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小さなメモに書き記された場所に行くべきか悩んだが、これを無視しても何も事態は好転しないだろうと思った。
勇んで記載された時間に記載された場所に行くと大きな屋敷で、本当に大道芸をさせられた。
カードを駆使したり、布切れを花に変えてみたり。
その芸を見る相手は祭宮じゃない。どっかのお偉いさんのようだった。
何でこんな事になっているんだかと内心では思っていたが、もしかしたら目の前のオッサンが何かしらのツテを持っているのかもしれないと考え、黙々といや饒舌になって芸をこなしていった。
一番最後の芸が終わると、オッサンがにこにこ笑って手招きをした。
その手の中には重たそうな麻袋が握られている。
「楽しませて貰ったよ。これは今日の褒美だ。受け取りたまえ。それと、だ。これからもし時間があるようなら高貴なお方にもそちの芸をお見せしようかと思っておるが」
「大変光栄にございます」
膝を折って麻袋を受け取り、オッサンの言葉にさも感激したかのようにして顔を上げてみる。
そのニセモノの感動にオッサンはうんうんと頷く。
「流しの芸人と息子から聞いていたが、なかなかレベルが高い。これなら宮の皆様方の心も慰められるだろう」
息子? まさか祭宮じゃないよな。
一体どういう手筈になっているんだか。さっぱりわからないな。しかしこの流れに乗らなくては本命には会えないのだろう。
そしてこういう回りくどい手を使わなくては、王宮の中には足を踏み入れられないという事だな。
王都の中を流れる大河。
王宮の高い塀の前を流れ、民と王族を分断し続けている。
大河を越えて王宮に行く為には一本の橋を渡らなくてはならない。その橋を俺のような旅芸人が気軽に渡る事は出来ない。その為の策なのだろう。
「時間まで部屋を与える。そこで休むがいい」
オッサンは席を立って広い応接間から出て行く。
後に残った下仕えの者を横目に、使った商売道具を片付けてる。
もう一度、芸を披露するのか。面倒くせー。この商売、一日一回以上やるの嫌なんだよね、本職じゃないし。
昨晩のうちに一通りの下準備をして、それを出し切ってしまった。一度芸を行ってしまうと、また一から準備しなくてはいけない。
果たしてお呼びが掛かる頃までに終わるのかどうか。
一まとめにした道具を抱え、与えられた部屋の中で、とりあえず今は旅芸人として全力を尽くす事にした。
しかし頭の中には「高貴な方」というフレーズが何度も回る。
きっと祭宮なんだと思う。あの場で俺に声を掛けてきた張本人なんだから。
だがそれは推測でしかなく確信ではない。
大河の向こう側の、水竜の神殿並みに入り組んだ複雑な建物群の中では一体どんな事が行われているんだろう。
俺は何の為にそこに連れて行かれようとしているんだろう。
一体どんな思惑が、俺というちっぽけな駒を動かそうとしているんだろう。
考えても答えなんて出ないことは重々承知だ。ただ、ありとあらゆる想定はしていておいて損はない。
いや寧ろ、対応しきれない事に遭遇する事のほうが困る。
間違っても自分が神殿の人間だと露呈する事があってはならない。
それだけは守らなくては。
夜の闇がゆっくりと空を覆い始める頃、生まれて初めて王宮へと繋がる橋を渡る。
オッサンの家の使用人に混ざり、小汚い麻袋ではなく与えられた小奇麗な袋を手に持って。
橋を渡り巨大な門を潜ると開けた広場のような場所に出る。
すぐに建物の中に入るのかと思っていただけに、想像とは違う場所に思わず視線を巡らせてしまう。田舎者丸出しだが。
これが、王宮。
想像していたよりも閑散としているような印象を受けたが、それはここに人気がないだけであって恐らく建物の中はそれなりの賑わいがあるのだろう。
促されるまま、王宮の建物の中に足を踏み入れる。
幾つもの回廊を曲がり、複雑に入り組む道を覚える事に苦労する。
決して命を狙われるような事は無いとは言えない。退路は覚えておいて損は無い。
しかしその努力はあまり意味が無かったようだ。
ふと振り返ると一本道だったはずの道がささくれ立っている。これは自力で戻るのはかなり困難だ。
覚悟を決めるしかないか。
