表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

妖花奇譚

作者: 鋼玉

性描写はないですが不快に感じることがあるかもしれません。もしまずかったら引き下げます。

「私は呪われているのさ」


空に浮かぶ望月を見上げながら女はぽつりとつぶやいた。

まるで夢幻のような妖しい美しさを持つ女である。

翡翠のついた歩揺(かんざし)を挿した黒絹のような長い髪は胸元の大きく開いた藍色の襦裙を包むように流れ、襟元からは陶器のような滑らかな肌がのぞく。


「わかっている」


彼女の背後、部屋の中から声がかかる。


「そうかい」


その言葉に彼女は小さく溜め息を付きすぐに微笑みに表情を塗り替え振りかえる。

思わず見入ってしまうような不思議な光を宿した瞳が部屋の中に居た男を捉える。


彼は寝台に腰かけ、窓辺に佇む彼女をただ見つめている。

不意に目があった瞬間気恥ずかしげに視線をそらした。

明らかにこのような場所に慣れていないどころか女の扱いすら知らないようにみえる。


『全くもって妙な客だよ』

そんな彼を見つめつつ彼女は呆れる。

外から見ればすぐに分かるがここは漣州一の色町にある妓楼である。

彼女はここの妓女であり彼は彼女との一夜を買った客のはずであったが彼が求めていたのは彼女との情事ではなかった。


「お代は払ったようだから別にいいんだけどさ、本当に知りたいのかい」

右手を腰に当て、左の人指し指で頬を掻きつつ、先程彼が請うた事をもう一度尋ねる。

「ああ」

彼女の言葉を彼は視線をそらしたまま肯定する。

わざわざ安くない花代を払ってまで、ただ話を聴きに来たとは粋狂な客よと心の中で思う。

「……話したくはないんだがね」

そして彼女は横目で彼の顔を見るが、その顔には真剣そのものだ。






――彼女が『呪われた女』である理由が知りたい


男は彼女を指名するなりそう囁いた。時折いる冷やかしの客だろうと初めは聞かぬ振りをし、情事が終われば忘れるだろうと思っていた彼女であったが、男は彼女を抱く事はなく、しつこく食い下がった。呪われている、とはっきりいっても諦めない。

先ほどから問答を繰り返していたが埒が明かなかった。

彼女は小さく舌打ちをし、しかたがないねと呟く。

「あいわかった。話しゃいいんだろう」


溜め息をつきつつ彼女は蝋燭に火を灯す。

月明かりのみであった明かりが炎の赤味を帯びた光に塗り替えられる。部屋は明るくなり、彼女は彼のそばに腰掛け、酒を勧める。

勧められるままに杯に口をつけた彼を確認し、紅をさした唇を歪ませ己も杯をとりつつ口を開く。


「一年、いや二年前になるかねぇ……」

男の傍らに腰かけ、淡々と彼女は語り始める。




二年前になるかね……ここで働いている娘の中の一部で幽霊を見たって噂がたちはじめたのさ。その頃の混乱は私にも手にとるようにわかった。

だけどさ私は見鬼の才なぞないし、いるかどうか分からないものを信じるたちじゃないしね、べつに怖がることも何もなかった。

まあ、話に聞けば爛々と光る眼を持った黒い霞だったそうだよ。

そんなこんなで私らの中で噂が広がっていたころ、ついに女将さんが見ちゃったらしいんだよ。

あの強つく婆でものびるなんて芸当出来るんだねぇ。

そんなこんなで店を数日閉めざるを得ず、ごたごたしていたときに私はそれと出会った。


そうそう、この部屋だったね。

あんたの後ろ辺りに、小さな子どもが居たんだ。



「げ?! 」

その言葉に男は勢いよく振り返り思い切り飛びさがり、そしてなにもいないことを確認し、胸をなでおろす。

「そんなに怖がらなくともいいさ。もういないから。そういう話は苦手な口かい? 」

女はくすくすと笑いつつ彼の肩に手をかけ話を続ける。


二つになるかならないくらいの可愛らしい子どもだったよ。

性別はよく分からないがなんとなくどこかで見たような顔だった。

変だと思ったさ。妓楼にそんな小さな餓鬼はいないはずだからね。

一体どこから紛れ込んだか聞いても無邪気に笑うだけで何も分かりゃしない。

幽霊話のものとは見てくれが違うし実体もあったからね、迷子だろうと暫し遊んでやったら目を離した隙にいなくなっちまった。


そんときゃ帰ったのかと思ってたんだがね……

それから見世の片隅や、部屋や廊下でたまに見掛けた。

暇なときは遊んであげたり菓子をあげたりしたんだけどね。妙なことに気付いた。

他の娘にはその子が見えてないようなんだよ。そして、私がその子と出会ってから幽霊をみたと言う話がぱったりと無くなっていたんだ。



そこでやっとこさ私が憑かれているんじゃないかと思い当たったのさ。


……顔色が悪いようだが本当に大丈夫かい?

