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聖夜の黄昏  作者: ナオ
1章 サンタクロースを名乗る少年
5/56

出会いのシチュー

世界が呼吸を止めたかのような、白銀の森。


針葉樹の枝々は霧氷のドレスを纏い、降り積もった新雪は、踏みしめるたびにきゅっ、きゅっと、囁く音を立てた。


吹きすさぶ北風に、サンタクロースの赤いコートの裾が激しく煽られる。

背負った大きな革袋は、少年の華奢な肩に、世界そのもののように重くのしかかっていた。


彼の名はノエル。

サンタクロース協会という温かな揺り籠を飛び出してから、もういくつ夜を越えただろうか。


「……ねぇ、ルドルフ。あの噂、本当かな」


ノエルは吐く息を白く染めながら、ぽつりと呟いた。


ここへ来る途中に立ち寄った街の喧騒、市場の噂話。

人々の興奮した声が、凍えた耳の奥でまだ熱を帯びている。


『南の激戦地で、冷たい銃身から向日葵が一斉に咲き乱れたんだってよ!』


『東の国境じゃ、兵士たちが急に戦う気をなくして、銃を捨てて歌いながら家に帰ったらしい』


『空から降ってきた不発弾が、全部ふかふかのぬいぐるみに変わってたってニュース、見たか?』


誰もが笑顔で語る“奇跡”の正体。

ある者は神の御業と崇め、ある者は新兵器だと恐れ、多くの者はフェイクニュースだと笑い飛ばした。


けれど、雪深い山道を歩くこの少年と一頭のトナカイだけは、その正体を知っている。


「イリスだ……彼女がやったんだ」


ノエルは確信を込めて、けれどどこか切なげに眉を下げた。


「彼女は今日もどこかで、花を咲かせているんだろうか。……無理をしてなきゃいいけど」


遠い空の下、たった一人で世界を変えようとしている親友へと思いを馳せる。


しかし、その高尚な感傷は、彼自身の身体が発した、あまりにも情けない悲鳴によって遮られた。


――ぐぅぅぅぅぅ。


森の静寂を引き裂く、腹の虫の合唱。


「はぁ……」


思わず漏れたため息も、白い霧となって空気に溶けていく。

ノエルは立ち止まり、ぺたんこになった腹を赤いコートの上から押さえた。


北欧育ちの彼にとって、寒さ自体は日常だ。

けれど、蓄積した疲労と数日間の絶食は、容赦なく体温と気力を奪っていく。


「……ねぇ、ルドルフ。僕の計算だと、次の街まであと半日だったはずだよね?」


ノエルは乾いた唇で問いかけたが、相棒のトナカイは、そのつぶらな瞳に深い呆れを浮かべて首を振った。


「君の計算が正しければね、ノエル。だが、君が『こっちが近道だ!』と自信満々に獣道へ突入してから、既に二日が経過している。認めよう。我々は遭難した」


「そ、遭難……」


「君の驚くべき生活力の低さと、計画性の欠如には感動すら覚えるよ。前の街で買い込んだ食料の九割がお菓子で、それを一日で食べ尽くすとは」


ルドルフは、立派な角を頂いた頭を大げさに振ってみせた。


「そんな状態でよく『僕がイリスを連れ戻す!』なんて大見得を切れたものだ。いいかい、ノエル。イリスは聡明だ。そう簡単に見つかる轍を残すはずがない。これは長い旅になる。もっと計画的に――」