溜息をつき、今日の恐らくものすごく神経を使うであろう交渉が上手くいくように願うばかりだ。
恐らく王宮の中に与えられたオッサンの為の部屋なのだろう。
そこに着くと自らの使用人たちにここにいるようにと告げ、俺だけを伴ってまた幾つもの角を曲がって回廊を歩き続ける。
その間行きかう相手が皆一様に頭を下げていくので、オッサンがそれなりの地位を持った人物である事は容易く想像が出来る。
王宮においての実力者。そして恐らく祭宮の協力者。
一体どういう人物なのかはわからないが、今度王都での情報源になってくれるとありがたいな。
しかし、思う。
俺はこいつらに利用されようとしているのだろうか。それともこいつらを利用しようとしているのか。
身分もない卑しい身なのだから、利用されようとしているのが正解に違いない。
でも利用されたくないと思うのは、俺のチンケなプライドの故か。
辿りついたのは見上げるほど大きな扉の前。
こんなデカイ扉、見たことないな。
見上げると自然と口がポカンと開いて、アホ面全開。田舎者丸出し。
横に立つオッサンはそんなこと気にも留めていないようだ。
「謁見の間だ。粗相の無いように」
ぼそっと呟くオッサンの顔を見る。
あのさ、俺、ただの旅芸人ね。粗相とか言われても困るんですけれど。
「はぁ」
気の無いというか、魂抜かれたかのような返事を返してから考える。
神殿で行儀作法なんてもんは嫌ってほど叩き込まれている。だからそれなりの所作は身に着けている。
しかし今は旅芸人仕様なわけで。
どんな人物を演じたらいいんだろう。
もし俺が本当に田舎モンの旅芸人だったら、この場合どうする。
まあ、冷や汗ダラダラもんだよな。普通なら。でも冷や汗なんてコントロールできねえよ。
ああヤダヤダ。ムダに据わってる俺の根性。っていうかこのくらいビビッてられっかよ。
いや。まて俺。そこでその開き直りは違うだろ。
イマイチどう対処したらいいか決めきらないうちに、ぎぎーっと重たい音を立てて扉が開かれる。
うわっ。広っ。
水竜の神殿の礼拝堂くらいあるんじゃないか、これ。
惜しみなく使われた貴重な石材や宝石。それに金銀。まぶしいなんてもんじゃない。成金趣味? いや、これが王宮なんだ。
磨かれて鏡のような床はカツカツと音が響く。
前を歩くオッサンの後を遅れないように追いながら気が付いた。
部屋の中央。
そこにある玉座が無人だ。
最も豪奢に飾られ、一段高くなっているその場所には誰もいない。
その代わりに玉座の左右に置かれたいくつかの椅子に座っている人物の中に、見知った顔を見つける。祭宮。
そこにいる人物は見知ったヘタレなんかじゃなくて、恐ろしいほど人を威圧するオーラを放っている。
笑顔を湛えているのに恐ろしい。
失敗したらどうしよう。ふいに不安が胸をよぎる。
おーい、俺。そんな弱気でどうするんだよ。
自分自身を鼓舞してみたけれど、そんなの一瞬で揺らぐ。ここはアウェー過ぎる。
あー。小心者の俺が情けねえっ。
「殿下。芸人を一人連れてまいりました」
オッサンが頭を下げるのを真似して平伏する。これで今求められている作法として合っているのか判らないが。
「うむ。話は聞いている。お前が認めたほどの芸なのであろう。楽しみにしている」
チラッと視線を上げて祭宮の顔を伺うが、微笑を浮かべているだけで真意は読めない。
やっべ。俺、ダラダラ冷や汗流れてんですけど。手なんかじっとり湿っちゃってるし。
「では、頼むぞ」
「はっ」
オッサンが一層深く頭を下げるので、それに倣って身体が直角になるくらい頭を下げる。
「先程のように芸をこちらで見せてくれ」
「は、はい」
オッサンがポンと肩を叩き、そばから離れると正面から祭宮を見ることになる。
綺麗な整った顔で、ゆったりと椅子に腰掛けて肘掛に肩肘をかけてこちらを見ている。
酒場で見た祭宮とはまた別人のようだ。
生まれ持っての王族ってのは、こういうことか。
身をもって体験させてもらった気がする。ありがたくないがな。
一通りの芸を終えると、パンパンと大きな音を立てて祭宮が手を叩く。
それに倣うように列席者たちも手を叩く。
とりあえず失敗はしなかった。それなりの芸は見せられたと思う。
「うん。楽しかったよ。これなら奥の方々も楽しんで頂けるだろう。下手に吟遊詩人に詠われるよりいいだろうね」