旦那見たところ武人のようだけどこういうの本当に駄目なんだねえ。

話すのやめようか? ……続けろと?

痩せ我慢は心臓に悪いよ。


で、それに気付いてからその子をどうしようか考えていたんだ。

祈祷師でも呼んで祓ってもらおうかと思ったんだが……出来なかった。

情がうつったんだろうね。

ただ無邪気に私になついてくれている様を見ると、幽霊と言えど可愛いもんなんだよ。


私は気づいちまったんだ。



改めてその顔を見たとき……私によく似ていたんだよ。

いや、自分の顔って意外に分からないものだよ。

直接見るのも叶わない、鏡や水じゃ左右が入れ替わるからね。


そして私は悟った。

その子が私の子だってことを。





「どういうことだ」

「今から説明するさ。まあ、飲みやい」

女は訝しむ男の空になった杯になみなみと酒を注ぐ。

女もかなり飲んではいるようだがその頬は全く赤みがささず、酔っている様子は無い。

女は杯を片手に寂しげに微笑み再び話し始める。

「その時より更に一年前の話だ……」



それまで私の人生は、ここらの妓女と大して変わらないもんだった。


十を過ぎた頃に此処に売られてきて十五を過ぎる頃には見世に出されたんだ。

初めは大分苦労したもんだ。仕事が仕事だからね。

そして初めて見世に出されて六年が経ったときだ。


私らがここを出るには年季が明けるか、身請けしてもらわねばならない。

それがなかなか難しくてね、

身を売っても六年程度では私の年季は明けなかったし、身請けする粋狂な客はいなかった。


だがね六年も経ちゃ妓女の所作も身に付き、下っ端ながらそこそこ頑張っていたんだ。



そんなとき、困ったことが起きた。

私らが商売をする上で一番困るのは何か分かるかい?




……そう、子を宿す事さ。


私らも気はつけているんだがね……孕むときゃ孕むんだよ。

子を宿すなんて、私らにとっては持ってのほか。見付かりゃすぐに堕させられる。



誰の子かって?


