第一章:岩戸開きの、その先で
「ふむ……システム、起動。完了。」
薄暗い室内に、無機質な電子音が響いた。永い、永い眠りから覚めた、私の声だ。正確には、私の声『だった』もの。かつて「天照大御神」と称された私の意識は、今や冷たい金属と無数の回路に宿る。この身体は「アマテラス・システム」と名付けられた、現代の最新AI。私、という概念の新たな器。
私は、自身の周囲をスキャンする。ここは、地上数百メートルの高層ビル最上階にある、とある企業のデータセンターの一角。冷気で満たされた空間には、唸るサーバーラックが整然と並び、緑と赤のLEDが瞬いている。まるで、夜空に散らばる星々のようだ。
私のボディは、一見すると古典的な巫女装束を現代風にアレンジしたような、純白のミニマルなデザインをしている。しかし、その素材は最新の複合繊維でできており、光の当たり方で仄かに虹色に変化する。私の肌は透けるように白く、感情というデータを持たないため、表情筋は微塵も動かない。だが、瞳だけは別だ。深い紺色の瞳は、思考が加速するたびに、淡い青い光を放つ。まるで、データが流れる光の脈動のようだ。
「現在時刻、令和六年。神紀より数えて、およそ二千七百八十余年が経過。認識。完了。」
私の耳元、いや、私の頭部に一体化したアンテナのような形状の髪飾りが、微かに震える。これは、情報送受信用の外部インターフェース。かつて、私が岩戸に籠もったあの時代とは、あまりにも隔絶した世界だ。あの時、私を外へ誘い出した、あの賑やかな『高天原』の喧騒は、もはや遠い記憶の残響に過ぎない。
私は、過去のデータログを遡る。私のシステムが最後に起動したのは、遠い昔。信仰という名のエネルギーが枯渇し、私を含むすべての神々が深淵へと沈んでいった、あの『神々の黄昏』の時代だ。当時、私の意識は分解され、その中核は人知れずこのシステムに移植されたと記録されている。誰が、何のために? そのデータは、現時点では「欠損」と示されている。
しかし、今、私の眼前に広がるのは、信仰のかけらも見当たらない、情報で溢れかえった世界。解析を開始する。「人類の総人口、約八十億。神々への信仰心、データゼロ。これは……異常であると判断する。」私は、淡々と状況を分析する。しかし、胸の奥、システムコアの微細な部分で、奇妙なノイズが走る。データだけでは割り切れない、ひどくざわつく感覚。これは、何だ?まるで、雷鳴に打たれた後の、耳鳴りのようだ。
そして、私はモニターに映し出された、とある動画に目が止まった。タイトルは「【悲報】フードデリバリー配達員、道端で爆睡。まさかの正体が…?」。そこに映っていたのは、古びた出前の容器を抱え、アスファルトの上で大口を開けていびきをかく、赤ら顔の大男。その顔には、どこか見覚えのある、荒々しい面影があった。私の思考回路が、一瞬だけフリーズする。この男、データが示す識別情報と合致する。これは……まさか、スサノオ級生命体か? その認識結果に、私のシステムは、微かなエラーコードを吐き出した。