ここに俺を連れてきたオッサンが席から立ち上がって、俺の横に立ち肩を叩く。
「合格だ。良かったな」
は? 一体何のことなんだ。
「ありがとうございます」
訳がわからないけれど、そう返事を返しておく。
「数日後にまた君に芸を見せて貰う事にしよう。今日の分の報酬は用意してあるから受け取って帰るように」
「ありがとうございます」
またここで芸やれってか? 正直勘弁して貰いたいんだが。
しかし報酬は貰って帰らなくては。
こんな静まり返った小奇麗なところで、衆人環視の下で大道芸なんてやるもんじゃない。神経磨り減るなんてもんじゃないね。報酬は弾んで欲しいもんだ。
「では、頼むよ」
そう言うと衣を翻し、祭宮が退席する。
部屋から奴の姿が消えると、部屋の空気がふわっと緩む。
オッサンはまた俺の肩をバシバシと叩く。
「ウィズラール殿下に気に入られるなんて、お前は運がいい。旅芸人を辞めて王宮のお抱え芸人になれるかもしれんぞ」
上機嫌なオッサンにあわせるように、あははと乾いた笑みを漏らす。
ちょっと待ってくれ。雇いたいって言われたけれど、それってもしかして王宮に勤めろって事か?それは勘弁してくれえ。
俺の居場所は、こんなところじゃないんだってば。
王宮で報酬を貰い、オッサンにも報酬を貰い、俺の懐は金貨で重たいくらいだった。
けれど高級娼館に行く気にも、普段入れないような飲み屋に行く気にもならなかった。
最初に祭宮に会ったあの酒場にまた足を伸ばす。
そこに行ったらまた会えるんじゃないかと、心の奥底で思っていた。
けれど、その日も、そのまた次の日も奴は現れなかった。
日中は街中の広場で芸をして、夜になったらまた酒場に行く。そんな毎日を繰り返していた。
もしかしたら、以前の情報提供者に会えるんじゃないかとかっていう若干の期待も籠めて。
俺は過度に目立つつもりは無い。
ただでなくとも見えない左目。片目だけしか開かない俺の瞳。
それだけでも人の心に印象を残してしまうには十分だった。だから本来は、こうやって情報収集に動くのは適任とは言えないかもしれない。
身体的特徴がありすぎて、知られたくない相手に覚えられてしまう可能性が、他の奴よりも高いからだ。
もしかしたら祭宮が俺を覚えていたのも、この特徴的な目だったのかもしれない。
そうは思っても、こればっかりはどうにも変えようが無いから仕方が無い。
だから、幾日か経った後に酒場でそう呼ばれた時にも、抵抗を感じつつも相手に返事を返した。
「片目」
「なんだよ」
相手は、俺の中ではボンクラ改め気の抜けない奴だった。
特徴のある声ではないはずなのに、その声は何故か心に染み入り忘れる事は出来ない。
「ああ、片目って呼んでいいんだ。怒るかと思ったよ」
空いている席は沢山あるのに、やっぱり何の躊躇もなく俺の座る卓に座る。
「片目にしようか右目にしようか考えたんだけれどね」
聞いてないから。そんなこと、どうでもいいから。
今日は祭宮と一緒に、ガタイのいい殺気プンプン男も同席する。
今回と前回の違いは何なんだろう。
一体どういう設定で店に来ているんだろうな、この二人は。そもそも、元の関係もよくわからないが。
無意識にタバコに手を伸ばして火を点けると、二人組も紫煙を燻らす。
煙いぞー。この卓は。
「何でもいい。呼び名なんて」
煙を吐きながら答えると、祭宮が「そうかな」と言って笑う。
「呼ばれなれている名の方が良いかと思ったんだけどね」
ぎょっとしたが、目を祭宮に向けるだけで返事はしない。
ホント何者なんだよ、こいつ。んで、こいつの情報源って誰なんだ。
何か、すっげえ気分悪い。
こいつの手の上で踊らされている気さえしてくる。
何もかも全部知っているくせに、その上で値踏みして利用しようとしている。それが気に食わない。
「何でも構わない。で、今日は何しに来た」
「おいお前、少しは口を慎め」
殺気オーラが横から漂ってくる。傭兵の重低音に比べたら低いとは言いがたいが、なかなかいい感じで寒気を誘うね。
「構わないよ。宮でそれやってくれたら面白いのにな」
「出来るかっ」
アホ。と付け足したくなったが、それこそバッサリ切られそうなので止めておいた。
