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養蝕  作者: 祐川 千
22/44

5-3

 ある夜のことだった。

 ナツメはそろそろ眠ろうと思い、窓のカーテンを閉めに行った。

 カーテンを引きながら、外の様子を一瞥する。

 月は半分に欠けていた。半分では、電気のあまりない田舎町を照らしきることはできない。山と町が一体化して切り絵の影のようになっている。遠くを見ることはとても敵わない。外灯を頼りに近くを見るのもやっとの有様だ。

 ふと視線を下げて、心臓が跳ねた。

 誰かが、家の門の前に立ってじっとこちらを見ている。逆光になっていて人影の輪郭しか分からないが、小柄な影だ。

 ナツメは、ぴっちりとカーテンの合わせ目を閉じた。

 ──あたしを見てたわけじゃない。

 きっと、空か何かを見上げていて、偶然目が合ったように思えただけだ。そう思いたかった。

 しかし、どうしてあんなところにいたのだろう。空を見るなら、もっと広い田園の方にでも向かえばいいのに、なぜわざわざ、人の家の前にいるのか。

 早く寝よう。ベッドに逃げてしまおう。

 そう思うけれど、今電気を消したら自分の存在をあちらに知らしめてしまうかもしれない。そう考えてしまい、ナツメはしばらく動けなかった。

 ──ピンポン。

 下から、微かにチャイムの音がした。

 リビングで、母が答える声。

 スリッパが廊下を滑る音。解錠音。

 少し間が空いて、母の言葉が聞こえた。

「ナッちゃん、お友達が来てるわよ」

 耳を疑った。

 勉強机に置かれた時計を見る。時刻は二十三時四十八分。こんな時間に、誰が、何の用で来るのだろう。

 チャイムを鳴らしたのは、先ほど家の前にいたあれだろうか。

 家の前のあれは、本当に自分の友人なのだろうか。

「ナッちゃーん?」

 母の呼び声が近くなる。部屋まで迎えに来るつもりだ。

 誤魔化せない。ナツメは覚悟を決めて、部屋を出た。

 母は、部屋の前まで来ていた。

「何?」

「お友達よ」

 母はにこやかに言った。

 ナツメは一階に下りて行った。玄関にいたのは、志乃だった。彼女はナツメの顔を見ると、嬉しそうに歯を見せた。

「ああ。寝ちゃうのかと思ってたけど、やっぱり起きてた」

 先ほど玄関の前にいて、こっちを見ていたのはこの子だ。

 ナツメは確信した。

 家の前にいたのが見知らぬ人物でなくて良かった、と安堵すればいいのか。

 はたまた、毎日学校で会う人間の奇行を咎めればいいのか。

 判断できなかった。ただ、なんで、と呟いた。だが、口の中がカラカラで、うまく声を出せなかった。

「どうしたの」

「ナツメちゃん、スマホが壊れちゃったでしょ?」

 確かに、だいぶ前にスマホは壊れた。だから新しいものを買ってもらい、取り寄せられるのを待っているところなのだが、一向に届かない。そのため、ナツメはしばらく、スマホのない生活を送っていた。

「だから、会いに来たの」

「何のために」

 恐怖より疑問が勝り、つい聞いてしまう。

 志乃は当たり前のように言った。

「おやすみって言うために」

 ナツメは唖然とした。

 志乃は言う。

「前は、ナツメちゃんがやりとりしたがるから、毎日やってたでしょう? ナツメちゃん、言ってたじゃない。やりとりするのが楽しいって。この時間にお休みって言える友達ができて良かったって」

 家が近くて良かった。

 だって、いざって時は直接に言いに来れるんだもの。

「最近、ずっと言えなかったでしょ。それを思い出したら急に寂しくなっちゃって、思いきって来ちゃった。部屋に電気がついてるけど、本当にいるのかなと思って、様子をしばらく見てたんだけどね。さっき窓を開けてる顔が見えたから、行けるかもって思って、チャイムを鳴らしたの」

