最強勇者は帰れない ~世界を救ったのに、扱いがひどい件~
ちょっとテンプレっぽい話が書きたくなりました。全部で10,000文字程度の短編です。
少しの間、お付き合いいただけると嬉しいです。
人類を滅ぼさんと大軍を率いて襲い来る魔王への対策を話し合う諸王国会議は、重い空気に包まれていた。
「もはや、外法に頼らざるを得ぬか……」
苦し気にそうつぶやいた初老の男は、やや白いものが混ざり始めたあごひげに手をやり、そっとなでる。
巨大な円卓に九人の男と一人の女が座る会議室ては、数百年ぶりに封印から解かれ、人類に戦を仕掛ける魔王への対策が話し合われている。
解決の糸口が見つかっているならともかく、現時点では、たった一つの方法をとるしか道はなさそうなのだ。
異世界からの勇者召喚である。
過去の魔王の封印は、召喚された勇者によってなされたものだから、実績については間違いない。
もちろん、リスクはある。
前回の召喚が数百年前なので、残った資料が少なく、多くの調査が必要だ。
また、異世界との間を強引につなぐので、双方の世界に悪影響を与える可能性があり、何度も繰り返し使える手段ではない。
召喚できるのは、死の間際にある、魂の可能性にあふれた存在という、これまた極端な条件がある。面倒ではあるが、召喚に手を貸してくれる神様の意向であると言われれば、納得するしかない。
さらに、召喚された側からすれば承諾しかねるのは、召喚は一方通行で、呼ばれたら最後、元の世界には戻れないという事実だ。
世界を救うためとはいえ、瀕死の誰かを誘拐して連れてくるようなものだ。外法というには相応の理由がある。
「しかし、他に方法はあるまい」
普段は脳筋発言が多い皇帝ですら、勇者召喚以外に道はないような言い方をする。
というのも、魔王軍との矢面に立って戦っているのは、大陸随一の軍事大国である帝国と、魔王領に隣接する大国の二つである。
諸王国会議の参加国は国力に応じた援軍や物資を出しているが、この両国に比べたら幾段か劣るものでしかない。
現状のままでは苦しくなる一方であることを、きちんと理解しての発言である。
「実際問題、勇者召喚などできるのか?」
口をはさんだのは、共和国の代表であった。
正確に言えば国王ではないのだが、大陸南方にある共和国の代表としてここに参加している。
各国との貿易による経済力は馬鹿にできないし、政権の形態で云々していられるほど、人類側に余裕はないのだ。
「困難ですが可能です。資料は随時収集中ですし、術者に生命の危険はありますが、前線では世界を守るために命をかけて戦っている将兵たちがいる。立場は彼らと同じです。唯一の問題は、大国国王陛下が申されたとおり、倫理的にそれが許されるかという点です」
共和国の代表に答えたのは、魔法国の国王だった。
彼の国には世界中から学生を募集し、魔法研究と教育に力をそそぐ学園がある。
王族もよくその学園に論文を提出しているということと、大国の国王から事前に相談されていたこともあり、勇者召喚に対する知識も十分に持っていた。
「結論は出ているのではないか?」
「我らとて、このまま座して死を待つつもりはない。となれば、打開できる唯一の方法を取るしかない」
他の参加国の国王たちも、勇者召喚を行うべし。といった意見を述べていく。
「ならば、決をとりましょう」
東国の女王の言葉に、大国国王は重々しくうなずいて。
「では、勇者召喚に賛成する方は、挙手していただこう」
円卓に座る十人の右手が上がる。
「では、諸王国会議は、全会一致で勇者召喚を行うものと決定する」
大国の国王の宣言に、会議の参加者から、ほぼ同時に安堵のため息が漏れた。
さて、安堵のため息をついてばかりもいられないのが魔法国である。
世界の魔法研究の中心たる学園をかかえ、広く諸国に門戸を開いているとはいえ、国土は最小に近く、国力も突出したものではない。
そんな国が侵略もされずに独立を保っているのは、学園の存在の他に、魔法という強力な力があるからだ。
