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聖夜の黄昏  作者: 那王
5章 蝕まれる世界
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ブレナの夜に

スネーランドでの日々は、ノエルたちにとって驚きと発見の連続だった。黒い溶岩大地と氷河が織りなす荒々しい自然、地熱の恵みと厳しさの中で育まれた独自の文化、そして何よりもオラフル一家の温かいもてなし。マグナスの一件は、人の心の闇と、情報社会の危うさという後味の悪さを残したが、それ以上に、この土地で生きる人々の強さや優しさ、自然への敬意に触れた経験は、彼らの心に深く刻まれた。そして、あっという間に年の瀬が迫っていた。


大晦日の夜。レイカヴィクの街は、日中の静けさとは打って変わって、独特の熱気に包まれていた。厳しい冬の寒さにもかかわらず、人々は家から繰り出し、どこかそわそわとした、それでいて陽気な空気が街を満たしている。オラフルに誘われ、ノエル、リリィ、そして大きな体を少し窮屈そうにしながらも興味深そうに周囲を見回すルドルフも、インガや目を輝かせるビャルキ、ソーラと共に街の中心部へと足を運んだ。目的は、スネーランドの古くからの伝統行事、「ブレナ」と呼ばれる巨大な焚き火を見ることだ。


「うわぁ……! すごい迫力!」


街の広場に到着したノエルは、燃え盛る巨大な火柱を見上げて、思わず感嘆の声を上げた。高さ数メートルにも及ぶ木材や古い家具、廃材などが円錐状に積み上げられ、その頂点から立ち昇る炎は、白夜の名残がある薄明るい極夜の空を赤々と焦がし、周囲に集まった人々の顔を生き生きと照らし出している。パチパチと激しい音を立て、火の粉を撒き散らしながら燃える様は、圧倒的な力強さと、どこか神聖さすら感じさせた。オラフルが、これは一年間の厄や古い年の穢れを焼き払い、新しい光と共に新年を迎えるための儀式なのだと教えてくれた。人々は、燃え盛る炎を囲み、伝統的な歌を口ずさんだり、熱い飲み物を片手に談笑したりしており、厳かな雰囲気と、年の瀬の解放感が混じり合った独特の空気が流れていた。


「この火にはね、古い年の悪いものを燃やし尽くす力があるって、昔から言い伝えられているんだ」

オラフルが、揺らめく炎を感慨深げに見つめながら言った。「病気も、不運も、わだかまりも、全部この炎が浄化してくれるのさ」

彼は悪戯っぽく笑い、子供たちの耳元で囁いた。

「そして、この炎の周りにはな、時々、フゥルダフォルク…『隠れた民』がこっそり紛れ込んでいるかもしれないぞ。エルフやトロルといったほうが、君たちには分かりやすいかな。彼らは人間には見えないけれど、この特別な夜には、一緒に新年を祝いに出てくることもあるって話だ」

ビャルキとソーラは、オラフルの言葉に少し怖がりながらも、好奇心で目をキラキラさせ、人混みの中や炎の向こうの闇を、何か特別な存在を探すように見回している。フロキは炎の熱気が苦手なのか、少し離れた場所でインガの足元に寄り添っていた。


「エルフ……」ノエルは小さく呟いた。


「協会の妖精さんたちは、今頃どうしてるかな。この時期の協会は、プレゼント配りの激務を終えて、聖ニコラス様を中心に、みんなで厳かに集まって、無事に聖夜を超えられたことに感謝を捧げるんだ。妖精さんたちも、きっと焚き火を囲んで、古い歌を歌っているかもしれないな」

協会のエルフィンと、この国のフゥルダフォルク。呼び名は違えど、どこか通じる存在がいることに、ノエルは不思議な繋がりを感じていた。


リリィは、この国の幻想的な伝承と、ノエルたちの世界のファンタジーが奇妙にリンクしていることに、改めて不可思議な感覚を覚えていた。世界は、自分の知らない神秘で満ちているのかもしれない。


新年を迎える午前0時が刻一刻と近づくにつれて、街の雰囲気はさらに熱を帯び、劇的に変化していった。どこからともなく、人々が大小様々な花火を持ち寄り、広場だけでなく、家々の庭先や路上からも、打ち上げ始めたのだ。最初は、ぽつり、ぽつりと夜空に小さな光の花が咲いていたのが、新年へのカウントダウンが始まると、その数は急速に増え、まるで競い合うかのように、あちこちで火花が散り始める。


