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指輪よりオリハルコンの工具を渡された時、私は結婚を決めました  作者: 九葉(くずは)


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第6話 ガーネット王国の衰退と焦り

アトリエ・リリスの朝は早い。

午前五時。私は自作の『全自動エスプレッソマシン・改』のスイッチを入れた。


プシュー……コポコポ。

香ばしい香りが漂う。

温度93度、抽出圧力9気圧。完璧な数値だ。


「……平和ですね」


私は湯気の立つカップを手に、窓の外を眺めた。

ラピスの朝霧。路地裏の静寂。

誰にも邪魔されず、納期とルーカス以外に追われるものがない生活。

これが「最適化された日常」というものだろう。


コンコン。

その平和を破るノックの音がした。


「リリス。入るぞ」


返事をする前にドアが開く。

ルーカスだ。

彼は当然のように合鍵を使い、焼きたてのクロワッサンの紙袋を提げていた。


「おはようございます、オーナー。朝から不法侵入ですか」


「視察だ。……それと、君に『極上の朝食の友』を持ってきた」


ルーカスは私の向かいの席に座り、一枚の書類をテーブルに置いた。

クロワッサンよりも楽しそうに、彼はその紙を指差す。


「読んでみろ。ガーネット王国に潜伏させている『草』からの報告書だ」


「産業スパイの報告書をおかずに飯を食えと?」


私は呆れつつも、書類を手に取った。

職業病だろうか、文字を見るとつい読んでしまう。


『報告書:アークライト男爵邸における環境異変について』


タイトルを見て、私は眼鏡の位置を直した。


『○月×日。屋敷内の平均気温、35度を突破。湿度は80%以上。温室のような状態が継続中』


「……ああ、空調魔石を抜きましたからね。あの屋敷、断熱材が入っていないので」


私はコーヒーを啜りながら淡々とコメントした。

外気の影響をダイレクトに受ける設計なのだ。


『同日。屋敷内で原因不明の異臭と、大量の害虫(主に蚊とゴキブリ)が発生。マリアンヌ嬢が「虫がいる!」と半狂乱になり、香水を撒き散らして異臭騒ぎに発展』


「『害虫駆除結界』の発生装置も回収しましたから。あの辺りは湿地帯に近いので、結界がないと虫の楽園なんです」


『さらに、浴室にて水難事故発生。二階の浴槽から水が溢れ出し、一階の応接間が水浸しに。天井が崩落し、男爵が「リリスの呪いだ!」と錯乱中』


「呪いではありません。物理現象です。給水弁の制御魔石を外した結果、水圧で弁が破損しただけのこと」


懐かしさすら覚える。

そう、私がメンテナンスを始める前のあの家は、まさにこんな「欠陥住宅」だった。

私が三年間、毎日魔力を注ぎ、徹夜で調整していたからこそ、彼らは「快適」を享受できていたのだ。


「どうだ、リリス。感想は?」


ルーカスが意地悪な笑みを浮かべて覗き込んでくる。


「感想ですか? ……『人選ミス』ですね」


「ほう?」


私は書類の最後の一行を指差した。


『王都の魔導士ギルドより、一級修理工を招聘。修理を試みるも、起動実験中に配電盤が爆発。業者は「こんな変態的な術式は扱えない!」と叫んで逃走。屋敷の全機能が停止』


「私の魔導回路は、独自の術式で組んでいます。市販の規格とは電圧も周波数も違う。それを理解せずに、適当な魔力を流し込めば……」


「過負荷でショートする、か」


「ええ。セキュリティとして、不正アクセス時には回路を焼き切る『防衛術式(自壊コード)』も仕込んでありましたし」


「……君は本当に、敵に回したくない技術者だな」


ルーカスは感心したように(あるいは少し引いたように)クロワッサンを齧った。


「自業自得です。彼らは『インフラ維持』というコストを軽視しすぎました。メンテナンスフリーの機械なんて存在しないんです」


私は書類をテーブルに戻した。

ざまぁみろ、という感情は薄い。

ただ、「予測通りの実験結果が出た」という冷静な納得感だけがあった。


「さて、仕事に戻りましょうか」


私が立ち上がろうとした時、入り口のドアベルが鳴った。


「郵便でーす! 国外からの書留ですよ!」


郵便配達員が、一通の手紙を差し出した。

封筒には、見覚えのある……いや、二度と見たくない紋章が押されている。


極彩色の薔薇と剣。

