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聖夜の黄昏  作者: 那王
8章 惨劇の夜想曲
49/52

砕け散った万華鏡

それは、世界の終焉を告げる産声だったのかもしれない。


音よりも先に、純白の『無』が時を喰らった。あらゆる色彩と輪郭を奪い去る暴力的なまでの光が、ポート・モロウズの廃工場地帯を、そしてニューシティの澱んだ夜空そのものを一瞬だけ白く染め上げた。直後、全ての音を過去のものにするかのような、腹の底を揺さぶる巨大な轟音が鼓膜を突き破り、大気を震わせた。


衝撃波――それはもはや風という生易しいものではなかった。見えない神の手が、瓦礫も、錆びついた鉄骨も、そして夜の空気さえも平等に薙ぎ払っていく。ノエルとリリィは、咄嗟に身を伏せたルドルフの巨大な体の影に、しがみつくようにしてその暴威に耐えた。ルドルフの蹄がアスファルトを削る耳障りな音が、爆風の中で生々しく響く。吹き飛ばされたコンテナがすぐそばを轟音と共に転がり、地面に深い傷跡を刻んで停止した。


どれほどの時間が経ったのか。永遠にも、ほんの一瞬にも感じられた暴力の奔流が過ぎ去り、辺りを支配していた轟音は、まるで遠い雷鳴のように残響を残しながら、徐々に夜の静寂へと吸い込まれていった。代わりに聞こえてきたのは、耳の奥で鳴り続ける、甲高い金属音のような耳鳴りと、パチパチと何かが燃え盛る不吉な音、そして、遠くから、しかし確実に数を増しながら近づいてくる、無数のサイレンの叫びだった。


ノエルは、ルドルフの温かい体毛に顔を埋めたまま、恐る恐る目を開けた。舞い上がった粉塵と煙が、まるで濃い霧のように視界を遮っている。アスファルトと、何かが焼け焦げる鼻をつく異臭が、口の中にまで入り込んできて、思わず咳き込んだ。


「リリィ、ルドルフ、大丈夫?」


かろうじて絞り出した声は、自分のものではないように掠れていた。


「ええ、なんとか」隣から聞こえたリリィの声も、同じように震えていた。「ルドルフが、守ってくれたから」


「僕なら問題ない」


ルドルフは、二人を庇っていた巨体をゆっくりと起こした。その体には、飛んできた瓦礫によるものか、いくつかの擦り傷ができていたが、幸いにも大きな怪我はないようだった。


三人は、ゆっくりと立ち上がった。そして、目の前に広がる光景に、言葉を失った。


地獄。

もし、その一言で表現することが許されるならば、そこはまさしく地獄だった。


先ほどまで、古代遺跡のように荘厳なシルエットを夜空に刻んでいたはずの巨大な廃工場は、その半分以上が、まるで巨大なスプーンで無作法に抉り取られたかのように、跡形もなく消滅していた。残った建物の残骸は、内部から吹き上げる赤黒い炎に舐められ、その歪んだ骨格を黒々と夜空に晒している。爆心地と思われる場所は、アスファルトさえも溶かし、ガラス状に変質させていた。そこから立ち昇る陽炎が、対岸のマンハッタンの、非現実的なまでに美しい夜景を、ぐにゃりと歪めて映し出している。


「うそだろ……」


ノエルの口から、乾いた声が漏れた。サミィが指し示した場所。イリスがいるはずだった場所。それが今、目の前で、文明の墓標のように燃え盛っている。


「なんてこと……」


リリィは、震える手で口元を覆った。彼女がこれまで見てきたどんな自然の猛威――スネーランドの火山の噴火口でさえ、これほどまでに純粋で、悪意に満ちた破壊の光景ではなかった。


「……これは……魔法だ」ルドルフが、重い口調で呟いた。その賢明な瞳が、燃え盛る炎の奥、陽炎のように揺らめく空間の歪みを、鋭く見据えている。


ルドルフの言葉が、ノエルの脳内で、引き金のように機能した。

サミィの涙。「天使アンヘル」はあっちへ行ったと、確かに言った。

黒き聖夜の審判。ヘリオス社を破壊した、恐るべきテロリスト。

そして今、目の前で燃え盛る地獄と、そこに満ちる、紛れもないイリスの魔力の残滓。

点と点が繋がり、あまりにも単純で、それ故に残酷極まりない一本の線となる。


イリスが、やったのだ。

彼女が、自らの意志で、この地獄を創り出したのだ。


「違う!」

ノエルの唇から、意味をなさない否定の言葉が漏れた。

「違う、違う、イリスが? あのイリスがこんなことを? だって彼女は優しい子なんだ!」


脳裏に、協会の庭で笑い合った、遠い日のイリスの笑顔が浮かぶ。その温かい記憶と、目の前の灼熱地獄の光景が、彼の頭の中で混じり合い、思考をめちゃくちゃに引き裂いていく。信じたい彼女の姿と、信じなければならない目の前の現実が、彼の心を内側から食い破ろうとしていた。