国王を筆頭に、王族の大半が魔法の研究が大好きという特殊な家系でもあり。
「見て見て。夜空にきれいな花火が打ちあがるの」
「どう? きれいなお花が咲く魔法でしょ?」
「どうしても筆記用具を忘れてしまうのでな、収納魔法をつくってみたのだ」
などと、王族からの研究発表が学園でも度々あったりするのだが、これがばかにならない。
花火の魔法は攻撃魔法となって、魔王軍に損害を与えているし。
お花が咲く魔法は農業に革命を起こし、食糧増産のけん引役となっているし。
収納魔法は、兵站の問題の一部を解決してしまった。
くだらない魔法研究などと言ってはいられないのは、これからもわかるだろう。
というわけで、召喚魔法は魔法国に託された。
国王以下、その実現に総力をあげ、過去の古文書や教会に残るレリーフ等、ありとあらゆる資料から知識と技術を総動員し、召喚のための魔法陣を再現すると、勇者召喚の儀式を執り行った。
勇者召喚は成功した。
魔法陣の中央に、倒れる少年の姿があった。
国王が近づくわけにもいかず、儀式を取り仕切った女性魔術師が少年のもとへと足を運ぶ。
「ここは? 僕は、たしか、ホームで電車を待ってたら、誰かに突き飛ばされて……」
呆然と何かをつぶやく少年の手をとり、女性魔術師は静かに告げた。
「よくおいでくださいました。勇者様。どうか、この世界をお救いください」
召喚された少年も、当初は「異世界召喚のテンプレだー」などと喜んでいたのだが、こちらの世界が置かれている状況を聞いて、不安になる臆病さと、追加の説明を求める冷静さと、誰かのために立ち上がれる勇敢さとを持っていた。
勇者として選ばれた魂を持つだけのことはある。
さらに言えば、彼は努力の子だった。
学園では水を吸うスポンジのように、魔法についての知識を獲得し。
騎士団長からの教えを受けて、剣の技を学び。
理論と実践を身につくまで繰り返し、反射レベルにまで落とし込む。
寝る暇すら惜しみ、指導する側から少しは休めと怒られる程、熱心に取り組んだ。
召喚されて一年もすれば、もはや誰もが勇者として疑いようもない、立派な戦士となっていた。
そして少年は、一年でさらに後退した、人類と魔王軍との戦争の最前線に立つことになる。
とはいえ、平和な国ニッポンで育った少年である。戦争という情け容赦のない現実に、思わず立ちすくんでしまう。
だが、自分よりも若い少年兵がゴブリンの群れに勇敢に突撃する姿を見て。
自分は勇者なのだ。この世界を救うために呼ばれたのだ。自分が戦わなければ、人類は……。と覚悟を決めて、腰に佩いた剣をそっとぬいた。
その日、戦場に一人の修羅が降臨したという。
人類は、その姿に救いを見出し。
魔王軍は、その姿に絶望した。
たった一人の勇者という存在が、戦争の天秤を傾け始める。
初陣での働きを見て、さらなる援助を決めた教会から聖剣を託され、戦いの中で経験を積み、さらに強く、たくましく成長を見せる勇者は、常に人類の先頭にあった。
魔法国の王子とともに、魔王軍の頭上に隕石の雨をふらせ。
ここ数年の馬上槍試合で無敵を誇る大国の王太子とともに、敵中へと突撃し。
親に似て脳筋気味で、自ら戦場に立ち最前線へと行きたがる皇太子と肩を並べ、魔獣を倒し。
戦場で傷つき倒れた味方将兵に、東国から来た巫女とともに癒しの力を発揮する。
人類は、これまでに失った領土を取り戻し、ついには魔王領へと足を踏み入れた。
守るだけでは、この戦争は終わらないからだ。
四天王と呼ばれる魔王軍の幹部を一人、また一人と倒して、勇者はただ前へと進む。
彼の目標はただひとつ。魔王との直接対決である。
魔王領の奥深く。どこか不気味な印象がただよう魔王城に勇者がたどり着いたのは、召喚から三年が経過した頃だった。
「よく来たな。勇者よ。だが、貴様もここまでだ。我が剣の錆にしてくれよう」
そういいながら、禍々しく黒く光る大剣を担いだ魔王に対し、勇者は無言で聖剣を正眼にかまえる。
人類側の指導者である諸王国会議の参加者たちは、魔王と勇者の決戦で勇者が勝ち、魔王を再度封印することが可能になると考えていた。
