし始めた。近くの街の組合に所属を認められ、何とか人並みの生活を手に入れた。
~1~
今日も組合からの依頼をこなした帰りだった。
(はよ帰ろ、はよ帰ろ。うわー、もう雨降りそうやん)
空を仰いで“鼠”は辟易して、街へと向かう足を速めた。
薄暗くなった森の中、目撃したのは、黒騎士が馬鹿でかい大剣を振り上げていて、その先にはへたり込んでいる子供。とっさに【箭】を放った。
“鼠”はどうにも場当たり的なきらいがあった。
(もしあの子供が悪いなら、あとで謝ればえぇわ)
牽制には、なったのだろう、黒騎士は飛び退いて子供との間があいた。
放った【箭】の反動で外れそうになったツバの大きい登山帽を“鼠”は抑えていた。顔の下半分を隠すマスクを少し指で引っ掛けて声をかけた。
「ちょっとすんませんね、そんな小さい子供にそんな馬鹿でかい得物はどうかと思いますよ騎士様」
騎士は黙って“鼠”の方へ振り返る。
その刹那に寒気がした。“鼠”はコイツはヤバいと理解した。赤く光る眼が彼を射抜くと、“鼠”は動けなくなった。
(調子のったか…!なんや?なんで、動けん?蠱術か、呪術か?)
瞬時に逃げ出す方法を幾つかひねり出そうとする。
と、視界の外から女が飛び込んできた。手にはミスマッチな大刀の一種の偃月刀。その一振りの狙いは黒騎士。
黒騎士が大剣で偃月刀を受ける。しかし、どうにも妙な光景だった。騎士よりも一回りほど小さい身体の女、しかも人間種が、あんな大剣を振り回す黒騎士と拮抗しているのだ。
女が騎士を蹴り飛ばして、子供の前に立って距離をとる。
「感謝する!」
女が大きな声でいいながら、子どもの襟首を持って無理やり立たせた。
「かまわへん、子どもが殺られるのを見てられへんかっただけや」
息巻きながら漸く金縛りから抜けだして、腰に佩く短剣をぬいた。無理矢理立たされて子供は木の陰に隠れようとする。
「走れ!」
女が黒騎士から目を離さず叫ぶ。
「振り返らず走れ!」
叫びながら偃月刀を黒騎士に斬りつけた。騎士は大剣でいなす。子供は方向を確かめると、一目散に駆け出す。それを追いかけようとする騎士を女が止める。
(あかんわ、次元が違いすぎて、割り込もうにも割り込めん)
“鼠”の使う短剣では、あの重量の得物に耐えれるはずがない。
短剣を握りなおしながら“鼠”は魔術【箭】の準備をしながら、騎士の側面に回り込む。
魔術【腕】で、小石を浮かして黒騎士にぶつける。地味だが黒騎士の気がそれればいいと判断したからだった。
剣戟の中の女を観る。
人間だったが、奇妙な体つきだった。左手は肘から義手、右足も膝から義足のようだ。それと判るような装備をしていた。革の胸当てに、破れた衣を着て左だけ短いズボンをはいている。一番奇妙だったのは、右腕が肩まで一回り大きく、それでいて獣の様な毛むくじゃらで爪もあるようだった。
(相当な遣い手なんやろか…)
獣の腕で偃月刀を振るう。それを黒騎士は膝を曲げ、両手で持つ大剣で防ぐ。
(いや、ただの筋力か…)
黒騎士の方が剣技、技量は上のようだ。現に獣腕の女の重い一撃も大剣でいなされている。
女が騎士から離れる刹那に魔術【腕】で少し大きめの石を騎士に当たるように投げつける。騎士は石を大剣で叩き潰した。
「ここは引きうけるから、あんさんはあの子を追っていき!」
「しかし!」
「はよ、行け!少しジャレたら尻まくるわ!」
準備していた魔術【箭】を発動。小さくそして鋭い白光が騎士目掛けていく。騎士はたじろうことなくその剛腕で剣をふりかざして、叩ききった。
(は?…渾身の不意打ち【箭】に反応したし、しかも【箭】斬るて。なんじゃコイツ?)
女をチラリと見ると、落としていた外套を手にして、子供が向かった方へ駆けだしていた。
ポツリと雨粒が落ちてくる。曇天は泣きはじめた。
黒騎士が女に気がついて向かおうとするが、“鼠”は魔術【箭】を撃ち出す。
「行かせるか、ボケが。追えば背中から狙うで」
(ちゅうても、あと一発が限度です、ホントウニアリガトウゴザイマス)
騎士は避けずに【箭】を叩き斬る。
(まぁ、そうなるわな!で、おかわり、どうぞ!)
続けざまに魔術【腕】で手頃な石を投げつけると、黒い兜に当たった。
(ざまぁ!…な!)
拍子に兜が濡れた地面に脱げ落ちて、泥色になった。
現れたのは朽ちかけの人間の顔、右半分は白い骨が見えていた。眼球があった場所の奥は、赤く黒く、蠢く何か。
それを見た“鼠”は再び金縛りにあった。
(あ、死んだかもしれんわ。蠱術、…コ術なんかやない。上位者かなんかが、ホンモンの蠱術で創った再生生物!)
二度目の身動きできない状況に“鼠”は幾分冷静だった。身体の末端はまだ動くことを確かめる。
黒騎士はゆっくりとした動作で、兜を広い被ると、此方に向かってくる。兜の泥が雨で流されていく。
“鼠”は眼を閉じた。
指、足先、踵、膝、右手で短剣を握る感覚、右手首、右肘、右肩を確かめていく。
(動く、動く…ウゴケ!)