「ノエル、しっかりして!」


リリィが、彼の腕を掴む手に力を込める。彼女自身も、恐怖と混乱で心が押し潰されそうだった。イリスという、会ったこともない少女。ノエルから聞く彼女は、優しくて、正義感が強くて、誰よりも子供たちの痛みに心を寄せられる子だったはずだ。その少女が、これだけの破壊を、何の躊躇もなく行えるとでもいうのだろうか。


「僕が、もっと早く見つけていれば! こんなことになる前に、話ができていれば!」


ノエルの瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。後悔と、無力感と、そして何よりも、親友が本当に、人の理を超えた怪物になってしまったのかもしれないという、絶望的な恐怖が、彼の心を叩き壊していく。

自分が届けようとした言葉は、もう彼女には届かないのだろうか。『一緒に探そう』という願いは、この炎の中に消えてしまったのだろうか。


遠ざかると思っていたサイレンの音が、再び勢いを増して、すぐそこまで迫ってきていた。赤と青の回転灯が、煙の立ち込める夜の闇を、神経質に切り裂き始める。


「ノエル、リリィ、今はここを離れるべきだよ」ルドルフが、冷静に、しかし有無を言わさぬ強い口調で促した。「我々がここにいては、騒ぎに巻き込まれるだけだ。」


「でも、イリスは! もし、この瓦礫の中にいたら!」


「彼女は賢い子だ」ルドルフはノエルの悲痛な叫びを遮った 。「自身の魔力に巻き込まれるような、そんな過ちは犯さない。彼女はきっと無事だ」


リリィが、涙で濡れたノエルの顔を、自分のコートの袖で優しく拭った 。「ルドルフの言う通りよ。何が起きたのかを知るためにも、今は退きましょう。そして、必ず、もう一度ここに戻ってくるの。必ずよ」


彼女の瞳には、恐怖に揺れながらも、決して折れない、強い意志の光が宿っていた 。


「うん……」


彼は、燃え盛る廃墟に、そしてその向こうにいるはずの親友の幻影に、背を向けるという重い決断を下した。

一歩、また一歩と、地獄から遠ざかっていく。足元には、砕け散ったガラスの破片が、まるで砕け散った万華鏡のように、炎の光を乱反射させて、キラキラと虚しく輝いていた。


────


ブゥン、という低いモーター音が、彼らの頭上で響いた。見上げると、闇夜に紛れるように、数機の小型ドローンが赤い監視の光を点滅させながら、爆心地の上空を旋回している。それは、警察や消防のものではない、もっと高性能で、そして冷酷な視線のように感じられた。


「あの無能どもはッ!何をしていた! 報告しろ!」


GOG本部の地下深く、地上の光も音も、そして人間的な感情さえも届かないモニタールームに、Dr.神室の甲高い金切り声が響き渡った。

彼の顔は、完璧だったはずの捕獲計画が、理解不能な形で破綻したことへの屈辱と、激しい怒りで醜く歪んでいる。


突入部隊からの報告では、閃光弾と電磁ネットによる無力化は成功したはずだった。


「部隊のヘマか! 接触に手間取ったか! だから言ったのだ、私の指示通り、コンマ1秒の狂いもなく動けと! 貴重な、実に貴重なサンプルが、貴様らの無能さのせいで塵になったかもしれんのだぞッ!」


怒りに任せてコンソールを叩きつける。


「無能がッ! 貴様ら、全員、無能だッ! この、鉄屑同然の頭をした、歩くタンパク質の塊どもがァッ!!」


その声は、静謐を保つために設計されたはずの分厚い防音壁を震わせ、彼の周囲に侍る研究員たちを、文字通り物理的に萎縮させていた。


彼の眼前には、巨大なホログラフィック・ディスプレイが、先ほどポート・モロウズで起きた大爆発の残響を、様々な角度から、様々な波長のセンサーが捉えたデータとして、無慈悲に、そして冷徹に映し出している。熱源分布、衝撃波の伝播シミュレーション、空間歪曲率の推移グラフ。それらのデータが示すのは、ただ一つの、彼にとって到底受け入れがたい事実だった。


