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マルクモ

マルクモ


初夏のことだった。

放課後、私は家の近くの川で、ひとり魚取りをしていた。網を水草の中に仕掛け、足で水中をかく。するとおもしろいように魚が取れた。

オイカワ・ハヤ・スナモ・フナ。

あらかじめ石を並べて作っておいた生け簀の中に魚を放り込む。

林のどこかで鳥が鳴く。

土手には民家が立ち並んでいた。


村は川に沿うように細長く延びていた。

周りを山で囲まれ平坦な土地はわずかしかなかった。街灯も少なく、夜になると闇が広がり、川のコポコポと流れる音だけが聞こえた。


日も暮れるころ、だいぶん生け簀の中がにぎやかになった。気にいった魚だけバケツに入れ持ち帰ることにした。選別の最中、魚たちは逃げまどった。

ほどなくして作業は終わった。生け簀を構成していた石をひとつ、足で蹴り倒す。水がドっと川に流れ出し、魚たちは川へと戻っていった。

バケツを片手に家に帰ろうとしたときだった。

川上のほうから何かが流れてくる。目を凝らす。

ゆっくりとこちらの方へ流れてきたそれは大きな丸い物体だった。白く淡い光を発している。半分は水面より上で、もう半分は沈んでいた。

浮いているということは中は空洞なのか。それにしては表面には光沢があり重量感がある。

異質・・・。自然界から生まれるものとは思えなかった。

球体はそのまま川下へと流れ小さくなっていった。


次の日、登校一番タカジに昨日見た物体の話を興奮ぎみに話した。

「タカジにも見せたかったなあ」

「なんだったんだろうな。それ」

「わかんない」

教室では男子生徒が消しゴムをちぎっては投げあっていた。女子はそれを片目におしゃべりに夢中になっていた。

「もしかしたら、すげえお宝だったんじゃねえか」タカジが言う。

「そうだったのかなあ。しまったな。ゲットしておけばよかった」

「おしいことしたよなあ。お前、学校の人気者になれたかもしんねーのにさ」

タカジは自分のことのようにくやしがった。

「資材じゃないの?」

後ろから女子の声がした。

高須だった。椅子にかけて本を両手で持っている。小学校五年だというのに家庭教師をつけているという噂だった。

「しざい?」私とタカジは声を合わせた。

「物を作るときに使う材料のこと。高島君の家、新築中でしょ。そこから流れてきたのかなと思ってさ」

タカジが怒鳴る。

「うるせえっ」

せっかく話が盛り上がっていたのに水を差されたのが癪にさわったのだろう。

「なによ。私は思ったことを言ったまでだから」高須も負けてはいない。

「おい、ムネツン。これは(おとこ)として黙ってられねえよ」タカジはいきまいた「いくぞ!」

「え?」

「そのお宝を探しに行くんだよ!」

「でも・・・」私はまごついた。「今頃海に漂ってるかも・・・」

「なに言ってんだ!漢ってのは負けるとわかってるいくさでも挑まねえといけねえときがあるんだよ」

高須が鼻で笑った。

「・・・うん、わかったよ・・・」いつでも私が折れる役回りだ。しかし苦ではなかった。タカジには”仕方ない”と思わせる雰囲気があった。

「あのさ。私はもう全然どうでもいいんだけどさ」高須が面倒臭そうに言った。「要はその球体がなにかが知りたいんでしょ?」

「うん」

「だったら下るんじゃなくて川に上ったらいいじゃない。球体がどこから川に落ちたのか探した方ががよっぽど現実的だと思うよ」

私は感心した「なるほど。高須頭いい」

「馬鹿」タカジが私の頭を小突いた。


放課後、私とタカジは一旦私の自宅に戻るとランドセルを置いて川に向かった。橋を渡り、林を抜ける。薄暗い藪の小道を通る。だんだんと川の匂いが強くなる。

光の射す方へと抜け出た。

川だ。


「よし。行こうぜ」タカジが指さしたのは川上だった。

自宅に向かう途中で話し合った結果、結局のところ私たちは高須の案を採用することにしていのだ。

タカジが先頭になって岸沿いの幅のせまい道を歩き出す。私もそれに続く。

(くさむら)には羽が橙色のトンボが幾匹も止まっていた。近づくとさっと川の方へ飛び立ちしばらくするとまた叢に戻ってくる。どこまで歩いても橙の列はなくならない。まるでトンボがこちらの後を追って先回りしているのではないか・・・そんな空想に私は捕らわれた。