 志乃は言った。

「おやすみ」

 ドアが閉まった。

「仲のいい子ができて良かったわね」

 母が嬉しそうに言うのを聞いて、ナツメは泣きたくなった。

 ──やっぱり、ママは死んだんだ。

 もう、この家は安全な場所じゃない。

 眩暈がした。




 ナツメは友人グループとの交流頻度を減らそうとした。毎日のように放課後遊んでいたのを、断るようにしたのだ。

 すると、彼らは誘うのをやめた。代わりに、直接ナツメの家へ遊びに来るようになった。

 家に入れたくない。もう関わりたくない。

 そう思っても、母が勝手に入れてしまう。母が家にいない時はほとんどないから、ナツメには防ぎようがなかった。

 一度、放課後の塾がある時に遊びに誘われ、これ幸いと断ったことがあった。すると、その日のうちに母が塾へ電話し、勝手に辞める話をつけてしまった。

「どうしてそんなことするの。勉強はしっかりしなさいって言ってたのに」

 ナツメは泣いた。

 しかし、母は意に介さなかった。

「贅沢言わないの」

 逆に諭してくる。

「知識なんていつでもつけられるでしょ。それより、遊びに来たり困った時に助けたりしてくれる友達を大事にしなさい。遊びに来てくれる友達がいるなんて、恵まれてるのよ。友達は大切にするべきよ」

 ナツメが家の鍵を閉めても、遊びたくないと泣いても、母は聞いてくれない。

 まるで、以前自分が母にした仕打ちが、そのまま返ってきたようだった。

 家に遊びに来た友人たちは、まるで自分自身の家にいるかのようにくつろいだ。

 上がりこんで、リビングを占領する。中学生が五人もいると、狭い。それがら好き勝手ソファでくつろいだり、カーペットに寝転がったりするのだからたまらない。

 冷蔵庫を勝手に開けて、そこにある食べ物をねだることもする。その日のデザートにとナツメがとっておいたゼリーも食べてしまう。ナツメが渋っても、母が許可を出してしまえば、無意味だった。

「食べ物はそもそもみんなのものでしょ。みんなのものをもらってるんだから、みんなが欲しいと言ったらあげるのよ。ナッちゃんの分は、また買ってくればいいじゃない」

 母はそう言って、冷蔵庫や菓子棚にあるものを、すべて友人たちに振る舞ってしまう。後で買いに行けばいいと言ってどんどん物をあげ、その分、ナツメや檜を買い物にこき使う。

 食べ物だけなら、まだマシだった。

 母は、友人がねだるものなら、食べ物以外も差し出した。家族が共用で使っているシャープペンシル。弟の飼おうとしたカタツムリ。ナツメがリビングへ置きっぱなしにしてしまったネックレス。買ったばかりのフライパン。

 意味が分からなかった。

 惜しみなく物を与えてしまう母も、それを喜んでもらう友人たちも、おかしいと思った。だが、ナツメが輪に入らず立ち尽くしていても、泣いていても、友人たちはおかしいと思わないらしかった。

「どうしたの、ナツメちゃん」

「何で泣いてるの?」

「一緒に遊ぼうよ」

「体調が悪いなら休む?」

「俺らは、夕方になったら帰るからさ」

 五人は口々に言う。その顔には本当に善意しかない。

「ほら、お友達が気を遣ってくれてるじゃない」

 母は、ナツメの味方になってくれない。

 必ず「みんな」や「お友達」の肩を持つ。

 体調が悪いと言って、部屋に籠ってみたこともあった。すると、部屋の前まで志乃や瑛美、浄美、もしくは母がやって来る。数十分おきに一度、誰かが必ず、話しかけにくる。

「大丈夫?」

「何かしてあげようか?」

「部屋に入っていい?」

 これまでの経験から、厚意を受け取ったら終わりなのだと学んでいた。家に一度入れてしまえば、その後は許可なくいつでも入ってくるということも分かっていた。自分の個室にまで入られたら、たまらない。

 仕方なく、部屋を出る。もう良くなったと適当なことを言って、下の、友人たちでいっぱいになったリビングへ戻る。

 友人たちがテレビゲームに熱中する横に並ぶ。しかし、楽しめるわけもない。

 もやもやとした不安と恐怖ばかりが募っていく。

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