ルドルフの正論が続く中、ノエルの胃袋が再びキリキリと悲鳴を上げた。

視界が白く明滅する。


万策尽きたかと思われた、その時だった。


ふわり。


風に乗って、信じられないほど懐かしくて、暴力的でさえある芳醇な香りが、ノエルの鼻腔をくすぐった。


「こ、この匂いは……!?」


ノエルの鼻が、獲物を見つけた猟犬のようにぴくりと動く。


濃厚なミルクの甘み、バターで炒めた香味野菜の香ばしさ。

そして何より、凍えた魂を芯から温めるような、圧倒的な「熱」の気配。


意識が朦朧としていたノエルは、糸に引かれる操り人形のように、ふらふらとその香りへ向かって雪をかき分け始めた。


「待つんだノエル! どこへ行くんだい!」


ルドルフの制止も耳に入らない。

枝をかき分けた先に現れたのは、雪原の中に奇跡のように存在する、陽だまりのような空間だった。


古い切り株を利用した即席の調理台。パチパチと爆ぜる焚き火。

そしてその上で、白い湯気をもうもうと上げている寸胴鍋。


周囲に人の気配はない。

ただ、鍋の中身が、グツグツと魅惑的な音を立てて、ノエルを呼んでいる。


ノエルは鍋に吸い寄せられる。

無意識のうちに傍らに置かれていた木のスプーンを手に取り、震える手で、その白濁したとろみのあるスープをすくい、口へ運ぶ。


瞬間、濃厚な旨味と温もりが口いっぱいに爆発した。


鶏の出汁

野菜の甘み

ミルクのコク


それらが複雑に絡み合い、冷え切った内臓に、再び命の灯をともしていく。


「……んっ、おいし……」


「ノエル! どう見ても誰かが調理している最中じゃないか。泥棒の真似事はやめるんだ!」


ルドルフの焦った声が響くが、今のノエルには届かない。

スプーンが止まらないのだ。


「んんーっ! 美味しい! あったまるぅ……! こんなに優しいシチュー、生まれて初めて食べたよ……!」


涙すら滲ませて感動するノエル。

その至福の瞬間は、雷鳴のような怒声によって打ち破られた。


「ちょっとーーーっ!! そこで何してるのよっ!!」


「ひゃっ!?」


ビクリと肩を震わせて振り返ると、そこには一人の少女が仁王立ちしていた。


雪景色に映える腰まで届く金色の髪をツインテールに結び、厚手のコートの上にエプロンという奇妙な出で立ち。

その美しい青い瞳は、極北の氷河のように冷たく、そして鋭く細められていた。

手には食材が入っているであろう籠を抱えている。


「あ、あの……ごめんなさい……」

ノエルは慌ててスプーンを置いた。

「あ、あまりにも美味しそうな匂いがして、その、体が勝手に……」


「体が勝手に、じゃないわよ! 味見の許可を出した覚えはないわ!」


少女は雪を踏みしめてスタスタと歩み寄ると、ノエルを睨みつけた。


「人の大事な料理を勝手に味見するなんて、非常識にもほどがあるわ! 大体ね、仕上げの『冬光茸』を入れる前よ。まだ味の調和が取れていない未完成品を勝手に口にするなんて、料理人に対する冒涜よ!」


「りょ、料理人……?」


「ええ。そして、あなたは泥棒ね。……って、なによその格好」


彼女は言葉を切り、ノエルの奇妙な格好に気づいたようだった。

赤いコート、大きな袋。

訝しげに眉をひそめ、頭のてっぺんから爪先まで検分する。


「まさか、サンタクロースのコスプレをして森で遭難してたわけ?」


「えっと、コスプレというか、一応本物で、でもまだ見習いというか……」

ノエルは申し訳なさで縮こまりながら、しどろもどろに頭を掻いた。


少女は、ふう、と大きな溜息をついた。

ノエルのあまりにも情けない様子と、嘘をついているようには見えない純朴な瞳を見て、怒りの炎が少しだけ毒気を抜かれたようだ。


「まったく、物好きな人もいるものね。こんな真冬の森の奥まで、そんな格好で来るなんて」


彼女は腰に手を当て、名乗った。


「私の名前はリリィ、料理人よ。この森で最高の食材を探しているの。……命拾いしたわね、泥棒さん。私の料理を盗み食いした罪は重いけれど、行き倒れを見捨てるほど落ちぶれてはいないわ」