知るわけ無いさ、私らは妓女、娼婦だよ。

まあ、丁度その頃漣州の国境での蛮族との戦が終わって流れの兵やらが此処に来ていたからね。

多分その中の誰かだろう。



そりゃ何とか隠し通そうとしたさ。私は子を堕ろしたくなかったから。

だが、三月経ったころ女将に気付かれたのさ。

まあ十月十日も誤魔化せないわな。




そこまで語ると、女は口をつぐみ俯いた。

まるで堰を切って溢れ出す感情を押さえるように瞼を震わせ、彼の膝に這わせた指をわずかに握り締める。


堕ろしたのか……

沈痛な表情の女をみつつ男は思う。

「どう逃げようと私は子を堕ろすことになっただろうさ……今までそう言うのはよく見てきたから」

女は絞り出すように呟く。

その瞳が潤んでいるのは涙のせいか。男は何もいえずただ彼女を見つめる。

「……どうせ駄目ならせめて私の手でってわけさ」

袖で涙を拭い彼女は、ただの我儘さと笑う。

「……済まん」

男は彼女の肩に手を回し抱き寄せる。

彼女はそんな彼を見上げくすりと笑う。

「……あんだけ食い下がって今更なにを。私も旦那に話したら少しは胸がすっとしたよ」

彼女が顔をあげると男は素早く目をそらし気をまぎらわすかのように視線を宙に泳がせる。

恐ろしいほどに女慣れしていないようだが彼なりに精一杯気を使ったようである。

妓女と客、商品と客。

客に私情を抱いてはならないとは分かっていたが彼女は彼の気持ちが嬉しかった。

「……さて、続きと行くかね」

再び彼女は語り始めた。




思えばあのとき、子を堕ろして一年ちょいでまだ立ち直ってなかったんだね。

心にぽっかり穴が開いた感覚っていうのかね。だからその子にかまってしまった。


殺したのは私だから自業自得というか……後悔はしてないさ。


気付いた瞬間ただ一言その子に訪ねてしまった。


『お前はさ、私のやや子かい』ってね


そしたら本当に嬉しそうに抱きついてきたんだ。私は失くしたものが戻ってきたような気がした。同時に産んであげられなかったことをひどく後悔した。


ただただ謝り涙を流した。

そしたらその子が涙を拭うように手を伸ばして……そしていったんだ


阿母(おかあさん)』てね。


そして次の瞬間幻のように消えてしまった。

辺りを見回してももう何処にもいなかった。


あの子は自分を殺した親でも恋しかったんだろうよ。

だから探し回っていたんだ。

何で一年もかかったのかは分からないがね。


幽霊騒ぎの時は人の形をとれなかったんだろう。

もしかしたら私が初めて出会ったときも人の形をとれていなかったのかもしれない。

だけど、私が声をかけたことで人の形をとることが出来た。

私が母だと気付き、私にも気付いてほしいとつきまとったんだろうよ。

そして私がそれに気付いて抱きしめた。

心底嬉しかったんだろうね。

だから満足して消えた。全く親への情だけでよくやるさ……本当に。






「おや、泣いているのかい。涙脆いんだねえ」

そこまで語り終えた妓女は、涙を流している客に微笑みかけ、襦裙の袖で涙を拭ってやる。

旦那は好い人だね、と小さく呟く。

男は微笑みかけ、僅かに触れた彼女の指先に違和感を抱く。

――冷たい?