見上げれば、雲一つない青空だ。

右手には山。

左手には民家や製紙工場が建ち並ぶ土手。

裏庭の柵からは黄色い実をたわわにつけた木が延びていた。

普段通学の時と違って川から眺める民家はまるで違う表情をしていた。

裏側から見られるなんて家人も、家それ自体も思っていないのだろう。

隠されたものを見ている。

この時、私には球体の正体を突きとめられるという確信めいた予感がした。


「あっ滝だ」タカジがふいに叫んだ。

前方に小さな滝が落ちていた。水の飛沫が肌に心地いい。

岸沿いの道は滝に近づくにつれみるみる細くなり、最後にはなくなっていた。滝より前に進むためには川に入り滝を登るか、土手を登って迂回するしかなさそうだ。

タカジが横目でみてにやりと笑う。

「決まってるよな」

「漢なら、でしょ?」

二人で笑いあった。

もうすっかり冒険の気分だった。

川に足を浸ける。初夏だというのに水温は低かった。

「ひゃっ」私は声にならない声をあげた。


数分後、私たちの膝小僧から下はすっかり濡れていた。靴の中はビチャビチャだ。

滝を後ろ目にタカジが言う。「これからはもうこわいもんなしだ」

もうどれだけ靴や服が濡れてもへっちゃらということだろう。

岸の脇道はまた復活したにもかかわらずタカジは川の中に入ったままザブンザブンと大股歩きに鼻歌を歌う。


どんどん先へ行く。緑は濃くなり反対に民家は少なくなった。途中ある物が私の目に留まった。

道だ。

右手の山から細い道がのびていた。

「タカジ。あれ」

「ムネツン、お前よく見つけたな」

言われてみればたしかに雑草が生い茂り、気づかぬまま通り過ぎてもおかしくはなかった。

「いくか?」

「うん」私はこくりと頷く。

私たちは川から出ると山によじ登り、例の細い道に出た。

林の中は、ひんやりとしていた。

道は川下へと平行するように伸びていた。

途中道が下っていた。幹の太い樹木が立ち並ぶエリアにでた。

葉の隙間から川が見えた。低地なのだろう。私たちが立っているところより川の方が高い位置にある。

山の奥へと道は曲がっていた。

「どこに続いているんだろうね」私は何の気なしに言う。

道を曲がりきると急に視界が開けた。

私たちは息を呑んだ。

鳥居。

目の前に灰色の巨大な鳥居が立っていた。

「すげえ・・・」タカジが呟く。「神社だ」

境内を覗いてみる。

石道。石灯籠。狛犬。石の段。山。

それらが順繰りに佇んでいる。ただ石の段の上にあるはずの本殿がなかった。

私たちはおそるおそる境内の中に入っていった。

木漏れ日がゆらゆらと揺れている。

石灯籠や狛犬は苔生し、長い年月の経過が想像される。

おそらくなんらかの原因で本殿が倒壊し、そのまま打ち捨てられてしまったのではないか。

川より低い位置にあるので氾濫した川に流されてしまったのかもしれない。

その時、ふと違和感を覚えた。

今まで見てきた神社は全て小高い丘の上にあった。川より低い神社などあるのだろうか?

