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 今日も書庫の一番奥の机にはのっぽのカカシとデブの熊、そして能面顔の執事とお嬢が頭をつき合わせている。

 お嬢の体調が悪い時は、そこにチビの助手も加わるらしい。

 棚の影から様子を伺っているが、全くこちらに気付く様子もない。

 お前ら、その危機感の無さはいいのか? 誰かに狙われている危険性とか全く考えないのか?

 何で俺がこんなヤツラのお守りをしなきゃならないんだか。

 溜息をつくと、にこにこした顔で長老が肩を叩いてきた。

 今まで気配を全く感じなかったが……。さすがに只者じゃないな、爺さん。

 くいっと首を入り口の方へ向け、外へ出るように長老が促すので、足音を消して本棚の間をぬって出る。

 入り口傍に置かれた大きな机では仏頂面の司書がこちらを睨むように見ている。

 言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなんだ。

 口には出さずに、見えているほうの目だけで睨みつけると、ふいっと視線を逸らす。所詮、小者か。

 扉を閉めて並んで歩きながら、頭一つ小さい長老へ声を掛ける。

「あいつら、あれでいいんですか」

 長老は淡々とした様子で「なにがじゃ」と答えるが、一向に足を止める気配は無い。

 聞かれて困るような話ではないので、そのまま話を続ける。

「若いヤツラの事です。少々お嬢に入れ込みすぎなのでは」

「そうかの?」

「神官とは記号であれ。芝居の黒子のように個性を消せ。そのように神官たちは教育されているはずですが」

 フォッフォッフォッと豪快な笑い声が眼下から響き、見上げるようにして長老が足を止めて振り返る。

「そうじゃのう。あれはちとやり過ぎかもしれんが、それでもそこから学ぶものもあろう。構わんよ。で、いつ王都へ行くんじゃ」

 大祭が終わり、お嬢の巻き起こした出来事から数週間。

 神殿内の情勢を見極めるべく滞在していたが、ここでは若いヤツラの神官としては不適格といわざるを得ない情熱を目の当たりにし続けていて、少々食傷気味だった。

 かといって持っていく有益な情報が無くては交換に得られる情報も無い。

 さしあたり、いつもの情報筋に提供できそうな美味しくて軽い情報は得られていない。

「まだ未定ですが、落葉の頃までには王都に入りたいと思っております」

「そうか。それまでお前もお嬢の周りに(補助)らしく働いてみたらどうじゃ? 案外楽しいかもしれんぞ」

 また高笑いを残して長老が去っていく。

 脱力感しか残らない。

 あの、馬鹿馬鹿しいお勉強ゴッコに付き合えと? 勘弁してくれ。

 水竜の声がどうやったら聴こえるようになるかって何ヶ月調べたり考えたりしてんだか。

 もうなるようにしかならないと思うんだけどね。。

 オコチャマたちは単純でいいよなー。オッサンはそんな情熱燃やすことに意義を感じられないんだよね。

 確かにお嬢はすごい事を成し遂げたかもしれない。

 しかしだ。ある側面においては、それは水竜の神殿という長い年月をかけて構築したシステムを崩壊させかねなかったという部分に大多数の人間が気付いていない。

 たまたま上手くいっただけに過ぎない。