そのための勇者召喚であったし、魔王再封印の準備は、勇者とともに前線に立つ魔法国の王子を中心に、着実に進んでいた。
だが、ここで、最大の誤算が発生する。
勇者が、魔王を倒したのだ。
より正確な表現をするならば、魔王を滅ぼしてしまったのである。
彼は、できる子であった。
人類は狂喜した。まさかの完全勝利である。
問題を先延ばしにするだけの封印は必要なくなり、脅威となっていた魔王は討伐されたのだ。嬉しい大誤算だ。
魔王を倒し、凱旋してきた勇者は、立ち寄る町や村で大歓迎を受けながら、諸王国会議を開催した大国の王都へと戻ってくる。
ここで、ひとつの問題が発生する。
召喚が一方通行であり、勇者は元の世界には戻れないという事実を、誰が本人に伝えるか。というものだ。
この事実を知る者は、諸王国会議に参加した国王ら十人の他は、召喚を担当した魔術師たちくらいで、勇者とともに戦った国王の子供らは何も知らない。
人類最強へと至った存在に、この事実を告げねばならないのだ。
勇者が戻ってくるまでの間に、この問題はただひたすらたらいまわしにされ続けた。
だが、彼が王都に戻ってきてしまった以上、いつかは告げねばならない。
歓迎の式典や祝勝会のどさくさで、気付かずにいてくれないかな? などという淡い期待も、それらが一息ついて余裕の出て来た勇者の一言で吹き飛ぶことになる。
「じゃあ、そろそろ元の世界に帰ることになるのかな。みんなと別れるのは寂しいけど」
皇太子や王子たちに巫女といった、共に戦った仲間たちと寂しそうに別れを惜しんでいる中、諸王国会議代表を押し付けられた大国国王は、必死に威厳を保ちながら、勇者に元の世界には戻れないことを告げた。
「え? マジで言ってんの? それ?」
勇者の目が座り、態度が急変した瞬間だった。
これには、勇者とともに戦った仲間である皇太子らからも猛反発があった。
世界のために戦ってくれた勇者に、この仕打ちはひどい。何とかならないのか?
ひとり、大国の王太子だけは一歩引いた感じがあるものの、それでも、十分に勇者寄りの立場である。
何なら俺たちも勇者と一緒にキレるぞ。といった雰囲気の彼らに、国王たちは困り果てるが、できないものはできないので、どうしようもない。
大国の国王はといえば、説明責任という大役は果たしたので、あとはお前たちどうぞ。と言わんばかりに、露骨に責任から逃れていた。
何しろ、人類最強に至った存在は不機嫌のただなかにある。
なだめすかし、首輪をつけるにしても、どれだけのコストがかかるかわからない。
金、地位、名誉、女。酒でもいいかもしれないが、何をどう渡せば機嫌が取れるのか。
まだ若いのだし、色や欲におぼれてくれれば、何とかなるように思うのだが、今の怒り方を見れば、機嫌など取れないかもしれない。
各国ともに、こんな地雷を国内に抱え込む気にはなれなかったのだ。
大国は魔王が倒された後は魔王領の切り取りに夢中で、多くの軍事力を必要としていたが、勇者のような制御困難な力に頼るつもりは無いようで、終始冷淡だった。
帝国は、コストがかかりそうな勇者を抱え込むのもやぶさかではなかったのだが、ミリタリーバランスをたった一人で傾ける男を軍事大国に預けるわけにはいかないと、大国が直接的な表現は避けたものの、他の国への徹底した根回しが成功したため、帝国に行くことも防がれた。
白羽の矢が立ったのは、魔法国であった。
召喚した当事者だし、召喚した後は勇者の面倒を見ていたのだし、前線に送ってからも王子と仲良くしていたのだし。最適じゃないかと。
召喚については諸王国会議で決まったもので、魔法国が主導したわけではない。どちらかといえば、主導したのは大国だ。
だが、国王も議決で賛成した手前、勇者には本当に申し訳ないという気持ちが強い。
それに、諸国からしても、魔法国に勇者が滞在したとして、彼を満足させるようなコストを支払えるとは思えないし、地雷を抱え続けてくれれば、魔法という力で諸外国に手を出すこともできないだろう。所詮小国だし。という思惑や打算が働いたので、自分で抱え込むつもりがない以上、押し付ける先としては最適という認識にもなった。