「ここ、誰もしらねえんじゃねえか?俺たちの秘密基地にしようぜ」タキジはそんな私の違和感をよそにはしゃいでいる。

私たちは球体の正体を突き止めるというそもそもの目的を忘れ、石の段の上で今日のテレビ番組の話など他愛のない会話をした。

日が暮れかける。

後ろでバサっと音が鳴った。驚き、振り返ると大きな鷲のような鳥が神木から飛び立ったとこだった。そのまま林の外へと姿を消した。

「そろそろ暗くなる頃だろうし帰ろうか」私は言った。

「あっ?そうか、そうだな」お互い少し心細くなっていたのだろう。

私たちは神社から出てもと来た道を引き返した。川を渡り土手にはい上った。

ずぶぬれになった私たちを村の人たちは不思議そうに見ていた。


次の日、タカジが学校を休んだ。

担任の先生は理由を説明しなかった。

昨日ずぶぬれになってどうせ風邪でも引いたのだろうと思った。が、そうではなかった。

クラスメートの中には事情を知っている生徒がいたのだ。

その生徒によると、昨日タカジの父親が仕事場で突然倒れたとのことだった。タカジは母親に連れられて、父親の出稼ぎ先の町の病院に見舞いにいっているらしい。


学校が終わり、私は石ころを蹴りながら帰り道を歩いていた。途中、排水溝に石ころが落ちてしまった。

「ちぇっ」別の石ころを探そうとあたりを見回したときだった。

頭上で甲高い鳴き声が聞こえた。

見上げると大きな鳥が空を旋回していた。

昨日の神社の鳥に違いないと思った。

大きな鳥は川の方へとゆっくり飛んでいく。後を付けていく。

道路を渡り、民家の路地を抜ける。

大きな鳥は川を横切り、森へと姿を消した。

森の手前には小道が見えた。

昨日タカジと歩いた道に違いないと思った。

ただし木々が鬱蒼としていて神社の様子は見えなかった。


私は自宅へと帰った。

珍しく母がお菓子を作ってくれていた。油で揚げたドーナッツだ。ソファの上に座り、砂糖とシナモンを振りかけ頬張る。

母が私の名を呼んだ。

「あのさ、宗行」

「なあに?」私はドーナッツをカジりながら答える。

「今日変な人見なかった?」

「ううん」

「そう・・・」

「なんかあったの?」

「・・・実はね」母はおもむろに語り始めた。

今朝ね、庭で洗濯物を干していたの。

どこかで金属の擦れるような鳴る音がした。シャンシャンて。

不審に思ってあたりを見回すとすぐ目の前に男が立っていたの。山伏姿で、錫杖を持っていた。

私が呆気に取られていると山伏姿の男は突然こういった。

「マルクモ見たか」

「マルクモ?」聞き返すと、山伏姿の男は無表情に答えた。

「丸くて軽いときには重い。白くてぼんやり光るもの」

「なんですか?それ?見てないですねえ・・・」

山伏姿の男は私に顔を近づけてきた。

気味が悪かった。

山伏姿の男は無言で、くるっと踵を返すと庭を出てどこかへ言ってしまった。


午後、買い物帰りに、立ち話をしている山本さんと古江田さんのお母さんを見つけた。

二人はあの山伏姿の男の話をしていたの。

「あら、あなたの家にも来たの?」古江田さんが言った。「私の家にもさっききたのよ。」

「昨晩も何軒か回っていたみたい」山本さんが加わる。

「一体なにが目的なのかしらねえ」

「ねえ」

「なんだか怖いわねえ」


母は最後に言った。

「宗行、もし山伏姿の男の人を見かけても話しかけたり、付いて行っちゃだめだよ」

こう聞かずにはいられなかった。

「あのさ・・・お母さん、その人はタカジの家にも言ったの?」

「え?タカジ君の家に?わからないわね・・・」

もしタカジの家に言っていたとしたら・・・。脇に厭な汗が流れた。

脳裏にはあの球体と神社、そして山伏姿の男の映像がが絡まり合っていた。

二日前に川で見たあの丸い物体と山伏姿の男の口にしいていたマルクモがはっきりと結びついていた。

ふたつは同一のものに違いない。

私は想像する。

あの神社に祭られているマルクモの光景を。

なんらかの原因でマルクモは川に流れ出し、その行方を山伏姿の男は探しているのだ。どこを探しても見あたらないため村の人間にまでその存在を聞いているのではないだろうか。

