9-2
園藤の霧散した意識は、泡のように崩れて宙へ浮かび上がり、あちらこちらへ飛んでいった。
そうして、まるで羽根を持って分身したか、空に複数台設置された監視カメラの映像を眺めているかのように、我気逢町の景色を見下ろした。
車の通らない住宅街の道路を、紺の着物を着た子どもたちが笑顔で練り歩く。
笛を吹く子ども。太鼓を抱えて叩く子ども。摺鉦を鳴らす子ども。
その中に、籠を抱えている子どもが数人いる。籠の中身は二種類ある。片方は、彼らが今日のために仕上げてきた作文を紙飛行機にしたもの。もう片方は、摘んできた花だ。
紙飛行機の籠を持つ子らは、紙飛行機をひとつひとつ手に取り、てんでんばらばらに飛ばす。
「がんばります! 私たちのために、がんばりまぁす!」
そう叫んで、ケラケラと笑う。
色とりどりの花の入った籠を持つ子らは、籠に手を突っこみ、握りしめた中身をばらまいて、かけ声を上げる。
「あと三人。三人も、私たち」
よく見てみると、まかれた花はすべて、まだ開いていない蕾だった。道路に転々と落ちる花の蕾は、色彩あざやかに目を楽しませる。そのはずなのに、眺めるうちに気分が悪くなってきて、目をそらした。
祭りの賑わいから離れた地には、賑わいに乗じることのできない思い出たちがたたずんでいる。そのうちの、工場棟の並ぶそばに建つオフィスの奥、古びた地下水路に、うなだれる男の思い出がいる。グレースーツの、短く髪を刈った男だ。
「俺は、どうなったら良かったんだ」
男はうろうろと歩き、独白している。
「強い父親でいたかった。そういう姿を見せたかった。でも、強い父親って何だ。父親は、ほとんど家にいなかったのに! 俺には分からないんだ。この支社はおかしい。でも逆らったら誰が家族を養う? 家族をどうしたらいい。俺はどうなったらいいんだ」
思い出はさまよい続けている。
「誰か俺を、家族に内緒で導いてくれ。知られたら、妻にもっと幻滅される。ああ、俺はどうなったら良かったんだ。帰れない、帰れないんだ……」
町役場を中心とした屋台通りを、大勢の人が行き交う。輝く笑みを浮かべる彼らの、四本の手足に、煌めく糸が付着している。糸はどれも、上の方から垂れているらしい。糸をたどって、空を見上げてみる。空には網目状の糸が張り巡らされ、七色に輝いている。
そこへ、紺色の子どもたちがやってきた。彼らの飛ばす紙飛行機、花の蕾が大勢の行きかう祭りの中心地へ届く。すると、集まっていた人々が踊り始めた。誰に教えられることもなく、声を掛け合うこともしないのに、皆が同じ振りで体を揺らす。顔には、老若男女問わず、笑みが浮かんでいる。
子どもたちも踊りだす。通りを通り抜け、坂を上っていく。大人の囲いを抜けた後、子どもたちの手足にも糸が張り付いている。
紺色の新成人たちを先頭に、祭りの参加者たちは、列をなして坂道をぞろぞろとのぼりはじめた。歩きながらも、奇妙な踊りは続いている。彼らの踊りを眺めていると、景色が奇妙にぶれはじめる。人々を縁取る光が白くぼやけ、泡立ち、天へとのぼる。
西にそびえる山が窪み、溶け、緑の水が溢れだす。コンクリートの上でしなびる紙飛行機は泳ぎを忘れた死魚に、ばら撒かれた花の蕾は真っ赤に砕けた珊瑚の破片に変わる。
人々の行列は、透き通る緑の水の中を泳いでいた。水は天井を覆う虹の網の中へたっぷりと満ち、一部が川を通じて外へと流れだしている。光と影の中和された仄かな明るさと暗さが、ドーム状の網に囲われた土地へ満遍なく行き渡っている。豊かな水の中、町を形取る建物群は影と共に水底へ沈み、身動きしない。
ここには満ちて引くことのない、豊かな水があるのだ。
幻視の中、園藤は知る。
山より溢れ出す水が、永劫にこの地を支配している。幻の水が町を育み、保ち続ける。
だから、何物も滅びることはない。生け簀の中で、その掟に従う限りは。
──息が詰まる。
どこからか、視線を感じる。
「ねえ。この人、殼が薄いよ」
子どもの声がしたのをきっかけに、散っていた園藤の意識が一所に戻った。
視界が真っ暗だ。目を糸のようなもので覆われているらしい。目だけでなく、全身に縛られているような圧迫感があった。
頭が熱く、重い。逆に、足先は冷えており、それ以外の感覚がない。逆さ吊りにされていると分かった。
「本当だ。幼体がまだ透けて見える」
