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ナツメたちは町を巡った翌日から、集めた糸を撚って繋ぎ合わせはじめた。
命綱の作り方は、ミサンガを作るのに似ている。前の学校の友人たちとミサンガを作ったことのあるナツメはすぐに慣れ、あっという間に網目のしっかりとしたものを編むことができるようになった。檜は消えてしまいそうな糸の儚さに慎重になり、最初こそ結び目の塊のような綱を作ってしまったものの、ナツメの真似をするうちにたちまち上達していった。
集めた糸は、両手で掴んで持つのが不可能なほどの、膨大な量になっていた。三人は居間に集まり、協力して綱を編むことにした。
そのうち、退屈すぎて寝そうだからと、朱姫葛が作業の合間にテレビを点けるようになった。彼女は音声の少ない映像を好むようだ。口を利かなければ利かないものほど良いらしく、必然的に、山や海などの景色を流す映像や、動植物が映るだけのものばかり見る羽目になる。
障子を開けば、似たような景色を見られるのに。そう思わないこともないが、仕方ない。チャンネルの権利は家主にある。また、テレビの方に夢中になりすぎて、作業が雑になっても困るだろう。
「振津は、海へ行ったことはある?」
ある時、編んでいる途中に朱姫葛が話しかけてきた。彼女から雑談を振られるのも、あんた以外の呼び方をされるのも、珍しいことだった。
あまり家に篭ってばかりでも気が滅入るからと、三人は時折学校へ行くことがあった。この日は檜が学校へ行っており、綱を編む作業は二人だけで行なっていた。
「あるよ」
「どんな所だった?」
「行ったことないの?」
朱姫葛が首を縦に振るので、ナツメは驚いた。しかし、この町の子どもたちが外へ出られないことを思い出し、すぐに同情心がこみ上げてきた。
「そうか。朱姫葛ちゃんも、町から出られないんだったね」
「ううん。出られるよ」
ナツメは耳を疑った。朱姫葛は綱を編む作業を続けながら、ごく自然に言う。
「我気逢の子どもは、女神でこの土地に縛られる。私には女神がないから、どこにだって行ける」
「そうなの?」
「東京も行ったことがある。あそこ、人が多いね。建物が凝ったパズルみたいでびっくりした」
「なんでここから出て行かないの?」
つい、浮かんだ疑問をそのまま口にしてしまった。言ってから、しまった、と思う。これで彼女が出ていこうとするようなことがあれば、自分たちは脱出の希望を失う。
朱姫葛は仕上がった綱と綱を結びながら、言う。
「まあ、まあ。私がここにいなければ、今頃あんたたちは隣人の仲間入りをしてたわけなんだから。過ぎたことはもういいでしょ」
「そうだね。うん、そうかも」
出ていく気はなさそうだ。ほっとすると同時に、後ろめたさがこみ上げる。
朱姫葛自身のことを考えるなら、さっさとここを出た方がいいに決まっている。なのに、そう言えない。彼女を利用する自分の都合の良さが、嫌だった。
──こんな感じだから、今みたいな目に遭ってるのかな。
思い返せば、志乃たちのこともそうだった。自分の気持ちが晴れればそれで良く、彼女たちのことをまともに考えようとしなかった。友人として、少しでも相手のことを知ろうとしていたならば、もっと早くこの町のおかしさに気づけていたかもしれない。
落ちこむナツメの隣で、朱姫葛はテレビを見ている。画面には、海を泳ぐマンボウが映っている。
「それで、海ってどんな感じの場所なの」
「どんなって、だいたいこのままだよ」
ナツメはテレビを指さす。
朱姫葛もまた、映像に映り続ける魚を指さす。
「これはいた?」
「いない。マンボウって、もっと南の沖の方じゃないといないんじゃないかな」
「見たことはある?」
「水族館で見た」
「なら、あんたの見た海はこれじゃないってことだよね。もっと正確に話して」
朱姫葛は妙に食いついてくる。
その相手をするうちに、ナツメの落ちこむ気持ちはどこかへ行ってしまった。
「朱姫葛ちゃんって、すごく大人っぽいことばかり言うと思ってたのに、極端だね」
「別に、好きなように話してるだけだから。それで、どうなの」
「ううん。夏の海は暑い。冬は寒い」
「それって、海じゃなくても変わらないよね」
朱姫葛ににやにやとしながら言われて、はっとする。言われてみればそうだ。自分の体感を言い表すことしか考えていなかったから、客観的にどう聞こえるかを考えていなかった。
