第4話 女神の目的
俺がその不気味な切り替えの早さに戦慄していると、エリスは何事もなかったかのようにパンッ!と手を叩いた。
「ではご挨拶も済んだところで……リリィさん、少しだけセレスティアさんをお借りしますね♪」
唐突な提案に、そばにいたリリィが俺の制服の裾をキュッと掴む。
まるで自分の大事なものを取られないように、守ろうとするかのように。
明らかに空気が重い。その瞳がじっとりとエリスを見上げている。
「なんなんですの、急に」
俺が訝しむと、エリスはスッと顔を寄せ、俺の耳元で甘く囁いた。
(私に聞きたいこと、山ほどあるんでしょう? 場所を変えましょうか)
(……ッ)
図星だ。
俺は小さく息を吐き、隣で不安そうに震えるリリィの頭にそっと手を置く。
「リリィ、すぐ戻りますわ。少し待っていてくださる?」
「……はい。約束……ですよ……?」
「ええ、約束しますわ」
俺は優しくリリィの頭を撫でて安心させる。
リリィは名残惜しそうに俺の袖を離した。
後ろ髪を引かれる思いだが、今はエリスの話を聞くのが先決だ。
「くぅーあのクソ女! またお姉様を!
いつかぶっ飛ばしてやります!」
「いやいや……学園でそんなことしたらだめだから」
去り際にそんなカノンとクレアのやり取りが聞こえた。やっぱ怖いなあの子。
そして――。
「ここでいいでしょう」
俺とエリスは教室から廊下に出た。
「こんなところでいいんですの?
周りにたくさん人がいらっしゃいますが……」
休み時間の廊下は生徒たちで賑わっている。だが、奇妙な違和感があった。
すれ違う生徒たちが、誰一人として俺たちに反応していない気がする。まるで俺たちが道端の石ころにでもなったかのように、視線すら向けずに通り過ぎていく。
「周りの認識を阻害しています。これなら誰にも聞かれずに話せるでしょう?」
「……便利な力だな」
そういうことなら言葉に気をつける必要もないな。
俺は周囲を気にせず、素の口調でそう返した。
こいつは俺の正体を知っている。二人きりでわざわざ悪役令嬢を演じる必要もない。
「お前、どうやってクラスに潜り込んだんだ?みんなお前のことを最初からいたみたいに扱ってるが」
「神の力で『認知』をいじったんですよ。
最初から私はこの学園の生徒でした――とね。
ほんとは天界から見守ってるつもりだったんですけど近くで見てたほうが面白いかなって♪」
エリスは悪びれもせず、軽い調子で答える。
「目的は何なんだよ。俺をこんな異世界に転生させて、何がしたいんだ」
「ただの暇つぶしですよ♪」
「は?」
「前も言ったじゃないですか。天界ってやることなくて暇なんですよねぇ……で、色々な世界を覗いてたらたまたま『強い願い』を持ったあなたの魂を見つけたんです♪」
彼女はクスクスと笑いながら、俺の顔を覗き込む。
「『生まれ変わったら悪役令嬢になりたい!』……そんな強烈な願いを持った魂をね」
「うっ……否定はできん」
確かに前世の俺は悪役令嬢への強い憧れを持っていた。まさかそれが神様の目に止まるとは。
「だから叶えてあげたんですよ♪感謝してくださいね?こう見えて私、神なんですからね?」
「うっとうしい神だな。まあ、夢が叶ったことについては感謝するよ」
恩着せがましいが、実際に俺は今、憧れの悪役令嬢になれているわけだ。そこは素直に認めるしかない。
「……そういえば、俺にはセレスティアの記憶が一切ない。なのに、リリィもカノンもクレアも、それに他の生徒たちも、俺のことを違和感なく受け入れている。これもお前の力なのか?」
「おや、気づきました?」
エリスはパチンと指を鳴らした。
「あなたがこの学園に馴染んでいるのも、私の力のおかげなんですよ。そもそもあなたのその肉体も、あなたの理想通りに私が作ってあなたの魂を入れたんです。つまり本来、セレスティアはこの世界には存在していなかったんですよ。そこで女神であるこの私がちょちょいっと馴染ませてあげたわけなのです♪」
「……マジか」
つまり俺がここで生きていられるのは、元を正せばこいつのサポートがあったからというわけか。
そこまでお膳立てされているなら、一つ聞いておきたいことがある。
「……じゃああの殿下が俺にプロポーズしてきたのはなんなんだよ?あれもお前の仕業なのか?」
「知りませんよそんなの。神の力だって万能じゃないんですよ。私たちの存在を世界に馴染ませただけでこの世界の人が何をするかなんて予想できませんよ」
「……そういうものなのか」
勘弁してくれ。もしかしてまたあいつにプロポーズされる可能性があるってことか?
「ですが安心してください♪私はあなたの味方なので♪」
エリスはそう言って俺に向かってニッコリと微笑んだ。純粋な善意を感じる笑顔だ。
「私のこと、利用してくれていいんですよ? 暇つぶしにもなりますし♪せっかくの『悪役令嬢ライフ』なんですから楽しまなきゃ損でしょう?セレスティアさん♪」
どうやらこの女神、本当に俺の味方をしてくれるらしい。
神様がバックについているなら心強いことこの上ない。
「ああ、分かったよ。それなら遠慮なく頼らせてもらう」
「ふふ、はい♪さ、そろそろ戻りましょうか。可愛い恋人さんが待ちくたびれていますよ?」
エリスが指を鳴らすと、廊下の空気がスッと元に戻った。
教室に戻ると、
「お姉様ー!」
カノンが近づいてくるよりも先に、
「セレスティア様!」
ドンッ!とリリィが抱きついてきた。
「セレスティア様……その……私……」
抱きつきながら、うるうるとした瞳で俺を見上げる。
そんなに寂しい思いをしていたのか。
「リリィ、大丈夫ですわ」
俺はよしよし、と頭を撫でてあげる。
「えへへ……」
嬉しそうに目を細めるリリィ。かわいい。
だが、横から不満げな声が飛んでくる。
「ちょっとなんなのよ!私は一度もお姉様に撫でられたことなんてないのに!」
「……はぁ」
嫉妬心をむき出しにするカノンを見て、クレアがやれやれと言った感じでため息をつく。
「ふふ、賑やかな人たちですねー♪」
騒がしい日常を、エリスが楽しそうに眺めている。
俺はそんな教室の真ん中で、小さく苦笑した。




