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指輪よりオリハルコンの工具を渡された時、私は結婚を決めました  作者: 九葉(くずは)


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第4話 新ブランド「アトリエ・リリス」開店

契約から二週間。

私の城、「アトリエ・リリス」がひっそりとオープンした。


場所は王都の路地裏。元倉庫。

看板は、入り口の横に小さな真鍮のプレートを出しただけ。

『魔道具修理・開発 アトリエ・リリス』。


宣伝は一切していない。

なぜなら、客に来てほしくないからだ。


「快適です」


私は白衣のポケットに手を入れ、改装を終えた店内を見渡した。


壁は白で統一し、照明は手元に影ができない配置に調整済み。

床は帯電防止・防塵コーティング。

入り口には「自動靴裏洗浄マット(スライム式)」を設置。


清潔。静寂。そして高機能。

一般客が気軽に入れる雰囲気は皆無だが、それがいい。

素人の修理依頼で開発の手が止まるのは、最も非効率だからだ。


「さて、今日の課題は……」


私が新しい回路図を広げようとした、その時だった。


カランコロン。

ドアベルが鳴った。


「……客?」


眉をひそめて入り口を見る。

入ってきたのは、騎士のヒルダさんだった。


「よう、リリス。店を開けたと聞いてな」


「ヒルダさんですか。いらっしゃいませ」


私は警戒を解いた。彼女なら歓迎だ。

しかし、今日の彼女はいつもの覇気がない。

鋼鉄の鎧ではなく、窮屈そうなドレスを着て、顔色は死人のように悪い。


「……どうしたんですか、その格好。罰ゲームですか?」


「似たようなものだ。……これから『白薔薇騎士団』の後援会主催の茶会があってな」


ヒルダさんは重い足取りでカウンターの丸椅子に座り込み、深いため息をついた。


「私は戦場なら三日三晩でも戦えるが、貴婦人たちの茶会は一時間で限界だ。特にこの……化粧がな」


彼女は自分の顔を指差した。

普段はしない厚化粧が施されている。

ファンデーションの粒子が粗く、肌に馴染んでいない。


「室内は暑いし、緊張で汗をかく。するとどうなる? 三十分で顔がドロドロに溶けるんだ。前回なんて『あら、ヒルダ様、顔色が土砂崩れのようですわよ』と笑われた」


「なるほど。顔料と皮脂の乳化現象ですね」


私は彼女の顔を観察した。

ラピス王国の化粧品は、ガーネット王国に比べて技術が遅れている。

定着剤の配合が甘く、これでは体温上昇ですぐに崩れるのは明白だ。


「拭けばいいと思うだろう? だが、下手にハンカチで押さえると、そこだけ剥げてまだらになる。……もう帰りたい」


歴戦の女騎士が、化粧崩れ一つでここまで精神的ダメージを負うとは。

だが、裏を返せば、これは深刻な「機能不全」だ。


不全は、解消しなければならない。

技術者として。


「ヒルダさん。少し時間をください。15分ほど」


「ん? ああ、構わんが……」


私は奥のラボに入った。

棚には、ルーカスが「使い切らないと次を補充しないぞ」と送りつけてきた最高級の錬金素材が並んでいる。


「保湿成分としてのグリセリン、皮脂吸着用の多孔質シリカ。そして、定着剤には……風属性の『皮膜形成魔法』を液状化して混ぜれば……」


ビーカーの中で素材を調合し、魔力を注ぐ。

前世の化学知識と、この世界の魔法技術のハイブリッド。


完成したのは、無色透明の液体だった。

これをスプレーボトルに詰める。


「お待たせしました」


私はカウンターに戻り、ボトルを差し出した。


「これは?」


「『絶対崩れない君・一号』です」


「……相変わらずネーミングセンスが絶望的だな」


「機能が分かればいいんです。目を閉じてください」


私はヒルダさんの顔に、シュッ、シュッとミストを吹きかけた。

微細な霧が彼女の肌を包み込み、一瞬で乾く。


「……ん? 何も変わらんぞ。突っ張る感じもしない」


「表面にミクロン単位の通気性皮膜を作りました。汗や皮脂は弾きますが、空気は通します。これで物理的にこすらない限り、化粧は12時間固定されます」


「本当か……?」


「私の製品を疑いますか?」


「いや、信じる! お前のネックレスのおかげで、私は今週一度も肩こりを感じていないからな!」


