銀色の街
降り積もる雪が静寂を紡ぐ森の中を、三人は黙々と歩を進めていた。ノエル、リリィ、そしてルドルフ。まるで時が止まったかのような白銀の世界で、彼らの足跡だけが確かな存在を主張している。
「ねぇ」
唐突に、リリィが凍てついた空気を破った。風に揺れる金色のツインテールが、彼女の言葉に合わせて踊る。
「ノエルはイリスさんのことを、ずっと探しているのよね?」
青い瞳が、真摯な眼差しでノエルを見つめる。
「うん...」
ノエルは足を止め、遠くを見つめた。言葉の端々に、懐かしさと切なさが滲む。
「イリスは大切な仲間だし、僕にとっては幼馴染なんだ。でも、それ以上に...彼女が抱えていた痛みを、僕は見過ごしてしまった」
雪を踏みしめる音が、彼の言葉に寄り添うように響く。
「どんな風に?」
リリィの問いかけに、ノエルは小さく息を吐いた。白い吐息が、過去の記憶のように空へ溶けていく。
「ある日、イリスは一通の手紙を受け取ったんだ。戦争で家族を失った子供からの...その子は書いていた。『ただ、平和な日々が戻ってほしい』って」
ノエルの拳が、無意識のうちに握り締められる。
「それから、イリスは変わってしまった。サンタクロース協会の見習いである自分に、何ができるのかって。毎晩のように悩んでいたんだ。そして、ある日突然...」
言葉が途切れる。リリィは静かに頷いた。
「協会を飛び出したのね」
「うん...たった一人で」
「でも、イリスさんの気持ちは分かる気がする」
リリィの声が、冷たい風に乗って運ばれてくる。
「誰かを救いたいのに、何もできない。その無力さが、時として人を追い詰めてしまう…。私にも、似たような経験があるから」
彼女はそっと自分の胸に手を当てた。
「私はね、小さい頃、体が弱くて、ずっと病院で過ごすことが多かったの。窓の外で元気に遊ぶ子供たちを、ただ眺めていることしかできなかった。両親は心配して、できる限りのことをしてくれたけれど、それでも、拭いきれない孤独や、自分だけが取り残されていくような焦りがあって…。『どうして私だけがこんな思いをしなくちゃいけないの?』って、何度も思ったわ。だから、イリスさんが感じたであろう、どうしようもない無力感や焦燥感は、他人事とは思えないの」
暗い雰囲気を和らげるように、ルドルフがふと思い出したように口を開いた。
「ねぇ、リリィにとって、サンタクロースってどんな存在だったのかな?」
ルドルフの穏やかな問いかけに、リリィはふっと視線を落とし、まるで遠い日の記憶を手繰り寄せるかのように、ゆっくりと話し始めた。
「小さい頃は信じてたわ。クリスマスの朝には、枕元にプレゼントが置かれていることもあったし。でもね…」
彼女は少し言葉を選びながら続けた。
「病院のベッドの上で、来る日も来る日も同じ天井を見上げて過ごしていると、だんだん夢を見ることを忘れちゃうのよ。サンタさんが来てくれるのは、元気で良い子のところだけなんじゃないかって…。いつしか、サンタさんにお願いする手紙も書かなくなって、クリスマスも、ただカレンダーの日付が一つ変わるだけの日になっていった。信じる余裕がなかったというより、信じることを諦めてしまっていたのかもしれないわね」
彼女の言葉に、ノエルとルドルフは静かに耳を傾けた。
「でも、こうしてノエルたちに出会って、本当にサンタクロースがいるのかもしれないって、ちょっと思い始めてる。おとぎ話だと思っていた世界が、すぐそばにあるのかもしれないってね」
リリィはふわりと微笑みを浮かべた。
「なんだか、不思議な気持ちよ」
「僕たちも、外の世界の人たちとこうして接することはあまりないから、新鮮だよ」
ノエルは照れくさそうに頭を掻いた。
「そういえば、ノエルたちって協会でどんなことをしているの?」
リリィの好奇心に満ちた質問に、ノエルは嬉しそうに答え始めた。
「僕たちは、世界中の子供たちに夢と希望を届けるために、おもちゃを作ったり、プレゼントを配る練習をしているんだ。エルフィンたち妖精族とも一緒に働いていて、毎日が本当に楽しいよ」
「エルフィン…妖精族もいるのね」
リリィの目が輝いた。
「うん!彼らはおもちゃ作りの名人なんだ。いつも明るくて、みんなを笑顔にしてくれるよ」
やがて、遠くに煙が立ち昇るのが見えてきた。
「見て、あれが西の街よ」
リリィが指差した先に、雪に覆われた町並みが広がっていた。ノードハイムの街。その名の通り、銀色の霜に包まれた美しい街並みが、夕暮れの光を受けて輝いている。