“鼠”はコ術【自己暗示】で身体感覚を高めていく。
眼を見開くと騎士は、鉄の塊のような巨大な大剣を振りかざしていた。
(ボケが!)
膝をまげ、短剣を持つ右腕を前にかざして防御する。“鼠”は眼を瞑らなかったが、なにが起こったか見えてはなかった。
ただ右手が吹き飛ばされた、という感覚。そして、死を覚悟した。
黒騎士の振りかざした大剣の斬撃は、短剣を折り“鼠”を吹き飛ばした。“鼠”はそのまま地面を勢いよく転がる。
(逃げんと、…逃げるんや)
立ち上がり走り出そうとするが真っ直ぐ立てず、すぐに片膝をついた。斬られたと思った右手確かめると、まだ“鼠”の身体から離れていないと解った。力を入れてみようとしたが、痺れて感覚はない。
(アレで欠損がないなら、もうけもんやな)
顔を上げて敵の位置を確認する。大剣を担ぎ持って、歩んできている。
魔術【腕】を発動、転がってきた方向に地面の水溜まりの泥をかけた。
騎士は泥を避けずに払い斬ったが、泥は兜にかかった。雨ですぐに流されそうになったが、呼吸を整えた“鼠”は【腕】で泥を兜にかける。
(眼があの位置になかったら、ホンマに終わりやな)
“鼠”はなんとか走りだそうとする。が、先ほどの一撃で全身をうったせいか脚があがらない、身体が重い。よろよろ走ると帽子とマスクがないことに気がつく。
両頬に紋様が描かれている。儀紋人の証だった。“鼠”が『導き塔』に拾われた理由であり、孤児院にいた理由でもあった。儀紋人は、肌の半分以上に浮き出る紋様のお陰で、魔術を媒体なし、詠唱破棄で行使できる。
振り返ると、黒騎士が泥のせいで“鼠”を見失ったのか、周囲を見渡しながら歩いている。
(もしかして、なんかの制約で“走れへんのか”?いや、そもそも走る必要がないんか?)
これは逃げきれるんではと、ニヤリと嗤った。と、脚がもつれ派手に転がった。
~3~
宙を掻くように腕を振り回したが、“鼠”には空を飛ぶ能力も魔術もない。次に襲ってきたのは、背中に強い衝撃と息がとまる感覚。
(死んだ…な…)
そこで意識は途切れた。
~4~
“鼠”が目が覚めると馴染みの診療所だと解った。
動こうとすると全身に痛みがはしる。
(痛ったぁ)
声にもならない呻きを聞きつけ看護士がやってきた。意識が戻った判ると「センセぇ」と涙目で走り去っていく。
(相変わらず、落ち着きのない診療所やで)
「ふむ、動けないだろう」
診療所の所長で女医であり、友人はやってきて“鼠”の状態を告げる。身体中に包帯と固定の為の添え木。
「そして喋れないだろう。まぁしばらく安静にしてれば治る。創造神の加護と御心とやらに感謝するんだな。偶然、教会の旅僧が見つけなかったら、神々の許に昇っていたぞ」
(まぁ、あのバケモノ相手に命あっただけでも儲けもんかな。いや、こっちから手だしたから大損か。さわらぬ神に祟りなしってのはホンマやな)
“鼠”の思案げな様子を見て見ぬ振りか、友人は後ろで控えていた二人の訪問者を紹介した。
「お前を偶然見つけた教会の旅僧が聞きたいことがあるそうだ」
「初めまして、お加減はどうですか?」
二人いたが前にいた教会の審問服を身にまとった尼が笑いかけてくる。
その柔らかい笑みが、どこか白々しく感じた。
「お聞きしたいことがあったんですけど、話せないんですよね?頷くか首を振るかで、お答えできませんか?」
“鼠”は頷く。
尼の後ろにいる人物は容姿は確認できなかった。
(教会?あの二人、厄介事やったかぁ。しかしなんで十一神教会の審問官がこんな辺鄙な街に来るんや?)
「変わった腕をした女性を見ませんでしたか?」
(変わった腕?あの獣の腕の女のことか?)
“鼠”は、頷く。
「片足片手が義手義足の、…腕が呪われた様に肥大している女です。そう、そうですか。それで子供を連れていましたか?」
頷く。
「…どちらに向かったか解りますか?」
“鼠”は首を振る。
「その二人とお知り合いですか?」
首を振る。
「そうですか…ありがとうございました。怪我早く治るといいですね」
微笑む尼は、軽く一礼すると連れ合いと共に診療所から出て行った。
(なんやったんや?あの二人)
「おい、お前は何に関わったんだ?あんな教会の僧は見たことないぞ」
“鼠”は頷く。
「話せ。じゃないと治療してやらんぞ」
友人で女医は嗤う。
「わからん。子供が殺されかけてたんや、それを助けたらバケモンみたいな奴に殺されかけた。あと、ありがとう」
“鼠”は素直に礼を言った。「それはいいことをしたな」と女医は笑った。友人は笑ってから、完治したら飯を馳走する約束をさせて、仕事へと戻っていった。
部屋の窓から見える空に、あの女と子供がどうなったか想像してみた。
(まぁ、想像しても詮無いことか)
と、一眠りすることにした。