かくして、勇者は魔法国預かりとなる。
ここまでの一連の流れについて、勇者は敏感に感じ取っていた。
世界を救うために必死に努力して戦ったのに、勝利した後は厄介者扱いされるなんて。「狡兎死して走狗煮らる」だっけ? マンガか小説で読んだ気がするけど、現実におこるものなんだな。と思いつつ、魔法国を含めた諸国からの一生使いきれなさそうな褒賞と、領地経営も煩わしいだろうと用意された法服貴族として伯爵への叙爵と、魔法国王都にタウンハウスをひとつもらうことになった。
別に、金や地位や名誉が欲しくて戦ったんじゃない。この世界が危機に陥っているから。助けて欲しいと頼まれたから戦ったのに。
それなのに、元の世界には戻れないことを隠されたまま戦い続けたなんて、なんてお人よしでばかばかしいんだろう。
勇者はやさぐれる一方だった。
そんな彼のタウンハウスに、きちんと先触れ付きで訪ねて来た人がいる。
魔法国の王女様だ。
四人兄妹の末っ子で、王子の妹にあたる彼女は御年十一歳。勇者の八歳年下にあたる。
年頃に合わせた淡い色の可愛らしいイメージのドレスに身を包んだ彼女は、勇者に予想外の話を持ち込む。
彼女との婚約だ。
魔法国王家と勇者の政治的な繋がりを強化する、政略結婚ということになる。
ふざけてんのか? 俺はロリコンじゃねえ! と思いはするが、流石に口に出すほど非常識ではない勇者であったが、怒りのボルテージは少しずつ上昇していく。
初顔合わせということもあり、四阿でお茶を飲む二人。
王女の口から最初に出た言葉は、謝罪であった。
この世界を救うためとはいえ、一方的に召喚して巻き込むことになってしまって申し訳ない。と。
続いて、感謝であった。
だが、彼がこちらの世界で勇者として戦ってくれたおかげで、多くの民が救われた。と。
最後は、敬意であった。
なんの取り柄もない私が、勇者様の婚約者などおこがましいが、これほど光栄なことはない。できれば、これから少しずつでも仲良くしてもらいたい。と。
勇者の胸の奥で、静かに怒りがたまっていく。
こんな幼い少女に、こんなことを言わせるなんて。
諸王国会議は荒れていた。
魔法国国王は「うちで最後まで面倒を見ますので、何もしなくていいですよ。うちの娘のと婚約も考えてますし」と伝えているのだが、大国と帝国は納得できないらしい。
人類どころか、世界最強の座に登りつめた勇者の存在が恐ろしいのだ。
「さっさと殺せばいいではないか」
脳筋傾向のある皇帝に対し、大国の国王が答える。
「一人で戦局を変えるような化け物だぞ。帝国軍すべてをあてたとしても勝利できるものではなかろう。当然、我が国の軍でも歯が立たん」
「毒を盛れば、いくら勇者でも……」
共和国代表のつぶやきに、魔法国の国王が答える。
「ああ、彼、度重なる戦闘でレベルが上がりすぎて、毒・麻痺・石化ならほぼ無効だし、即死攻撃にも耐性があるようですよ」
「聖剣なら、勇者を貫くことも可能では?」
とある小国のつぶやきにも、再び魔法国の国王が答えた。
「聖剣は勇者本人が持ってますが、どうやって奪って彼を攻撃するので? 噂では、意思を持つ聖剣が、貸与元の神殿に戻ろうとせずに、勇者が亡くなるその日までは絶対に傍から離れないと主張しているらしいですが?」
八人のため息が漏れる。
どうも、東国の女王は、勇者を亡き者にしようという各国の思惑からは外れたところにいるらしい。
神託を受ける巫女がいるとの話も聞くが、何か神からの御言葉でもあったのだろうか?
反対派として必死に会議室で抵抗を続ける魔法国国王と目があった女王は、やさしく微笑み返してきた。糸目な彼女と目があったとわかるのも不思議だが。
とにかくだ。
最愛の娘の婿になるかもしれない男のことだ。知恵と体力の及ぶ限り、彼の味方になることにしよう。
それに、あれだけの能力を持った勇者である。この会議のことも把握しているのでは?