「……3、2、1、ゼロ!」


誰かが叫んだのを合図に、時計の針が真上を指した瞬間。街全体が、轟音と閃光に包まれた。


「わーーっ!! きれい!!」


ノエルもリリィも、夜空を埋め尽くさんばかりに打ち上げられる無数の花火の光と、腹の底に響くような爆音に、ただただ圧倒された。それは、どこか特定の場所から統制されて打ち上げられる洗練された花火大会とは全く違う。市民一人ひとりが、思い思いの場所から、手持ちの花火や打ち上げ花火を、まるで爆発するかのように一斉に放つ、混沌として、原始的で、しかし生命力に満ち溢れた凄まじい祝祭だった。赤、青、緑、金…色とりどりの光が、雪に覆われた街並みを鮮やかに照らし出し、耳をつんざく爆音が、古い年の空気を文字通り吹き飛ばしていくようだった。ルドルフは、大きな音に少し驚いた様子で耳をぴくぴくさせていたが、それでも騒ぎを楽しむかのように落ち着いていた。フロキは興奮して、花火の光に向かってキャンキャンと吠え続けている。


「スコゥル・フィリル・ガムラ・アウリズ!(新年おめでとう!)」

オラフル一家とノエルたちは、降り注ぐ花火の閃光の下で、互いに新年の挨拶を力強く交わし、インガが用意してくれた、スパイスの効いた熱いココアで乾杯した。凍える空気の中で飲む温かいココアは、体の芯まで染み渡るようだった。


降り注ぐ無数の花火の光を見上げながら、ノエルは遠いアメリアにいるであろうイリスのことを思った。彼女は今、どこで、どんな気持ちで、この新しい年の始まりを迎えているのだろうか。この花火のように、世界を変えたいという彼女の願いは、あまりにも激しく、危険だ。それでも、いつか、彼女とこんな風に、穏やかに新年を祝える日が来ることを、ノエルは心の底から願わずにはいられなかった。


――――


数日後、スネーランドでの充実した日々も終わりを告げ、ノエルたちは、オラフル一家に心からの感謝を伝え、別れの時を迎えた。短い滞在だったが、彼らとの出会いは、ノエルたちの心に温かい光を灯してくれた。


「本当に、お世話になりました。オラフルさん、インガさん。あなたたちの親切は決して忘れません」

リリィが、少し潤んだ瞳で深々と頭を下げる。インガは優しくリリィを抱きしめた。


「ありがとう! ビャルキ、ソーラ、また絶対に遊びに来るからね! フロキも元気で!」

ノエルも、少し寂しさを感じながらも、精一杯の笑顔で手を振った。ビャルキとソーラは、「ノエル兄ちゃん、リリィ姉ちゃん、ルドルフ、また来てね!」と、最後まで元気に手を振って見送ってくれた。フロキは、ルドルフの周りをクンクンと鳴きながら、名残惜しそうに何度もまとわりついていた。


温かい家族との別れを惜しみつつ、三人は再びレイカヴィクの港へと向かった。スネーランドの旅で得たものは大きい。自然の厳しさと恵み、気候変動という現実、伝統文化の尊さ、そして何よりも人の心の温かさ。それら全てを胸に刻み、彼らは次の目的地、アメリア大陸を目指すべく、新たな船へと乗り込んだ。オーロラ号のような豪華さはないが、北大西洋の荒波を越えていくには十分な大きさの、実直な貨客船だった。荒涼として、しかし力強いスネーランドの島影が、ゆっくりと水平線の向こうに遠ざかっていく。新しい旅の始まりに、三人の胸には期待と、そして漠然とした不安が静かに同居していた。


――――


その頃、無数の光がきらめく夜景を一望できる高層ビルの屋上に、一人の少女が静かに佇んでいた。夜風が彼女の銀色の髪と、深く被ったフードを揺らす。国防長官アシュフォードとの予期せぬ対話は、イリスの中に新たな問いと、そして人間という存在の複雑さに対する微かな戸惑いを投げかけた。だが、それは彼女の決意を鈍らせるものではない。


(守りたい未来があるのは、彼だけではない……。そして、そのために踏みにじられる命がある限り……)