「僕はノエル、こっちは相棒のルドルフ。……ごめんなさい、そしてありがとう、リリィ」


「礼を言うのはまだ早いわ、ノエル。そのスープ、まだ完成していないって言ったでしょ?」


リリィは口元に不敵な笑みを浮かべた。


「私の大切なシチューを勝手に食べた罰よ。償いとして、私の食材集め、手伝ってもらおうかしら」


「食材集め?」


「そう。この森にはね、私の料理に欠かせない、とーっても珍しい食材が眠っているの。日が暮れるまで、たーっぷり働いてもらうから、覚悟しなさい!」


「わ、わかった! 食べた分はしっかり働くよ!」


叱られながらも、ノエルはなぜか少し嬉しくなって、元気よく答えた。

誰かの役に立てるなら、それはサンタクロース見習いとして本望だったからだ。


「よし。ルドルフだったかしら、トナカイさんはここで待ってて」


────


秘密の地図を頼りに進む探検隊さながらに、二人は深い森の中へと足を踏み入れた。


先頭を行くリリィの足取りは、新雪の上を舞う小鳥のように軽やかだ。

時折立ち止まっては、鋭い観察眼で雪面や木々の枝を見つめる。

その真剣な横顔は、さっきまでの快活さとは違う、凛とした職人の美しさを放っていた。


「あっ!」


突然、リリィが雪に覆われた古木の根元で足を止めた。


「あったわ、見て、ノエル!」


「どうしたの? 何か見つけた?」

ノエルが駆け寄ると、リリィは興奮を隠しきれない様子で振り返った。

その拍子に、足元の木の根に気づかず体勢を崩す。


「わっ!」


「危ないっ!」

ノエルは反射的に手を伸ばし、リリィの腕を掴んで支えた。


「あ……ありがとう、ノエル。助かったわ」

「ううん、大丈夫? 怪我はない?」


「ええ、平気。それより、これを見て」


リリィはすぐに気を取り直して屈み込み、壊れ物に触れる手つきで慎重に雪を払い始めた。

純白の雪の下から姿を現したのは、青白い幽玄な光を放つキノコの群生だった。


「これが『冬光茸』」

リリィの声に、隠しきれない愛おしさが滲む。

「一年で最も寒さが厳しくなるこの時期、雪の下でしか見られない特別なキノコなの」


「氷のランプみたいだ……」

ノエルは息を呑んだ。


「ねえ、見てて」


リリィは摘み取ったばかりの冬光茸の一つを、そっと手のひらに載せ、優しく息を吹きかけた。

すると、息吹に呼応するように、キノコから無数の青白い光の粒子がふわりと舞い上がり、冷たい空気の中でオーロラを描いて揺らめきながら漂った。


「この香りを、かいでみて」

リリィは摘み取ったキノコをノエルに差し出した。


「冬光茸はね、凍てついた満月の夜の、澄み切った空気の香りがするの。この清らかさが、シチューを特別なものにしてくれるのよ」


二人は森を巡り次々と森の恵みを見つけていく。


氷柱のように透明な『冬芽』

雪の下でルビーの輝きを放つ『氷結果』

深い緑を湛える『永久葉』


「この赤い小さな実は、氷結果っていうの」

リリィは雪を優しく掘り起こしながら説明した。その手つきは、土の中の宝物を掘り出す考古学者のよう。


「不思議でしょう? 普通の植物は暖かい場所で実をつけるのに、この子は氷点下にならないと、綺麗な赤い実を熟させることができないのよ。冬に恋してるみたい。」


「寒いところでしか採れない、特別な恵みばかりなんだね」

ノエルは雪の中から現れた鮮やかな赤色に目を奪われながら感心する。


「こっちの永久葉はね、どんなに厳しい吹雪の中でも、その緑を失わない、生命力の塊みたいな不思議なハーブなの」


リリィは艶やかな深緑の葉を、そっと指先で摘みながら続けた。


「雪の下で静かに眠っている大地のエネルギーを、この小さな葉っぱ一枚一枚に、まるごと閉じ込めているのよ。だから、少し食べるだけで、体が芯から温まるの」


リリィの一つ一つの解説には、冬の自然への深い知識と愛情が溢れていた。


「冬の森はね、一見眠っているようで、春や夏とは違う力強い恵みに満ちているの。冬にしか出会えない宝物が、たくさん隠されているのよ」


────


必要な食材を籠いっぱいに詰め、二人は陽だまりの調理場へと戻ってきた。

リリィは音楽を奏でるように手際よく調理を進める。


「何か、僕に手伝えることある?」

ノエルは声をかけた。

ただ見ているだけでなく、自分もこの魔法のような料理作りに参加したいと思ったのだ。


