踊る道化師は世界に問いかける
月明かりを頼りに、石畳を踏んづける勢いで少年は遁走していた。
「……ちっ。三、四人か? ったく、いくらなんでも人集めすぎだろ」
少年にとっては勝手知ったる庭のような寂れた街とはいえ、追いかけてくる男達は中々の手練だ。ガチャガチャと鳴らす甲冑に刻まれているのは、このセイレン国の紋章。王直属の護衛団である彼らは、決して伊達や酔狂でその地位を得ているわけではない。
「止まれ! 潔く我らに投降すれば悪いようにはしない!」
魔法による身体能力強化によって、騎士たちはどんどん距離を詰めてくる。足元には小さな魔法陣があり、魔法力を一点に凝縮するというこの国特有の魔法特性だ。
「だれがそんなこと聞くかってぇーの!」
だが少年はその度に引き離すことができる。
シュルシュルと服の裾から出てくるのは、肉眼では視認できないほどに細く強靭な糸。それを、少年は自分の身体に巻きつけ、前方の構造物に引っ掛けて移動している。壁に縫い付けているのは別種類の糸であり、これらを操る技術を持っているのは世界広しといえど、恐らくは少年しかいない。
「よっ、と!」
横一閃に張り詰めた糸の上乗って、建物の天井に飛び乗る。傍目から見れば、まるで中空を跳躍したかのように見えるが、少年は涼しい顔をしている。そのまま糸を器用に扱いながら、騎士たちを撒いて薄暗い路地へと逃げ込む。
後ろを振りむいて誰もいないことを視認すると、少年は嘆息しながら壁に背中を預ける。
「ふぅ、どうにか……」
「――追いつけることができたようだ」
男達が、立て続けに暗がりがら獰猛な目を光らせる。向けられる四つの掌には魔力が溢れていて、いつでも攻撃魔法を集中砲火できる。
「……おいおい、なんで追いつけることができてんだよ」
「貴様のことは既に調査づみなんだよ、《操り師》。確かに驚異的な力だが、種さえ割れれば我々にとって児戯に等しい」
少年は怪訝な顔をしたあと、はっと気がついたように唯一の武器を手繰り寄せた。肌身離さない糸は通常よりも僅かに重量があり、追尾型の魔法がかけられていることが感じられる。
「貴様の糸を辿った先に、必ずお前はいる。それだけは確かだからな」
「観念して、我らの元にこい」
「貴様が今ここで逃げられたところで、どうせ必ず捕まえられる運命なのだ」
精悍な顔つきをしている騎士達は、真一文字の唇を厳かに開きながら口々に言い募る。
少年は、お手上げとばかりに手を上げる。
「さすがに一流の魔導騎士は、今までの敵とは格が違うらしい。……だけど、俺のあきらめの悪さは超一流だぜ」
騎士たちが少年を魔力を放出しようとするが、身体が微動だにしない。何事かと気がついた時には遅く、少年は男たちの頚動脈を締め付け、昏倒させる。
「追い詰められたと思っていたんだろうけど……袋小路はお前たちのようだったらしいな」
複数の男たちを一網打尽にするためには、狭い箇所に集めることは必要不可欠だった。しかも敵は素人じゃない。油断を誘うためにも、敢えて速度を緩めて捕まることすらも少年は計算していた。
騎士が意識を取り戻す前に早く退こうとしたのだが、暗い気配を感じて足を止める。
「……なんだ?」
命を狙われる日々を送っていた少年は、危機察知能力が異様に高い。相手取っていた奴らからは桁違いの圧力を感じて、怖々と身構える。どこから来るか視線を漂わせていると、ザッと飛び跳ねる音がしたので上を仰ぐ。
「上か……ッ」
いつでも攻撃できるように、腕を動かそうとした。だが、目を見開いて少年はその幻想的な光景に沈黙してしまった。
空を切り取るかのような、鋭い三日月。
夜空を背景にこちらに向かって飛んできたそいつが持っているのは、身の丈に合っていない剣。無骨な甲冑は身体のラインを強調している。あまりにも攻撃的な敵意のある視線を浴びせてきた、空を飛んだそいつは――紛れもなく女だった。
続く!!