ブリキの涙
GOG本部の地下深く、外界から完全に遮断された仮眠カプセルの中。
冷たいゲル状の緩衝材に身を沈めながら、Dr.神室は過去の夢の断片を見ていた。
それは、色褪せたフィルムのようにざらつき、感情の起伏を伴わない、ただの記録映像のような記憶。
忘れもしない、ある年のクリスマスの朝。
兄弟は、サンタクロースから同じデザインのブリキ製ロボットを贈られた。
兄はそれを「レオナルド」と名づけ、宝物のように抱きしめ、目を輝かせていた。友人たちに自慢し、夜も一緒に眠るほどだった。
一方、弟であった自分は、贈られたロボットにすぐに飽きて、いつしか押し入れの奥に忘れ去られていた。
ある晩、兄の部屋から漏れる微かな光と、ひそやかな話し声に気づき、そっとドアの隙間から中を覗いた。
兄が、ベッドサイドのテーブルの上で、レオナルドに何かを話しかけている。最初はごっこ遊びでもしているのかと思った。
だが、次の瞬間、信じられない光景を目の当たりにする。
レオナルドが、兄の言葉に応えるように、胸のランプを明滅させ、声を発し、そして……独りでに動き出したのだ!
衝撃を受けた弟は、押し入れの奥から、埃をかぶった自分のブリキのロボットを引っ張り出し、必死に話しかけ、動かそうとした。
だが、それはただの冷たいブリキの塊のまま、何の反応も示さない。
「なぜ兄さんのロボットだけが特別なんだ? 不公平だ!」
理解できない現象への不満と、兄への黒い嫉妬が、幼い胸の中で渦巻いた。
翌日、兄が学校へ行っている間に、弟は息を殺して兄の部屋に忍び込んだ。
テーブルの上のレオナルドに、命令するように話しかけた。
「おい、どうして動くんだ? どんな仕組みなんだ? その原理を教えろ!」
レオナルドは、まるで怯えるかのように動きを止め、そして、か細い声で、途切れ途切れに音を発した。
「お願い、やめて。僕は、サンタさんの魔法で動いているんだ。お兄ちゃんが、僕を信じてくれる心、愛してくれる心が、僕を動かしているんだ」
「心だって? 信じるだって? 馬鹿馬鹿しい!そんな非合理的なものが、この物理法則に支配された世界に存在するはずがない!」
彼は書斎から持ち出したドライバーを手に取り、レオナルドを冷徹に分解し始めた。
抵抗するような微かな振動も無視し、ネジを外し、外装を剥がし、内部の構造を露わにしていく。
だが、期待したようなものは何も見つからなかった。ただのブリキと歯車、そして簡単な配線があるだけだった。
夕方、学校から帰ってきた兄は、バラバラになったレオナルドの残骸を前に、声を上げて泣き叫んだ。
弟は、その姿を何の感情もなく、ただ冷めた目で見つめていた。
彼の中にあったのは、罪悪感ではなく、未知の現象を完全に理解・解明できなかったことへの、深い苛立ちと屈辱感だけだった。
……カプセルの中で、Dr.神室は静かに目を覚ます。心拍数、血圧、脳波、全て正常値。
彼は夢の内容を、まるで実験データを分析するように冷静に反芻し、その唇に薄く冷たい笑みを浮かべた。
「…忌まわしい記憶だ。だが、あの時、解明できなかった『サンタクロースの魔法』という非合理かつ非科学的な要素。
今度こそ、私の目の前に現れたその『未知』の原理を完全に解析し、我が科学体系に組み込み、制御してくれるわ。
そして、この愚かな人類を超越し、私自身が神へと至るのだ…!」
彼の瞳には、人間的な感情の揺らぎは一切映っていなかった。
ただ、目標達成への冷徹な意志と、歪んだ探求心の光だけが、蛇のように冷たく、鋭く湛えられていた。
その歪んだ探求心は、レオナルドの一件の後も彼を駆り立て続けた。世界各地で報告される「奇跡的に動く玩具」の僅かな噂を、GOGの諜報網と資金を利用して執拗に追い、秘密裏に収集しては冷徹な分析と解体を繰り返した。喋る人形、自律するぬいぐるみ…それら奇跡の残滓から、彼は「サンタクロース協会」という名の組織や「妖精」「魔法」といった非科学的な単語の断片を、まるでパズルのピースを拾い集めるようにして手に入れていった。
現在の彼の地下研究施設では、それら断片的な情報とGOGの最先端技術を融合させ、「魔法」と呼ばれる現象の表層的な再現実験が繰り返されていた。未知のエネルギーパルスを照射して物体を浮遊させようとしたり、特定の音波振動で物質構造を変化させようとしたり――その試みは、イリスが操るような法則を歪める「本物の魔法」には遠く及ばない、いまだ不完全で不安定な模倣に過ぎなかった。その不完全さが、彼をさらに焦燥させ、イリスという「完璧なサンプル」と、その力の源泉たる「禁書」への渇望を、病的なまでに増幅させていたのだった。