 慣例を覆し、下賤の民にその声と顔を晒すなど。あってはならない事であって、これが前例として残る事に少なからず不安を覚える。

 だが、神殿の中はお嬢様バンザイのムードで一杯だ。

 危機感を感じるなんて口にしたら、それこそめんどくさいことになるのは目に見えている。

 全てが幼稚だ。

 何故神殿がココにあるのか。何のために巫女がいるのか。

 そして神官の意義とは何なのか。

 中にいるだけのヤツラには見えていないのかもしれないな。


 廊下の先で怪我人に出くわす。といっても、その怪我はもう完治しているようで、毎日警備に精を出しているらしい。

「よう」

 声を掛けると、あからさまに顔色が曇る。

 好かれていない事は知っているので、今更あれこれ思うことも無い。

「皆は?」

 皆というのが(補助)と呼ばれている連中の事を指しているのは聞かずともわかる。俺は普段誰かとつるむ事は無い。

「書庫にいたが、行くのか」

「いや。別に今はこれといった用事も無い」

 そっけない返事を返した傭兵の態度が小僧たちとは違う事に興味を持った。

 こいつは自分の命を投げ出さんばかりの勢いでお嬢を守ったというのに、意外にクールというかなんと言うか。

 そういった心の変化が顔に現れたのかもしれない。

 傭兵は不快そうに眉をひそめる。

「なんだ」

 重低音と形容するに相応しい地響きみたいな声で聞かれる。この声だけで侵入者たちを威圧するには十分だろう。

「いや。お前もあいつらみたいに尻尾フリフリしてお嬢のとこに馳せ参じるのかと思ってたから」

 軽蔑するような視線を感じなくもないが、別に気に止めるほどのことじゃない。

「学も無く、知識も無く、傍にあっても何の役にもたたん。俺は俺の仕事をする。それだけだ」

 ザ・職人といった感じの返答に思わず口笛を鳴らす。

「なんだ」

 さっきよりもトーンの低い声で傭兵が聞き返してくる。

「プロフェッショナルって感じがしただけさ」

 褒める意味でそう答えたのに、何故か傭兵は肩を落として大きな溜息をつく。

「群れるのは苦手だ。ああいう仲良しゴッコは疲れる」

「は?」

 窓枠に手をついて、奥殿を眺めながら傭兵がポツリポツリと話し出す。

「自分にとっては巫女が誰であろうと変わらん。お嬢だろうが姫だろうが、他の誰であろうと。仕えているのは誰々という人じゃない。巫女だ。違うか?」

 傭兵の意外な問いかけに言葉を失う。

 そんな風に考えていたとは思ってもみなかった。

 しかし俺自身が考えている事と合致する部分もあるので、同意の意味を籠めて頷く。

「自分は他のヤツラのように熱くはなれん。強いて自分にとって特別な巫女がいるとするならば、巫女付きとしてお傍でお仕えした方ただ一人だ。しかしそれも一番傍でお仕えしたから愛着のようなものを持っているに過ぎん」

「……そうか」

 突然の告白に意表を疲れて、言葉が出てこない。

 傭兵が饒舌に話すこともさることながら、なかなか衝撃的な発言で驚きを隠せない。

「お嬢のような巫女もいる。姫のような巫女もいる。それ以上でもそれ以下でもない」

 続きを言いかけて、傭兵が口を噤む。

 言葉を探すように目を泳がせ、ふぅっともう一度溜息をつく。

「何故か感動を覚えてしまった。禁じられているというのに、自分のためにそのお声を民にお聞かせになり、そして聖なる衣を自分なんかの血で穢しても揺るがずに民を制する姿に」