「変わるよ。程度が違うんだって」
それでもナツメが実際の経験を思い出して言い返すと、朱姫葛は声を上げて笑った。つい、ムキになる。
「しょうがないでしょ。海がどんな所か、考えたことがなかったんだもん。気になるなら、行ってみればいいのに」
朱姫葛は、首を横に振った。
「行ってみたいわけじゃないんだよ」
「嘘だぁ」
「本当だよ」
後に、ナツメはこの会話を思い出し、彼女の言うことは本当だったのだろうと考えた。心から海に行きたいと思っていたなら、東京へ出た時に行かないわけがない。あそこでは、コツさえ心得ていれば、非力な子どもでもどこへだって行ける。海だってそう遠くない。
──朱姫葛ちゃんの言う海は、何のことなんだろう。
彼女はしばしば、海という言葉を口にした。けれどそれは、いつでもナツメの知る海と重なりそうで、いまいち重ならないのだった。
別の日に、ナツメと朱姫葛は買い物に行きがてら、ちょうど下校するだろう檜を迎えにいった。
我気逢西小学校へ向かっていると、次第に子どもたちとすれ違うようになってきた。集団で下校するように言われているのか、必ず三人以上でまとまっている。すれ違う度に、青白い顔でナツメたちを睨みつけていく。その目の鋭さは、以前弟に絡んでいた悪童たちほどではなかったものの、まだ十歳に届くか届かないかという年の子とは思えない不信と敵意を宿していた。
やがて、コンクリートの塀に覆われた校舎が見えてくる。外壁は元々、クリームのような黄みがかった白だったのだろう。だが、長く続きがちな我気逢の雨を受け止め続けたせいで、黒い涙のような煤が幾筋もついている。この煤は、何の塗装もされていない塀の方が濃く、石灰の色がすっかり黒に染まってしまっていた。
ナツメは校門に立ち、敷地を覗いて、ぎょっとした。
横に長い楕円の校庭の、遊具や樹木のない中心の砂地にたくさんの子どもたちがいる。それだけならば放課後の学校において普通のことだが、ナツメが驚かされたのはその様子だった。
どの子も、ぐったりとグラウンドに倒れているのだ。
ある子どもは大の字になり、空を見上げている。また別の子どもは、胎児のように背中を丸めている。他の子どもと向かい合わせになっている子もいるが、黒目が相手に合っていない。
「保健室に行こう」
ナツメは走り出そうとした。けれど、朱姫葛に引き止められた。
「大丈夫。いつものことだから、そっとしておいてあげて」
「倒れてるんじゃないの?」
「倒れてるけど、具合が悪いわけじゃないから。毎年みんなああなの」
朱姫葛は校庭に踏みこんでいく。まっすぐ校庭を横切っていく背中に、ナツメはおそるおそるついていく。
途中、寝そべる子どもたちの群れる傍を通ったが、まったく見向きもされなかった。近くへ寄ってみると、子どもたちは四、五十人ほどいると分かった。本当に体調の悪い子はいないのかと探してみたが、気分が悪そうにしている様子はまったくない。それどころか、全員微かに笑っていた。空を見上げたり地面へ顔を押しつけたりしながら、子どもらしいふくよかな唇を少しだけ歪め、へへ、へへ、と声を漏らしているのだった。
朱姫葛は彼らの脇をさっさと通り過ぎる。どこか目指している場所があるかのような、迷いのない足取りだ。
ナツメは彼女の足の向かう先を窺う。そうして、庭の隅にある松の木の、校門からは死角になっていた陰に、年長らしい小学生の男たちが取っ組み合っている姿を見た。
「鉈打」
朱姫葛が呼びかける。
しっちゃかめっちゃかになっていた少年たちが、動きを止めた。全員が朱姫葛を見る。
ナツメは、その中心で鼻血を流しながらランドセルを振り回していたのが弟であること、その弟を取り囲んでいるのが、先日川べりで水をかけてきた五人と同じであることに気づいた。
「お前の家は、これを承知しているの」
朱姫葛は問いただした。声を張ったわけでも荒げたわけでもなかったが、少年たちの顔色の変わりようから、彼女の一声がその場を制圧したのだと分かった。
少年たちが、檜を置いてじりじりと後ずさる。誰もが目をかっ開くようにして、朱姫葛を凝視している。
彼らは中心に立つひどい髪型の少年ににじり寄り、口々に訴える。
「草汰君。今日はやめようぜ」
「あれ、良々木の」
「関わったらやばいよ」
全員怯えたような、不安そうな口ぶりである。