ヒルダさんはボトルをひったくるように握りしめた。


「借りていくぞ! 効果があったら言い値で買う!」


彼女はドレスの裾を翻し、戦場(茶会)へと出撃していった。


「さて、研究に戻りましょう」


私は静かになった店内で、再びペンを取った。

たぶん、うまくいくだろう。

計算上、あの皮膜は強酸性のスライム液でも浴びない限り溶けないはずだ。


   ◇


翌日。


不気味な音が、私の集中力を乱した。


ザッ、ザッ、ザッ……。


軍隊の行進のような、規則正しい足音ではない。

衣擦れの音と、押し殺したような囁き声。

そして、路地裏にはあり得ない、濃厚な香水の匂い。


「……?」


私が窓から外を覗いた瞬間、背筋が凍った。


路地裏が、埋め尽くされていた。

豪奢な馬車、馬車、馬車。

そこから降り立った貴婦人たちと、その従者たちが、私の店の前に長蛇の列を作っていたのだ。


誰も騒いでいない。

ドアを叩くこともしない。

ただ、全員が血走った目で、開店の札が出るのをじっと待っている。

その無言の圧力が、騎士団の包囲網よりも恐ろしかった。


カランコロン。

私がドアの鍵を開けた瞬間、先頭の夫人が滑り込んできた。


「『魔法の水』を。言い値で買います」


挨拶もなし。

彼女の手には、既に小切手帳が握られていた。


「え、あ、はい。在庫は50本しか……」


「50本? では、私が全て買い取りますわ」


「待ちなさい! 独占は許しませんわよ!」


背後の令嬢たちが、優雅な仮面をかなぐり捨てて詰め寄ってくる。

店内は瞬く間に、香水の匂いと欲望(美への執着)で満たされた。


「お一人様一本までです! 列を乱した方には売りません!」


私はカウンター越しに叫んだ。

この国では、化学製品への需要がこれほど高かったのか。

市場調査の不足を痛感する。


   ◇


数時間後。


「……完売、です」


私は空になった在庫棚の前で、ぐったりと椅子に沈み込んでいた。

通常の3倍の価格設定にしたのに、一瞬で蒸発した。

予約リストには、向こう3ヶ月分の名前が連なっている。


「見事だな、リリス」


不意に、店の奥から声がした。

「関係者以外立ち入り禁止」のラボの扉が開き、ルーカスが出てくる。


「……貴方、どこから入りました?」


「裏口からだ。合鍵ならある」


彼は指先で銀色の鍵を回して見せた。

契約書の特約にあった「オーナー権限」を行使したらしい。腹立たしいほど用意周到だ。


「開店初日にして、社交界の話題を独占するとはな。ヒルダが茶会で『激しいダンスを踊っても汗一つかかない』姿を見せたそうだ。彼女たちは、その奇跡を求めてここへ来た」


ルーカスは売上金の詰まった袋を持ち上げ、重さを確かめて笑った。


「増産しろ。軍でも採用する。雨天時の火薬保護や、地図の防水加工に使える」


「……軍事転用ですか。貴方って人は、本当に無駄がないですね」


「君ほどじゃない」


ルーカスは近づき、私の後れ毛に触れた。

指先が耳に触れ、ぞくりとする。

頭を撫でるような、所有物を確認するような手つき。


「それに、いい気味だ」


彼は意地悪く目を細めた。


「君を捨てたガーネット王国では、最近『化粧のノリが悪い』と嘆く令嬢が増えているそうだ。君が作っていた基礎化粧品の供給が止まったからだろう?」


「ああ……そういえば、私が定期的に市場に流していた分ですね」


私は他人事のように頷いた。

実家の借金返済のために安く卸していたが、あれも私が回収してしまった。


「君のこのミストが有名になれば、向こうの社交界はどうなるかな? 崩れる化粧に怯える彼女たちと、君の技術で美しくなる我が国の女性たち」


ルーカスは楽しそうに、私の髪を一房、指に巻き付けた。


「君がここにいるだけで、ガーネット王国の『美』は枯れていく。……最高の復讐じゃないか」


「復讐なんて、非効率なことには興味ありませんよ」


私は肩をすくめた。

でも、私の技術が正当に評価され、誰か(主にラピスの女性たち)の役に立っている事実は、悪くない。


「私はただ、注文通りの品を作るだけです」


「それでいい。……さあ、働け。私の最高傑作」


ルーカスの低い声が、甘く耳元で囁かれた。

私はその熱に少しだけ戸惑いながら、次の調合リストを書き始めた。

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