「ここまで来たら、イリスの手がかりが見つかるかもしれない」
ルドルフが説明する。
「協会から歩いて5日。この街は外界との接点になっているから」
しかし、その言葉も空しく、ノエルは突如として立ち止まった。
「も、もう歩けない...」
疲れ切った表情で、彼は雪の上にへたり込む。サンタクロースの見習いとは思えない体力の無さに、ルドルフは呆れたため息をつく。
「まだ街の入り口よ」
リリィが微笑みながら言う。
「中心部までは、あと5キロくらいあるわ。でも、もう少し行けばバス停があるから...」
「5キロも!?」
ノエルの肩が一層落ち込む。その姿に、リリィは思わず笑みをこぼした。
「そうだ!」
彼女は手を打つと、バッグから小さな包みを取り出した。
「特製のエネルギーバーよ。森の木の実と蜂蜜を混ぜて作ったの」
ノエルは恐る恐る一口かじってみる。途端に、目が輝いた。
「おいしい!」
甘さと香ばしさが口いっぱいに広がり、凍えた体に温かな活力が戻っていく。
「よかった。これで元気になった?」
「うん!ありがとう、リリィ!」
ようやく街道に出ると、人々の姿が徐々に増えていく。市場での賑わい、子供たちの笑い声、暖かな家々から漏れる明かり──。ノエルにとっては、協会の外で見る初めての人々の営みであり、何もかもが新鮮だった。
「ここが私の故郷、ノードハイムよ」
リリィが少し誇らしげに、そして嬉しそうに紹介する。故郷の街並みを見る彼女の横顔は、森の中にいた時とはまた違う、生き生きとした表情に見えた。街灯が一つ、また一つと灯り始め、雪の結晶が彼女の金色の髪できらめく。
「にぎやかで素敵な街だね」
ノエルは目を輝かせながら周囲を見渡した。リリィがこの街を大切に思っているのが伝わってくるようで、ノエルも何だか嬉しい気持ちになった。
「まずは私のおすすめの喫茶店に行きましょう。そこで少し休みましょうか」
リリィは先導するように歩き出した。
ほどなくして、古い木造の建物が見えてきた。店先には「カフェ・ノクターン」の看板が掲げられている。
「ここは私のお気に入りの場所なの。一番のおすすめはコーヒーよ。マスターが厳選した豆を挽いて、サイフォンで淹れてくれるの」
店内に入ると、暖かな空気とコーヒーの香りが三人を包み込んだ。木の温もりを感じる内装に、心地よい音楽が流れている。
「いらっしゃい、リリィ」
カウンターの奥から、白髪のマスターが微笑みかけた。
「こんにちは、マスター。今日は友達を連れてきたの」
「それはそれは。ゆっくりしていっておくれ」
三人は窓際の席に座った。ノエルは外の景色を眺めながら、ほっと一息ついた。
「マスター、特製ブレンドを三つお願いします」
リリィが注文すると、マスターは頷いてサイフォンを準備し始めた。
「ねぇ、ノエル。さっきの話の続きだけど、イリスさんがどんな人なのか、もっと教えてくれる?」
リリィが興味深そうに尋ねた。
「イリスは…とても優しくて、しっかり者で、みんなから信頼されているんだ。銀色の長い髪が綺麗で、青い瞳が印象的な子だよ」
ノエルは微笑みながら話す。
「でも、戦火の中からの手紙をきっかけに、すごく悩んでた。自分に何ができるのか、ずっと考えていたんだと思う」
「その手紙って、どんな内容だったの?」
リリィがそっと訊ねる。
「戦争で家族を失った少年からの手紙だったんだ。『もう何もいらない。ただ、平和な日々が戻ってほしい』って書かれていた。イリスはその言葉に心を揺さぶられたんだ」
ノエルは拳を握りしめた。
「彼女は、その子を救いたかった。でも、サンタクロースの力では直接的に何もできない。だから…」
「だから、協会を飛び出して、自分なりの方法を探したのね」
リリィは静かに頷いた。
その時、マスターがコーヒーを運んできた。
「お待たせしました。特製ブレンドです。まずはブラックで一口どうぞ」
ノエルは香りを楽しみながらカップを持ち上げた。口に含むと、深いコクと芳醇な香りが広がった。
「美味しい!」
「でしょ?ここのコーヒーは本当に最高なの」
リリィも満足げに微笑んだ。
しばらくの間、三人はコーヒーを味わいながら穏やかな時間を過ごした。リリィはカップを両手で包み込むように持ち、ふぅ、と白い息を吹きかけながらゆっくりと味わっている。その落ち着いた仕草は、森で食材を探していた時や、街を歩いていた時の快活さとは少し違い、大人びて見えた。暖かい店内で、彼女の頬の赤みがとれ、肌の白さが際立っていた。