「ありがとう、ノエル。助かるわ。じゃあ、この冬光茸をスライスしてくれるかしら? 降りたての粉雪に触れるみたいに、優しくね」


リリィに手渡された包丁で、ノエルは慎重に刃を入れる。

切断面から淡い光が溢れ出し、鍋の中へと溶け込んでいく。


「わぁ、すごい……光ってる……」


「ふふ、綺麗でしょう?」


やがてテーブルの上には、冬の森からの贈り物が並んだ。

湯気を立てるシチューは月明かりのように輝き、サラダは生命力に満ち、タルトは宝石のように艶やかだ。


一口食べた瞬間、ノエルは目を閉じた。


それは単なる美味しさを超えていた。

厳しい冬を耐え抜いた生命力と、作り手の温かい心が混ざり合い、冷え切った心と体に染み渡っていく。


「美味しい……! 本当に、美味しいよ、リリィ!」

「ふふ、それはきっと、ノエルが手伝ってくれたおかげよ」


焚き火の光に照らされたリリィの笑顔は、どんな宝石よりも温かく輝いていた。


食事の手が少し落ち着いた頃、ノエルはふと、リリィの足元でくつろぐ相棒に目を向けた。


「あ、そうだ。ルドルフにも何かあげないと」

リリィは微笑んで、小さな皿に取り分けたサラダを差し出した。


「どうぞ、トナカイさん。この永久葉は栄養満点よ」


すると、ルドルフはむくりと身を起こし、そのつぶらな瞳でリリィを真っ直ぐに見つめた。

彼女の魂の底を測るかのように、その視線は深く、静かだった。


しばらくの沈黙の後、彼は納得したように小さく頷くと、深みのあるバリトンボイスで言った。


「感謝するよ、麗しきお嬢さん。極上のディナーにありつけるとは、遭難した甲斐があったというものだ」


カチャン。

リリィの手から、スプーンが滑り落ちた。


「……え?」


「ちなみに、ドレッシングの酸味が絶妙だね。氷結果の果汁かな?」

ルドルフは優雅にサラダを咀嚼し始めた。


「ト、トト、トナカイが喋ったぁぁぁ!?」


リリィの悲鳴が森に木霊した。

彼女は飛び上がり、焚き火の向こう側まで後ずさる。


「驚かせてしまってすまない」

ルドルフは口元の葉っぱを舌で拭った。

「僕は少しばかり特別なトナカイでね」


リリィは目を白黒させながら、ノエルとルドルフを交互に見比べる。

「特別なトナカイ…しかもお鼻が真っ赤……赤い服、白い袋……」


彼女の中で、冗談だと思っていたパズルのピースが、カチリカチリと音を立てて嵌っていく。


「あなたたち、まさか……本物の……?」


「うん。だから言ったじゃないか」

ノエルは苦笑いを浮かべ、傍らに置いていた古びた白い布袋を膝に乗せた。


「僕はサンタクロース協会の、ノエル。まだ見習いだけどね」


「信じられない……おとぎ話じゃなかったの?」


────


夜が静かに更けていく。

満腹になったルドルフは、焚き火のそばで気持ちよさそうにうとうとしている。

リリィは手際よく食器を片付け始めた。


ノエルは、燃え残った焚き火の揺らめきをぼんやりと見つめながら、イリスのことを思い返していた。


イリスの部屋に残されていた短い手紙。

『私にはやらなければいけないことがある。ノエル、ごめんなさい。そしてありがとう』。

それだけだった。


どこへ行ったのか、何をするつもりなのか、手がかりは全くない。

広大な世界の中で、たった一人の親友を探し出すことが、どれほど困難なことか。

ノエルは改めてその重さを感じていた。


「本当に、僕は……何も役に立たないなぁ……」

ノエルは、消え入りそうな声で自嘲気味につぶやいた。


「何が役に立たないの? 何か悩みがあるなら聞くわよ?」

片付けの手を止め、リリィが心配そうに尋ねる。

焚き火の光が彼女の真剣な表情を照らした。


「……ありがとう。あのね、サンタクロースの力のことなんだ」


ノエルは苦笑いを浮かべ、いつも背負っている、少し古びた白い大きな布袋を膝の上に置いた。


「この力は、外の世界じゃ、僕たちが直面している『悲しみ』に対しては、あまりにも無力なんだって、改めて思って……」


「サンタクロースの力……。そういえば、ノエルは協会の見習いだって言ってたわね」


リリィは少し首を傾げた。

彼女はまだ、ノエルの言葉を額面通りには受け取っていなかった。

赤い服も大きな袋も、彼が所属するという協会のユニフォームか何かだろう、と。

先ほどルドルフが喋った時も驚きはしたが、よく訓練された芸と腹話術くらいに考えていた。


