空からの応答とツギハギの翼
サンタクロース協会の中心にある石造りの広場は、普段であれば厳かな静寂に包まれているはずだが、今はまるで放課後の教室のような、場違いなざわめきに満ちていた。広場の中央に据えられた巨大な水晶玉「世界を見渡す目」を取り囲んでいるのは、色とりどりの作業着に身を包んだ見習いの少年少女たちだ。
「なになに?ノエル兄ちゃん、何か叫んでるよ?」
「えっと……『黒いトラックを探して』だって」
「トラック?トラックのオモチャのリクエスト?」
「バカだなぁ、サンタが自分へのプレゼントを頼んでどうすんのさ」
彼らは、ノエルが直面している絶望的な状況も、イリスが生死不明であることも知らない。ただ、特別な任務を帯びて旅立った先輩が、遠い異国の地から自分たちに珍しい「お使い」を頼んできた、くらいの感覚で集まっていた。
水晶玉の曇りのない表面には、アメリアの鉛色の空の下、ハイウェイの路肩で必死に手を振るノエルの姿が映し出されている。世界を見渡す目の集音魔法は、どんな小さな子供の寝言も拾う精度を持っているため、ノエルの必死な叫びは鮮明に広場へ響いていた。
『見えてるかなー!サンタさーん!この森の中に……黒いトラックが走っていったんだ!どこに行ったか追いかけてほしいんだー!』
ノエルは必死の形相で、ハイウェイの脇に広がる鬱蒼とした森を指差している。
「あ、指差してる。北の方角だ」
「あんな森の中にトラックなんているの?ただの木しか見えないけど」
操作役の一人の少年が、水晶玉に手をかざし、得意げに言った。
「よし、視点変更。上空モード!」
視点がノエルのいる場所からグンと引き上がり、鳥瞰図へと切り替わる。
映し出されたのは、アメリア北部に位置するロックウッド州立公園の保護区。衛星写真や通常の監視カメラであれば、分厚い木々の枝葉に阻まれて、その下の様子など何一つ見えない「死角」だ。
だが、サンタクロースの目は違う。煙突のないマンションの最上階だろうが、地下室のシェルターだろうが、子供が良い子にしているかを見届けるための「絶対的な視覚」。物理的な障害物など、彼らにとっては薄紙一枚ほどの意味もない。
「障害物除去フィルター、オン!森の木を……透過!」
「ねぇ、そのいちいち叫ぶ掛け声いる?」
隣の少女が呆れたように突っ込むが、少年は気にする様子もない。
「気分だよ、気分!ロマンが大事なんだって!」
少年が指先を滑らせると、水晶玉に映る景色から、まるで最初から存在しなかったかのように木々の緑が透けて消え、地面の起伏だけが露わになった。そこには、肉眼では見えないはずのものが、はっきりと映し出された。
「北へ……北へ……お、あった!熱源反応あり!これじゃない?」
水晶玉の視界が、獣道を猛スピードで走る一台の車両を捉えた。
それは、艶消しのブラックで塗装された、まるで装甲車のような無骨な大型トラックだった。配送用のトラックではない。明らかに、何かを「捕獲」し、「運搬」するための、特殊な改造が施された車両だ。
「うっわ、すっげぇー!!!」
その車体を見た瞬間、男の子の見習いたちが身を乗り出して目を輝かせた。
「見ろよあのタイヤ!防弾仕様かな?エンジン音も野太くてカッコいいー!」
「軍用車両のカスタムカーかな?サンタのソリもあんな風に黒く塗って、ターボ積んだら速そうじゃね?」
「バカ、あんな鉄の塊、トナカイが引けるわけないじゃん」
興奮する男子たちを他所に、女子の見習いが冷めた声で呟く。
「趣味わっる。あんなゴツい車、全然可愛くないし」
「夢がないわね。男の子ってああいう無駄に強そうなの好きだよねぇ」
「で、ノエル兄ちゃんが探してるってことは、あの車にイリスお姉ちゃんが乗ってるのかな?」
誰かがふと漏らした疑問に、場の空気が少しだけ真剣になる。
操作役の少年は、困ったように眉を寄せた。
「でもさぁ、イリスお姉ちゃんって『見えない』んだよね。魔法で隠れてるから」
「あー、そっか。こっちから探そうとしても、透明人間みたく映らないんだよね」
