9いきるということ
霧の中を走り続け、正面衝突して出会った二人は結論に至る。生きるとは、受け入れるということ、共生するとは、認めるということなのだと。
冬が終わり、春の陽射しがそそぐ頃、巨人の集落では、慰霊祭が行われる。勇者一行は、戦士が仲間になった後から、この慰霊祭に参加するようになった。
「今年のお供え物は、プリンにしよう」
戦士が言った。
「養鶏場の蛇男討伐の報酬が役に立つな」
勇者が言うと、「ああ」と戦士は笑顔でうなずいた。先日、養鶏場に住み着いた蛇男の討伐を果たした際に、養鶏場の主人から卵を百個ほどお礼としてもらったのだ。報酬も貰うことだし、そこまで気を遣わないでほしいと勇者は辞退したのだが、養鶏場の主人は、どうしてもと譲らなかった。報酬はギルドを通して支払われるが、ギルドへいくらか手数料を引かれた金額になるので、その手数料分を卵にしたいというのだ。頑固な主人に根負けし、勇者はそれを受け取った。しかし、自分たちだけでは食べきれないので、勇者はそれを家族に配ったり、知り合いの食堂の店主に譲ったりした。それでもまだまだたくさん残ったので、勇者一行は連日卵料理を自作して楽しんだ。
「出番になったら、言ってくれ。卵を出してやろう」
魔法使いが言った。たくさんの卵は、魔法使いの魔法の収納の中にある。わざわざ新鮮さが長持ちする魔法もかけてくれていた。実は、戦士はたくさんの卵をもらった時から、慰霊祭のお供えはプリンにしようと思いついていた。プリンならきっと小さな子供たちの霊も喜んでくれることだろう。戦士はふと僧侶が丁寧に砂埃を払っている慰霊碑前の祭壇を見遣った。祭壇は、巨大な一枚岩で、人間の大人が三人ほどゆったり横たわれるくらいの大きさだ。祭壇の岩の中央はくぼんでいて、そこに黒っぽいシミが出来ている。慰霊祭が始まると、祭壇は白い布で覆ってしまうのだが、戦士はこのシミを見るたびに、自身の誓いを強く思い返すのだ。
戦士は小人族の母と、巨人族の父を持った。そして、二人とも一族の集落から逃走した身だった。というのも、小人族の母は、どういう訳か、十歳に満たないうちに、小人族の大人たちの二倍の身長にまでめきめきと成長したのだ。母は、みんなと違う自分の身体の大きさに悩んだ。両親たちは気にするなと言ってくれたが、陰口をたたく者が後を絶たなかった。古い風習では、成長しすぎた小人族は、十歳の時に、伸びすぎた分の腕と脚を切り落とす決まりだった。傷口は小人族に伝わる魔法で塞がれるのだが、その儀式の後に生き延びた子供はいなかった。もちろん、母の代ではすでにその風習はすたれていたのだが、それでも老人たちは、「時代が時代ならお前は手足を切らねばならなかったのだ」と何度も母に言い聞かせた。母は十五歳の時に、集落を出る決意をした。当日、手足塚と言われる、儀式で亡くなった子供たちの慰霊碑にたくさんの花を捧げた。手足塚では秋に慰霊祭が行われる。すでにいくつかの花が手向けられているので、母の花は目立たなかった。そして母は、集落を出た。一面に霧がかかった朝だった。
同じころ、戦士の父も集落を飛び出した。父は、巨人族の生まれなのにとても小さかった。子供の頃から小さく、同年代の半分以下の身体の大きさだった。村の老人たちは、「時代が時代ならお前は黄泉送りの儀式で黄泉に返さなければらなかった」と何度も言い聞かせた。未熟な子供は黄泉に返し、立派な巨人として生まれ直すようにする儀式だった。十歳にしてなお成長の悪い子供は、眠り薬を飲まされ、黄泉枕という儀式の岩の上に寝かせられる。そして、それを大人の巨人が巨大な槌で叩き潰すのだ。もちろん、父の代ではその風習はすたれていた。父の両親も何も気にするなと言ってくれた。しかし、父は自分の小さな姿がみっともないと常日頃から悩んでいた。父は十五歳の時に、集落を出る決意をした。霧の深い秋の朝だった。父は無我夢中で走り続けた。行先などなにも考えておらず、金も食糧も持たず、身一つで走っていった。胸の内では深い悲しみが渦巻いていた。どうして自分は両親のように大きな体になれなかったのか。気にするなと励ましてくれた両親に申し訳がなかった。自分は現実を耐え抜くにはあまりにも弱かった。周囲が明るくなってきた。どれくらい走り続けたのかわからなかった。父は、体力には自信があった。だから倒れて動けなくなるまで走るつもりだった。山の斜面も飛ぶように走った。道は下りに変わり、やがて平坦になった。日もすっかり高くなったはずなのに霧はまだ晴れなかった。父はまだまだ体力に余裕があった。胸が熱かった。悲しみが原動力となって、いつまでも父の手足を動かした。ほどなくして、父は急停止を余儀なくされた。誰かと正面衝突したのだ。二人は衝撃で地面に転がった。そして擦りむいた肘を押さえながらゆっくりと起き上がった。ちょうどその頃合いで霧が晴れた。父とぶつかったのは、父と同じくらいの背格好の少女だった。泣きはらした目が赤かった。それが戦士の父と母の出会いだった。二人は、お互いの傷を手当てすると、互いの事情を打ち明けた。そして、同じ境遇を持つ者同士と気が付き、出会いの奇跡を喜んだ。二人は、近くにあった人間の集落に保護された。そこで、二人は安らぎの場を得た。人間の背格好が自分たちと良く似ていたからだ。