『対象のバイタルサイン、ロスト。周辺領域における魔力残滓、臨界点以下のため追跡不能』


「手がかりが! 私の、長年の研究の集成となるはずだった、最高のサンプルが! 塵芥となって消えただと!? ふざけるなッ!!」


神室は、近くにあった高価な観測装置のコンソールを、衝動のままに蹴りつけた。強化ガラスに覆われたパネルが、蜘蛛の巣状の亀裂を走らせ、火花を散らす。


「貴様らの、そのポンコツな作戦のせいで! あの忌まわしくも美しい『魔法』の原理を解明する、千載一遇の好機が、永遠に失われたのだぞ! 分かっているのかね!?」


彼の爬虫類のような目が、血走った怒りで赤く染まり、通信モニターに映し出された一人の男を、まるで殺すかのように睨みつけていた。モニターの向こうにいるのは、今回のイリス捕獲作戦の現場指揮を執った、GOG直轄の私兵部隊の隊長だった。


『弁解の言葉もありません。ですが、博士。我々のシミュレーションでは、対象の魔力出力は、最大でも』


「シミュレーションだと!? ヒッヒッヒ! その、貴様らの玩具のような計算が、この、現実を目の前にして、何の意味を持つというのだ! 言い訳は聞かん! 責任を取れ! 貴様も、貴様の部下も、全員、私の実験体として分解し、その無能の構造を分子レベルで解析してやろうではないか!」


その狂気の怒号が最高潮に達した時、モニタールームの重厚な自動ドアが、静かに、しかし有無を言わさぬ威圧感を伴って開いた。

そこに立っていたのは、軍服のように仕立てられた、寸分の隙もない黒のカスタムスーツに身を包んだ、長身の男だった。鋭く切り揃えられた銀髪、氷のように冷たい灰色の瞳、そして、まるで彫刻のように整っているが、一切の感情を読み取らせない仮面のような顔。

彼こそが、GOGが保有する最強の私兵部隊、特殊作戦群『ケルベロス』を統べる総指揮官、マクシミリアン・グレイヴスであった。彼は、通信モニターの向こうで萎縮しているであろう部下を気遣う素振りも見せず、ただ、ヒステリーを起こしている神室を、虫けらでも見るかのような、侮蔑に満ちた視線で見下ろしていた。


「みっともないぞ、Dr.神室。まるで玩具を壊されて癇癪を起こす、子供のようだ」


その声は、低く、落ち着いていたが、北極の氷河のように、絶対零度の冷たさを帯びていた。


「総指揮官グレイヴス!」


神室は、ゆっくりと振り返った。その顔は、怒りで醜く歪んでいる。


「貴様の部隊の失態を、私の計画のせいにするつもりかね?」

神室は、立場が上の相手に対する最大限の皮肉を込めた、ねっとりとした口調で応じた。


「計画、だと?」グレイヴスは、ゆっくりと歩み寄り、神室の目の前に立った。その長身が見下ろす影が、神室の痩身を完全に覆い尽くす。「貴様のそれは、計画とは呼ばん。ただの、非科学的な妄想に基づいた、希望的観測に過ぎん。だいたい、作戦目標が『魔女』だと? 我々はテロリストを追うプロフェッショナルだ。おとぎ話の登場人物を捕らえるサーカス団ではない」


「そもそも、今回の作戦失敗の責は、貴様にある。我々は、貴様の提供した、根拠不明なデータを元に、部隊を危険に晒したのだ。結果、目標は自爆し、精鋭である我が部隊の隊員数名が、あの意味不明な爆発に巻き込まれ、負傷した。この責任、どう取るつもりだ、科学者風情が」


グレイヴスの言葉には、プロの軍人としてのプライドと、科学者という人種への、根深い不信感と侮蔑が滲んでいた。彼にとって、戦場とは計算と規律、そして圧倒的な物理的火力によって支配されるべき場所であり、神室の語る『魔法』などという不確定要素は、ただのノイズでしかなかった。


その侮蔑的な言葉に、神室の怒りは、一度、すうっと氷のように冷たいものへと変化した。そして、その唇に、歪んだ、蛇のような笑みが浮かんだ。


「ヒッヒッヒ、科学者風情、か。結構な言い草ですな、グレイヴス指揮官。ですが、その貴官が絶対の信頼を置く『物理法則』とやらが、今、目の前で、赤子の手をひねるように、いとも容易く覆されたようですが? その現実から、目を逸らすのですかな?」