もしかしたらあの神社は見てはいけないものだったのかもしれない。

タカジと私は禁忌の地に足を踏み入れてしまったのかもしれない。

神社を見ただけのタカジが・・・ああなってしまったのだ。

マルクモを見てしまった私とその家族は一体どうなってしまうのか・・・。

私は半べそをかきながら、母に言った。

「・・・お母さん、死なないでね」

「あら、どうしたの?」

母は驚いた様子で私を見つめた。


理由を説明すると母は笑った。

「大丈夫よ。宗行は優しい子ね」

母は私の頭を撫でた。

偶然だと何度も諭されたが、不安は拭えなかった。


夜、布団の中で祈った。

父と母がどうか無事でいますように。災いが起きるならどうか僕に降りてください。

ほどなくして眠りについた。


5

次の日目覚めると深夜に帰宅した父はすでに出勤していた。母は台所で私のために弁当を作ってくれていた。

「ほら、心配しないで」弁当が入った手提げ袋を渡しながら母は励ますように私の背中を押す。そのときみせた母の笑顔は私の心を締め付けた。

玄関を出ると早朝特有の張りつめた空気で外は満たされていた。

通学路を歩きながら自分に大丈夫だと何度も言い聞かせる。

昨日排水溝に石を落としたところにさしかかったときだった。

どこからかシャンシャンという音。

昨日の母の言葉が脳裏に蘇る・・・。

ドクドクと心臓が高鳴る。

私はさっと駆けだした。

わき目もふらずただ走った。

なのにシャンシャンという音はどこまでいっても離れない。

私は恐怖に駆られた。たまらず後ろを振り返る。

ドン。

瞬間、衝撃を受け、尻餅をついた。

前方の何かとぶつかってしまったのだ。

見上げるとそこには白い装束を着た男が立っていた。右手には錫杖。

無表情だ。なにを考えているかまるでわからない。

シャン。男は一歩進み出ると言った。

「マルクモ見たか」

息が止まりそうになる。私は咄嗟に知らない振りをした。

「え?なんのことですか?」

「丸くて軽いときには重い。白くてぼんやり光るもの」

「わからないです」

男はいきなりしゃがみこんで私に顔を近づける。匂いを嗅ごうとしていることがわかった。

逃げようとおもった。が、蛇に睨まれたカエルのように身動きがとれなかった。

男は私の匂いをかいでいく。頭。体。手。足。

最後には男の鼻が私の肌にくっつくほどだった。

一通り嗅ぎ終わると男は私から離れ立ち上がった。そしてボソリと呟いた。

「見たな」

「見てません」左右に顔を小さく振る。

男の顔が急に険しくなった。

「マルクモの匂いが漂うぞ。それでも知らぬと申すか」

ああ、全部バレている。もうおしまいだ。母と父の顔が浮かんだ。

私はシクシクと泣き出した。

「話せぬ所以があるというのか。どれ」

男は再びしゃがむと今度は私の目をのぞき込んできた。それこそ目に穴があくというくらい。

男の目は虹彩が黒くなにも映し出していなかった。

どれだけの時間が経ったのか。傍目から見れば短かったのかもしれないが私には永久に感じられた。

もうどうにもでなれと諦めのような気持ちが芽生えたときだった。

男はうんと唸ると突然跳び上がりいきなり笑い出した。

「カカカッ!」

風がドウと吹き葉がざわめく。木々も笑っているような気がした

ひとしきり笑い終わると男は私を一瞥していった。

「わらわわわらわ」意味はわからなかった。

男は踵を返すと民家の路地へと曲がってどこかへいってしまった。


6

登校すると教室にタカジがいた。

「タカジ!」私は叫んだ。

「おお、ムネツン」

「そっちは大丈夫だったの!?」

「ああ・・・」タカジは小さく頷いた。

「よかった」私は言った。「聞いてよ。さっき山伏姿の男に会ったんだ!」

「山伏姿の男?」

「うん!」

私は今朝の出来事を話した。

途中、タカジは首を傾げたり、よくわからないという表情をしたが私はそれには頓着せず一気に喋った。

「でね最後にわらわわわらわってよくわかんないこといってどこかへ行っちゃったんだ」

「それって僮じゃない?」

後ろを振り返ると高須だった。

「古い言葉でわらわって子供って意味なの。僮は僮。子供は子供ってことよ」

「子供は子供・・・」私は口の中で呟いた。

「でもよ、すげえ目に遭ったな」タカジが言った。「マルクモってなんなんだろうな」

「だから言ったろ。川で流れていた球体のことだよ」

タカジは首を大きく横に振った。「そんなもんしらねーぞ」

「え?川に一緒に探しに行ったでしょ?」

「は?」

「マルクモは見つからなかったけど神社があったじゃない?」

「神社?」

「うん。大きな鳥居があってさ。本殿がなかった」

「見てねえな。二人で川には行ったけど、滝に登っただけだろ?マルクモとか神社とかなんなんだよ、それ」

話がかみ合わない。

私は高須に聞いた。

高須は覚えてるだろ?