「その大きな袋が、何か関係あるの?」


「うん。これは『魔法の袋』なんだ。心の中で願えば、子供たちの心に寄り添う贈り物を取り出すことができる。……試してみる?」

ノエルは袋の口を少し開いて見せた。


「え? いいの?」


好奇心を抑えきれない様子で、リリィは恐る恐る袋に手を差し入れた。

中は思ったよりも深く、驚くほど温かかった。

その奥で、何か柔らかいものに指先が触れ、優しい熱が凍えた手を包み込む。


「……!?」


その瞬間、袋の口から淡い金色の光が溢れ、リリィの手の中に確かな「何か」が現れた感触があった。


驚いて手を引き抜くと、そこには……温かみのある木で作られた、愛らしいペンギンの人形が握られていた。

それは、リリィが幼い頃、肌身離さず大切にしていたペンギンのぬいぐるみに、驚くほどよく似ていた。


「……っ!」

リリィは息を飲んだ。


目の前で起きた、あまりにも不思議で、個人的な奇跡に、言葉を失う。

手品? トリック?

いや、違う。そんなものではない。この温もり、この形……。

目の前のノエルの真剣な眼差し、そして隣で静かに佇むルドルフの存在。


「……本当に……サンタクロース、なのね……?」


リリィの声は、驚きと、畏敬の念でわずかに震えていた。

おとぎ話だと思っていた存在が、今、確かに目の前にいる。

その事実に、彼女の世界観が根底から揺さぶられるような衝撃を受けていた。


「うん。まだ、見習いだけどね」

ノエルは、リリィの手の中にあるペンギンを、どこか切なげに見つめた。


「でも……僕には、これくらいしかできないんだ。この力じゃ、僕が本当に助けたい人を救うことはできない」


「助けたい人? そういえば、さっきも誰かを探してるって……」

リリィは、まだ魔法の衝撃から完全に立ち直れてはいないものの、ノエルの翳った表情に気づき、心配そうに尋ねた。


ノエルは、リリィの真剣な眼差しに、今度こそ全てを打ち明けようと決心した。

彼女は、自分の秘密を受け入れてくれたのだから。


「うん……。僕には、イリスっていう、大切な友達がいるんだ。銀色の髪をした、とても優しくて、しっかり者の女の子なんだ。僕にとっては、家族同然で……」


彼の声には、深い親愛と、そして切実な心配の色が滲んでいた。


「僕たちは、協会でずっと一緒にサンタクロースの見習いとして頑張ってきた。でも、あることがきっかけで……彼女は、一人で協会を飛び出してしまったんだ」


「どこへ行ったのか、今どうしているのか、何も分からない。ただ、彼女が何か、とても危なくて、そして自分自身をも傷つけるような、悲しいことをしようとしている気がして……」


「僕は、どうしても彼女を見つけて、話をしたい。連れ戻したいんだ。僕が協会を出て、こうして旅をしているのは、そのためなんだよ」


リリィは、ノエルの切実な告白を、黙って聞いていた。

喋るトナカイ、魔法の袋、そして行方不明の親友を探す旅……。

あまりにも現実離れした話の連続。


けれど、目の前のノエルの必死なまでの真剣さと、彼の瞳の奥にある深い悲しみ。

そして先ほどの魔法の袋の出来事が、それが紛れもない事実であることを物語っていた。


「そう……だったのね」

ノエルが背負っているものの重さと、純粋な想いが、リリィの胸に強く響いた。


「私ね」

リリィは、少し間を置いて、今度は自分のことを話し始めた。

ノエルの告白を聞いて、彼女もまた、自分の心の奥にあるものを打ち明けたくなったのかもしれない。


「実は小さい頃、体が弱くてね。食べたいものが自由に食べられない時期があったの。美味しいお菓子も、みんなが食べているようなご馳走もダメ。おまけに、苦い薬ばかり飲まなくちゃいけなくて……」


彼女の声に、ほんの少しだけ影が差した。


「病院にいることも多くて、ずっと一人で……ううん、一人っていうのは少し違うかな。両親や周りの人は親切にしてくれたけど、心の底では、ずっと寂しい思いをしていたの」


リリィは、手の中のペンギンの人形に目を落とした。

その木の温もりを名残惜しそうに確かめ、そっとノエルに返す。


「この子……すごく懐かしい。昔、これとそっくりなペンギンのぬいぐるみを持っていてね。病室で、あの子だけが私の友達だった。私が食べられないチョコレートのお菓子を、おままごとで作ってあげたりして……」