彼は、ホログラム・ディスプレイに映し出された、空間そのものが歪曲していく様子の解析データを指差した。


「ご自慢の、最新鋭の装備に身を固めた精鋭部隊も、小娘一人捕えられなかったとは。いやはや、我が『魔法科学』の研究が、貴官らのブリキの兵隊よりも、遥かに有用であることを証明してくれたようなものですな。感謝しなくては」


神室の皮肉に、グレイヴスの表情が、初めて硬直した。彼の眉がぴくりと動き、その氷の仮面に、明確な怒りの亀裂が走る。彼が、その軍服の下に隠された、鍛え上げられた拳を握りしめた、その時だった。


「痴話喧嘩は、そのくらいにしておけ」


その声は、部屋の空気を一瞬で凍てつかせた。

声の主、バーンズCEOは、いつからそこにいたのか、まるで影の中から滲み出るように、二人の背後に立っていた。その手には、年代物のブランデーが注がれたグラスが、静かに揺れている。


「バーンズCEO」


グレイヴスが、咄嗟に姿勢を正し、畏敬の念を込めて頭を下げた。神室も、忌々しげに、しかし形式的な敬意を示した。


バーンズCEOは、二人の言い争いなど意にも介さぬ様子で、ホログラム・ディスプレイに映し出される、廃工場の残骸と、今なお空間に残留する異常エネルギーのデータに、恍惚とした、まるで獲物を見つけた鷲のような鋭い視線を向けていた。


「素晴らしい。実に、素晴らしい力だ」


彼は、感嘆のため息を漏した。そして、ゆっくりとグレイヴスの方へ向き直った。その目は、笑っていなかった。


「グレイヴス指揮官。貴様の『ケルベロス』は、我がGOGの誇る最強の牙だ。それは、今も変わらん。だがな」

彼は一度言葉を切り、その冷徹な視線で、グレイヴスを頭のてっぺんから爪先まで、まるで値踏みするように見下ろした。


「貴様らが、どれだけ最新鋭の兵器で武装しようと、どれだけ過酷な訓練を積もうと、この『力』の前では、何の意味もなさんということが、これで証明された」


バーンズCEOは、爆発の瞬間を捉えた映像を、ホログラムに大写しにさせた。空間が歪み、光が全てを飲み込み、物質が原子レベルで分解されていく、常識を超えた光景。


「分かるかね、指揮官。貴様らが拠り所とする『物理法則』そのものを、根底から書き換える力だ。こんなものの前では、貴様らのような鉄の塊など、赤子同然。いや、ゴミだ」


グレイヴスの顔が、屈辱に赤く染まった。長年、GOGの暗部を支え、その覇権を物理的な力で確立してきた自負と誇りを、根底から否定されたのだ。だが、彼は、目の前の絶対的な権力者の前で、反論の一言も口にすることはできなかった。


「お前たちのような、旧時代の遺物など、この魔法という新たな力の存在が明らかになった以上、もはや不要になるのだ。分かるか? ゴミが、私に口をきくな」


バーンズCEOは、冷酷にそう言い放つと、今度は神室の方へ向き直り、その表情を一変させた。その口元には、満足げな笑みが浮かんでいる。


「Dr.神室。貴様の研究は、正しい」

彼は、神室の肩を、親しげに、しかし有無を言わさぬ力で掴んだ。

「失敗はした。だが、貴様は、この『魔法』という、次の時代の覇権を握るための、絶対的な力の存在を、疑いようのない形で、この私の目の前に示してくれた。その功績は、何物にも代えがたい。素晴らしいぞ、Dr.神室。期待している」


神室は、バーンズCEOの言葉に表情一つ変えなかった。ただ、その爬虫類のような瞳の奥に、ほんの一瞬、子供が無垢な好奇心で虫を解剖する時のような、純粋で冷たい悦びの光が宿った。彼は掴まれた肩を意に介すでもなく、ゆっくりとバーンズCEOの目を見返した。


「ヒッヒッヒ、賢明なご判断です、バーンズCEO。旧時代の鉄屑に投資するよりも、遥かに有意義な結果をお約束しましょう」


その声には、感謝や畏敬の念は微塵も含まれていなかった。あるのはただ、自らの理論の正しさが証明され、次の実験段階へ進むための障害が取り除かれたことへの、乾いた満足感だけだ。彼はそう言うと、バーンズCEOの掴む手を振り払うでもなく、されるがままにさせながら、再びホログラム・ディスプレイに映し出された爆発のデータへと視線を戻した。その横顔に浮かぶのは、バーンズCEOへの忠誠心ではない。未知の現象を前にした、狂信的なまでの探求心と、全てを解明し支配しようとする、神をも恐れぬ傲慢さそのものだった。