中心の少年──檜の話では、学年で一番の乱暴者として知られる、鉈打草汰という男の子だったか──は歯を食いしばっている。血走った目をぎょろぎょろと神経質そうに動かした後、細い顎を引き締めるようにして顔を朱姫葛へ向けた。
「死にぞこないが偉そうな口を利くんじゃねぇよ!」
少年らしくない、しわがれた不快な声だった。
慣れない罵声にさらされ、ナツメの身が竦む。けれど、隣の朱姫葛の顔はぴくりとも動かない。石でできているのではないかと思える無機質な美貌へ、鉈打はさらに罵声を浴びせる。
「いくら本家の養子でも、お前は死んだのと同じ。ごく潰しの疫病神だろうが。それが俺の家のことに口を出すな」
「私は私の話じゃなくて、良々木の約束の話をしてるんだけど」
朱姫葛は淡々と言い返す。
「知らねぇよ。死にぞこないは黙ってろよ」
「私は隣人に、振津姉弟は根づかなかったと伝えた。それでも、この二人がお客であるのは変わらない。客を乱暴に扱うこと、外の人間と仲違いすることを、隣人は何よりも嫌がる。良々木の分家の中心である鉈打の一員なら、知らないわけがないでしょ」
「知るか、知るか。知るかよぉ!」
鉈打は頭を掻きむしり、地団太を踏む。
「こいつらだって、ここの住人なんだ。平等に地獄送りになったっていいだろ」
「それを決めるのはお前じゃない」
朱姫葛はランドセルを抱えて立ちつくす檜のもとへ寄っていき、腕を引いてナツメのもとへ押しつけた。その間も、彼女の顔は鉈打少年から離れなかった。
「今回は、鉈打の主人に何も言わないでおく。でも、次はない」
ナツメたち姉弟は、朱姫葛に促されて少年たちに背を向けた。去る直前に、もう一度ふり返る。取り巻きの少年たちがどうしていいか分からず左右する中、鉈打だけはこちらを睨みつけていた。慌てて正面に向き直る。
「還れない奴が調子に乗るなよ」
喉の割れたような、恨みがましい絶叫が追ってきた。
「お前ら全員、一人残らず地獄を見せてやる。ここに生まれて、苦しまずにいられると思うな」
少年とは思えない、狂ったような哄笑が響く。この騒ぎでも寝そべったままの子どもたちが、へへ、けへ、とうつろに笑う。
揺るぎない朱姫葛の背中を頼りに、ナツメたちはなんとか我気逢西小学校を後にした。朱姫葛の家へ戻ることができても、耳にまだ鉈打の絶叫が残っている気がして、気分が悪い。さらに、帰ってきて改めて弟の状態を確認したところ、鼻血だけでなく体中に引っかき傷や蹴られた痕があるのを見つけて、ナツメは顔をしかめた。
「消毒より、シャワーを浴びた方がいいかもね」
「迷惑かけてごめん」
檜は俯いた。ナツメは首を横に振る。
「謝ることなんてないよ」
ずっと黙っていた朱姫葛も、口を開いた。
「そう。鉈打のあれは、八つ当たりだから。話のあまり通じない人だから、できるだけ出くわさないように気を付けて」
檜は頷く。それから間を置いて、小声で言った。
「ありがとう」
「感謝されるようなことは何もしてない。私は、良々木の約束もあんたたちも同じように使って、自分のやりたいことをしようとしてるだけ」
朱姫葛は暗い声で言う。
思いきって、ナツメは訊ねる。
「朱姫葛ちゃんは、隣人の棲み家に行きたいんだよね。行って、どうしたいの」
すると、これまでずっと揺れなかった朱姫葛の眼差しが、初めて地面へ落ちた。口ごもりつつ、答える。
「正直に言うとね。私自身、あっちに行った後にどうしたいのか、よく分かってないんだ。でも、あっちに行きたいのは本当」
「なら、どうしてあたしたちを助けてまで、隣人の棲み家に行きたいの」
「あっちで確かめたいことがある」
朱姫葛は顔を上げ、ナツメと目を合わせた。彼女の表情は、いつもの仮面に戻っていた。
「確かめたいことって、何?」
「あっちの世界がどうなっているのか。身体を持たない隣人はどうしているのか。身体を失った人間たちは、どこへ行ったのか」
そう言って朱姫葛は微笑み、
「私にあるのは、それだけだから」
と付け足した。
この出来事があってから、三人は学校に行かず、ひたすら家で綱を編むようになった。透明な糸は、みるみるうちに頑丈でしなやかな綱へと変わっていった。ナツメと檜がそれぞれ端を持ち伸ばしてみると、かなり長い。長さを確かめようと居間でぐるぐる巻いてみれば、うっすらと青く色づく綱が悠々ととぐろを巻く。見えない蛇か、結界のようだった。