「女神との結びつきが弱いのかな」
「友達が少ない人だったんだよ」
「ここに来られて良かったね。友達に困らないもん」
「どうする。今から聖水に漬けておいた方がいいかな」
「まだ待とう。あと三人いるんだから、そろえてから洗礼した方がいいよ」
「三人を探さなくちゃ」
どれも、若々しい声だった。
気配が遠ざかっていく。このままじっとしていたら、頭が血で破裂しそうだ。
幸い、指先に動かせそうなゆとりがある。
園藤は力をこめ、手指にまとわりつく糸を引きちぎった。右手が自由になったので、次に顔を覆う糸を掴んでちぎる。
視界が開けて、ぎょっとした。
目と鼻の先に、目と口を糸のように細める人間の笑みがあった。叫びそうになったが、顔が灰色すぎること、動かないことに違和感を覚えた途端、冷静さを取り戻した。顔は石像だった。
拘束が解けやすくなっていた。園藤は顔周りの糸を解き、その糸が黒いのを見て顔をしかめる。知らないうちに真っ黒な髪の繭に包まれ、吊るされていたらしい。
──俺は、どうしてこんなところにいるんだ。
記憶が曖昧だ。髪人形を流すべき水場を探して、ヨシヨシ生工の敷地付近をうろついていたことは覚えている。その後、どうしたのだろう。
──いろいろなものを見たような気がする。
手水舎。深い水。ハレの日を楽しむ子どもたち。手足を糸で吊られた住人たち。悔やむ男。
頭が痛い。腹筋を使い、一度頭を正常な向きに戻す。多少血が頭から抜けたせいか、少しずつものを考えられるようになってきた。
まずは、この繭をどうにかする必要がある。
園藤は頭を回す。少し前までここにいた連中が置いていったのか、近くの岩の上に、火のついた古風なランプがある。おかげで、ぼんやりと状況がうかがえた。
広いドーム状の石窟だった。壁は無骨に角ばった部分と絶妙になめらかな部分が入り混じっていて、自然の作った洞窟を手掘りで広げたのだろうと察する。そのうちの半分、園藤が背を向けている側が湖になっており、彼が吊るされているのは、ちょうど湖と岩場の際だった。
腹筋に気合を入れ、上体を折り曲げる。左手で自分の足を一つに束ねている太い髪を掴み、右手で体を覆う髪を解いていく。おおかた解けたところで、体を振り子のように使い、石像を避けて岩場へ降りた。
改めて、自分の置かれた場所を考える。
ここはどこなのだろう。我気逢町にまだいるのか、その外にいるのか。見渡す限り岩ばかりで知りようがない。
──さっき話していたのは、我気逢町の子どもたちみたいだった。仮に町の外だとしても、そう離れてはいないだろう。
園藤は、最初に自分を驚かせた石像をもう一度見る。その拍子に、これまで背を向けていて見えなかった湖側の壁が目に入り、ぽかんと口を開けた。
そこには、人でないものと人間の饗宴が、一面に掘ってあった。
人でないものたちは、見知った悪鬼羅刹が多い。鬼や餓鬼、修羅、畜生などが占める割合が多く、火車や狐狸などの妖怪らしきものもちらほらといる。さらに隅の方には、動物の角や頭を持つ、キリスト教の悪魔をモチーフにしたらしいものもいた。
こういった人でないものたちと人間たちが、岩壁の中で腕を組み盃を酌み交わし、大口を開けてどんちゃん騒ぎをしている。しかも全員、背中におそろいの鳥の翼付きだ。そのような滅茶苦茶なものが、寺社仏閣の装飾らしい立体的な彫りで、丁寧に描かれていた。
わけが分からない。まるで、技術を持つ大人が、子どもの描いた地獄絵図をそのまま掘りあげてしまったかのようである。
──俺は、どこに連れて来られてしまったんだ。
あまりにとんちんかんな彫刻に、園藤は困惑を通り越し、呆れまで覚える。だが、これまでの経緯を思い出すうち、幼稚な構図の中に微かな不気味さを見出しはじめた。
ここは、我気逢町の関連の場所で間違いないのだろう。
我気逢町の誇る企業、ヨシヨシ生体工業の良々木威風には、カルト的な宗教を執り仕切っているという噂があった。ひょっとするとここは、その深部なのではないだろうか。
これまでの歴史において、他の信仰や思想にまったく影響を受けなかった宗教はないと言ってもいい。異なる思想を持つ宗教同士でも、一部の信仰や説話などを取りこみ、自らの信仰に合わせて内容を変えてきたことがあった。
もしかしたら、目の前にあるこの彫刻も、その一種なのではないか。この地の宗教者が、既存の宗教より着想を得て、独自の思想を表現した。そういうものとして読み解ける気がする。
