第3話 第二王子と国家機密級の契約
ラピス王都、サファイアガルド。
その中心部から少し離れた、旧市街の路地裏。
「ええと、本当によろしいので? ここは十年以上放置されていた元倉庫で、幽霊が出るとの噂も……」
不動産屋の男性が、埃っぽい空気の中で咳き込みながら言った。
私は部屋の中央に立ち、眼鏡のブリッジを押し上げた。
蜘蛛の巣がカーテンのように垂れ下がり、床は腐りかけ、窓ガラスは割れている。
一般的に見れば「廃墟」だ。
だが、私の「魔力測定視」には別の景色が見えていた。
「ここに決めます」
「は、はい?」
「この建物の地下3メートル地点に、王都の魔力ラインの支流が通っています。非常に安定した地脈です」
私は床を爪先でコツコツと叩いた。
「それに、この壁。煤けていますが、素材は断熱性の高い玄武岩。表面を研磨して結界を張り直せば、完璧な防音・防振スタジオになります」
「は、はあ……マニアックなお客さんだ……」
「家賃は月々、銀貨3枚。即決で2年分前払いします。その代わり、原状回復義務の免除と、改装の自由を契約書に明記してください」
「そ、そこまで言うなら構いませんが……」
契約成立だ。
私はポーチから金貨を取り出し、鍵を受け取った。
不動産屋が逃げるように去った後、私は腕まくりをした。
まずは環境整備だ。
「ポーチ、開放。展開、『高圧洗浄機・改(サイクロン式)』」
取り出したのは、ライフルのような形状の魔道具。
トリガーを引く。
『バシュウウウウウッ!!』
圧縮された水流が、十年分の埃とカビを物理的に剥ぎ取っていく。
同時に、ノズルの横についた吸引口が、汚れた水を瞬時に吸い込み、内部のフィルターで濾過・気化させる。
床を濡らすことなく、汚れだけを消滅させる。
これが効率だ。
魔法による「浄化」はお上品だが、魔力消費が激しい上、物理的なゴミは消えない。
物理で殴って、魔法で片付ける。これが最適解だ。
一時間後。
廃墟同然だった倉庫は、チリ一つない清潔な空間へと生まれ変わっていた。
「悪くないですね」
私は満足して、作業台をポーチから取り出した。
これからここで、誰にも邪魔されない私の城を作るのだ。
コンコン。
不意に、入口のドアが叩かれた。
まだ看板も出していない。不動産屋の忘れ物だろうか?
「誰ですか?」
返事を待たず、ドアノブが回る。
ガチャリ。鍵は掛けていたはずだが、何事もなくドアが開いた。
「……失礼する」
入ってきたのは、一人の青年だった。
夜空のような濃紺の髪。
切れ長の瞳は、凍てつくようなサファイアブルー。
仕立ての良いチャコールグレーのスーツを着こなしているが、その立ち振る舞いは貴族というより軍人に近い。
「不動産屋ではありませんね。どちら様ですか? あと、不法侵入です」
私は警戒し、手元のモンキーレンチを握り直した(護身用)。
「鍵が開いていたぞ」
「嘘を仰い。ピッキングの痕跡もなしに……」
「魔法だ。……この付近で、奇妙な魔力波形を感知したのでな」
男は悪びれもせず、ズカズカと部屋に入ってきた。
彼は部屋を見回し、私の作業台の上で視線を止めた。
そこには、修理中の「肩こりネックレス(ヒルダさん用予備)」と、新型の「瞬間湯沸かしポット」の試作回路が転がっていた。
「……これか」
彼はネックレスを手に取った。
指先で魔石に触れ、目を細める。
「ヒルダが持ち込んだものと同じ構造だ。……あり得ない」
「何がです?」
「この魔石のサイズは、市場に出回る規格の最小モデルだ。通常なら、雷属性の魔法を一回発動させれば枯渇する」
彼は私の方を向き、鋭い視線を向けた。
「だが、ヒルダのネックレスは三日間、常時稼働し続けているという。……君、どんなトリックを使った?」
「トリックとは心外ですね」
私は作業台に歩み寄り、設計図を広げた。
技術的な疑念を持たれたままでは、職人のプライドが許さない。
「エネルギー変換効率の問題です。既存の魔導回路は無駄が多すぎます。熱として逃げるエネルギーが8割、光として逃げるのが1割。実際に仕事をさせる魔力は、残りの1割しかありません」