 どうして落胆するかのように肩を落とすのかがわからない。

 素直に感動したなら、それはそれとして受け止めておけばいいのに。めんどくさい奴。

「確かにあれは凄かった。普段の気の弱そうな何にも出来ませーんって顔しているお嬢とは別人みたいだったな」

「ああ、そうだな」

 それ以上の返答があるかと思って足を止めて待っていたが、傭兵はそのまま物思いに耽ってしまった。

 ほんっとに真面目が取柄ですってタイプってめんどくせえ。

 別にあの時お嬢は凄かった。でもお嬢派になびくつもりはありません。今までどおり中立でいますっていうスタンスで何がいけないんだかね。さっぱりわからんわ。

 相手にしているのも時間の無駄だ。踵を返して、与えられた自室に戻る。

 何一つ情報を得られないというのは、全くもって不愉快だ。




 王都のそこそこ大きな酒場。

 ただし裏路地にある為、今はあまりにぎわってはいない。

 本来ならこういった酒場を重用している平の兵士たちの多くは戦場で命を落としたし、その他のものも大半は王都を離れている。

 これじゃ情報収集にもならんなと思いつつも、一度扉を開けてしまったので仕方なく窓際のテーブルに腰を下ろす。

 店主がニコニコ顔でなみなみと注がれたジョッキを手に持ってやってくる。

「よお。あんた久しぶりに顔を見たね。どこに行ってたんだい」

「地元だよ。旅芸人なんてやってるけど、やっぱり自分の生まれ故郷が気になってね、父ちゃんや母ちゃんが元気にやってるかとさ」

 実際に会ったのは笑顔の胡散臭い爺さんと、ちょっとした奇跡をおこしたお嬢チャンとその他大勢だったんだが。

「そうだよなあ、やっぱり実の親ってのは特別だよな」

 悪気もない何気ない、人情味の溢れる言葉に目を伏せる。実の親、ね。

「まあ生んでこの世に送り出してくれたんだから感謝してるよ。しかしおやっさん、閑古鳥だねこの店も」

「やな事言わないでくれよ。戦のせいでお客さんは激減で、店畳もうかとさえ思ってるくらいだ」

「そうか。王都なら稼げるかと思って出てきてみたんだが、厳しそうだねえ」

「厳しいなんてもんじゃないよ。花の王都だっていうのに活気も無く陰気臭い町になっちまってるよ」

 それだけ言うと、ドスドスと音を足音を立てて店主がカウンターの向こう側に引っ込む。

 どっかの熊の垂涎の一杯を口に流し込みながら、色々と考えを巡らす。

 情報源だった近衛の男も捕まえられそうに無いな。この分だと。

 さあて、どうやって動くかな。手ぶらで神殿に帰るというわけにも行かないし。

 新たな情報源を開拓するにしても、下っ端程度で掴める情報には価値が無い。どうせなら機密に関わるような情報が欲しい。

 困ったな。これは。

 シュっとマッチを擦り、タバコの煙を燻らす。

 こういう時は外に出る仕事で良かったと思うな。規律厳しい神殿の中ではタバコなんてふかす事も出来ない。そもそも手に入れることさえ不可能だろう。

 最初は格好だけだったタバコも、いつしか自然と欲するようになり、寧ろ神殿に戻った時に吸えないことに窮屈さを感じる位だ。

 人の順応性って凄いな。

 ジュッと音を立ててタバコを押し消し、店内の他の席に目を配る。

 見知った顔はどこにもない、な。

 ポツリポツリとしか埋まっていないテーブルには、かつて情報をもたらしてくれた相手はいない。

 そもそもここに来たからといって、会えると決まったわけではないのだけれど。

 当分神殿には帰れそうにないな。

 そう思いついてから、おかしくて笑いがこみ上げてくる。

 外にいると、やけに神殿が恋しい。神殿にいると早く外に出たくて仕方が無いのに。

 俺はどうしてこんな風に思うのだろう。

 あそこに特別な何かなんて無いのに。帰ったって(補)扱いされるだけなのにな。

 そう思ったらふいに(補)たちの顔が頭に浮かんだ。

 うんうん唸りながら文献を広げている熊や大量の本を速読しているカカシ。能面のような顔で机の傍に立っている執事。薬箱を抱えて心配そうに見つめる助手。強面の顔を更に引き締めて周りに目配りしている傭兵。食えない爺さん。

 そしてその中心で一生懸命になっているお嬢。

 以前はそんな光景、何とも思わなかったのに。なんか俺、だっせー。

 酒を煽って目線を戻そうとすると、鋭い視線を感じる。

 どこからだ。

 じわっと流れる冷や汗が、相手が只者じゃない事を告げている。

 射抜くような視線を感じる方へと首をめぐらせると、筋骨隆々の体型を町民の服では隠しきれない男がこちらを見ている。

 さて。どうするべきだ。

 こちらから動くか。相手の出方を見るか。

 思案していると、コツンと男とは反対側から手が伸びてテーブルを叩く音がする。

 視線だけを動かして音のする方向を見ると、ニコニコと笑顔を浮かべた男が空いている椅子に座る。

 げっ。何でこいつが。

「相席していいかな」

 柔らかい物腰と口調なのに、断ったらどうなるかわかってるだろうなっていう視線が反対方向から飛んでくるので断るわけにもいかない。

 しかし言いなりになるのも癪に障る。

「テーブルなら沢山空いてますよ」

「いやいいよ。君の歌声も聞いてみたいからね、北の人」

 ちっ。

 舌打ちをしたが、相手は気にする素振りも無い。

 北の人というのは情報源の相手が俺のことを呼ぶときに使っていた呼称だ。こいつが知っているということは、押して知るべしといったところだな。

 しかし何でこいつがこんなところに。

 あのゴッツイの一人が護衛か?