「今後、ケルベロスを含む、我が社の全ての軍事リソースは、貴様の研究のために、優先的に使用することを許可する。必要なものは、何でも言え。金か? 人か? それとも、次の実験のための、新しい『玩具』か? 全て、私が与えよう」


バーンズCEOの言葉は、このモニタールームにおける、新たなパワーバランスの誕生を、明確に宣言するものだった。旧来の軍事力は失墜し、未知の科学技術が、GOGの新たな心臓として、その価値を認められたのだ。


グレイヴスは、握りしめた拳が、血が滲むほどに白くなっていることにも気づかず、ただ床の一点を、燃えるような、そしてどこまでも深い屈辱に満ちた瞳で見つめていた。


一連のやり取りを、壁際の影の中で、ヴァレリアは静かに、そして冷静に観察していた。

彼女は、テーブルに置かれていたバーンズCEOのブランデーグラスを、音もなく手に取ると、その琥珀色の液体を、まるで勝利の美酒のように、ゆっくりと口に含んだ。


(あらあら、愚かな殿方たち。たった一つの『情報源』を失ったくらいで、みっともなくいがみ合って。本当に滑稽だわ)


彼女の唇に、美しく、そして毒々しい、深紅の笑みが浮かぶ。


(あなたたちが灰の中から幻を探している間に、私はもう、次の一手を打っているというのに。ええ、もっと有望で、もっと純粋な『別の情報源』は、すでに私の手中にあるのよ)


彼女の脳裏に、あの素直で疑うことを知らない少年たちの顔が浮かぶ。彼らなら、あの危険な魔女よりもずっと容易く、魔法の核心へと導いてくれるだろう。


(せいぜい、絶望の中で足掻くがいいわ。蛇と獅子が獲物の死骸を争っている間に、蜘蛛は静かに次の獲物へと巣を張るものよ)


彼女の頭の中では、この新たな権力構造の中で、いかにして自分の影響力を最大化し、最終的にこの愚かな男たちさえも手玉に取るか、そのための冷徹な計算が、既に始まっていた。

蛇たちの饗宴は、まだ終わらない。むしろ、これからが本番なのだ。


────


ポート・モロウズの夜は、救急隊と消防隊、そして野次馬の喧騒によって、その静寂を完全に奪われていた。

ノエルたちは、人混みに紛れ、誰にも気づかれることなく、その場を離れた。フードトラックが停めてある、比較的安全な地区まで戻った時、空は白み始めていた。


打ちひしがれたノエルと、彼を必死に支えるリリィ。そして、厳しい表情で周囲を警戒するルドルフ。三人の間に、重い沈黙が流れていた。その沈黙を破ったのは、ノエルのポケットの中で震えた、スマートフォンの着信音だった。画面には、非通知の文字。だが、ノエルには誰からの電話か、直感的に分かった。


「カイトさん?」


電話の向こうのカイトの声は、いつもの軽薄さが嘘のように、低く、そして重かった。『ポート・モロウズの爆発の件、ニュースで見た。お前たち、あの近くにいたみたいだな』


リリィが、非難するような響きを込めて問い返した。「見てたの? 女の子のスマホの位置情報を勝手に追いかけるなんて、趣味が悪いわよ」


『悪かったな。だが、お前たちの無事を確認する必要があった。巻き込まれなかったのは、不幸中の幸いだったな』

カイトは、リリィの皮肉を意に介さず、続けた。その声には、明確な焦りと、そして押し殺したような罪悪感の色が滲んでいた。


ノエルが、力なく呟いた。「まさか、あんな恐ろしい魔法の力を使うなんて」


『いや。単刀直入に言う。あれは、GOGがイリスの捕獲作戦を行った結果だ』


「え?」

ノエルは、カイトが何を言っているのか、一瞬理解できなかった。

「GOG? 捕獲作戦?」


『ああ。奴らはイリスの居場所を突き止め、罠を仕掛けた。だが、連中はしくじったんだ。イリスの魔法が、奴らの想定を遥かに超えて暴走し、あの大爆発を引き起こした。GOGは捕獲に失敗し、イリスは爆発に巻き込まれて、現在、生死不明だ』


カイトは一度、言葉を切った。そして、絞り出すような声で言った。


『そして、GOGをあの場所に呼び込んでしまったのは、俺のミスだ。すまない』

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