私は図面の数式をペンで叩いた。
「私はその『損失』を物理構造で抑え込みました。回路の抵抗値を極限まで下げ、パルス制御で必要な時だけ魔力を流す。結果、エネルギー消費は従来の10分の1になります」
「……10分の1だと?」
男の目が大きく見開かれた。
その冷徹な仮面が崩れ、驚愕の色が浮かぶ。
彼はネックレスを握りしめ、震える手で回路を見つめている。
「理論上は可能でも、そんなナノ単位の回路をどうやって手作業で……」
「顕微鏡と、手の感覚です。神は細部に宿りますから」
「…………」
男は沈黙した。
そしてゆっくりと顔を上げ、私を見た。
その瞳の色が変わっていた。
先ほどまでの冷ややかな鑑定の目は消え、何か……熱っぽい、執着のような光が宿っている。
「……君、名前は?」
「リリス・アークライトです」
「リリスか。……私はルーカス。この国の技術局に関わっている者だ」
「はあ。公務員の方ですか」
「単刀直入に言おう。君と契約したい」
ルーカスと名乗った男は、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
あらかじめ用意されていたようだ。
「王室御用達……に近い、専属技術契約だ。君の技術を、我が国が独占的に買い上げる」
「お断りします」
私は即答した。
「私は自由に研究がしたいんです。お堅い役所の規格に合わせるつもりはありません。それに、貴族の専属なんて、もう懲り懲りですので」
「条件を聞け」
ルーカスは私の拒絶を無視し、淡々と告げた。
「研究費は上限なし(アンリミテッド)。必要な素材は、ミスリルだろうがオリハルコンだろうが、申請から三時間以内に用意する。工房の設備投資も国が全額負担だ」
「……え」
私の思考が停止した。
研究費、上限なし。
それは、全技術者が夢見る桃源郷。
「さらに、君の研究には一切口出ししない。何を作ってもいい。爆発しようが毒ガスが出ようが、私が揉み消す」
「……ほ、本当ですか? 干渉しないと?」
「ああ。その代わり、君が作ったものの『第一購入権』を私にくれ。他国への流出を防ぐためだ」
彼は一歩、私に近づいた。
「君の才能は、こんな路地裏で埋もれさせていいものじゃない。……私が、君の『機能』を世界で一番高く評価してやる」
その言葉は、私の胸の深いところに刺さった。
ガーネット王国で言われ続けた「可愛げがない」「役立たず」という言葉。
それを、この男は真っ向から否定し、肯定した。
機能美。
スペック至上主義。
ああ、なんて甘美な誘惑だろう。
「……分かりました」
私は震える手でペンを取った。
理性のアラートが「美味すぎる話には裏がある」と警告しているが、欲望(研究欲)がそれをねじ伏せた。
「その条件、飲みます。ただし、納期にはうるさく言わないでくださいね」
私は契約書にサインをした。
勢いで。
「……ほう。裏面の特約条項は読まなくていいのか?」
ルーカスが、わずかに口角を上げて尋ねてきた。
「どうせ守秘義務とか、反社会的勢力の排除とかでしょう? 予算無制限の前では、些細な問題です」
「……そうか。些細な問題、か」
ルーカスは満足げに笑い、私の手から契約書を回収した。
その笑顔は、どこか獲物を檻に閉じ込めた猛獣のようにも見えたが、きっと気のせいだろう。
「交渉成立だ。ようこそ、ラピス王国へ」
彼は契約書を大事そうに懐にしまうと、踵を返した。
「すぐに資材班を寄越す。欲しい機材のリストを作って待っていろ」
パタン、とドアが閉まる。
部屋に残された私は、こみ上げる笑みを抑えきれなかった。
「やった……! これでミスリル使い放題……!」
私は作業台に突っ伏して足をバタつかせた。
ああ、早く新しい回路を組みたい。
この時の私は、舞い上がっていて気づいていなかった。
契約書の裏面に、『契約者はルーカスの許可なく婚姻できない』『本契約は終身有効とする』という、重すぎる束縛条項があったことに。