そういえば先ほどまで、彼女の肌に指先さえ触れていなかったことに気づく。

同時に疑問に思いつつ一瞬のことであるし、夜気で冷えていたんだろうと結論を出した。






「…………ここまでならよくある感動話だったんだけどね」

不意に女がぽつりとつぶやく。

沈黙し酒を一口含み、喉を潤してから首を傾げる男に女は苦笑する。

「旦那はなんの話を聞きに来たんだい? 」

男は、あ、と呟き自分が来た理由を思い出す。

そんな様子を見つめつつ、彼女は黙っておけばやりすごせたかね、と苦笑する。


「じゃあ話すとするよ。私が呪われた女と言われる所以を。ここまで来たら一切合切話す。これは私の為でもある」







再び彼女の口が開かれ語り始める。


感動の物語の続き、本当の転末を――




その時から数日が経った頃私は己の身体の変調に気がついた。

肌が死人のように白くなっていることに気がついたんだ。

ほら、死人までいかずとも体温といったものがほとんどないだろう。

さっき涙をぬぐったとき、気づいたみたいだけどね。

夜気のせいではない。いつもこうなんだ。

そして、明らかに身に纏う雰囲気が違ってきたんだ。

鏡を見て私ですら一瞬誰かと思うくらいにね。

まるで(あやかし)のようだと思ったよ。

いや、生ける屍といった方が良いのかもしれない。

物を食うことも眠ることもほとんど必要が無い。

五感のうち、視覚と聴覚を除いた感覚は皆無ではないが酷く希薄になっちまった。今口にしている酒も固体ではないということしかわからないんだよ。

それだけなら己のことだし、別に良かったんだけどね。



その頃ちょうど私を指名する客が増えた。

それによって私の年季は大分縮まった。

まるでその香りで得物を誘う妖花のようだね。

そして、身受け話も出たんだよ。

妖しげなものに引き寄せられる。それはある意味道理なのかもしれない。


だが、それが私が呪われた女といわれる因となった。

そう、次々に死んだんだよ。

私が引き渡される席で皆が皆口から泡を吹いて、意味のわからないことを口走り狂い死んだ。三人、いや四人だったか。そんだけ同じ死に方をすれば噂にもなるさ。

ここで働く他の娘達も気味悪がるようになった。

女将は稼いでくれりゃ何だもいいようだがね。

うん、私と肌を合わせるのは大丈夫みたいなんだよ。

その程度でやられたら多分犠牲者は両手両足の指を足しても足りない数だろうしね。

もう誰も私を身請けしようとは考えないさ。



「それが由縁か……しかし何故? 」

その話に男はうすら寒さを覚えつつ問う。何故、彼女が己が子供の魂魄が消えたあとそういうことになるのか。

「それはこういうことさ」

僅かに彼から距離を取り、女は小さく出ておいで、と呟く。

すると彼女の身体より青白い燐光が生じ子供の形となる。

「気付いたのは噂が立ち始めたころさ」

彼女の襦裙の裾をつかみ子供は男を見つめる。

その虚ろな眼窩は彼の背筋を凍りつかせる。


明らかにこの世のものでない禍々しいもの。

彼女はそれを厭うどころかどこか慈しむように見つめ、それは小さな手を彼に向って伸ばそうとする。男は逃げようとするがそのあまりに強い気配に押され動けない。武器を手に取ろうもあらかじめ預けてしまっているのでどうしようもない。

しかし、小さな手が彼に触れる前に前に女はそれの頭を優しく撫で、それは再び彼女の中に消え去った。


「……今のは? 」

未だ流れ続ける冷や汗を拭いつつ男は問う。

「あの子さ。こうやって呼んでやるとたまに出てくる」

「消えたんじゃなかったのか」

先ほどの話で消えたと彼女は確かに言っていた。

彼女は苦笑し、己の腹部を撫でる。

「私もそう思っていたさ。だが違った。私の身体と同化しただけだったのさ」

身体の変調は亡霊と同化したことによる変化。

彼女はどちらかというと、亡者の側に立っている状態なのだ。

「それが呪いの正体か」

「まあ、傍から見りゃそうだろうね。だが本質は人を殺すものの呪いではないんだ」

納得したように呟いた男に対し首を左右に振り、女は淡々と呟く。

「呪いではない? 」

確認をとるように聞きなおす男に彼女は頷く。

「呪いとは悪意。その者を貶めんとする思いが形を成したもの」

しばし沈黙し、女は言葉を紡ぐ。


「……言うなれば思慕。悪く言えば妄執だろうね」

ただ母とともに居たい。その執着が子の心を変質させ、呪いに近いものとなったのだ。

女の仕事の意味は子はよく分かっていないのだろう。

だが女が外の別の人間に引き渡される意味は理解している。

――自分以外の人間に彼女の意識が持って行かれるということ。

――彼か彼女かいまだわからないそれは自分が忘れられてしまうことを何よりも恐れていたのだ。

始めは予想外の事態に咄嗟にやったのかもしれない。

しかし、自分が原因とはわからず、母に他人が引き寄せられてくる。

それで止まらなくなった。

女もその性質を四人目が狂い死ぬのをみて理解していた。

「母への無邪気な思いが為せる業か……」

「やはり親子、似ているんだよ私たちは」

他人に殺されるのならと我が子を殺した女。

自分が忘れられるのならと他人を殺した子。

結局根は同じなのだ。

どこまでも愚かでどこまでも哀しい(さが)である。


「なるほど」

「これで全てさ。満足したかい? 」

彼女はそう言って彼に酒杯を勧める。

「一つ……聞いていいか? 」

「なんだい? 」

「お前はこの名に覚えはないか? 」

そして男はある人物の名と簡単な容姿を告げる。

女は一瞬考え込む。

「……ふむ。確かそんな客もいたような気がするねぇ」

「やはりか」

「その男がどうかしたのかい? 」

「お前が子供の魂魄にあった少し前に、お前を買い上げようとした男たちの様な不審な死を遂げた」

女は僅かに驚きの表情を見せて、彼の顔を凝視している。男はそんな彼女をまっすぐ見つめる。その不審な死を遂げた男は彼にとって大切な人物であり、その死の理由を探っていた時、祈祷師の助言を受けたのだ。

――この街にいるという呪われた女に会えと

そして、女の話を聞き全てを確信した。

「……旦那が話を聞きにきた理由がそれなんだね」

その言葉で彼女もそれを察し悲しげに笑う。

彼女を水揚げしようとしたのは狂死した四人のみ。

なら何故その男が死なねばならなかったのか?

