第9話 狙われた技術と二人の絆
深夜二時。
アトリエ・リリスは静寂に包まれていた。
……と言いたいところだが、私の手元では冷却ファンが低い唸りを上げている。
「出力調整、よし。安定しています」
私は作業台に向かい、明日の夜会で使う『秘密兵器』の最終調整を行っていた。
レイモンドたちが何か仕掛けてくるなら、こちらの迎撃準備も万全にしておく必要がある。
備えあれば憂いなし。リスク管理の基本だ。
ピピッ。
手元のモニター用魔石が、鋭い警告音を鳴らした。
『エリア4(裏口)、解錠検知。物理的破壊痕跡なし。高度なピッキング技術と推測』
「……おや」
私は眼鏡の位置を直し、モニターを覗き込んだ。
暗視モードの映像に、黒装束の男が映っている。
足音を完全に消し、気配を殺している。防犯カメラの死角を縫うように移動する、プロの動きだ。
レイモンドが接触したという「裏ルート」の刺客だろう。
「仕事が早いですね。感心します」
私は感心しつつ、手元のスイッチに指をかけた。
普通なら悲鳴を上げて騎士団を呼ぶところかもしれない。
だが、ここは私の城だ。
私の許可なく入室できるのは、ルーカス(スポンサー)と、予約客だけである。
「ようこそ、実験場へ」
侵入者が、私のいるラボのドアに手をかけた。
カチリ。
音がした瞬間、男が目にも止まらぬ速さで室内に滑り込み、私の首元へ短剣を突き出――
『検知完了。防衛シーケンス、起動』
無機質な合成音声が、男の思考より速く響いた。
天井のハッチが開く。
バシャアッ!!
「……ッ!?」
大量の液体が、侵入者の頭上から降り注いだ。
ただの水ではない。
私が開発した『超強力粘着スライム液(洗濯耐久性アリ)』だ。
「な、んだこれは……!?」
男が声を上げるが、踏み出した足が床から離れない。
スライム液が空気に触れて急速硬化し、彼のブーツと服を床と一体化させていく。
「動かない方がいいですよ。暴れるほど分子結合が強くなりますから」
「き、貴様……! 罠か!」
男が私を睨み、短剣を投げようと腕を振り上げた。
その動きすら計算済みだ。
バチィッ!!
「あがぁっ!?」
スライム液に通電。
床全体が巨大なスタンガンと化した。
男は白目を剥き、直立したままピクピクと痙攣し、やがて糸の切れた人形のように崩れ落ちた……はずだったが、足が床に強力に接着されているため、倒れることができない。
結果、彼は重力に逆らい、斜め45度の前傾姿勢で固まった。
「マイケル・ジャクソンのような角度ですね。素晴らしい体幹と接着力です」
私は感心しながら近づいた。
念のため、麻痺ガス(即効性)も噴射しておく。
これで朝まで起きないだろう。
「さて。サンプル回収です」
私は男の懐を探った。
出てきたのは、アークライト家の紋章が入った金貨袋と、私の顔写真が載った手配書。
『生け捕り。多少の損傷は問わず』と書かれている。
「……野蛮ですね」
技術の奪取ではなく、誘拐が目的だったか。
あの元婚約者は、どこまで私の評価を下げるつもりなのか。
『警告。空間座標の歪みを検知。高エネルギー反応、接近』
再びモニターが鳴った。
今度は物理的な侵入ではない。
空間そのものをねじ曲げる、強引な魔力干渉。
「リリス!!」
空間が裂け、アトリエの空気が爆ぜた。
転移魔法だ。
青白い光の中から現れたのは、剣を抜いたルーカスだった。
「無事か!? 心拍数が上がったと通知が……!」
彼は血相を変えて私に駆け寄った。
いつもの完璧な着こなしではない。
シャツのボタンは掛け違えられ、ネクタイもしていない。胸元が露わになり、呼吸が荒い。
執務室か寝室から、着替える間も惜しんで飛んできたのだろう。
「怪我は!? 奴はどこだ! 私が八つ裂きに……」
「落ち着いてください、オーナー。敵ならそこにいます」
私は指差した。
粘着液まみれで、斜めに固まっている不審者を。
「……は?」
ルーカスが動きを止めた。
剣を構えたまま、ポカンと口を開けている。
氷の王子にあるまじき間抜けな顔だ。
「『自動粘着スライムマット』の実戦データが取れました。捕獲率は100%です」
「……君がやったのか?」
「はい。非殺傷、かつ証拠保全も完璧です」
ルーカスは剣を収め、深いため息をついた。
その場にへたり込むように、近くの椅子に座る。
「……ははっ。君には敵わないな」
彼は前髪をかき上げ、肩を震わせて笑った。
「私の腕輪が、君の心拍上昇を告げたんだ。血の気が引いたよ。……君を守るつもりで飛んできたが、君の技術(城壁)の方が強固だったとは」
「心拍数? ああ、侵入者が来た時の驚きで少し上がっただけです」
私は彼が私につけさせた通信用の腕輪を見た。
そんな機能(監視機能)があったとは。プライバシーの侵害だが、今は文句を言う気になれない。
ルーカスは立ち上がり、私を強く抱きしめた。
汗の匂いと、微かな香水の香り。
「え、あ、ルーカス様? スライムがつきますよ?」
「構わん」
彼の腕が強く締まる。
耳元で聞こえる鼓動が、早くて、大きい。
彼は震えていた。
「怖かっただろう。……すまなかった、駆けつけるのが遅くて」
「いえ、戦闘時間は30秒でしたので……」
「……そういう問題じゃない」
彼は私の頭に顔を埋め、深く息を吸った。
「君が無事でよかった。本当に……」
その声に宿る熱量に、私は言葉を失った。
彼は本気で心配してくれたのだ。
私の「機能」ではなく、私という「人間」が傷つくことを恐れて。
「……ありがとうございます」
私は躊躇いながらも、彼の背中に手を回した。
彼の体温が、私の強張っていた神経(戦闘モード)を溶かしていく。
一人で戦える。そう思っていたけれど。
誰かが駆けつけてくれることが、こんなに安心するものだとは知らなかった。
「でも、ルーカス様」
「なんだ」
「この侵入者、どうしましょう? 洗濯しても落ちない強力タイプなんですが」
「……そのまま転がしておけ。後で部下に回収させる」
ルーカスは顔を上げ、いつもの不敵な笑みを取り戻した。
「それに、ちょうどいい証人だ。明日の夜会、レイモンドへの『プレゼント』として使わせてもらおう」
「……性格が悪いですね」
「君を狙った代償だ。高くつくぞ」
彼は私の額にキスをした。
優しくて、甘いキス。
そのまま、熱っぽい瞳で私を見つめる。
「さあ、少し休め。私が朝までついている。……明日は決戦だ。私の婚約者として、世界一番美しく着飾ってもらわないとな」
「またその『婚約者』設定ですか。……まあ、業務命令なら従いますけど」
私は照れ隠しに眼鏡を外した。
視界がぼやけて、彼の色気のある表情が見えなくなる。
それが少しだけ、悔しいような、安心するような。
夜明け前のアトリエ。
斜めに固まった侵入者を背景に、私たちは共犯者のように微笑み合った。
明日の夜会。
ガーネット王国の愚か者たちに、本当の「魔法(技術)」と「愛」の重さを教えてやる時が来た。