 っていうかいくら王都だからって言っても気軽過ぎやしないのか。

 とりあえず、気付かないフリでもしておくか。

 俺は旅芸人、旅芸人。

「歌なんて歌わない。ここで歌ったところで金になりゃしないでしょ」

 そっけなく返すと、くくくっと上品とは言えない笑い声が返ってくる。

「金ねー。そんな俗っぽい言葉が聞けるとは思いもしなかったな」

 何がそんなにおかしいんだか。

 笑い上戸を放っておいて、目の前のタバコの箱に手を掛けて吸ったばかりだけれどタバコに火をつける。

 紫煙の向こう側にはゴッツイのが睨んでいるのが見える。いつの間にか席替えですか。

 あー。これ見よがしに優男に煙吹きかけてみてえ。そしたら俺、路地裏で吹っ飛ぶのかな。色々面倒な事になりそうだから我慢するか。

「おや兵隊さん。あんたこの芸人さんと知り合いかい?」

 ドスドスと音を立てながら店主がジョッキ片手に近付いてくる。

 暢気な優男はひらひらと手を横に振る。

「いいや、折角だから歌の一曲でも聞かせてもらおうかと思ったから話しかけてみたんだけれどね、そっけない返事だったよ」

「がははっ。そりゃそうだ。この芸人さんはどっちかというと道化師のような手品のような芸を生業としているから、歌を歌ってるのなんか見たこともないねえ」

「それは残念だ」

 あははははと笑い返す優男を煙越しに眺める。

 用が無いならとっとと立ち去れ。絶対、ずえーったい、こいつと関わってろくなことがあるわけがない。

 俺の勘がそう言っている。間違いない。疫病神と呼ばれた男と何故酒を飲まなくてはいけないんだ。

 それにしても。

 店主と話している間に優男の風貌を改めて検分する。

 着ているのは近衛の制服、いや違うな。兵士の平服だ。

 しかし一見すると平の兵士っぽく見えなくもないが、立ち居振る舞いがその辺の兵士とは違う。粗雑さがない。

 それを店主は気付いているのかどうなのか。

 まあ気付いていたところで、口にした瞬間命が風前の灯になりかねんから言うわけがないか。

 あのゴッツイ兄さん、少しは殺気を消すとかといった努力をすべきだと思うんだがなあ。そんなこと親切に忠告してやる気も無いが。

 ドサクサに紛れて消える、か。

 チャリンと音を立ててコインをテーブルに置く。

「一杯飲めたし、また来る」

 店主にそう言って席を立とうとすると、意外なほど強い力で腕を引きとめられる。

「つれない事言わずに、芸の一つも見せてってよ」

 優男の口調はのんびりしているものの、絶対に逃がすもんかといわんばかりの視線が送られる。

 そーんなに簡単には返してくれませんか。ですよね。ったく。

 力一杯腕を振り払い、ドカっと音を立てて椅子に腰掛ける。

「商売道具は宿においてきたんで、今日は何も見せらん無いよ」

「そうなんだ。残念だね、それは」

 はいはい。口だけですね。残念そうなのは。本当に残念だと思うなら帰して欲しいもんだ。芸のない芸人なんていらないだろ? 酒の肴には。

 店主がドスドスと音を立てながらテーブルから遠ざかると、優男はニッコリと微笑む。

 ああ、やだやだ。このアルカイックスマイル。企んでまーすって感じでさ。

「北の領地のお姫様とお嬢様はお元気かな」

 これ見よがしに溜息をついて返した。

 さて、これにはどう答えるべきなのか。傍から見たらどう思えるか、どう聞こえるかも計算に入れなくてはいけない。

 北の領地ってのは隠語で水竜の神殿の事。お姫様とお嬢様は言うまでもない。

 そこまで全部知っているということは、以前の情報源はかなりコイツに近い人物だった、もしくは情報源のボスがコイツだったって事だな。