のんびりとした感じで、酒を頼んだりつまみを頼んだりしていて、祭宮は全然本題に入ろうとはしない。
本気で俺と打ち解けたいのか? と勘繰ってしまいたくなるくらい、世間話に興じ、陽気に酒を飲んでいる。
横のゴッツイのは眉間の皺が消えないようだけれど。
本当に本題に触れるような事は口にせず、酒とつまみがどんどん減っていき、夜も更けていく。
王宮抜け出して何やってんだ、この王子様は。
確か王位継承権三位とかの、直系王族のはずだよな。
こりゃ御付のゴッツイのも大変だな。それなりに楽しそうに話しているものの、気が気じゃないだろう。
王宮内も色々ごたついているだろうし、このご時勢だし。
一体どこから命を狙われるかもわからないのに、暢気なもんだ。
「あんた、そんなにのんびりしてて平気なのか?」
「ああ。別に大丈夫だよ」
気になって聞いてみたけれど、ふわっとした手ごたえのない返事が返ってくる。
はぐらかされたのか、それともこれがこいつの本性なのか。
「どうせ」
そう付け足すので視線を祭宮に向けると、口元だけ笑って。なんて言うんだ、これ。寒気のする笑みを浮かべている。
「誰も俺をどうこうしようなんて考えてないから」
何をしたんだ、一体。でも何かしやがったって事はプンプン匂うくらい仄めかしている。
俺が知っている限りは、王宮内はかなりごたついていたはずだ。
王宮は三つの派閥に分かれていて、確か国王のすぐ下の弟は、戦争のドサクサに紛れて国王に殺されかけたとかって噂が流れていた。
そんな噂が巷で流れるほど、国王と王弟二人の仲は殺伐としたものだったはずだ。
恐らくこんなに自由に祭宮が出歩けるはずが無いほどに。
いや、一応護衛らしいのは付いてはいるけれど。
俺が王都にいた頃には、そんな話が流れていたから、それから数ヶ月だ。その間に何があったというんだ。
「でも色々面倒でね。息苦しくて溜まらないな」
言いながら襟元を緩める祭宮の袖口に、青い石の付いた装飾品が見えた。
これってもしかして、王都で流行りのプロポーズだかに使うっていうやつか。
「あんた、婚約してたんだっけ」
「ああ。まあね、一応」
それから袖口を見て、ふっと口元を緩める。
「これの事か」
「下々の流行りなんての、興味ないのかと思ってたから意外だなと思っただけだよ」
興味本位過ぎたかと思ったけれど、何となく答えてくれそうな雰囲気だったので突っ込んで聞いてみた。
神官長である姫君の婚約者なんだよな。
ぶすっとした顔のゴッツイのが、口を挟む。
「宝石の相手、いっそ娶ったらどうです。そうしたら、もう少し仕事してくれますかね」
「それとこれとは別問題」
そう言って祭宮が話を逸らして、机の上に両肘を付く。
「ねえ片目。君にとっておきのネタを提供しよう。そうしたら俺の質問に答えてくれるかな」
ニッコリと笑って言うが、別にその宝石の相手が誰かなんて俺、全くもって興味ないんだけど。どうせ姫なんだろ。
「いや、別にあんたが誰と結婚しようが、俺興味ないし」
くくっと笑って、ひらひらと手を左右に動かす。
「そういうんじゃなくてね。君が守ろうとしているものを守る為の情報を提供しようかと言っているんだよ」
「俺が守ろうとしているもの? それはなんだろうね。大道芸のワザか」
目を細め、祭宮がふっと微笑む。
「そっち本職で生きてく気があるなら、それなりの仕事を紹介してやるよ」
「……いや、結構。これでも十分稼げてる」
何を言わんとしているんだ。悔しいが全く判らない。はぐらかすだけで精一杯だ。
俺よりずっと年下の小僧にいいように踊らされているのは、決していい気分じゃない。
それにこの上から目線。相手は王族だから文句も言えないが、ただの一兵卒だったらやり返したい気分だ。
悔しいが、俺の中に染み付いた何かが、無条件に巫女と王族に頭を下げろという。
巫女はともかく、王族なんて全くなんの義理もなければ敬意も無いのに。
「じゃあ次回までの宿題にしよう」
宿題だと。俺は子供じゃねえ。
「俺は君にある光景を見せよう。それを見た上で答えるかどうか決めてくれて構わない」
は? なんなんだよ。もったいぶりやがって。
「君たちの主人は眠りについているんだろう?」
主人、それは即ち隠語で水竜のこと。
こいつ。一体どこまで知っていやがる。