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養蝕  作者: 祐川 千
33/44

7-4

 ナツメたちは水路を出て家に戻った。分かったことと分からないこと、どちらも多すぎて頭がいっぱいだったから、戻る道では無言になってしまった。けれど、石の階段からキッチンへ上がって、朱姫葛が床の戸に鍵をかけるのを眺めているうち、いまさらの疑問が口をついた。

「どうしてこの戸を開け閉めできる鍵を持ってるの」

 今日ナツメの家にやって来る予定なんて、彼女にはなかったはずだ。なのに、この家に住んでいたナツメたちすら知らない床下の鍵を持っているなんておかしい。

「この戸のためだけの鍵じゃない。これは、水路への入り口全部に対応してる鍵なんだよ。町内の水路にかかってる鍵は、全部これ一本で開け閉めできるんだ」

 鍵を閉め終えた朱姫葛は立ち上がり、ナツメを見た。きっと、不審な気持ちが顔に現れていたのだろう。彼女は肩をすくめた。

「言っとくけど、あんたらを連中の仲間にしたいとか、良々木の本家と手を組んであんたらに何かしたいとか、そういう考えは私にはないから。この鍵は本家にある水路の鍵の複製。個人的な調べごとの都合で、いつも持ち歩いてるだけ」

「調べごとって何」

「あんたらには関係のない話だよ」

 朱姫葛は鍵を鞄の中へしまいこんだ。素っ気ない言い方だが邪険ではなかったので、ナツメはもっと踏みこむ。

「朱姫葛ちゃんは、普通の人間なんだよね」

「多分そう。私は町の外をよく知らないから何とも言えないけど、少なくともこの町に棲んでいる奴らとは違う」

「どうしてこの町に詳しいの」

「一応良々木の血族だからかな。それでも、知らないこともあるけどね」

「なんでクラスの皆みたいに、別のものになってないの。良々木の人たちは入れ替わられないことになってるとか?」

「ううん。良々木でも、分家はみんな女神を割り振られて入れ替わられることになってる。私がこのままなのは色々事情があるんだけど、一番の理由は女神がいないからかな」

「どうして? 直系じゃないんだよね」

「うん。直系は叔父の家。私はその妹の娘だから、本来なら分家になるはずだった」

 ナツメが次の問いを言おうとするのを、朱姫葛が制して問う。

「私が信じられない? 志乃みたいに、そのうち同じだけの厚意を返せって迫ってくると思ってる?」

 ぎくりとした。

 何も言えないナツメに、朱姫葛はやっぱりねと笑う。

「私だって、何の見返りなしにここまで来たわけじゃない。けど、他の奴らとはちょっと違う。私はあんたと厚意を押しつけ合う友達ごっこがしたいんじゃなくて、この町で望みを叶えるために手を組みたい。それも、ずっとじゃなくていい。海の日までの期間限定」

 海の日。あと十日ほど後にやって来るその日には、式がある。

 式に参加してと言うのだろうか。

「式には出ないよ」

 朱姫葛はこちらの不安を言い当てた上で、

「あんたらに女神のことを教えたのは、その話をするために必要だったから。私の都合でやったことだから、見返りは求めない。提案だけでも聞いていかない?」

と言った。

 ナツメは檜と顔を見合わせた。檜は戸惑っている。ナツメとて同じだ。

 朱姫葛は明らかに他の住人と違う。信頼できるような気がする。けれど、信頼できると言い切るには程遠い。

 だからと言って、彼女の提案を聞く以外にナツメたちにできることはなかった。ならば、新たな可能性を探すためにも、朱姫葛の話を聞くしかない。

 ナツメが頷くと、朱姫葛は場所をリビングに移そうと言った。

「立ったまま話すのは疲れるでしょ」

「いいけど、急に町の誰かが来たり、ママみたいなあれが戻って来たりしないよね?」

「ない、ない。玄関と水路に繋がる階段には、鍵をかけてあるから大丈夫。何より、私がここにいるからには、あんたたちの父親みたいなあれも帰って来ないと思うよ」

 どういうことなのかと聞いたけれど、先に提案をさせてほしいとかわされてしまった。

 キッチンとリビングには、誰もいなかった。それだけでなく、家に一切人の気配がない。母らしきものもいないようだ。まさかとは思うが、水路にいた時に聞こえた水に飛び込む音は、彼女のものだったのだろうか。泳いでどこかに行ってしまったのだろうか。