「でもある日、病院の近くの森で、薬草摘みのおばあさんに出会ったの」


リリィの表情が少し和らぐ。


「その人がね、私が食べられる数少ない材料と、森のハーブや薬草で、私だけのために特別なスープを作ってくれた。見た目はなんてことなかったんだけど……」


リリィは、遠い日の味を思い出すように、ふっと息をついた。


「……一口飲んだら、本当にびっくりした。今まで食べたどんなご馳走より美味しくて、体が芯からぽかぽか温まって……苦い薬のことなんて、すっかり忘れちゃった」


「薬草が入っているはずなのに、少しも苦くなくて、ただひたすら優しくて……気づいたら、涙が止まらなかった。そして、私、久しぶりに心の底から笑ってたの」


「その時、強く思った。『私もいつか、こんな風に料理で誰かを幸せにしたい』って」


リリィは穏やかに目を伏せた。


「特別なことじゃなくていい。ただ、心を込めて作った料理で、人の心を温める。それが、私の選んだ道なんだって」


彼女は顔を上げ、ノエルに向き直った。

その青い瞳には、先ほどの魔法にも負けない、温かく力強い光が宿っている。


「だからね、ノエル」

リリィは、心からの笑顔でノエルの肩をそっと叩いた。


「あなたの魔法だって、ただおもちゃを出す力じゃない。子供たちの心を温めて、笑顔にする力でしょう? その笑顔が、きっと誰かの未来を照らす。それって、すごく尊くて素敵な力だと思うわ」


リリィの言葉は、温かいスープのように、ノエルの冷え切っていた心にじんわりと染み渡った。


「……ありがとう、リリィ。なんだか、少しだけ……前を向ける気がしてきたよ」

ノエルは精一杯の笑顔で感謝の言葉を口にした。


「ふふ、よかった」

リリィは満足そうににっこりと笑うと、名案を思いついたように言った。


「ねぇ、ノエル、ルドルフ。もしよかったら、私と一緒に西の街まで行かない? ノードハイムっていう、私の故郷なの」


彼女は立ち上がり、改めてノエルに手を差し伸べた。

その手は、先ほどよりもずっと頼もしく見えた。


「そこなら知り合いもたくさんいるし、情報も集めやすいと思うの。イリスさんを探す手がかりも、きっと見つけられるはずよ。私、そういうの得意なんだから!」


「ほ、本当!?」

ノエルの顔が、希望の光でぱっと輝いた。

差し伸べられたリリィの手を、彼は力強く握り返した。


「ありがとう、リリィ!」


「それじゃあ、早速出発……と言いたいところだけど」


リリィは空を見上げた。

木々の隙間から覗く空は、すでに深い藍色に染まり、一番星が静かに瞬き始めている。


「さすがにこの時間から雪山を下りるのは危険ね。視界も悪いし、気温も急激に下がるわ。遭難しちゃう」


「ええっ、そうなの?」

ノエルは残念そうに声を上げたが、すぐに何かを思いついたようにポンと手を打った。


「そうだ! ねぇルドルフ、起きて、起きて!」

ノエルは、満腹でうとうとしていたルドルフの巨体を揺り起こした。


「ふわぁ……なんだい、ノエル。せっかく極上の夢を見ていたのに」

ルドルフは大きなあくびをして、不満げに片目だけを開けた。


「ねぇ、街までひとっ飛びに乗せていってよ!」


ノエルは懐から、ペンダントのように紐を通した小さなガラスの小瓶を取り出した。

その中には、液体とも気体ともつかない、オーロラを凝縮したような金色の物質が封じ込められており、蛍火のごとく淡く、優しい明滅を繰り返している。


「ニコラス様から預かった『願いの結晶』! これを使えばルドルフは空を飛べるんだよ。街までひとっ飛びさ」


リリィに向かって誇らしげに語るノエルを見て、ルドルフは呆れたように鼻を鳴らし、ブルルと首を振った。


「却下。というか、ノエル、君ねぇ……」


ルドルフは前足を組み直し、諭すように言った。


「クリスマスの夜……あの特別な一晩だけは世界中が子供たちの純粋な『願い』で満ち溢れるから、僕たちは風を切って世界中を飛べる。でも今は12月に入ったばかり、まだその時じゃない」