彼女の瞳は、眼下に広がる華やかな光の海ではなく、その奥底に澱む欺瞞と欲望の深い闇を、冷徹に見据えていた。


「GOG……そして、この国が振りかざす偽りの正義。本当の夜明けをもたらすまで、私は止まらない」


その呟きは、誰に聞かれることもなく、星々の瞬く夜空へと吸い込まれていった。彼女の孤独な戦いは、まだ始まったばかりなのだ。


――――


一方、巨大複合企業グローバル・オムニ・グループ(GOG)の本部、その最深部。

冷たく静まり返ったモニタールームで、Dr.神室は、苛立ちと焦燥を隠せずにいた。

スーリアでの『黒き聖夜の審判』捕獲作戦は、アシュフォード国防長官の不可解な介入により、寸前で失敗に終わった。

計画を狂わされた怒りは、未だ彼の爬虫類のような胸の内で燻っている。


その時、重厚な自動ドアが静かに開き、部屋の空気を震わせるように甲高いヒールの音と、濃厚な香水の匂いが漂ってきた。

神室は顔をしかめたが、振り返ることはなかった。

この部屋に、許可なく、これ見よがしに入ってくる人物など、一人しかいない。


「あらあら、神室クン。まだそんな仏頂面で、モニターとにらめっこ?

まるで獲物を逃した蛇みたい。ああ、蛇に失礼かしら? 蛇の方が、もう少し優秀ですものねぇ?」


声の主は、GOGの情報統括部門責任者、ヴァレリア。

真紅のタイトなドレスに身を包み、同じ色のピンヒールをカツカツと鳴らしながら、神室の背後に近づいてくる。

プラチナブロンドの髪は高く結い上げられ、挑発的な笑みを浮かべた唇には、ドレスと同じ色のルージュが毒々しく光っていた。

その手には、小型のデータチップが弄ばれている。


神室は、ヴァレリアの嫌味ったらしい口調に顔を歪めたが、すぐにいつもの歪んだ笑みを浮かべた。


「ヒッヒッヒ…これはこれは、ヴァレリア女史。相変わらず、下品な香水の匂いを撒き散らしておられる。

何か、私の研究の足しにでもなる、面白いお話でもお持ちかな?」


「あら、私の香水がお気に召さない? 残念ねぇ、殿方には大変好評なのだけれど。

まあ、あなたのような研究室に引きこもりの朴念仁には、この魅力は理解できないでしょうけど」


ヴァレリアは肩をすくめると、神室の隣に立ち、長い爪で彼の肩を軽く叩いた。


「ええ、面白いデータ、持ってきたわよ。

あなたが喉から手が出るほど欲しがるような、とーっておきのやつをね」


彼女はデータチップを神室の目の前にひらひらと見せびらかすように揺らした。


「ペンタゴンの、アシュフォード長官の執務室から、ちょーっとだけ拝借してきた音声記録。

あの堅物ジジイが、かわいらしい魔女の子と、こっそりお茶会してたみたいよ? 聞いてみる?」


「……何だと?」


神室の爬虫類のような目が、ヴァレリアの手の中のチップに釘付けになった。


「ヒッヒッヒ…! ククク……! なんという僥倖! なんという滑稽!

老いぼれが、国を揺るがすテロリスト…いや、魔女と密会していたとはな!」


神室はヴァレリアからひったくるようにデータチップを受け取ると、恍惚とした表情でコンソールに接続し、音声記録を再生し始めた。

彼の爬虫類のような目が、愉悦に細められる。


「これで、あの忌々しい邪魔者を排除する、絶好の口実ができたというわけだ。

GOGの意向に逆らい、私の完璧な計画を邪魔した報い、たっぷりと受けてもらうとしよう。

そして、魔女よ…君のその不可解な行動も、全ては私の計算の内となるのだ。ヒッヒッヒ…!」


「あら、お気に召したようで何よりだわ」


ヴァレリアは満足そうに微笑むと、神室の耳元で囁いた。

「私の『情報』は高くつくのよ、神室クン? 今回の『貸し』、どう返してくれるのかしら? 楽しみにしてるわね」


彼女は誘うような、しかし有無を言わさぬ響きを残して、再び甲高いヒールの音を響かせながら部屋を後にした。


神室は、ヴァレリアの言葉など意にも介さず、ただ歪んだ笑い声を響かせながら、冷たく静まり返ったモニタールームで、アシュフォードとイリスの対話の記録を繰り返し再生していた。

ノエルたちが新たな希望を胸に大海原へと漕ぎ出すその裏で、世界はより深く、複雑な闇の中へと、静かに、しかし確実に動き始めていた。

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