「何から話したら分かりやすいかな」

 リビングの椅子に腰かけて、朱姫葛は腕組をした。ナツメと檜は、対面の席で彼女の言葉を待つ。

「率直に、私の望みから話すよ。私は、あいつらが元々いた場所へ行きたい。けれど、女神を持たない私はそこへ行けないから、あんたたちと一緒に行きたい」

 檜が声を上げる。

「ええ、やだよ。絶対やだ。よく分かんないけど、あいつらの巣に行くってことだろ。そこで、あいつらに襲われるしれない。俺たちはここから出たいだけなんだ」

「襲われる可能性はないでもないけど、一緒に行った方があんたたちのためにもなると思うけどな」

 朱姫葛は冷静に返す。

「どうして」

「だって、女神から逃れる方法は、女神を返しにあっちへ行くことくらいしかないからね」

 ナツメは訊ねる。

「ねえ。ずっとよく分かってないんだけど、結局町にいるあれは何なの」

 途端、檜がせききって話しだした。

「俺も、他にもいろいろ分からなかったから聞きたいんだけどさ。水の道って何。この町が今でも海だってどういうこと? 女神に使われていた髪の毛って、俺らのじゃないよね?」

「分かったよ。順番に説明するから、そんなに一度に聞かないで。説明するにも、話がややこしくなる」

 朱姫葛は、前のめりになるナツメたち姉弟とは対照的に、背もたれに身体を預けるようにして身を引いた。

「そうは言っても、私も良々木の本家も、あいつらとこの土地については分からないことが多いんだけどね。でも、少しでも分かりやすく話せるように、これからはあいつらのことを、本家の呼び方にならって隣人って呼ぶね」

「人間じゃないんじゃなかったの?」

「そういうことじゃない。隣にいる何かだってことしか分からないから、隣人って呼んでるんだ」

 朱姫葛は、隣人と我気逢町の話を始めた。




 良々木家と隣人との繋がりは、今から一五〇年と少し前より始まった。

 まだ我気逢という名で呼ばれてすらいない。小さな集落だったこの土地に、若者がやって来た。彼の名は吉木威助(よしきいすけ)。良々木家の先祖であり、後にヨシヨシ生体工業株式会社の元となった事業を立ち上げる人間だ。

 威助は、商売の元手となるものを探して旅をしてきた。だが、特に何をしたいというあてはなかったという。時代の風に吹かれ、もうすぐ臨月の妻を持ち、とめどない理想と野望に胸を膨らませていた。それだけのありふれた若者だった。

 威助はそこそこ裕福な商家の生まれだった。だから、妻を家人に任せて気楽に旅に出ることも許された。

 威助が目をつけたのは、集落の西に広がる連山だ。少し離れたあたりの山々には、銅が掘れたり温泉が出たりと、資源のあるものが多いので、もしかしたらこの山にも何かあるのではないかと考えた。

 彼は集落のとある民家に一泊させてもらい、その翌日に山へ分け入った。泊めてくれた家の主人ををはじめとして、集落の者は口を揃えて決して山に入るなと言っていたが、それがかえって威助の冒険心をかき立てた。

 山を歩いていると、威助は激しい雨に降られてしまう。雨宿りする場所を探すうちに、岩壁に大人がちょうど一人入れそうなくらいの洞を見つけた。そこで、くつろぎながら雨が止むのを待つことにした。

 けれど、なかなか雨足が弱まらない。暇を持てあまして岩の洞を眺めていた威助は、大きな岩の影になった奥の方に、空間が続いているのを見つけた。

 自分がいるのは、洞穴だったのだ。

 気づいてしまうといても立ってもいられなくて、奥へ進んでみた。ぐねぐねとしており、進む方向の分からなくなるような一本道を、ひたすら歩いた。途中に地下湖があったので、そこで水を汲んで一息つき、最奥を目指した。

 やがて洞窟の出口が現れた。

 その先で、奇妙な景色を見た。

 目に飛びこんできたのは、青い世界だった。土も空も青く、広々として果てが見えない。山のどの方角へ出てしまったのかと空を見上げたが、太陽すら見つけられなかった。

 明るい青空のような天井から、何かが近づいてくるのが見えた。それは、たとえるなら細長いてるてる坊主に似ていた。

 てるてる坊主のようなそれは三体やって来て、威助のまわりでかごめかごめをするように宙を舞った。どいつも頭に似た部分を下にした逆吊りのような姿勢をしていたから、威助はその頭のようなものをよく見つめた。まっさらな布で作った球体のようなそこには、何の凹凸も見当たらなかった。