ルドルフはノエルの手にある小瓶を鼻先で指した。


「それ以外の日に飛ぶには、『願いの力』を消費しなきゃいけない。それは協会が一年かけて少しずつ集めた貴重な子供たちの願いの力だ。使えば減るし、空っぽになったら僕たちはただのトナカイと徒歩旅行者だぞ」


「うぐっ……わ、わかってるよ。でも、街に行って子供たちを笑顔にすれば、また光は溜まるんでしょ? 少しぐらいいいじゃないか」


安易な提案をするノエルに、ルドルフはジトリとした目を向けた。


「出発前にニコラス様に言われたことをもう忘れたのかい?」


ノエルの脳裏に協会を発つ直前の光景が蘇る。


ノエルは急いで旅の支度を整え、出発しようとしていた。

そこへニコラスが静かに歩み寄り、ノエルを呼び止めたのだ。


かつてないほど真剣な眼差し。

ニコラスはノエルの手を取ると、その掌の温かさを伝えるように強く握りしめた。


『イリスは、世界にある数え切れぬ理不尽や歪みを見て、心を痛め、あの道を選んだ。だが、この世界にあるのは歪みだけではない。人々のささやかな優しさや、困難の中にある幸せもまた、確かに存在しておる』


ニコラスは、小瓶をノエルの首にかけながら、諭すように続けた。


『外の世界を自分の足で歩き、その目で見てくるのじゃ。汚いものも、美しいものも。全てを見て、触れて、感じて……そしてノエル。おぬし自身の思いで決めるのじゃ。イリスを止めるのか、それとも共に歩むのか』


ニコラスは少しだけ表情を緩めると、最後にノエルの肩を優しく叩いた。


『ほっほっほ、小難しいことを言ってしもうたな。なに、おぬしがどんな決断をしようと、儂も責任をとる。ノエル、自分の心を信じるのじゃ』


ルドルフは雪原を蹄でコンと叩き、音を響かせた。


「この力は、ここぞという時のために取っておくべきだ。『寒いから』とか『歩くのが面倒だ』とか、そんな理由で浪費していいものじゃない。僕は便利な空飛ぶタクシーじゃないんだよ」


「タクシー代わりだなんて……そこまでは言ってないけどさ」

ノエルは痛いところを突かれて口を尖らせたが、その言葉の正しさは理解していた。


小瓶を大切に懐へとしまい込む。

胸の奥で、トクトクと温かい鼓動を感じる。それは子供たちの夢の重さだ。


「ふーん、サンタクロースの世界にも、季節的な事情とか、エネルギー管理とか、色々とシビアなルールがあるのね」


二人のやり取りを聞いていたリリィは、クスクスと笑いながら納得したように頷いた。


「魔法が使えないなら、地道にいくしかないわね。今日はここでビバークしましょう。私の特製テントなら、冬の森でも凍えることはないから。とっておきのハーブティーも淹れてあげる」


手慣れた様子のリリィに任せ、その夜、三人は焚き火を囲んで夜を明かすことになった。


静寂が森を包み込む。

パチパチと爆ぜる薪の音だけが、心地よいリズムを刻んでいる。


ノエルはリリィから借りた温かい毛布にくるまりながら、木々の隙間から見える星空を見上げた。

澄み切った冬の夜空は、どこまでも高く、冷たく、そして吸い込まれそうなほど美しい。


(イリス……)


どこか遠い場所で、孤独な戦いを続ける親友もまた、同じこの星空を見上げているのだろうか。


懐の中の小瓶が、微かな温もりを伝えてくる。

これは子供たちの願いの力であり、聖ニコラスからの信頼の証。

これを無駄遣いするわけにはいかない。

いつか必ず訪れる、彼女を救うその時のために。


「……おやすみ、イリス」


答えのない問いを星空に投げかけ、ノエルは静かに目を閉じた。


翌朝。

無数の氷の結晶が朝陽を浴びて光の柱となる中、三人は街へ向かって歩き出した。


雪を踏みしめる音がリズミカルに森に響く。

ノエルの心には、昨夜のリリィの言葉と、ルドルフと再確認した約束が温かく残っていた。


「さあ、急ぎましょう! 今日中にノードハイムに着いて、美味しい朝ごはんを食べるわよ!」

「うん! 行こう!」

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