ガーネット王国、アークライト男爵家の紋章だ。


「……受け取り拒否で」


「まあ待て」


ルーカスが私の手を止め、封筒を横から奪い取った。


「差出人は……『レイモンド・ガーネット』か。元婚約者殿からだな」


「尚更いりません。スパムメールです。開封するとウイルス(精神的ストレス)に感染します」


「読んでみようじゃないか。きっと傑作ジョークが書いてある」


ルーカスは勝手にペーパーナイフで封を切った。

プライバシーの侵害だが、彼に逆らうと研究費ミスリルを止められそうなので黙認する。


彼は手紙を開き、ざっと目を通した。

その表情から、先ほどまでの笑みが消えていく。

部屋の温度が、急激に下がった気がした。


「……リリス。これを読め」


低い声。

絶対零度の瞳。

彼は手紙を私に突きつけた。


私は恐る恐る文面を目で追った。

インクが所々滲んでいる。筆圧が強く、乱れている。


『拝啓、リリス。


 ラピスのような野蛮な国で、辛い生活を送っていることだろう。

 君の強がりには、ほとほと呆れた。

 だが、僕は寛大だ。君の過ちを許してやろうと思う。


 今すぐ戻ってこい。

 マリアンヌが「肌が荒れる」と泣いている。屋敷も不具合だらけで住めたものではない。

 君が誠心誠意、元の状態に戻すと言うなら、僕の「側室」として屋敷に置くことを許してやってもいい。

 正妻はマリアンヌだが、君には技術顧問という名目で、僕のそばにいる権利をやろう。

 

 勘違いするなよ。これは命令ではない。最大の慈悲だ。

 君のような可愛げのない女を愛してやるのは、世界で僕しかいないのだからな。


 追伸:旅費がないなら、着払いで戻ってきても構わない。』


読み終えた私は、数秒間沈黙し、


「……馬鹿なんですか?」


素直な感想を口にした。


「現状認識能力の欠如。論理破綻。そして過剰な自意識。……これ、病院へ行くべきでは?」


怒りすら湧かない。

あまりにも理解不能な言動を見ると、人は冷静になるらしい。

「側室」? 「愛してやる」?

私の現在の時給(ルーカスとの契約換算)を知ったら、彼は心臓発作を起こすのではないか。


「……『慈悲』、か」


横で、ルーカスがポツリと呟いた。

その声が怖すぎて、私はビクリと肩を震わせた。

彼の手の中で、手紙が音もなく粉になっていく。


「世界で自分しか君を愛さない、だと?」


ルーカスの周囲に、青白い魔力がバチバチと迸る。

本気の怒りだ。

これはまずい。暴走したらアトリエの精密機器が壊れる。


「ル、ルーカス様。落ち着いてください。ただの妄言です」


「ああ、落ち着いているとも。……非常に冷静に、ある計画を実行することに決めただけだ」


彼は手紙の残骸をゴミ箱に捨てた。

そして、私の方を向き、いつもの冷徹な仮面の下に、ドロリとした独占欲を滲ませて笑った。


「リリス。君は返事を書かなくていい」


「書くつもりもありませんが」


「その代わり、私が返事(制裁)をしてやる」


ルーカスは懐から通信用の魔石を取り出した。


「技術局長だ。……ああ、即時実行しろ。ガーネット王国への魔石輸出を全面停止する。理由は『資源保護のため』とでも言っておけ」


彼は冷酷に続ける。


「特にアークライト男爵領への供給は、一粒たりとも許すな。彼らには『闇』がお似合いだ」


(……レイモンド様。貴方は虎の尾を踏んだようですね)


私は心の中で、元婚約者に合掌した。

彼が踏んだのは私の尾ではない。

この国で一番怒らせてはいけない、冷血王子の尾だ。


「リリス」


通話を終えたルーカスが、私に近づいてきた。

彼は私の手を取り、指のタコを親指で優しく撫でた。


「君を愛するのは、私だけでいい」


確認するような、縋るような声。


「ええ。貴方は最高のスポンサーですから」


「……はあ。今はそれでいい」


ルーカスは深いため息をつき、私の手を離した。


「さあ、仕事だ。今日は『自動ゴキブリ追尾レーザー』の開発だったな?」


「はい。実家の惨状を聞いて、需要があると思いまして」


私はペンを取った。

遠い空の下、害虫と闇に怯えているであろう彼らのことは、もうどうでもいい。

私には、目の前の設計図と、この少し過保護なスポンサーがいれば、それで十分なのだから。

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