星条旗の下の現実
水平線の彼方に、アメリア大陸の影が見え始めた。
巨大な貨客船がゆっくりと港へと近づくにつれ、その圧倒的なスケールが徐々に明らかになる。
どこまでも続く巨大なコンテナヤード、林立するガントリークレーン、そして、海から立ち昇る朝霧の向こうに霞んで見える、天を摩するような摩天楼のシルエット。
活気に満ち溢れ、様々な人種と文化が混じり合うエネルギーを感じさせる一方で、そこにはスネーランドの港にあったような人の温もりとは違う、どこか人を寄せ付けないような、巨大なシステムの冷たさも漂っていた。
船が接岸し、タラップが下ろされる。
ノエル、リリィ、そして大きな体で器用に後をついてくるルドルフは、いよいよ星条旗の国へと足を踏み入れるべく、入国審査場へと向かった。
そこは、最新鋭の生体認証システムや無数の監視カメラと、書類の束を抱えた人々の長い列、そして武装した警備員の鋭い視線が混在する、異様な緊張感に満ちた空間だった。
列に並びながら、ノエルたちは周囲の空気に息を詰まらせた。
カウンターの向こうでは、無表情な審査官が、機械的に、しかし疑念に満ちた視線で一人ひとりをチェックしている。
疲労困憊の色を隠せない家族連れが、書類の不備を指摘され、必死に何かを訴えながら別室へと連れて行かれる。
バックパック一つで夢を追ってきたであろう若者が、無作為の薬物検査に選ばれ、抵抗も虚しく腕を引かれていく。
強制送還を告げられたのか、その場で泣き崩れる女性の嗚咽も聞こえてくる。
自由と希望の国という輝かしいイメージの裏側にある、厳しい現実と目に見えない壁が、そこには確かに存在していた。
『黒き聖夜の審判』が引き起こした一連の事件は、この国のテロリズムへの警戒心を極限まで高めていた。
特に、ヘリオス社の爆破事件が中東系のテロリストの犯行であるとの報道が大々的になされて以降、国内では移民排斥を訴える右派勢力が急速に支持を拡大し、見慣れない風貌の外国人に対する視線は、あからさまに厳しさを増していた。
「……Next」
ついにノエルたちの番が来た。
カウンターの向こうの、厳つい顔つきの審査官は、パスポートとリリィが差し出した書類の束に素早く目を通すと、鋭い視線を二人に向けた。
「ノードハイム発、スネーランド経由……? 随分と変わった旅程だな。アメリアでの滞在目的は?」
「友人を探しにまいりました」
リリィが落ち着いた声で答える。
「友人? 名前は? まさかとは思うが、『黒き聖夜の審判』などという国際テロリストグループと何らかの関係があるわけじゃないだろうな?ん?」
矢継ぎ早の質問と共に、審査官の目が疑わしげに光る。
「いいえ、そのような団体とは一切関係ありません。私たちはただ、個人的な理由で……」
リリィが冷静に続けようとした時、審査官は鼻で笑った。
「ハハハハハ、ジョークだよ、ジョーク。リラックスしろ。あの手のテロ組織の連中ってのは、どうせ中東の過激派か、どこかの狂信的なカルトの連中だろ? あんたたちが、のんびりした北欧の田舎出身だってのは、その顔を見れば一目で分かる。心配はいらねえよ。我々アメリアは、いつだって善良な観光客を歓迎する、寛容な国だからな」
しかし、その「ジョーク」という言葉とは裏腹に、彼の口調と表情には、刺々しく、そして侮蔑的な響きと、彼らが「歓迎する」対象を選別しているという、拭いきれない差別意識が透けて見え、ノエルの胸を重くさせた。
「それで、このトナカイはなんだ? ここはサーカス団の入国審査場じゃないぞ。生きた大型動物の持ち込みには、厳格な検疫証明と特別な許可証が必要だ。書類は全部揃っているんだろうな?」
厄介ごとを押し付けられたかのような、あからさまに面倒くさそうな苛立ちが声に滲んでいた。
リリィはしかし、動じることなく、落ち着いた態度で答えた。
「このトナカイは私の助手で、特別な訓練を受けており、スネーランドで特別な許可を得て伴っている家畜です。必要な書類はこちらに全て揃っております」
彼女は、スネーランドでオラフルに協力してもらい、ルドルフが「特別な訓練を受けた荷運び用の家畜」であるという証明書や、検疫に関する書類を提示した。
審査官は面倒くさそうな大きなため息をつき書類を受け取ると、記載された番号を雑にコンピューターで照会した。
特に不備は見つけられなかったようで、まるで厄介払いをするといった様子で、二人のパスポートに入国許可のスタンプを強く押し付けた。
重苦しい雰囲気の入国管理局を抜け、星条旗が冷たい風にはためくアメリアの地に降り立った時、ノエルたちの心は期待と不安とで複雑に揺れていた。
目の前に広がる、目も眩むような摩天楼の壮大さ。
その一方で感じた、システムの冷たさと、人々が抱える見えない苦悩。
そして、自分たちがこれからこの国で探し出さなければならない友人と、立ち向かわなければならないであろう問題の大きさを、改めて痛感していた。