イリスは、サンタクロースの「目」の特性を知り尽くしている。だからこそ、自身の魔法で認識を阻害するプロテクトをかけ、監視の目から姿を消しているのだ。これまでも協会側は何度も彼女を探そうとしたが、その姿を捉えることはできなかった。
「ま、とりあえず中を見てみようよ。イリスお姉ちゃんは見えなくても、他に誰か乗ってるかもしれないし」
「そうだね。屋根なんて邪魔くさいし、透かして見ちゃえ」
少年がひょいっと指を振る。
それは「子供が良い子にしているか」を見守るために屋根や天井を透過して室内を覗く、世界を見渡す目の基本機能の一つ。
装甲トラックの分厚い特殊合金の天井が、水晶玉の中では水面のように揺らぎ、透けて消えた。
「オープン!」
荷台の内部が露わになった。
そこには、物々しい装備に身を包んだ男たちが数名乗っていた。彼らはガスマスクを装着し、手には最新鋭の麻薬銃や電磁ネットランチャーのような武器を抱えている。まるで、猛獣か怪物を捕獲するかのような重装備だ。
そして、その奥。
見習いたちの目が点になった。
男たちの足元に、太いロープで縛られ、窮屈そうに横たわっている巨大な茶色の毛玉。
「あれって……」
一人の少女が、画面を指差して叫んだ。
「ルドルフじゃん!!」
「なんでトラックの荷台で寝てんの!?」
広場は大騒ぎになった。そして、その隣には、意識を失っていると思われる金髪の女性が転がされている。
「誰?あの女の人」
「知らない顔だね。イリスお姉ちゃんじゃないし……」
「え、これって……誘拐!?」
「あのおっさんたち、武器持ってるよ!悪い奴らだ!」
事態を理解した見習いたちはパニックになった。これはただの「お使い」ではない。緊急事態だ。ノエルが必死だった理由が、ようやく彼らにも理解できた。
「大変だ!ノエル兄ちゃんはこれを知ってて助けを求めてたんだ!」
「教えなきゃ!トラックは北の山奥に向かってるって!早く!」
「でも、どうやって?こっちの声はノエル兄ちゃんには届かないよ?」
見習いたちは顔を見合わせた。水晶玉はこちらの映像や音声を届ける機能はない。一方的な観察ツールなのだ。
ノエルはまだ、ハイウェイで空に向かって叫んでいる。彼の悲痛な声だけが、虚しく響いていた。
「えーっと、えーっと……そうだ!」
操作役の少年が閃いたように手を打った。
「ノエル兄ちゃんが持ってる願いの結晶!あそこにこっちから魔力を送れば、コンパスみたいに使えるかも!」
少年は水晶玉に両手を押し当て、叫んだ。
「みんな!ノエル兄ちゃんの小瓶に集中して!道を教えるんだ!」
見習いたちが一斉に水晶玉に手をかざす。
「届け!ノエル兄ちゃん!」
────
アメリアのハイウェイ。
空を仰いでいたノエルの隣で待機してくれているタクシーの運転手も、さすがに痺れを切らしていた。
「おい兄ちゃん、そろそろいい加減に……」
その時だった。
ノエルの胸元、服の下に隠していた小瓶が、カッと熱を帯びたように輝き出した。
それは旅立ちの前にニコラスから託された「願いの結晶」。
「えっ……?」
ノエルが慌てて小瓶を取り出し、コルクの蓋を開ける。
シュウッ!という音と共に、小瓶の中から、眩いばかりの金色の光の玉が飛び出した。
それは蛍のように、しかしもっと力強く、意志を持って輝きながら、ノエルの周りをくるくると回り、そして森の奥へ向かって、手招きするように上下に揺れた。
『こっちだよ!ついておいで!』
光がそう叫んでいるように、ノエルにははっきりと感じられた。
「教えてくれてるんだね!」
ノエルの顔に希望が戻る。協会のみんなが、見ていてくれたんだ。
光は森の奥へ、道なき道を指し示している。
「運転手さん!あれを追いかけられる?」
タクシーの運転手は、口をあんぐりと開けて光の行方を見ていた。
「な、何だい、今の光は?……ドローンか?最新の?」
「う、うん、そう!ドローン!案内用のドローンなんだ!」