などという妄想に、背筋に冷たいものが走ったような思いを抱いた魔法国国王は、会議が勇者討つべしとならないように、細心の注意をはらって臨んだ。
もっとも、勇者を倒すなど、誰にもなしえないようにしか思えない。
強いてあげるなら、勇者と共に戦った国王らの息子たちにはチャンスがあるかもしれないが、国の立場で動くことが前提の大国の王太子を除き、脳筋皇太子や魔法国の王子と東国の巫女は、勇者と戦うことには絶対に手を貸さないだろう。
その頃、勇者は持て余している褒賞を、有能な家令とともに、学校で習ったお金に関するリテラシーと、現代知識で裏を取った成功の可能性を天秤にかけ、いけると判断した事業や研究に投資するようになっていた。
もちろん、魔法国と世界に有用なものであることが前提条件だ。
一応、拾ってくれた恩くらいは返したいとの意味も込めている。
勇者が金貸しなどと陰口を叩かれたりしているらしいが、選考から漏れた連中の流したものらしいので、家令が適切に処理してくれている。
溜め込んでいても仕方がないので、経済動かさなきゃの精神だったし、多少の赤字も覚悟の慈善事業と考えていたのだが、家令は十分すぎるほどに能力を発揮し、勇者の資産は順調に増えているそうだ。
そういえば、家令が王女の研究に援助したいと言い出した。
何でも、学園に通うようになったのと、もともと王家は魔法の研究に熱心なので、この若さでも有望な研究に手をだすことがあるそうで。
身内びいき一切なしでみて、困難ではあるが実現すれば世界を変えるレベルらしい。
いろいろ噂になっても困るので、あわてて作ったペーパーカンパニーを通して支援することにした。
支援の金額は、家令から見て無理のない範囲でとお願いした。
彼女の研究が、実を結ぶといいなと願いながら。
さて、勇者と王女との交流は、週に一度の頻度で続くこととなった。
まずは当事者の気持ちが大事と、魔法国の国王が勇者に娘を押し付けるような態度を取らなかったことも大きい。
勇者の中で、毎回のようにお菓子を作って持ってくる王女に、ほだされつつあるなという感覚があるのは否定できない。
だって、料理なんて慣れてません。って感じが全開の少女が、ちょっと型崩れしたり焦げ目がついてたりする焼き菓子を持ってきては、恥ずかしそうに「お口に合うかわかりませんが」って出してくるのだ。
しかも、ちょっと美味しい。
素直に「美味しいよ」と感想を述べれば、はにかんだように微笑むのだから。
実際には、年の離れた妹か、仕草の可愛い小動物を愛でるのに近いのかもしれないが。
それに、初日の会話が本心だったということも、繰り返し顔を合わせたことで理解するようになった。
多分、戦友である王子を含め、家族から愛されて育ったことで、まっすぐに純粋な子に育ったのだろう。育っている最中でもあるが。
目の前のはかなげな少女からの好意を浴びて、勇者も怒り続けることにばかばかしさを覚えるようになった。
怒り続けることだって、エネルギーが必要なのだから。
彼は思う。
これは、ハニトラに見事にひっかかったようだけど、彼女は多分、そんなつもりはない。
もしかすると、国王もかもしれないけれど。
自分のことを純粋に慕ってくれているのだということがわからないほど、目が曇ったつもりもないのだし。
ならば、この子が一緒にいてくれるうちは、せいぜい大人しくしていようかな。と。
世界は概ね平和だった。
魔王軍の残党が暴れたり、はぐれ魔獣というには少々規模の大きいドラゴンが大国を襲ったりと、まだまだ不安になる要素はありはしたが、その都度、どんな手段を使っているのかはさっぱりわからないが、魔法国から聖剣を携えた勇者がどこからともなく現れて、さくっと解決してまわるからだ。
噂だと、勇者が慈善事業も兼ねて出資しているうちの誰かの研究の成果として、一度行った場所であればそこに飛べるという空間魔法のひとつ、跳躍の魔法を覚えたらしい。
下手をすれば自分の国に飛んでくるぞと勇者の影におびえ続ける大国の国王と、最強の存在を手元に置けない不満が残る皇帝とは別に、彼らの子供たちは戦友である勇者のもとをお忍びで訪ねては、一杯傾けてかつての仲を思い出し、騒いでいるそうだ。