 しかし、何でこうコイツは唐突に本題に触れやがるんだ。

「さあ。下々の者まではそのような事は伝わってこないからね。よくわからないな」

 だって俺、下っ端だもーん。という悪態をつきたい気分を少しばかり我慢して答えたけれど、それを気にする様子はない。

 処世術って素晴らしいね、うん。

「兵隊さんが何でそんなこと気にしてんの?」

 意地の悪い質問だという事は百も承知。

 さあ、どう出る?

「出身があちらのほうなんだ。以前姫君とお嬢様には大変お世話になった事があってね。この情勢でどのようにお過ごしなのか気になっていたんだ」

 つまんねーの。模範解答か。

「あー! めんどくせえ。あんたの腹蔵のない意見が知りたいね。俺に何を聞きたいんだ」

 バリバリと頭を掻いて、片手に持ったタバコを押し消しながら聞く。

 にやりと相手が笑ったのに気付いたが、気に止めることなく冷ややかな目線を送る。

「2ページ破れた教本。アンタだろ、持ってたの。俺なんか使わなくとも、あんた十分過ぎるほどの情報源持ってんだろ」

「一本貰うよ」

 その手が俺のタバコに伸びる。

「後で金払え」

「飲み代で返すよ」

 優男には似合わないタバコに火をつけて、ゆっくりと煙を燻らす。

 微笑を浮かべているはずなのに、瞳は冷淡で寒気を誘う。

「別に特段面白い話が聞けるとも思っていないよ。ただお嬢様の身近にいられる君しか知りえない事があるんじゃないかと思ってね」

 ぞくっと寒気が走ったのは気のせいじゃない。

 いつの間に俺がお嬢の身近な存在だと気付いたんだ。まさか、祭りのあの混乱の最中でか?

 そうだとするなら、コイツの記憶力はどうなってるんだ。

「対価を払うなら考えるぜ」

 ククっと笑った顔は悪人そのもののようにも見える。魍魎が跋扈すると言われる場所において、ただの優男のわけが無いな。

 背中に受ける殺気よりも、こいつの出す悪人オーラのほうがヤバイ予感がするのは絶対気のせいなんかじゃない。あっという間に毒でも盛ってくれそうな笑顔だ。

 それでも引くわけにはいかない。

「実は私の屋敷の主人がね、この情勢で退屈しているんだよ。君の芸を見せてくれたらご主人も退屈が凌げるんじゃないかと思っているんだ。君を雇っても構わないかな」

 それは、どういう意味なんだ。

 俺を雇うとは?

 言葉の通りに受け止めるべきなんだろうか。

 迷っている俺のことなど気にも留めず、優男は金貨を一枚テーブルの上に置く。

「これは今日の駄賃だよ。大道芸人さん。この事、考えておいてくれると助かるな」

 ふわっと香水の匂いを残し、優男は席を立つ。

 店主に軽く手を上げると、すーっと店の中から姿を消す。

 ふっと見ると、金貨の下に小さく折り畳まれた紙が置かれているのがわかる。

 本当に何者なんだよ、この妙な方向の手際の良さ。

 金貨とそれとをまとめて掌で包み込み財布にしまうと、まだまだ残るジョッキの酒に口をつける。

 ふいに、腹の探りあいなんて無い神殿での生活が懐かしく思えてくる。

 神殿を離れてまだ数日しか経っていないというのに。あの平穏さが恋しくてたまらない。


 疫病神。無能。お飾り。ボンクラ。

 神殿で言われているような評価は正しくないな。

 雰囲気に飲まれない、食われないだけで精一杯だったのが口惜しい。

 奴もまた、王宮に巣食う魍魎の一人か。祭宮。

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