「全然知らないわ、そんなもの。二人が沢登りしようって話してたのは聞いた覚えがあるけど」

不可解だ。二人とも忘れてしまったというのか。

もしかしたら二人して知らない振りをして私をだまそうとしているのかもしれない。だが演技をしているようには見えない。

私は話題を変えた。

「川に行った日の晩タカジの家に山伏姿の男来てないだろうね?」

「来てねえよ」タカジは言った。

「でもなんでそんなこと聞くんだよ」

「山伏姿の男がタカジのお父さんに災いをもたらしたのかと思ってさ」

「災い?俺の親父はただの貧血だよ。もう今はケロリとしてるよ」

「え?」

「親父、こっちの仕送りのために食事を抜いてたんだ・・・だから体力が落ちて・・・」

タカジは寂しそうに言った。

馬鹿な親父だよ、本当・・・。


タカジのお父さんが倒れたのは山伏姿の男は関係なく偶然だというのか。


帰宅後、母にも聞いてみた。驚くべきことに母もまた一連の出来事をすべて忘れていた。

山伏姿の男に出会ったとことなどついぞないという。

私は狐につままれた気がした。


その晩、夢を見た。

川だ。深い碧色を湛えている。

氾濫した後だろうか。水かさが増し、岸の草木は大きく横向きに傾いていた。

風がサアっと吹き水面が揺れる。

川上から小さな木の舟が現れた。男女が乗っていた。

男の方は櫂で舟を操っている。水干を着て白い面をつけていた。楕円形をしたそれは模様や凹凸などがない。のっぺらぼうみたいだ。男がどうやって外を見ているのかはわからない。

女の方は舟の真ん中に座っている。

着物姿だ。

編み笠を深くかぶり表情はわからない。


舟は進んでいく。途中、左手に本流とは別の細い緩やかな流れが森へとそそぎこんでいた。

男は櫂をグイっと水中に差し込み、進路を変える。舟は細い緩やかな流れに入っていった。

森の中を進んでいくとやがて鳥居の前にたどり着いた。神社だ。あたりは一面水で満たされている。

水の神社。

鳥居は水中に半分沈んでいる。舟はその下をくぐる。

灯籠や狛犬は完全に沈んでいた。

その先にはあったのもの・・・本殿だ。

本殿もまたその大部分を水中の中に浸していた。格子窓からは白く淡い光が漏れでている。

舟は本殿の前で止まった。

男が開き扉を開けようとした。が、びくともしない。

水圧がかかっているからだろうか。

女がなにごとか男に話しかける。

すると男は仮面の後ろのひもをとろうと手を伸ばした・・・。


そこで目が覚めた。

頭が妙に冴えていた。

深呼吸した。

川の流れる音だけが暗い室内の中に聴こえた。

夢の物なのか現実の物なのかは判然としなかった。


7

あれから歳月は流れた。

タカジが今どこでなにをしているのか、私はしらない。

中学は同じだったか、次第に疎遠となり、連絡も取り合わなくなった。

私はというと一児の父親となり東京で働いてた。


今日は盆である。妻と息子の三人で故郷の村に里帰りしていた。

父と母の頭にはだいぶ白い髪が目立っていた。

何の気なしに息子を連れて散歩に出た。

村は昔とは様変わりしていた。

車がすれ違うのがやっとだった道路は拡張された。山は切り開かれまだ借り手のない新興住宅でひしめき合っている。

ふと神社があったであろう森に息子を連れていきたくなった。路地を抜ける。視界が開ける。

かつて神社があった森は、そこにはもはやなかった。

川の向こうにはだだ広い空き地が広がり、ガソリンスタンドがぽつんとあるだけだった。

神社の森は完全に消滅していた。

なにかを失った気がした。私はゆっくりと目を閉じる・・・。

すると息子が不意に叫んだ。

「鷹だ!」

見ると大きな鷹のような鳥がガソリンスタンドの外灯の上に止まっていた。

そしてもうその次には、大きな鳥は外灯から飛び立ち空の彼方へと消えていった。

このとき私の脳裏には、あのときの鮮明なイメージが浮かんでいた。

川を流れる大きな球体。タカジの笑顔。高須の生真面目な顔。山伏姿の男。父。若かりしころの母。そして少年だけに許されるあの不安と興奮。

なにか熱いものが私の目に溢れてきた。

「お父さん、なんで泣いているの?」息子が不思議そうに聞く。

私は息子の頭に手を置いた。

「ああ・・・そうだったな・・・お前にはまだあの話をしていなかったな・・・」

夏の柔らかな風が私と息子の頬を撫でていった。 




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