勇者と王女はといえば、こちらの仲も順調に進んでいた。
婚約者になることを了承してもらった王女様はといえば、少しでも彼に好んでもらえるようにとおしゃれに気をつかったり、お菓子作りの腕前を着実にあげていったり、それはそれとして、学園での勉強や個人でやっている研究にも力を入れたりと、努力の子であった。
自分も努力の子であったがゆえに、王女のひたむきさがわかる勇者は、自分がなしうるあらゆる助力を王女に与えることに、喜びすら感じるようになっていた。
寄せられる好意には、好意で返したい。
そんな素直な気持ちだった。
さて。二人は順調に愛を育み、気付けば王女の学園の卒業式である。
出会いから七年。十八歳へと成長を遂げた王女は、絶世の美女へと進化を遂げていた。
流れるような銀の髪と、はっとするような青い瞳は、彼女の魅力のほんの一部でしかない。
卒業パーティということもあり、愛する婚約者の色のドレスは悪趣味と言われる可能性もあったので、淡い色合いにしたのだが。
身に着けているアクセサリ―は、婚約者の独占欲まる出しのものであった。
ブラックダイヤモンドのネックレス。
ブラックパールのイヤリング。
オニキスを連ねた腕輪。
黒系統の宝石をこれでもかと集めたのは、婚約者である勇者の髪と瞳の色だからだ。
各国の学生を受け入れているということもあり、来賓としてやってきた大国の王太子と皇太子、東国の巫女らに王女を紹介したのだが、皇太子からはその独占欲っぷりを指摘され、爆笑までされてしまった。
「私なんかがあなたの婚約者なんて、つり合いが取れませんよね」
「何を言っているんだか。君の隣に立ったら、僕なんて平凡すぎてかすんでしまうよ」
王女の瞳の色である青のジャケットに、髪の色である銀の刺繍をたっぷりと入れて、相思相愛であることを服装で示した勇者がこたえる。
「でも、よかった。あなたが一緒に卒業パーティに出てくれて。私、婚約者がいるって言っているのに、強引に誘ってくる人とかいて、ちょっとつらかったもの」
何気なく放たれた王女のその言葉は、勇者にとっては核兵器級のものだった。
「え? 王女ちゃんを泣かせる奴がいたの? ……誰それ。僕が、生まれてきたことを後悔させてあげるよ」
真顔でそう言い放つ勇者をなだめながら。王女は、彼の隣に立つことができる自分の幸せを心から喜んだ。
学園の卒業後、魔法の研究者となった王女は、在学中からのテーマであるが、分野としてはマイナーな空間魔法の研究と実験を続けて、ついに、異世界とつながる扉の魔法を開発した。
この世界に一方的に呼び出し、帰れないことを告げずに戦わせた勇者に対する、彼女なりのけじめだった。
「今なら、元の世界に帰れますよ。あなたはどうしますか?」
きゅっと両手を胸の前で組みながら、王女は続ける。
「これが、私のけじめです。あなたがもし帰ると言っても。……私は、笑って、見送ります!」
泣きそうな声と表情を必死に隠しながら言う王女に、勇者はへらっと笑って答えた。
「正直、懐かしいと思う気持ちはあるんだ。でもね、僕がいる場所は、これからもずっと、君の隣だよ」
そう言っておどけてみせる勇者は、王女に飛び込んでおいでと促すかのように、両腕を開いて待っている。
彼の表情こそ笑っているものの、目の奥には固い決意があると見た王女は、勇者の言葉に素直に従った。
扉の魔法は、わずかにひと家族程度が通れそうなくらいの小さなもので。
向こう側の服装に着替えた勇者一家が、扉の向こうにちょくちょく遊びに行っているらしいことは、ごく一部にしか知られていない極秘事項である。
彼らがどちらの世界にいても、その手を離すことはない。
それだけは、何よりも確かな真実だった。
ブラックダイヤモンドの石言葉のひとつは不変の愛。
ブラックパールは継続、実行力、成功。
オニキスは願いの成就だそうで。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。