ノエルはとっさに話を合わせた。
「へぇ、最近のオモチャはすげぇな……」
運転手は感心したように言ったが、すぐに困った顔で首を振った。
「とはいえ、お客さん。光が飛んでった先は獣道だ。このタクシーじゃ、とてもじゃないが進めねぇよ。タイヤがハマっちまう」
「……そうだよね」
ノエルは唇を噛んだ。光は木々の向こうへ、どんどん遠ざかっていく。
「走って追いかけるよ」
「おいおい、本気か?ここから先はロックウッドの保護区だぞ。何キロあると思ってるんだ」
「それでも、行くしかないんだ!」
「……わかったよ。だが、俺も商売だ。いつまでもこんな路肩に止まってるわけにもいかねぇ」
運転手はメーターを止め、ノエルに向き直った。
「気をつけてな、坊主。無茶すんなよ」
「おじさん、ありがとう!ここまで送ってくれて、本当にありがとう!」
ノエルは礼を言うと、ガードレールを乗り越え、森の中へと足を踏み入れた。
足元は酷く荒れていた。さっきトラックが強引に突破したせいか、折れた枝木が散乱し、深いタイヤの轍が泥を跳ね上げている。
ノエルは光を追って走り出したが、すぐに息が上がった。
道は険しく、ぬかるんでいる。人間の足では、軍用トラックのスピードになんて到底追いつけない。
(どうしよう……このままじゃ、光を見失っちゃう……!)
焦りが募る。ふと、さっきの運転手の言葉が脳裏をよぎった。
『ドローンか?最近のオモチャはすげぇな』
「……オモチャ……ドローン!」
ノエルは立ち止まり、息を整えた。
そうだ。僕にはまだ、魔法がある。
子供たちの願いが詰まった、この結晶の力が。
「僕たちの力は、子供たちを笑顔にするためのもの……」
ノエルは小瓶を強く握りしめた。
子供たちが欲しがるもの。クリスマスに願うもの。
それは、いつの時代も変わらない「ワクワクするもの」だ。
かつて木馬やブリキの兵隊だった憧れは、時代とともに姿を変え、今は電子制御された翼や、荒地を駆ける車輪になっている。だが、そこに込められた「もっと遠くへ行きたい」「空を飛びたい」という純粋な願いの本質は、何も変わっていないはずだ。
「お願い……力を貸して!」
ノエルは袋の口を開け、小瓶に残された光の粒子を、そっと注ぎ込んだ。
袋が膨らみ、中で何かが形作られていく。
彼は強く念じた。険しい道でも走れるもの。そして、空を飛ぶもの。
「出てこい!」
ノエルが袋を振ると、中からゴロンと何かが転がり出た。
それは、鮮やかな赤色をした子供用のマウンテンバイクと、箱に入ったままの最新型のトイドローンが4機。
「……子供用だから、ちょっと小さいな」
ノエルは苦笑いしたが、贅沢は言っていられない。
彼は手際よくドローンの箱を開け、四機のドローンを起動させた。そしてロープとテープを使い、ドローンとマウンテンバイクを強引に結びつけた。
「トナカイをドローンに、ソリをマウンテンバイクに……」
前輪の左右に1機ずつ、後輪の左右に1機ずつ。
プロペラが干渉しないように、絶妙な角度で固定する。
出来上がったのは、見た目は不格好極まりない、ツギハギだらけの奇妙な乗り物だった。
ルドルフが見たら「美しくない」と鼻で笑い、リリィなら「危なっかしいわね」と呆れるだろう。
その想像が、ノエルの胸をちくりと刺し、同時に熱くさせた。
彼は小さなマウンテンバイクに跨った。ハンドルを握る手に力がこもる。
「残っている最後の願いの力だ……」
ノエルは小瓶を逆さにし、残った全ての光を、この即席のソリへと注ぎ込んだ。
「飛べッ!!!」
その瞬間、4機のドローンが呼応するように高回転で唸りを上げ、マウンテンバイクの車輪が淡い光を帯びた。
ふわり、と車体が重力を無視して宙に浮く。
「待ってて、リリィ、ルドルフ!今行くよ!」
ノエルがペダルを踏み込むと、即席のソリは弾かれたように急加速し、導きの光を追って木々の回廊へと吸い込まれていった。
それはかつてないスピードで、鬱蒼とした森の闇を切り裂く、一筋の赤い疾風となった。