やがて二人は大人になり結婚した。二人を保護した村長は、二人に自分の村に戻り、無事を伝えるように説得した。二人は、なかなか首を縦に振らなかった。しかし、二人の両親は心配しているだろうし、二人の出会いを知れば、必ず祝福してくれるだろうと、二人の背を押した。結局、村長の付き添いのもと、二人は互いの集落に里帰りをした。どちらの集落でも全員が二人の無事を喜び、結婚を祝福した。そして、二人に謝罪をしたのだ。二人にはそれで十分だった。二人は人間の集落に戻り、子を成した。どんな身体的な特徴があったとしても、他と違ってもその子のすべてを受け入れ愛そうと誓った。そうして生まれたのが戦士だった。戦士はすくすく育った。身長はそこまで高くないが、腕と脚は平均の倍以上の太さで、手足も大きかった。しかし、両親はもちろん村人は誰一人として彼を差別せず、惜しみない愛情を注いだ。戦士は、十五歳の時に父と母の境遇を聞いた。そして、誓ったのだ。己の全てを受け入れ、他者を認め、強く生きることを。戦士は、それから小人の集落にも巨人の集落にも足しげく通った。小人たちは、戦士に簡単な魔法工芸を教えたり、料理を教えたりして可愛がった。巨人たちは、戦士に狩りを教えたり戦い方を教えたりして可愛がった。戦士はいずれ、冒険者を夢見るようになる。そして、何にも負けない屈強な戦士に成ろうと思った。戦士が集落を出たのは、それから三年後だった。その際に、小人族と巨人族も見送りに来てくれた。小人族は状態異常を軽減する指輪を戦士に贈り、巨人は強靭を高める腕輪を戦士に贈った。両親は手作りのお守りを贈ってくれた。何よりも嬉しい贈り物だった。
妙な笛の音がして戦士は我に返った。
ピ、ピ、ピ、ピッ、ピピピピピー、ピッピピッ、ピピーピ、ピッピッピッ!
どこかで聞き覚えのある旋律だ。魔法使いが笛を吹いているのだが、勇者が小突いていた。
「おい、魔法使いよ。人食い雀の歌を吹くんじゃない」
「どうも頭に残っていてね」
魔法使いは笑っていた。道理で聞き覚えがあるわけだと戦士はあきれ返った。戦士は気を取り直してプリンを作るために卵をボウルに割った。そして牛乳の分量を量った。
「戦士黙れの分量だな」
「は?」
近寄ってきた魔法使いに戦士はいぶかし気な視線を送った。ふふん、と魔法使いは得意げに笑っている。
「1000CC。戦士、シー! つまり、戦士黙れ、だな」
「ばかたれが」
戦士は空いている腕で魔法使いを小突いた。魔法使いはひらりと身をかわした。
バケツサイズの大きなプリンが出来上がると、戦士はそれを祭壇へと運んだ。祭壇にはすでに白い布が掛けられて、たくさんの花が飾られていた。日が暮れるころ、巨人族は祭壇に集まった。中には人族と小人族の姿もあった。僧侶が皆に一礼し、祭壇の前に行くと慰霊の言葉を唱え始めた。勇者一行がこの慰霊祭に参加するようになると、僧侶が慰霊の言葉を担うようになった。僧侶の周りを青白い光の粒が漂い始めた。僧侶が祈りを終えると、魔法使いが前に出た。僧侶が不思議そうに魔法使いを見た。
「亡くなった子供たちに演奏してあげようと思ってね。いいだろう?」
「そういうことなら、構わない。ちゃんと楽しませてあげるんだぞ」
僧侶は釘をさすと場所を譲った。魔法使いは指を弾くと、エメラルドの横笛を取り出して演奏を始めた。僧侶が目を剥いていたが、魔法使いは涼しい顔をしていた。魔法使いの横笛は素晴らしく、日中にふざけて吹いていたものとは大違いだった。光の粒は嬉しそうに踊っていた。魔法使いの演奏が終わると、いよいよ戦士の出番だった。
「子供たちよ。これは俺からの贈り物だ」
戦士はプリンの周りに小さな子供用のスプーンをたくさん並べた。すると、スプーンが浮かび上がり、プリンはみるみる小さくなってなくなった。
おいしかったー!!
子供の笑う声がした。戦士は穏やかに微笑んだ。子供たちの霊の”食事”が済むと、今度は、持ち寄った楽器を演奏したり、歌ったり、踊ったりしながら朝まで過ごす。亡くなった子供のための慰霊の場なので酒は厳禁だ。果実のジュースや、軽食を取りながら、みんなでにぎやかに朝日を待つのだ。朝日が差し込むと、光は空に昇りながらゆっくりと消えていく。
「生きるとは、受け入れるということ。共生するとは、認めるということ、だな」
勇者が呟くと、戦士は驚いたように眉を上げたが、ふっと息を吐くと、勇者と一緒に白く輝く空を見上げた。
「ああ、そうだな」