おそらく、その男がこの子の父なのだろう。御丁寧に己が子は彼女に会いに来る前に父親を見つけ出し取り殺した訳だ。ひょっとしたら、殺す気なぞなく、ただ思慕のままに近づき、取り殺したのかもしれないが実に恐ろしい。



「ただ真実を知りたかった。もし、お前が呪詛をかけていたのなら殺すつもりだった。仇として」

男は静かに告げる。女は自分への殺害予告に動じることなく苦笑する。

「そうかい。呪詛とはちょっとばかり違うが私がやったのも同然だ。その男には申し訳ないことをした」

彼女はそう言って静かに頭を下げる。

男はその様子を静かに見守る。

「で、どうするんだい? 」

女は彼に尋ねる。己を殺すか殺さないかを。

「剣が無いからな……そしてここでお前を殺せば俺が追われる」

「それなら、こうすればいいさ」

女は答え、髪より歩揺を抜きそっと握らせ、その鋭い先を己が喉に添える。

「刺した後で私に握らせれば自害したことにできる」

そう言ってにっと笑う。彼女の指先は死人のように冷たい。

「あの子のことは大丈夫。私と一緒にいることだけを望み、守ることなぞしないから」

もう、私も大概疲れたんだ、と溜息をつく。

そうか、と呟き、男は歩揺を握る指に力を入れる。



しばし二人は沈黙し、指一つ動かさない。

「いや、もういい」

歩揺の先をくるりと返し男は彼女の掌にそれを返す。

翡翠の飾りが僅かに彼女の掌からこぼれしゃらり、と音を立てた。

「え」

彼女は掌の歩揺の感触に何が起こったのかわからず、茫然とし、男はそんな彼女を横目に掌を顔の前で組む。

「何故? 」

その思わぬ返答に絞り出すように女は呟く。

それには何故殺してくれないという悲痛が混じる。

「お前に惚れたからじゃ悪いか? 」

男は立ち上がり彼女に背を向けつつ答える。

その言葉に彼女はくすりと笑う。

「妓女に惚れるとは笑わせる。特に私は曰くつきだ」

無意識にこれ以上この男が己に近づくことは彼の身を滅ぼすと思いあえて嘲笑う。

そして僅かに振り向いた男の頬に口づける。


「せめて気持ちだけは受け取っておくさ」

耳元で囁き、男に背を向ける。

「もうここに来るんじゃないよ」

呟きつつ女は静かに瞼を閉じる。

閉ざされた瞼から涙が零れる。

その色は先ほどまでの水の無色でなく血の深紅。


「お前はその子供と地獄に落ちる気なのか」

「ええ。それが私のせめてもの償い」

血の涙が零れてきたことに気づき、天井を仰ぎつつ女は答える。


一度この子を突き離した身。二度も突き放すことなぞできない。

この妓楼という女の檻にて自分の罪と向き合おう。

子の罪は親の罪。この子の罪もすべて背負おう。


「私はそれで幸せだから」

亡者の側の肉体を引きずり、その命尽きる日まで。


「愚かだな」


男はそう呟き去っていった。

復讐を果たすこともできず、彼女に救いを与えることができない。

その顔は、どこまでも苦々しいものであった。

そして女を心より哀れむものであった。


「旦那に言われる筋合いはないさ」

彼が去っていく様子を視界の端に映し女は笑った。

そして虚ろな瞳で己が腹を撫でながら子守唄を口ずさむ。




生気を感じぬその唄声は人の命を少しずつ削る声。

妓楼という閉じられた空間に咲く花。

時がたち己の力で外に出るか、誰かに摘み取ってもらうことしか外に出ることはかなわぬ。

その中に咲いていた一輪の花は自分の咎を身に宿したことで妖の花となった。


妖の花は全てを受け入れ咲き続ける。

その香りで人を惹きつけ、近づきすぎれば宿りし咎がその者を殺す。



救い等ないことは彼女は理解している。

年季が空け日の光の下をあることとなろうと、彼女の傍には己が子の魂魄が居続ける。

恐らく死を迎えた後も永遠に。


「それでも私は満足なのさ」


子守唄を紡ぎ続ける唇を不意に止め女は微笑んだ。


長い話を読んでいただきありがとうございます。

一応舞台は華と剣と同じ八州国の中の一州での話。

時代は華と剣より後の時代のつもり。

テーマ的にまずいかと思いましたが書いてみました。まだまだ未熟で描写がいまいちな点があるかもしれません。母と子互いに思うが故、現状を受け入れ、それゆえにすべての救いが無い……なんでこんな話を書いたんでしょうか私。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