 威助は自分を囲んで空を舞う彼らを眺めているうちに、なんだか楽しい気持ちになってきた。

 その時、彼らの挨拶が聞こえた。

 威助は驚いた。声はなかったけれど、確かに彼らの意思が伝わってきたと理解できた。そして、彼らが威助に好意的であることも分かった。

 彼らは親切で、博識だった。威助の理想や野心を汲み取り、励まし、この先に金や銀が山ほどあること、それを財として何かすればいいと教えてくれた。

 威助は感極まった。

 何かお返しをするのは当然だ。そういう気持ちになった。

 威助にとって彼らは、早くも心の友になっていた。そのため、彼らの長年の望みも理解していた。

 彼らは、洞窟の向こうの世界がそもそも自分たちのものだったと認識していた。そちらへ自由に行けるようにするために、地に足をつけて動ける、個性ある肉体を求めていた。

 だから威助は家に帰ってすぐ、妻を連れて山へ戻った。そして、あの洞穴にある地下湖に妻を突き落とした。

 妻には彼らの一人が宿った。腹の子は流れたが、夫妻は気にしなかった。その子が、彼らをこちらへ結びつけるためのかすがいになると知っていたからだ。

 威助は山へ住まいを移し、道場を始めた。

 人を集めるために悩みを持つ人々を呼び集め、こっそりと地下湖に連れて行き、殺した。人間は水の中でぐったりと力をなくしたかと思うと、すぐに息を吹き返す。もちろん、その中に息づいているのはあの隣人だ。隣人はたくさんおり、体がいくらあっても足りないようだった。

 人間に溶け込んだ隣人たちは、それぞれの居場所に戻り、人間生活を楽しみながら道場に投資してくれる。また、新たな人間を道場へ連れてきてもくれる。

 おかげで、威助の財力は瞬く間に膨れ上がった。威助は姓を吉木から良々木に変え、怯えた先住民たちのいなくなった集落をもらい受け、そこに自分の手がけるさまざまな事業を展開し始めた。働き手は人間の体を手に入れた隣人たちの一部がこなしてくれるので、経営も人手も困ることがない。新しく外からやって来た働き手は、隣人たちが勝手に新たな仲間に生まれ変わらせてくれるので、手間がない。

 集落はみるみる活性化し、広がっていった。やがて集落は、沖合村と呼ばれるようになった。




 カーテンが夕焼けに染まっている。

 朱姫葛が話し始めてから、長い時間が経っていた。けれど、家に誰かが訪ねてくることは一度もなく、ナツメたちは彼女の話に集中することができていた。

「それからずっと、良々木の発展の裏には隣人がいた。ううん。隣人が、たくさんの仲間をこっちに連れてくるために、良々木を発展させてるんだろうね。式も、そのために必要な手順の一つなんだよ」

 隣人が人間に宿るには条件があるのだ。

「隣人は、ある程度成長した人間じゃないと入りこめない。隣人になった人間同士で結婚して子どもを産んでも、子どもに隣人は宿らない。だから、生まれてきてしまった普通の人間を殺して、隣人にする必要がある。それが式。この町の子どもは、十二歳になる年の海の日に、十五歳になる隣人たちに殺される。こうすることで、十五歳の隣人たちは一人前として認められる」

「本当に成人式だったってことだね」

 ナツメが言うと、朱姫葛は頷いた。

「隣人は人間の真似が好きで、どうやったら人間の中で騒ぎを起こさずに生活できるかを、よく知ってる。だから、殺される人間を主役にしない式を計画した。式は、人間生活を楽しみながら、一緒に人間ごっこをするための仲間を増やす遊びなの」

 急に、隣の椅子が音を立てて倒れた。

 ナツメは隣を見た。檜が立ち上がっている。その顔は蒼白で、朱姫葛を睨んでいた。

「ふざけるなよ。人が死ぬんだぞ。それが遊びだなんて、おかしいよ」

「私に言われても困る。これは隣人の理屈なんだから」

 朱姫葛は冷静に返した。

「私たちこの町の子どもが、これまで何もしなかったと思う? 隣人にそういう理屈は通じない。あれは人の真似が好きなだけで、人じゃない。自然現象と似た何かなんだよ」

 檜は激しく頭を横に振る。

「こんな話、証拠がないと信じられない」

「そうだよね。この話をすると、いつだってみんなそう言う。その話を裏付ける証拠はあるの? 物証は? 私にあるのは経験だけだから、何も証拠になるものなんてない。だって、ここでは何も起こっていないんだもの。何か起こっていたとしても、全部合意の上でのことなんだから」

「そうだったね」

 ナツメは思い返す。

 クラスメイトは、いつだってナツメの合意を求めた。一度許してしまえば、その理屈でどこまでも押し入ってきた。

 朱姫葛は呟くように言う。

「だから、同じことばかりくり返す。誰にも知られず人が死んで、奴らが成り代わる。そのくり返し」

「女神を返せば、本当に町から出て行ける?」

 ナツメが聞くと、朱姫葛は答えた。

「多分。昔、良々木の子どもが一人、そうやって逃げ出したっていう記録が残ってた。だから、うまくやれば逃げ出せると思う」

 少女は言い聞かせるように、ゆっくりと言う。

「与えられたものを返さないと、ここから出ていけない。海の日にだけ、隣人の棲み家への扉が開く。隙をついて忍びこんで、女神を返してくる。それくらいしか、脱出の方法はないよ」

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