園藤は珍妙な彫刻に好奇心を刺激され、恐怖心を忘れてしまう。改めて石窟全体に向き直り、考えを巡らせる。
髪に包まれている時に聞こえた会話によると、園藤のような髪人形に囚われた者は、水に浸されて洗礼を受けることになるという。また、洗礼を受けると友達が増えるというようなことも言っていた。
──この彫刻の人たちは、もしかして湖に浸かった後なんじゃないか。
湖に浸って洗礼を受ければ、地獄の住人やどんな悪癖を持つ者でも生まれ変わり、他者と打ち解けて協調的になる。そのような様子を描いたのかもしれない。
──なら、この翼はなんだ。
天使の翼か。または、神の意思を人々に伝えるという使命の象徴か。どちらもしっくり来ない。そもそも、この絵には神がいない。宗教画のような役割を果たすなら、神や教祖のような信仰の核となる存在が、どこかに描かれていてもいいはずだ。
園藤は歩きだした。石窟の左右に、道が続いていることに気づいたのだ。ひとまず右の道に行き、それらしいものがないかを探してみることにする。
洞窟は細く長く続いた。あちらこちらに水が湧いており、下手に濡れた石を踏めば滑りそうだったが、ランプが等間隔で置いてあるおかげで、足場を確かめながら楽に進めた。そうして歩いた先で、彫刻ではなく壁画を見つけた。しかも、顔料を使った色つきで、三点も並んでいる。
水中に浮く人々の体が、糸として解けていき、また人になる画。
慄き逃げまどう人々が髪に包まれ、繭にされている画。
その次の画の前で、園藤は立ち止まった。
既視感のある構図だった。男が子どもの顔面を鷲掴み、仰向けになった体ごと木の幹に押さえつけている。
──レンブラントの「イサクの犠牲」だ。
旧約聖書の一場面を題材とした名画である。壁画の絵柄は日本画風だが、描かれている内容も構図もそっくりだった。
しかし、大きく異なる点が二つあった。
一つは、子どもの生死。レンブラントの絵画では、アブラハムが信仰のために息子イサクをナイフで殺そうとするも殺さずにすんだ瞬間を切り取っている。一方、壁画の男は手にした糸を思いきり引き、子どもの喉を吊り上げている。子どもの顔は見えないが、不自然にぐったりとした姿勢が命のない様を表していた。
もう一つは、親子のもとへ訪れている者。「イサクの犠牲」では天使が現れ、アブラハムの腕を掴むようにして、息子の命を奪うのを制止している。これに対して、壁画における天使にあたるだろう者は、見たことのない白の異形だった。その姿を、知っているものの中でたとえるなら、てるてる坊主が近い。しかし黒目が異様に大きく、尻尾がある。さらにこの異形は、男の腕に尾を巻きつけて引き、まるで息子の首を絞めさせているかのような形を取っていた。
──これが、ここの神なんだろうか。
店長の実家の近所に住んでいた少女は、我気逢町から逃げようとすると、神様がついてくると言っていた。それと同じものか。
園藤はもっと絵を求めて歩く。洞窟の湿り気と暗さは、まだ続く。出口は現れそうにない。
かなり離れた場所に、一つだけ壁画を見つけた。一目見て、園藤は戸惑った。今度の画からは、宗教的な意味が読み取れそうになかったからだ。
まず、壁画の上側三分の二を占めるのは、前の壁画にいた白い異形たちだ。空を舞い、地上の生物を睥睨している。この異形たちは、飛ぶらしい。てるてる坊主の傘の部分を広げ、悠々と旋回しているようだった。
次に、下側三分の一は地上の画のようだ。ここにも、初めて見る生物らしきものが描いてある。海には目鼻のない怪魚が、大地には八本の手足を持つ人のようなものがいる。
園藤の知らない神話や、空想の生物がもとになっているのだろうか。
ズボンのポケットからスマートフォンを取り出す。撮影しようとした。しかし、電源がつかないことに気づいて舌打ちする。水に落ちた時に壊れたらしい。
──待てよ。
スマートフォンが壊れた。
つまり、いざという時に助けを呼べる手段がないということだ。
好奇心に突き動かされていた頭が、にわかに正気に戻った。
──逃げなければいけない。
足早にその場を後にしようとする。そして、壁画前に設置されたランプの火の照らす外に、何かたたずんでいるのに気づいた。
それは人の影だった。




